魔界遺産

叶 遥斗

【魔界遺産】


 意識がモヤの中でもがいていた。こんなところでのんびり寝ている場合じゃないよ、と必死で誰かが叫んでいた。そんな気がしたから頑張って重たいまぶたをこじ開け唸る。思ったより可愛いこどもの唸り声が鼓膜を刺激する。どうやらこれが自分の声らしい。


「漸ク意識ヲ取リ戻シタカ」


 誰かが言った。まるで遠くから降りそそぐ声。


 目をこらす。天井はない。一面星空。手を伸ばしても何も掴めない。遠い遠い満天の星。忘れていた呼吸を、いつぶりだろう、肺の奥深く、一番奥の細胞まで酸素を送る。覚醒。


 すぐそこまで来ていた『誰か』がこちらを見下ろしていた。


「オカエリ。ソシテ、ハジメマシテダ。ソウ睨ムナ」

「お前は誰だ」


 いつでも戦えるよう構えると、相手はやれやれと天を仰いだ。


「相変ワラズ血気盛ンデ何ヨリダ」


 見知らぬ顔の魔人だった。土気色の皮膚は死者を思わせたし、総白髪となった髪は意外にも手入れがされているようでボブに切りそろえられてはいたが。おおよそ心ある相手とは思えない虚無の色の眼差しをしていた。声も感情が一切ない。


「お前は誰だ、カ。他ニイクラデモ訊キタイコトハアルダロウ」


 ゼンマイ仕掛けの操り人形みたいな無機質な仕草。再びこちらを見てはじっと瞬きもなく首を傾げた。


「我ハ『ヤミ』。ココハ滅ビノアトノ魔界遺産。オ前ハ『ル・シリウス』。志半バニシテ散ッタオ前ノ無念ヲハラサン」


「──は?」


「大規模ナ魔界ノ消失ガアッタ。砕ケ散ッタ舞台、人物、物語、ソレラガ塵芥トナリ魔力ノ渦ノナカデ混沌ヲ揺蕩ウ。オ前ハ強イ魔力ト意思デ復活ヲトゲタガ、記憶ハアルマイ」


 言われた意味がすぐにはわからなくて、呆然と星空を見上げた。


 色とりどりの煌めきを放つ星たちやガスがあんなにもひしめいて、見ているだけで鼻の奥がツンと痛み涙が溢れそうになる。


「オ前ノ物語ハマダ幕ヲ閉ジテハイナイ。オ前ガオ前ノ目的ヲ思イ出スマデ、始マリモシナイ」

「オ前ガオ前ノ『ファイノメナ』ヲ」

「モウ一度」


 ヤミがどこからか一冊のぶあつい本を差し出してきた。立派な装飾がなされた本がずしりと腕に重い。慎重に開くと中には頁がなかった。白紙の端っこは霞んで解けて物体としての形を成していない。


「『ファイノメナ』。星空を原題とするその物語は、主人公の少女が愛する師匠を復活させるためにいくつもの魔界を転々と渡り歩く内容だそうだ」


 いつの間にかヤミの後ろにもう一人、細身の男がいた。男も一冊小脇に本を抱えている。


「世界によって存在を消された者を取り戻す。無謀としか言いようがねえ。狂気じみている。だが皮肉なことに、自分がそれをするはめになった」

「オッサンは誰だ」

「オッサンじゃねえ。どっからどう見ても素敵お兄さんだろうが」


 胡散臭いのであんまり近寄るなと顔をしかめると、ヤミは初めて感情らしきものをみせた。


「オ前ラ本当ニ記憶ナインダヨナ?」

「ないぞ」

「コイツのこと知らないけど何か生理的に嫌」


 品定めとばかりに男の周りをひょこひょこと回って観察する。本のタイトルは『謡うデスペラード』。ガリガリの癖に上半身は裸で、背中にアザがある。大きな葉っぱの形のアザだった。


「オ前タチ以外ニモ、記憶ノナイママ目覚メタ者ガイルダロウ。主ニ強イ魔力ヲ持ツ魔王ヤソレニ匹敵スル者タチ。中ニハ魂ガ共鳴スル相手ガイテ、記憶ノ解放ヲ繰返スコトデ本来ノ自分ニ戻ルダロウ。全知全能ノ書ノ人格ト、ヤミヤミグラフモツイデニ回収シテクレ」


「ついでって何だよ。つうかお前は来ねえのかよ」

「我ハヤミ。魔界遺産トヤミヤミグラフノ管理者デアル。混沌デシカ存在デキヌ身」

「意味わかんないけど、いつの間にかコイツと二人で旅する流れになってる?」


 超絶嫌そうな顔をしてから、仕方なしに諦めた。


「ル・シリウスは健気ないい子。オッサンと二人旅でもへこたれない」

「ふざけんな。俺様がガキのお守りをしてやるんだから感謝しろよな」


 いがみ合う二人には最早興味が無いのか、ヤミは話を続けた。


「『ジーク』ヨ。『オデオン』ヲミツケルノハ一筋縄デハナイゾ」

「あ?」

「記憶ガナイウエニ人型魔物型デスラナイ。ジブンヲ物ダトオモイコンデイルダロウ」


 ヤミはジークの頭に粗末なテンガロンハットを被せた。


「シバラクハコレデ我慢シロ」

「ヤミ。アタシは誰を探せばいい?」

「オ前ノ共鳴スル相手ハ多分、ファイノメナ以外ノ……『レグルス』ヤ『プラウ』ハ別ノ混沌ニイル。太陽王ユカリノ者ヲ探シタホウガイイダロウ」


「レグ、ルス……」

「心配スルナ。オ前ハ必ズ取リ戻ス。ソウダロ」

「うん……!」


 じわじわと頬が熱くなる。毛細血管に行き届く。


「タダシ、全員記憶ガナイ。敵味方関係ナク戦闘ニナル可能性ガ高イ。混沌ニ揺蕩ウ欠片ヲ消滅サセテハイカン。オ前ラニハ初期装備トシテコノ輪ゴム銃ヲヤロウ」

「輪ゴム銃……」

「ガキの玩具か」

「エート確カ……RQ22コモン? 豆鉄砲ヤ竹筒水弾、ガジェットシューター、改造モデルガン、手作り水鉄砲??? ──ノホウガヨカッタカ」


 どっちにしろろくな装備ではなさそうだ。


「仕方アルマイ、オ前ラ強スギナンダカラ。一応二丁拳銃デ両手ニ持タセテヤルカラ。不貞腐レルナ」

「輪ゴム銃かあ」

「ちょっと試し撃ちすっかあ」

「ヤメロ馬鹿共サッサト旅立テ仲良クシロ」


 仕方なしに諦めた。これ以上長居してヤミのセリフを増やすとカタカナ変換マジめんどいって作者の人が心折れちゃう。


「じゃあ行きますか」

「混沌二人旅ね、しゃあねえな」


 これより、カラッポを終えるための物語を始めよう。






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