第2話  お母さんの秘密

     2010年 3月○日(□曜日)  曇り時々薄日が射す

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 お隣の庭の梅の花が、甘い香りを早春のまだ冷たい風に乗せてわが家にもお裾分けをくれている。この香りが少し薄まってきたあとに、まるでそのタイミングを待っていたかのように桜の蕾が急速に膨らんできた。今朝のニュースでは、暖かい地方の桜の開花の様子が「春の便り」のコーナーで報じられていた。

 こちらの桜ももうすぐ咲き始める。近くの大きな公園には沢山のソメイヨシノの木が植えられているので、毎年桜の季節になると、公園中が薄いピンク色に染まって行く。

 この春の訪れの喜びに合わせるように、今日、とても良いことがあった。

 このところすごい早さで言葉を覚えていく幹央が、今日初めて私のことを「お母さん」と呼んでくれた。

 言葉を喋り始めた頃に、私のことを「ママ」と呼び始めたが、私はどうしても「ママ」ではなく、「お母さん」と呼んで欲しかったので、「ママ」と呼ばれるたびに「ママじゃなくて、お母さんよ」とまめに、気長に直してきていたのだ。

 今日、朝ごはんの時に、幹央の大好物のイチゴをデザートに出したら、小さなお皿に乗せた分をあっという間に平らげてしまい、「おかあさん、おかわり」と言ってお皿を差し出したのだ。

「幹、今、お母さんと言ったよね?」

 あまりに私の思い入れが強かったので、都合よく聞き間違えてしまったかもしれないと心配になり、幹央に訊き直してみた。

「おかあさん、イチゴちょうだい」

 こっちの驚きや感動などどこ吹く風で、幹央はイチゴのお替りを催促してきた。二度の「おかあさん」を聞いて、うれしさが込み上げてきた。これで私は正真正銘、幹央の母親になれた気がした。


 この日のコメントを読み終わって。僕はとても引っかかるものを感じていた。確かに僕は今も「お母さん」と呼んでいる。同級生の中には中学二年生になった今でも大半が母親のことを「ママ」と呼んでいる中、僕は物心ついた時から「お母さん」以外の呼び方をしたことがない。それが当たり前だと思っていたから、なんの疑問も持っていなかった。

 なぜお母さんは自分の呼ばれ方に、こんなに執拗に拘ったのだろうか?

「ママ」であっても、「母ちゃん」「オカン」でも、子供が愛情と信頼を持って自分のことを呼んでくれる呼び方に、母親として何の違いがあるというのだろうか。

 この疑問からふと気持ちが開放された時、わずかだが階下の台所の方で物音がした。食卓の椅子を動かした時の音だ。

「お父さんもまだ起きているのだろうか?」

 やっぱり眠れないよなと、自分自身で納得しながら僕も台所に向かった。

 やはり台所のテーブルに新聞を広げて、スポーツ欄を読んでいるお父さんの広い背中が見えた。

 階段を下りてくる音で気づいていたのだろう、僕が台所に入って行くと、振り向きもしないで。「幹央も眠れないのか?」と言った。「幹央も」ということは、お父さんも同じだということを僕はすぐに理解した。

「ココアでも飲もうかと思って、お父さんも飲む?」

「そうだな。でも、ココアって、飲むのはどれくらいぶりだろうか?」

「子供の飲み物だと思っているでしょう?」

「違うのか?」

「最近のココアは、砂糖も入っていないしカカオの香りも強いから、結構お父さんの口にも合うと思うよ」

 僕は冷蔵庫から牛乳を取り出すと、ミルクパンに注いで、弱火のコンロにかけた。

「お湯はお父さんが沸かすよ」

 お父さんは、立ち上がるとヤカンの蓋を開けた。

「お湯は沸かさなくて良いんだよ。僕がまだ小さい頃に飲んでいたココアと違って、今飲んでいるのは牛乳に溶かして作るんだ」

「へぇ。そうなのか? 知らない間にココアはずい分贅沢な飲みになったんだな」

 贅沢の定義は分からないけど、お父さんにとって牛乳で溶かすココアは、贅沢の範疇に入るようだ。

 弱火のまま牛乳が吹きこぼれないように注意しながら、少しずつココアを加えてはダマにならないように根気強くかき混ぜて行く。小さなスプーンに四杯分のココアを溶かし切って、二つのカップに注いだ。

「はい、どうぞ。贅沢なココアです」

「おお、これは喫茶店で飲んだら五百円はするな」

 そう言うと、お父さんは子供のように何度も「ふうーふうー」と息を吹きかけてから、ココアを一口飲んだ。

「うーん、これは美味いな。全然甘ったるくないし、すごくコクがある、それに体が温まるよ」

 お父さんは、体がほぐれてくるよと、肩を上下させた。

「でしょう。まあ、僕の作り方も上手いからなんだけどね」

 冗談半分に言ったけど、お父さんは笑ったりせずに、「だよな。ビックリだよ」と言ってくれた。

「いつ覚えたんだ? お父さんだって知らないのに」

「中学生になると、小学校の時には無かった中間とか期末の定期テストがあるでしょう。一年生の初めての中間試験の時に一夜漬けで勉強をしていたら、お母さんが作ってくれたんだ」

 その時の光景が浮かんできて、ココアのせいじゃなくて少し胸が熱くなった。

「お父さんは作ってもらったことはないけどな」

 少しふて腐れた声でお父さんが言った。

「だってお父さんはもう試験勉強なんかしないでしょう。それに、ココアよりもビールの方が好きな大人になったんだし」

「まあな。で、今日お母さんが作ってくれたのを思い出しながら作ってくれたのか?」

「違うよ。その時お母さんが作ってくれたココアがあまりに美味しかったから、次の日今度は自分で作ってみたんだ。そうしたら、牛乳は沸騰して吹きこぼれるし、ココアはダマダマになっちゃって、台所を滅茶苦茶にしちゃったんだよ」

 またあの時の、お母さんが元気だった頃のことを思い出してしまった。

「それでお母さんが丁寧に作り方を教えてくれて、一度一緒に作って技術習得をしたってわけ。まあ飲み込みは早い方だから」

「なんでも学習することが大事だな。幹央の場合は、文字通り失敗は成功の母だな。お母さんはやっぱり偉いよ」

 少し冷めてきたココアをごくごくと飲み干して、お父さんは冗談めかしに言ったけど、顔は全然笑っていなかった。

「お父さん」

「なんだ?」

「お母さんのこと、少し訊いていいかな?」

「いいけど、日頃のことはお父さんより幹央の方が良く知っているんじゃないのか。このココアのことだってそうだし」

 そう言うとお父さんは、空になったカップを持ち上げて、「体温まったな」と大きく息を吸い込んだ。

「僕が生まれる前のことが知りたいんだ」

「そうか、それなら断然お父さんのほうが詳しいな。どんなことが知りたいんだ?」

 僕は、まだ半分以上残っているココアをひと口飲んでから、質問を切り出した。

「不思議に思っていることがあるんだけど、僕、お父さんのことを『お父さん』、お母さんのことを『お母さん』って、小さいころからずっとそう呼んでいるよね」

「ああ、そうだな。でもそれの何が不思議なんだ。お父さんのことを『お父さん』と呼ぶことは当たり前のことだろ」

「うん、そりゃあそうなんだけど。ほら小さい頃ってみんな『パパとかママ』とか呼ぶ子が多いでしょ。特に幼稚園とか小学校の低学年の時とかは、周りの友達のほとんどがそう呼んでいたから。でも僕は幼稚園の頃から『お父さん、お母さん』だった。『パパ、ママ』なんて呼んだことがなかった。これって二人の教育方針だったの?」

 言い終わってお父さんの目を見た。ちゃんと答えを用意している目をしていた。やっぱり何か理由があるんだと直感した。

「その疑問は、ずっと小さい頃から感じていたのか?」

「ずっとじゃないけど、時々ね。友達の家に遊びに行った時とかに、友達が『パパ、ママ』と呼んでいるのを聞いたりして、自分とは違うなと思ったりはしていた」

「そうか、幹央なりにちゃんと他人とは違うなと思っていたんだな」

 お父さんは小さく頷きながら言った。

「それほど大げさなものじゃないけどね。でも、実際には特別な理由なんてないんでしょ?」

 何か理由があるなと、先ほどお父さんの目を見た時に確信していながら、あえてそう聞いてみた。その方がきっとお父さんも切り出し易いと咄嗟に感じたからだ。親子の間で駈け引きなんて悪いかなと少しは思ったけど。

「それは、お母さんの強い思いからなんだ」

 やっぱりちゃんと理由があったのだ。

「強い思い?」

「幹央に『お母さん』と呼んで欲しかった理由が、お母さんの強い思いの中にあった」

「お母さんという呼び方に、何か特別な思いがあるということだね。……お父さん?」

 少し間をおいて、お父さんがまっすぐに僕の目を見て、もう一度頷いた。

「幹央も中学二年生になったんだから理解できると思う。だから話をするよ。なんだか今夜は特別な夜のような気がするし」

 お父さんの言う通りだ。確かに二人にとって、今夜は特別な夜に違いない。

「うん。僕も聞かせて欲しい」

 僕もお父さんの目をまっすぐに見返してそう言った。

「お母さんには、もう亡くなっていて両親は居ないだろ。幹央にとっては母方のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんだな」

「僕が生まれる前に亡くなったと、お母さんに聞いたことがあるけど」

 あれは、僕が幼稚園の時だ。確か幼稚園の行事のお遊戯会の時に、父方の祖父母が観にきてくれて、-僕が初孫ということもあって、行事には必ずきてくれていた- 夕方自宅の近くのレストランで食事をした帰りに、僕が素直な疑問としてお母さんにこう訊いたのだ。

「お母さんのお祖父ちゃんやお祖母ちゃんはなんでこないの?」

 七五三の時も、幼稚園の運動会の時も必ず父方の祖父母はきてくれるのに、母方の祖父母は一度も顔を見せたことがなかった。

「お母さんのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんはいないのよ」

「いないの?」

「そう、いないのよ」

「なんで?」

「死んじゃったの。幹が生まれてくる少し前に、お空のお星さまになってしまったんだよ」

「死んじゃったの。かわいそう」

 死ぬということの本当の意味を、幼稚園児の僕は理解していなかった。ただ、「死」イコール「かわいそう」という連想が自分の中にでき上がっていたのだろう。先日、幼稚園で飼っていたハムスターが死んだ時に、周りのみんなが口々に「死んじゃってかわいそう」という言葉を音として覚えていたからかもしれない。

「お父さんとお母さんが結婚してすぐの頃、交通事故で二人一緒に亡くなったんだ。お母さんの実家からこっちに向かう途中、高速道路を走っている時に、故障して路肩に停まっていたトラックにぶつかって、ほぼ即死だった。その日は強い雨が降っていて、カーブで急ブレーキを踏んでスリップをしたんだ」

 父親は亡くなった詳細な原因を初めて話してくれた。

「お母さんの実家ってどこなの?」

「山梨県。今の地名なら南アルプス市。昔は中巨摩郡という地名だったけどな。ここはお祖父ちゃんの生まれた故郷で、大学に進学して状況をしてからはずっと東京で生活していたんだけど、六十歳を迎える前に経営していた会社を共同経営者に譲って、夫婦でお祖父ちゃんの生まれた故郷に引っ越したんだ」

「どうして列車でこなかったんだろう? 山梨からここまでだったらずい分距離もあるでしょう。それに雨だって降っていたのに」

往復の距離を考えると、年齢的にも公共交通機関を利用するのが普通だろうと僕は思った。

「事故の報せを受けた時、お父さんもそう思ったし、お母さんも『何で、車で?』と信じられない顔をしていた。人違いじゃないかとも言っていたくらいだから」

「車でくる予定ではなかったの?」

「予定では、列車でくることになっていたんだ。しかも次の日に。お母さんと一緒に駅まで迎えに行く事にしていた。そのことは山梨にも電話で知らせてあったから、車でくることになったのは直前の急な変更だったと思う。もちろん連絡も受けていなかったし」

 その時の記憶が徐々に蘇ってくるのだろう、思い出す記憶の量に比例してお父さんの表情が曇ってくる。僕の質問はお父さんに辛い思い出を呼び覚まさせるだけの、無意味で自分勝手な興味本位なものなのだろうか? お父さんの曇った表情を見ていたら、質問をしたことを後悔し始めていた。

「予定変更の理由はすぐに分かった。車の後部座席とトランクの中にはすごい量の荷物が積み込まれていた。車の前面はぐちゃぐちゃに潰れていたけど、奇跡的に後部はほとんど無傷だったから、積んでいた荷物は無事だった」

 ここまで聞いたら、もう大体の予測がついてしまった。嫁いだ娘と実家の両親。離れた土地で新しい生活を送る娘に届けてやりたい荷物が沢山あったのだろう。

「荷物は、山梨の農協で買ってきたジャガイモや玉ねぎなどの野菜や、ちょうど桃の季節だったので山梨の大粒の桃もあった。他には、米や洗濯洗剤などもあったな。遺品として荷物が家に帰ってきた時、親心だなと思ったらたまらなって涙が止まらなくなったのを今も覚えている。お母さんの悲しみはもっと強く深かっただろう。『こんなもん持ってこなきゃ良かったのに、宅配便で送ってくれれば良かったのに』って、大きな声で泣きながら文句を言い続けていたけどな。どんな素敵な品物が届いても、一番会いたい人が到着できなかったらなんにもならないよって……」

 その時の様子を完全に思い出してしまったのだろう、そこまで話すとお父さんは両手で顔を覆って、少しの間肩を震わせていた。

「ごめんなさい。僕が質問をしたから、お父さんに辛いことを思い出させてしまって。もう良いよ、僕は部屋に行くから」

 そう言うと、僕は席を立った。

「いや、話を続けるよ。お母さんがこういう状態だから、幹央にもきちんと話していた方がいいと思う。それに辛いことばかりを思い出したわけじゃないんだ。人生の時間の流れの中では、例え辛いことや悲しいことの真最中の時でさえも、川の砂の中に砂金を見つけるように、嬉しいことや楽しいことが、頑張ったご褒美みたいに彩(いろどり)を添えてくれることがあるんだ。そんなことも同時に思い出していた。それに、幹央の質問にはまだ完全に答えていないだろう」

 涙はまだ瞼に残っていたけれど、お父さんは笑顔に戻っていた。

「うん分かった。じゃあ飛びっ切り美味しいココアのお替りを作るよ」

 僕はカップを洗うと、ミルクパンを再びコンロにかけた。

 僕が二杯目ココアを作っている間、お父さんは、席を立って一度台所から出て行った。そして、ココアができ上がった頃に、二冊のノートを持って台所に帰ってきた。

「幹央、これを読んでごらん。お前の知りたかった答えがこの中にちゃんとあるから」

 そのノートは、お母さんが入院する前に僕に手渡してくれた「幸せの貯金通帳」の色違いの黒い革の重厚な表紙のノートと、ずい分と時間が経過していることが一目で判る大学ノートだった。

「別の幸せの貯金通帳?」心の中で僕はそう呟いていた。

「何、このノート? 中に何が書いてあるの?」

 表紙を開くのがなんだか怖かった。この中にとんでもない秘密が隠されているような胸騒ぎを感じていた。

「お母さんが綴った回想文とでもいうのかな。両親が交通事故で突然亡くなった後、お母さんは少しの間、ほとんど腑抜けのような放心状態に陥り、その状態が長く続いていたんだ。夜はまともに眠れなくて、昼間も家事や、その他のすべてのことに手をつけることができない。要するに両親の死を事実として受け止めて、前に進むことを自ら拒み続けていたんだよ」

「当事者じゃないから無責任なことは言えないけど、お母さんの気持ちが少し分かるような気がする」

 僕は素直にそう思った。だって、今の自分の置かれている状況でさえも、僕は真正面から受け止めているとは胸を張って言えないところがあるからだ。

「そうだよな。その時のお母さんの状況を自分に置き換えて考えてみると、おそらく同じようなことになっていただろうなと容易に想像がつくよな。でも、傍にしても何もしてやれない自分が、その時のお父さんには非常に情けなかったんだ。愛する妻が、激しく傷ついた心を抱えてどこにも飛び立てないでいるのに、自分は飛び立つための、その助走さえも手伝ってあげることができないことが情けなかったんだ」

「お父さんも同じように苦しんでいたんだね。また無責任な言い方になってしまうけど、列車でいえばトンネルに入っているような状態だよね。窓の外はただ暗いだけで、景色もまったく見えないし、いつまで続くのかも判らない」

「幹央、お前結構表現力豊富だな。まさにその通りだよ」

「でも、そのトンネルは完全に抜けることができたんだよね。だから、僕が生まれて今日ここにいるんだもの」

 そんな大変な時期があったことは、今日この時まで知らなかった。お母さんが「幸せの貯金通帳」に書いてあったように、辛いことや悲しいことを乗り切るためには、どれだけ楽しかったこと、嬉しかったことをたくさん経験してきたかが重要になるだと、自分のこれまでの毎日を振り返ってみて感じていた。今僕が自信をもって言えるとしたら、両親の庇護の下今日まで僕は幸せな毎日を送ってきたということだ。

「幹央の表現を借りるなら、そのトンネルを抜ける方法が、このノートだったんだよ」

 お父さんは、黒い革表紙のノートを手に取った。

「夫婦で交換日記を始めたとか?」

「そんなベタなことなんかするかよ。でも、確かにその方法もあったな。その時には気持ちの余裕がなかったから思い浮かばなかったけどな。このノートには、お母さんが、両親の死をきちんと受け止めて、それを乗り越えて前に進むための物語が書いてあるんだ。お母さんが自ら書いた自分の物語なんだ」

 毎日塞ぎ込んでいるお母さんに、お父さんは、今回の事故のことを含めた自分のこれまでの人生を、もっと大げさに言い換えるなら、歴史を文章にして残してみてはどうかと提案をした。そうすることによって、今の自分の置かれている現状を素直に受け止めることができるのではないかと考えたのだよとお父さんは付け加えた。

「そんなこと怖くて、絶対にできない」

 お父さんの提案に対して、お母さんは体を震わせながら完全に拒絶した。でもこの方法がベストだと考えていたお父さんは、さらに違う方向から提案をした。

「物語に変えて書いてみるのはどうだろう。由美という主人公の物語として、客観的な立場で、第三者的に書いてみると案外ペンが進むんじゃないか。由美はもともと文章を書くのが得意なんだし、僕にくれた手紙だって文章がめちゃめちゃ上手だったから」

 お父さんのこの提案に、今度はお母さんも興味を示して、少しずつだが、毎日書き進めて行った。肝心な箇所を書く時には、いくら客観的に書こうとしても感情が移入してしまうのか、幼い子供のように泣きじゃくったが、それでもペンを置かなかったらしい。お母さんはお母さんなりに、ここで乗り切ることができないと結婚生活が駄目になると感じて、必死に歯を食いしばって頑張ったんだと思う。お父さんは目に涙を浮かべながらそう言った。

 そして、この物語を書き終えた時に、お母さんは元の元気で明るいお母さんに戻った。

「ここに書かれていることは、物語だけど真実だ。嘘や脚色は一言、一句もない。そして、幹央の知りたかった答えだけでなく、まったく知らなかったことも沢山出てくる。若い頃のお父さんがどんなに格好良かったかも含めてだが」

 最後は笑いながらだったけど。このノートを大切に保管して、今日のこの特別な夜に僕に読ませてくれるお父さんの気持ちというか覚悟を、僕は素直に格好良いと思った。

「そして、別のもう一冊は、お母さんのお母さん、つまりは幹央が一度も会うことができなかったお祖母ちゃんが書き残した本人の物語だ。このお手本があったからお母さんは、自分の物語を最後まで書き上げることができたと言っていた。お祖母ちゃんが書き残したこの文書はとにかく凄いぞ。お父さんもこれを読み終えた時に体の震えが止まらなかった。とにかく運命ということを強く感じた。お母さんが書いた物語を読んだ後に、お祖母ちゃんが書き残した文書も読んでみると良い。今では、お祖母ちゃんの遺品だからな、もうこの世にいない人の文章だから余計に胸に訴えてくるものがあると思うよ」

 僕は、熱いココアを一口飲むと、恐る恐る黒い革表紙のノートを開いた。

                  *

 由美は、十歳の時に実の母親を病気で亡くした。父親はあまり大きくはないが堅実な販売と利益を上げている商社を経営していた。父親は元来優しい人だったが、何しろ仕事が忙しく、社長という立場もあって、まずは仕事を優先しなければならなかった。だから、由美は母親と二人で過ごすことが多く、物心ついてから母親以外と食卓を囲んだ記憶がなかった。それ故に、母親との絆は強く、母娘(おやこ)というよりも、勝手な造語を使えば。「歳の離れた双子」と言っても過言ではないくらいの仲の良さだった。

 由美に言わせると、黙っていても母親の考えていることはなんでも手に取るように判ったし、自分の考えていることも母親には全てお見通しだった。

 その母親が、急な出血で倒れ、そのまま帰らない人になってしまったのは、由美が十歳、小学三年生の時だった。原因は子宮外妊娠だった。

 突然の出血で母親が倒れた時も、家には由美しかいなかった。救急車を呼んだのも、そのまま病院まで付き添ったのも小学三年生の由美だった。

 父親の会社には、救急車を呼んだあと何度も、そして病院に着いた後にも何度も電話をした。その度に会社の人たちは気の毒そうな声を出して、「社長は今外出をしており、連絡が取れない。なんとか連絡が取れるように今一生懸命に頑張っている。連絡が取れたらすぐに病院に駆けつけるように必ず伝えるから」と繰り返すばかりだった。

 誰もがそんな緊急事態だとは思っていなかったに違いない。昨日まであんなに元気で生活していたのだから。由美自身も治療が済めばすぐに家に帰れると思っていた。

 けれど、違っていた。出血の量があまりにも多くて、由美が呼んだ救急車が到着した時には、すでに出血性のショック状態に陥っていたことを、息を引き取ったあとに聞かされた。

 幕切れはあまりにも呆気なかった。

 母親は病院で少しだけ意識を取り戻したが、由美にはひと言の別れの言葉を残すこともないまま息を引き取った。看取ったのは、ぎりぎり間に合った母方の祖父母と十歳の由美だけだった。

 死ということを、小学三年生の由美は完全に理解ができていなかった。呼び続ければ母親が目を覚ましてくれるものだと思い込んでいた。だから、静まり返った病室の中でずっと「ママ、ママ」と呼び続けた。父親がやっと駆けつけて自分の肩を抱きしめてくれるまで、ずっと。

 母親の葬儀の間中、由美はずっと考えていた。母親の考えていることはどんなことでも手に取るように判っていたはずなのに、どうして母親の体の中で起こっていた、死に至るような変調に気づいてあげることができなかったのだろうか? お母さんが死んでしまったのは、気づいてあげることができなかった自分のせいなのだと、由美は自分を責め続けた。

 母親が亡くなった後、もともと仕事が忙しい父親は、由美の面倒を十分に見てやることができないからという理由で、母親の両親に由美を預けた。四年生の二学期が終わるまでの約一年間を由美は母方の祖父母の家から学校に通い、衣食住を共にした。

 母親のいない生活を由美は少しも淋しいとは思わなかった。元々、父親は不在のことが多くて日頃から接することも少なかったので、いつも祖父母が家に居る三人の生活は、これまで以上に暖かい雰囲気に包まれていたからだ。

 それに祖母は母親の面影をいっぱい持っていた。ふとした時の表情や、ちょっとした角度の横顔や、食事の支度をしている時のうしろ姿など、つい「ママ」と呼んでしまいそうになるほど、母親に似ている瞬間があった。

 けれど、そんな祖父母との生活は、一年間で終わってしまった。父親が再婚をしたからだった。亡くなった母親よりも五つ若い女性との再婚。相手は初めての結婚だった。

 祖父母との別れは辛くて悲しかった。実の母親が亡くなった時よりも悲しかったと、結婚した隆央に話したくらいだから、その時の悲しさや辛さはその後の由美の人生の中でずっと強く残っていたのだろう。

 元々暮らしていた父親の家に帰って来た時、父親の結婚相手(由美はそう受け止めていた)は由美を優しく迎えてくれた。

 実の母親とはもちろん違っていたが、別の優しさを持っている人だということは子供心にもすぐに感じ取れた。この人なら心を通じ合わせることができると信じることができた。けれど、父親の次のひと言で由美は一瞬のうちに開きかけていた心の扉を閉ざしてしまった。

「今日から、この人が由美のママだからな」

「私のママは、この人なんかじゃない!」

 由美は咄嗟に、怒りのこもった目で父親を睨みつけながら、そう叫んでいた。

 自分の心の中には今もずっと「ママ」が住みついている。どんな時も「ママ」は由美のすぐそばにいて見守ってくれている。祖母にそう言われたし、自分でも感じていた。

 継母に気を遣ったのだろう、父親はいきなり平手で由美の頬を打った。思わぬ強い力に由美の小さな体はなんなく後ろに倒れ込んだ。

「あなた何をするんですか! こんな小さな子供に。ましてや実の娘に手を上げるなんて、父親として最低ですよ」

 打たれた左の頬を手で押さえたまま倒れ込んでいる由美の体を抱き起こしてくれたのは、継母だった。殴られた頬よりも何倍も心の方が痛かった。不在なことが多かったけど、由美の中で、父親は常に大きくて広い心と体で由美を優しく包み込んでくれている存在だった。祖父母の家で離れて暮らしている時でも、父親に対する思いはずっと変わらなかった。

「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんのお家に帰りたい。私のお家に帰りたい」

 父親に殴られた時には一粒の涙も出なかったのに、祖父母の顔が浮かんできた途端に涙が止め処なく溢れ出した。

 そんな由美の体を継母は、「ごめんね、ごめんね」と涙を流して謝りながら、優しく抱きしめてくれた。

 こうして由美の新しい生活が始まった。この生活の中で、閉じてしまった由美の心の扉をさらに強固に錆びさせてしまう事件が起こった。

 それは、元の家に帰ってきて二週間が過ぎた日曜日のことだった。朝食を終えたあと、新しく仲良くなった友達の家に遊びに行こうとした由美が、玄関を出ようとした時、

「おはようございます」

 と元気な声がしてドアが開かれ、男の人が一人立っていた。また、その後ろには大きな荷物を抱えた二人の男の人たちが控えていた。

「ああ、ご苦労様、待っていましたよ。さあ、上がってください」

 玄関口に現れた父親が男に人たちを笑顔で迎えて、そのまま奥の部屋に大きな荷物を運び込んだ。何か不吉な予感がして、由美はその場から離れることができないでいた。その予感は当たっていた。少しすると、大きな音がして、同じ部屋に置いてあったかつて母親が大事に使っていた鏡台が運び出されてきた。

「それ、どこに持って行くんですか?」

 おそらく声だけでなく、全身が震えていたと思う。由美は無意識のうちにそう叫んでいた。

「持って行かないで! ママが大切にしていた物なの。私の宝物なの。だから、どこにも持って行かないで、お願いします」

 新しく始まった生活の中で、戸惑う由美を支えてくれていたのがこの鏡台だった。母親が生きていた頃、この鏡台の前に座らされて、髪の毛をとかしてくれ、少し長くなった髪の毛をきれいな色のゴムで結んでくれた。時には「今日は特別だからね」と。風呂上りに母親が使っているクリームを塗ってくれた。とても淡くて甘い匂いがした。

 家にはこの鏡台の他には母親の思い出に繋がるものは一つもなかった。一年前まで暮らしていたのに、一年ぶりに帰って来たかつての我が家は、まったく違う別の顔に変貌をしていた。

 外観こそ変わらなかったが、一歩中に入れば、壁は塗り替えられ、居間も台所もまるで新しい家に引っ越してきたようにリフォームされていた。かつて母親が夕食の支度をしていた台所はシステムキッチンに変わり、家族三人が座ると窮屈に感じていたソファーが一脚あっただけの居間は、いきなり隣の和室を潰して広くなり、革製の大きなソファーセットが置かれていた。リフォームをすることは、そのまま母親の思い出を消し去ることに他ならないことを、由美はすぐに感じ取っていた。

 そんな中でも唯一残っていた母親の鏡台が、今、運び出されようとしている。

「由美、何を聞き分けのないことを言っているんだ。これはもう要らない物なんだよ。今は粗大ごみになっているんだ」

 由美の叫び声に驚いて駆けつけてきた父親を睨みつけながら、由美は心の中で叫び続けていた。

「要らない物なんかじゃない! 粗大ごみなんかじゃない! 私にとっては大切な宝物なのだ」

 心の痛みが涙となって溢れてきた。この人はいったいどうなってしまったのだろう。たった一年の間に、人はかつて愛した人をこんなに見事に邪魔者にすることができるのだろうか。

「あなた止めてください。由美ちゃんの気持ちを考えてあげてください。この鏡台は由美ちゃんのお母さんの思い出がいっぱい詰まった物なのですから」

 怒りに体を震わせている父親をそう言って取り成してくれたのは、継母だった。

「ごめんなさいね、もう安心だからね」

 由美の肩を抱こうとする継母の手を、ありったけの力で払いのけて、由美は逃げるようにして玄関を出た。そして、一目散に祖父母の家に向かって走った。息が切れるほど、いや祖父母の家に辿り着いたらその場で息が途絶えても構わないと思うくらい必死に走った。とにかく遠ざかりたかった。変わり果てた父親と継母の住む家からできるだけ遠くに離れたかった。

 祖父母の家に辿り着くと、おそらく父親から電話が入っていたのだろう、由美の顔を見るなり祖母が力いっぱいに抱きしめてくれた。由美は何にも言えないまま、ただ祖母の腕の中で声を上げて泣き続けた。

 やっと泣き止んでも、祖父母は由美に何の質問もしてこなかった。ただ、好物のホットケーキを焼いてくれて、いつもより多めにメイプルシロップをかけてくれた。

「この家に帰ってきたい」

 と由美は言った。「あの家にはもう帰りたくない」と。

「それは、できない」

 と祖父は突き放すように言った。「あっちへ行け」と背中を思い切り押されたような恐怖感が由美の全身に走った。疎外感と孤独感だけが由美の心をぐるぐる巻きにしていた。

「由美が帰る家はここじゃないよ。わしらはお祖父ちゃんとお祖母ちゃんにはなれても、お前の親にはなれないんだよ。由美の両親はちゃんといるんだから、両親のもとで可愛がってもらいなさい。そして、時々はわしらのところを訪ねてきておくれ。これからもずっとわしらは由美のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんなんだからな」

 祖父は必死に涙をこらえながら、膝を折ってちゃんと由美の目の高さに合わせて、真っ直ぐに目を見ながらそう言った。

 大人になって、この時の祖父の本当の気持ちが初めて理解できたが、この時の由美はまだ十一歳だった。疎外感に苛まれた心は、別の思いに囚われていた。

「邪魔者を追い返すための言い分けだ。自分にはもうお祖父ちゃんもお祖母ちゃんもいなくなってしまった」

 祖父母の家を出て、どこをどう歩いてここまできたのか、まったく判らないまま、気がつけば外は暗くなり。見たこともない見知らぬ街を歩いていた。そこはずい分賑やかな場所だった。夜の暗さに映える派手なネオンや電飾の看板が、この街を昼間とは違う種類の明るさで照らしていた。

 由美は、この繁華街をふらふら歩いている時に、巡回中の警官に保護された。両親から捜索願が出されていたのだ。

 結局、母親の形見だった鏡台は、母方の祖父母の家に引き取られることになり、家には真新しい鏡台が同じ場所に置かれた。この時、家の歴史が維新され、由美の思い出がまた一つそぎ落とされた。

 由美は、家の中ではほとんど言葉を発しない少女になってしまっていた。別に両親に反抗をするわけでもなかったが、由美の中では、継母は、いつまで経っても、「父親の結婚相手」であり、肝心の父親は、もう昔の父親ではなく全く別人になっていた。

 その両親にきてもらうのが嫌で、由美は三学期に小学校で行われる家族参加の行事を全て休んだ。学習発表会も、参観日も仮病を使って休んでしまった。

 こんな子供の浅知恵に、両親が気づかないはずはないのに、「お腹が痛い」と言っては学校を休む由美のことを、二人はひと言も咎めたりはしなかった。それがまた由美の心をさらに閉ざして行く原因になった。

「どうでも良いと思われている」

 由美の心は、疎外感を何度も上塗りして行った。

 こんな生活の中でも、由美を支えてくれていたのは、ピアノだった。もともと母親が教えてくれて弾き始めたピアノだったが、幼稚園の年長になった時から教室に通い始めた。

 週に一度通うピアノ教室の先生は、由美が通い始めた頃から五年間も面倒を見てもらっているので、今の由美には唯一心が開ける存在だった。

 それもあって、週に一度のこのピアノのレッスンが楽しみだった。レッスンの後に、先生は必ず手作りのお菓子と紅茶を出してくれて、少し話をしてくれた。由美は学校であったことや、日常の些細な出来事をよく喋った。一週間溜め込んでいた言葉を全て吐き出すかのように、この時の由美は饒舌だった。

 両親の家に戻ってから四ヶ月が過ぎ、由美も五年生に進級をした。この間継母のことを、由美はずっと「あの」と曖昧に呼んでいた。それも、どうしても話しかけなければならない時だけだった。

 それは、五年生になって初めてのピアノのレッスンの日だった。レッスンバッグの中を開くと、楽譜の間に挟んでいた月謝袋が目に入った。先週のレッスンの時にもらったまま出すのを忘れていたのだ。いつもならもらったその日のうちに台所のテーブルの上に置いておき、それに気づいた継母が黙って月謝を入れておいてくれるのだが、今月に限って、うっかり月謝袋を出すのを忘れてしまったのだ。今日のレッスンの時に月謝を持っていかなければならない。

 台所に行くと、このところの忙しさで休日出勤が続いていた父親が、代休を取っていて居間で新聞を読みながらお茶を飲んでいた。

「あの、これ」

 と言って、由美は台所のテーブルの上に月謝袋を置いた。

「あっ、ピアノの月謝ね。今日はレッスンの日だったね。すぐに用意するから待っていて」

 そう言うと、継母は財布からお金を出して月謝袋に入れてくれた。

「由美、ママは、『あの』という名前なんかじゃないぞ」

 あきらかに怒りのこもった低い声が背中越しに飛んできた。

「いつまでそんな呼び方をしているんだ」

 何にも答えない由美に、父親の声はさらに追い討ちをかけてくる。

「……」

 なんと言われようとも、由美はひと言も答えなかった。答えたくなかった。父親の声を聞くたびに、実の母親の面影をこの家から全て消してしまった憎しみが、ソーダ水の泡のように湧き上がってくる。この憎しみを鎮めるためには、黙り込んでしまうことが、一番効果があるのを知っていた。

「由美、どうなんだ?」

 とうとう父親が切れてしまった。怒鳴り声と一緒に足音が近づいてくる。しかも段々大きくなってくる。

「あなた止めて下さい。『あの』でもなんでも、由美ちゃんが私を呼んでくれる度に、私は嬉しくて喜んでいるんですから」

 継母が素早い動作で由美と父親の間に割り入ってかばってくれた。

「お前がそんな甘い態度でいるから、いつまでたっても由美がこんな生意気な態度を取り続けるんだ」

「由美ちゃんは一度だって生意気な態度なんか取ったことはないですよ。何をとんちんかんなことを言っているんですか」

 それでも継母は食い下がって、由美をかばい続けてくれた。

「お前は黙っていろ!」

 父親の声が大きくなる度に、そして、その声の中に含まれる怒りの濃度が高くなって行くに比例して、由美の父親に対する憎しみが強くなって行った。

 由美は、憎しみのために震え出しそうになる体を、爆発しそうになる感情を抑えるために、歯を食いしばって、拳を硬く握っていた。

「由美、ママのことをママと呼べない娘に、ピアノ教室の月謝は出せない。ママと呼べないなら、今日限りでピアノ教室は辞めさせる。いいな?」

 聞いたことはなかったが、地獄から聞こえてくる悪魔の声は、きっとこんな神経を逆撫でにするような嫌な声なのだろうと、由美は思った。

「じゃあ、ピアノ教室なんか辞める! ついでにあなたの娘も」

 そう言い返してやろうと父親の方に振り向いた瞬間に、継母が由美の体をすっぽりと抱き包んだ。そして、由美の耳元でささやいた。

「大好きなピアノを辞めたら絶対にダメだよ。由美ちゃんの一番好きなことを辞めてしまったら、天国のママが悲しむよ。嘘でも良いから、心がこもってなくても良いから、『お母さん』と呼びなさい。ママは天国にいるママだけど、『お母さん』なら良いでしょう。ママじゃないんだから、ねえ、良いよね」

 継母は泣いていた。この涙が自分自身への情けなさではなく、由美のために流してくれている涙だということが、由美にもはっきりと分かった。

「お母さん、ごめんなさい」

 ママと呼んだわけじゃない。だからママを忘れたわけではないし、裏切ったわけでもない。ママとお母さんは別々の存在なのだから。

「由美ちゃんありがとう。初めてお母さんと呼んでくれたね」

 継母はそう言いながら、由美の肩を抱いたまま玄関まで連れて行った。

「由美ちゃん、良く言えたね。さあ、ピアノ教室に行ってらっしゃい。それから……、無理をしなくていいからね。『お母さん』と呼ぶのは、パパの前だけでいいからね。気をつけて行ってらっしゃい」

 継母はそう言いながら、由美の靴をそろえてくれた。

「行ってらっしゃい」

 継母は、もう一度そう言って由美を送り出してくれた。これには、何も答えずに、由美は靴をはいてドアのノブに手をかけた。そして、そのまま振り返って言った。

「わたし、無理してないから」

「えっ?」

 継母は首を傾げた。

「わたし、嫌々お母さんって呼んだわけじゃないから。だから、これからもずっとそう呼ぶから。パパがいてもいなくても、お母さんって呼ぶから」

 そう言って一気にドアを開けて外に出た。継母が泣いている気配を感じたが、もう振り返ったりはしなかった。

 この日から、継母の呼び名は、「あの」から「お母さん」に変わった。

 かといって、由美が継母を受け入れたわけではない。あくまでも「お母さん」であり「ママ」ではなかった。これは、ただ呼び方の違いではなく、この間には高くて強固な壁があった。

 その後も変わらず、由美は家の中では必要なこと以外は一切喋らなかった。さすがに参観日や学校の行事をずる休みすることはなくなったが、両親がくることを頑なに拒んだ。

 中学三年生の二学期の終わりが近づき、進学する高校を選ぶ時期になった。由美は県外の全寮制の女子高を選択した。とにかく一日でも早く父親のいるこの家から出て行きたかった。

 いっこうに馴染もうとしない由美に手を焼いていた父親は、積極的ではないが由美の申しれを受け入れた。継母も淋しそうな顔をしていたが強く反対はしなかった。

 高校入学を機に由美の一人暮らしが始まり、これは隆央と知り合い結婚するまで続いた。高校を卒業しても、大学を卒業し就職をした時にも、由美は決して実家に帰ろうとはしなかった。父親への憎しみは、一人暮らしの中でも薄れることなく、その炎を燃やし続けた。

 高校入学と同時に始まった学生寮での一人暮らし(といっても同じ建物の中には同世代の女の子たちが沢山いたが)は、快適だった。家の中で両親に気を遣いながら生活してきたこの数年間の窮屈さを考えると、部屋は狭くて古かったけど、何にも勝る豊富な自由と開放感があった。

 継母は、月に一回くらいの割合で大きな荷物を送ってきた。それは、近くのスーパーに行けば簡単に買い揃えることができる加工食品だったり、あるいは自分で洗濯や掃除をしなければならないので、そのための洗剤や柔軟剤だったり、化学雑巾だったりした。

 そして、必ず短い手紙が入った封筒が入れてあり、「体だけにはくれぐれも気をつけなさい」の言葉と一緒に、困ったときに役立てるようにと一万円札が一枚同封されていた。

 毎月送ってくる継母からの荷物の中で、由美が最も楽しみにしていたのは、継母が手作りで焼いてくれるドライフルーツが沢山入ったパウンドケーキだった。実家にいるときにも良く焼いてくれたが、こうして離れて暮らしてみると、その美味しさがより際立ってきて、まるで貴重な物を食べるように、少しずつ切っては、その美味しさを味わっていた。母親の味があるとしたら、自分にとってはこのケーキの味が母親の味だと思っていたほどだった。

 高校に入ってから、由美は硬式テニスを始めた。中学の時から軟式テニスを経験してきた新入部員が殆どの中で、高校に入学して初めてテニスに触れた由美は、周りと比べものにならないほどボールの捕らえ方が下手だったが、その分軟式の癖がないので素直に硬式テニスの基本フォームを身につけることができた。

 由美がテニス部を選んだのには理由があった。それは、この女子高の中で一番強いクラブだったからだった。特にスポーツに力を入れている高校ではなかったが、五年前に新卒で採用されたと同時にテニス部の顧問になった先生が、元々インカレにも出場経験のあるエリートプレーヤーだったこともあり、顧問に就くなりテニス部はめきめきと実力をアップさせ、今では県大会上位入賞校に名を連ねるまでになっていた。

 強い部活に入ると、夏休みの間も、練習や大会、それに合宿と、休む暇もないので実家に帰省する時間の余裕はないだろうというのが、由美の目論見だった。実際には、夏休みの中で、一週間だけ部活の休みはあったが、秋の大会を控えたレギュラー陣たちは、そのまま寮に残って練習を続ける人たちの方が多かった。

 この練習に、由美も自ら進んで参加し、一年生として給水や濡れたタオルの準備やこまめな取替え、練習前後のコートの整備など、猛暑の中でも体を動かすことを惜しまずに懸命に働いた。こうした由美の働き振りは、すぐに上級生たちの好評価につながり、練習の合間にレギュラー陣が交代で個人レッスンをつけてくれた。

「根性のある可愛い後輩」というポジションを、由美は帰省しなかった一年生の夏休みで獲得をしていた。

 けれど由美は知っている。自分は、根性もなく、先輩の世話をすることが好きな後輩でもないことを。ただ、家に帰らない理由に部活の練習参加を選んだだけだということも。

 夏休みだけでなく冬休みも、正月三が日以外の日も、春休みは一日も休まないでテニスの練習に打ち込んで実家には帰らなかった。

 おかげで由美のテニスの腕はめきめきと上達して行き、二年生になった時には、ただ一人同学年の中でレギュラーに選ばれるほどだった。

 夏、冬、春の長い休みにも家に帰ってこない娘のために、継母は定期的に生活用品がいっぱい詰まった荷物を宅配で送り続けてくれた。

 やがて高校を卒業し、由美はそのまま付属の大学に進み、そこでもテニスを続けた。のちの夫となる相澤隆央と知り合ったのは、大学二年生の時に参加したテニスの夏合宿だった。

 信州の高原地区で行われた合宿は、同じ民宿(と言ってもかなり大きい)に他の大学のテニス部も宿泊をしていて、練習後の夕食の時に顔を合わす機会も多く、こうした事が重なって隆央たちの大学のクラブの人たちとも仲良くなっていた。

 この夏合宿以降も、大会で偶然会うことが何度かあり、その後二校で合同練習を企画するほどに関係が強くなって行った。こうした流れの中で、由美と隆央は意識して付き合い始めたわけではなく、気がついたら由美の中での隆央の存在が、大勢の中の一人から、かけがえのない一人になっていたというのが正直な気持ちだった。

 大学を卒業し、お互い別の会社に就職をした後も二人の交際は続いた。そして、大学を卒業してから三年後の二十五歳の時に二人は結婚をし、それを機に由美は会社を辞めて専業主婦になった。

 隆央との結婚が決まって、婚約、挙式と話を進めて行く時に、由美は二人だけで海外で挙式をして、あとでどこか小さなレストランを貸し切って、身内だけの披露宴を開くスタイルと取りたいと希望を言ったが、隆央の両親がそれを許さなかった。両親が昔気質である上に隆央が長男であり、相澤家の子供たちの中では最初の結婚でもあったからだ。

 隆央の両親は、「親戚への顔見せの意味もある」と、親戚一同が出席できる披露宴を切望した。

「結婚式くらいで両親と揉めたくない」

 という隆央の気持ちは理解できたし、本心では由美も花嫁姿を見せたい人たちもいたので、隆央の両親の希望に沿う形で挙式、披露宴を行うことになった。

 しかし、披露宴に出席してもらう人たちの人選が問題だった。由美にはいの一番に出席して欲しい人たちがいた。母方の祖父母だった、母親が亡くなった後、由美の心が悲しみで最も傷ついている時期の一年間を、この祖父母の家で過ごした。今でもこの世で一番大切な人たちだと思っている。

 けれど、それは難しいだろうという気持ちもあった。まずは、父方の祖父母、親戚の反対が予想された。それに継母の気持ちを考えれば、亡くなった母親の縁者は招待しないのが常識だろう。

 色々と考えてみたが、悩んでばかりいるよりも、まずは実母方の祖父母に率直に話をしてみようと考えた。

 祖父母の家を訪ねたのは、梅の花が名残として甘い香りを漂わせていた3月の初めの日曜日だった。その日は戻り寒波が上空を覆い包んだ日で、由美はクリーニングに出そうと思っていた冬物のコートを再び取り出して着てきたほどの寒さだった。

 祖父母は大喜びで由美を迎えてくれた。

 結婚の報告をすると、二人は驚きの後に「おめでとう。よかったね」と、オウムのように何度も同じ言葉を繰り返した。

「ママが生きていたらどんなに喜んだでしょうね。それとも寂しくなるって言っていたかな」

 祖母の口から亡くなった母親の話が出たのを機に、由美は披露宴への出席の話を切り出した。

「わぁ、由美の花嫁姿を直に見ることができるなんて夢にも思ってなかった。嬉しい。もちろん喜んで出席をさせてもらうわ。ねぇ、あなた」

 祖母は手放しで喜んでくれた。けれど、この喜びに祖父が釘を刺した。

「由美、わしらが出席することは、耕介君本人も、あちらのご両親も承諾のことなのか?」

「お父さんにはまだ話はしてないわ。でも、大丈夫よ。快く承諾してくれると思う」

 自分が一番心配していたことを、やはり祖父に指摘されてしまった。世間の常識からすれば、自分が考えていることは非常識なことなのだろうか。

「そうはいかんだろう。耕介君のご両親が、わしらの出席を快くは思わないだろう」

 祖父は苦い薬でも飲んだ時のように、少し表情を歪めた。

「だって、私たちは由美の祖父母なんですよ。どうしてあちらのご両親が文句を言われる筋合いがあるんですか?」

 祖母は憤慨していた。せっかく由美が招待をしてくれると言ってくれているのにと。

「冷静に考えれば判るだろう。由美には新しい母親がいるんだぞ。もうわしらが出て行く幕じゃないだろ」

「だったら、あなたは由美の花嫁姿を見たくはないんですか?」

 祖母の目にいっぱいの涙が貯まっていた。めでたい報告にきたはずなのに、祖母を悲しませる結果になってしまったことが、由美にもとても悲しかった。

「見たいさ、見たいに決まっているじゃないか。でも、先方の反対を押し切ってわしらが結婚式に出席してみろ、場の雰囲気が悪くなって披露宴はぶち壊しになってしまうぞ。そうなったら、一番可哀想なのは由美だ。わしも由美が可愛い。結婚を心から祝福してやりたい。だからこそ、由美のことを一番に考えてやらなきゃならん」

 結婚式の披露宴とは、若い二人の新しい門出を祝う人たちが純粋に集まって、楽しい宴を繰り広げることなのではないのだろうか。本当に祝って欲しい人、自分の愛した伴侶を見て欲しい人に出てもらえないのなら、心の伴わない人たちがどんなにたくさん集まっても、なんの意味もない。

「でも、加奈子さんならきっと解ってくれるわ」

 祖母の口から出た加奈子は、継母の名前だ。なぜ、いきなり継母の名前が祖母の口から出てきたのだろうか?

「あの娘の命日には必ずお参りにきてくれているんだから、事情を話せばきっと力になってくれると思うわ」

「おい!」

 祖父が強い口調で祖母を制した。

「あっ、ごめんなさい。内緒にしておかないといけなかったわね」

 祖母はそう言って祖父に謝ったが、その表情にはまったく深刻さはなかった。悪戯を見つけられた子供のような、屈託のない顔をしていた。

「由美も結婚をするんだし、もう話をしても良いんじゃないですか」

 祖母は同意を求めるように祖父を見た。

「わしは知らん。話したいのならお前が勝手に話せ。わしは知らんからな」

 口ではそう言っているが、反対をしているようには見えなかった。

「由美にはすっと内緒にしていたけど……」

 祖母は祖父の許しを得ないまま話を始めた。

「加奈子さんは、ここに良くきてくれているのよ」

「えっ?」

 すぐに祖母の言っていることが頭の中に入ってこなかった。祖父母と継母を結ぶ線を由美は見つけ出すことができなかったのだ。

「最初に加奈子さんがうちにきたのは、耕介さんが再婚した年、つまり加奈子さんが耕介さんと結婚した年ね。ママの命日にきれいな花を持ってきてくれたの。確かりんどうの花だったかな、秋らしい花だと思ったのを覚えているから」

 驚いたままの表情を崩せない由美に、まるで物語でも聞かせるように、祖母は優しくて、心のこもった話し方だった。

「事前に電話をしてくるとか、そんなのまったくなくて、加奈子さんは突然訪ねてきたの。加奈子さんと直接会うのはもちろん初めてだし、ドアを開けたらいきなり知らない人が花束を抱えて立っていたので、そりゃあびっくりしたわよね。だから、お祖母ちゃん加奈子さんの顔を見るなり『きゃー』って叫んじゃったの」

 その時の光景を思い出したのだろう。祖母は可笑しそうに笑った。

「丸山耕介さんと結婚した加奈子と申します。由美ちゃんのお母さんの仏壇にお線香を上げさせていただけませんかと言って、深々と頭を下げたの。『こんにちは』も、『初めまして』の挨拶もなく、いきなりよ。きっとものすごく緊張をしていたのね。逆の立場を考えると良く解るのに、その時は、ずい分落ち着きのない人ねと思ってしまったわ」

 祖母はずっと笑顔のままだった。その様子で、継母に対する祖父母の好意が手に取るように判る。二人は継母のことを受け入れている。おそらく由美本人よりも深く継母を理解し、受け入れているのだろうと由美は理解した。

 父親が再婚した時に、母親の仏壇は祖父母のもとに引き取られた。父親と継母がそれを望んだのではなく、祖父母がそれを懇願したのだった。だから、母親の命日も我が家での法要はなかったし、これはあえてなのだろう、祖父母も命日の法要に由美を呼ぶことをしなかった。早く新しい母親に馴染ませるために、祖父母が取った行動だった。

 でも、継母は母親の命日を知っていた。そして、毎年、命日になると祖父母の家を訪ねていたのだ、この秋の季節に咲くきれいな花を持って。

「加奈子さんは、無理に由美ちゃんの母親になろうとは思っていないと、最初に訪ねてきた日に言ったのよ。由美ちゃんの母親はちゃんと由美ちゃんの心の中でずっと生き続けているんだし、自分もそれを尊重したいって。でも身の回りの世話だけはしてあげたいのです。母親には絶対になれないけど、優秀な家政婦さんにはなれる自信はあるからって、あの人笑っていたわ。お祖母ちゃん、この人は、気持ちが優しくて、とても賢い人なんだとすぐに分かった。そして、この人なら由美を任せても安心だとホッとしたわ。耕介さん、いい人と再婚してくれたと感謝したのもの」

 由美の中に今でもずっと残っているあの日の記憶。自分が初めて継母を「お母さん」と呼んだ日のこと。

 継母のことを「ママ」とは呼べず、父親に呼ばないのなら大好きなピアノ教室を辞めてしまえと言われた時、「じゃあ辞める」と短気な決断をしようとした由美に、「一番好きなことを辞めてしまったら、天国のママが悲しむよ」と言ってくれて、「ママ」じゃなくて、「お母さん」となら呼べるでしょう。「ママ」と「お母さん」は別々でしょと言って由美を救ってくれたのだ。

 継母は、「ママ」と「お母さん」の立場をきちんと分けて、自分は家政婦に徹しようとしていたのだ。「ママ」は一生由美の心の中で生き続けることを、継母は最初から知っていたから。

「由美ちゃんのことをいつも一番に考えたいから、自分は子供を作らないと、耕介さんと結婚する時に決めたと言っていたわ。それが、加奈子さんが耕介さんに出したたった一つの結婚の条件だったみたいよ」

あえて子連れの男のもとに嫁ぐ決断を、継母は何を持ってしたのだろうか。自分の子供を生むことを諦めて、血の繋がらない先妻の子供の優秀な家政婦になることを、心から本当に望んで結婚を決めたのだろうか。

「だから、お二人は、これからもずっと由美ちゃんのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんでいてあげてください。これからもずっと変わらず由美ちゃんの幸せを願い続けてあげてくださいって言ってくれたのよ。そうは言っても、こちらから由美に会いに行くことはなかなかできないものね。加奈子さんはそのこともちゃんと判ってくれていて、由美の写真やビデオを届けにきてくれていたの」

 由美がまったく知らない話だった。思い起こしてみても、継母にカメラを向けられたことなど一度もなかったと思う。記憶にはない。

「あなた、運動会や学習発表会に、絶対に観にくるなと、とんでもなく生意気なことを言っていたらしいわね。でも、加奈子さんは、ちゃんと観に行っていたのよ。あなたに見つからないように、遠くからそっと応援していたの。カメラもビデオも望遠レンズの付いた高価なものをそのために買ったんだって言っていたわ」

「……」

 由美は何も言えなかった。

「由美、あなたは何にも知らなかったでしょう。加奈子さんが応援してくれていたのは、何も一緒に住んでいた中学校の時までではないのよ。あなたが、高校に入学して寮生活を始めてからも、テニスの試合があるたびに応援に出かけて行っていたの。その時のビデオだってここにはちゃんとあるわよ。由美ちゃん、どんどんテニスが上手くなって行くから、試合を観に行くのが楽しみなんです。運動神経が良いのはママの遺伝ですかねって言っていたなあ」

 自分が帰省をしない口実にするために打ち込んだテニスの試合を、継母はずっと応援をしてくれていたのだ。両親を遠さけ、拒絶をするために始めたテニスを、皮肉にも継母は遠くからずっと応援をし続けてくれていた。

 今日、初めてそれを知った。由美はあらためて子供だった自分の浅はかな考えと行動を自覚した。継母はすべてお見通しだったのだ。そして遠くでそっと見守ってくれていたのだ。

「お祖母ちゃんの口からこんなことを言うのはちょっと悔しいけど、由美のことを誰よりも思ってくれていたのは、加奈子さんじゃないかと思う。もちろん、天国にいるママもすっと由美のことを守ってくれていたとは思うけどね。でも、ほら天国は遠いし、どこにあるか住所も判らないしね」

 最後の方は笑っていたけど、話の中身は冗談めいたものではない。十歳の時に母親が亡くなってすでに十五年間が経っている。父親が再婚して十四年。すでに母親と過ごした時間を、継母と一緒の時間が追い越している。だからといって、母親との思い出や記憶が払拭されたとは思わないが、祖母の話を聞いている間に、継母に対する思いが少しずつ変わってきていたのは確かだった。

「だからね、加奈子さんに味方になってもらえれば、耕介さん側のご両親も許してくれると思うのよ。私たちが由美の結婚式に出席することを」

 祖母は悪戯を企む子供のような無邪気な顔をした。いつもそうだ。この人はいつも年齢にまるっきり関係なく、こんなあどけない表情をする。「可愛いお祖母ちゃん」の言葉が頭に浮かぶ。

 その日、祖父母の家を出たその足で、由美は実家に向かった。盆暮れの帰省は義務的にやってはいたが、こうして自らの意思で実家に帰るのは、いったい何年ぶりだろう。ひょっとしたら高校に入学して家を出てから初めてかもしれない。

 実家に着いたのは、午後三時を少し過ぎた時だった。この時間なら父親も在宅しているだろうと考えて祖父母の家を出た。けれど、迎えてくれたのは継母一人だった。

「日曜日なのにお父さんは仕事なのよ。大切なお客さんとの接待ゴルフなんですって。まあ、これを仕事と呼ぶかどうかは微妙だけどね」

 玄関でスリッパを揃えてくれながら、継母は早口でそう説明をした。

「由美ちゃんがくるって判っていたら、きっとゴルフは取り止めにしていたのにね」

 リビングまで並んで歩きながら、継母はそう言った。

「まさか! 娘がくるくらいで大好きなゴルフを取り止めにするような性格じゃないでしょ。唯一の趣味だもの」

 確かに仕事大好き人間の父親の唯一の趣味がゴルフだった。もっとも、純粋に趣味とは言えないところもあるが、他には何にも興味を示さない父親が仕事以外で夢中になっているのが唯一ゴルフだった。

 リビングに入ると、継母はすぐに香りのいい紅茶とケーキを用意してくれた。学生時代、毎月宅配便で送ってくれる荷物に必ず入っていた、継母手作りのフルーツケーキが紅茶に添えられていた。

「とてもいい香りの紅茶ね。ダージリン?」

「半分は正解ね。アッサムとブレンドしてみたの。結構いけるでしょう」

 継母は少し自慢気な顔をした。

「いつ食べても、やっぱりこのケーキ美味しいね」

「由美ちゃんに送ろうと思って焼いたところだったから、ちょうどタイミングが良かったわ。あとで持って帰ってね」

 継母は、由美が社会人になった今でも、季節に1回の割合で色々な物を送ってくれていた。学生の時と変わらず、その中には必ずこのフルーツケーキが入っていた。

 部屋の中には、早春の午後の光が優しく射し込んでいた。すでに太陽は盛りをすぎている時間帯なのに、長くなりつつある日照時間に合わせるように、太陽も少しずつその威力を増してきているのかもしれない。

「外はまだ風が冷たいのに、窓ガラスを透して入ってくる光は、もう完全に春の装いをしているのね」

 まぶしい光に目を細めながら由美が言った。

「あら、由美ちゃんって意外に詩人なのね。それとも結婚式が近づいてきたので急にロマンチストになったのかしら」

「急じゃなくて、生まれてからこのかた、私はずっとロマンチストですけど」

「それじゃあ、私が気づかなかっただけなのね。それは失礼」

 こうした軽口が交わせるくらいには、二人は親しくなっていた。十四年という時間は、色々なものを飲み込んでは咀嚼して、消化の良いものに変えてくれていた。

「お母さん」

 この呼び方も、今はすんなり言える。

「なに?」

「結婚式のことなんだけど、披露宴にご招待する人のことで相談したいことがあるの」

 由美がこう言った瞬間、継母の顔から笑みが消えて、表情が硬くなった。いつかテレビで見たことのある、中国四川の仮面が早変わりするショーのような瞬間の変化だった。

「相談って?」

 継母の声にはまったく感情がこもっていなかった。私、何か気に障ることを言ってしまったのかなと、由美は不安になった。

「披露宴に、どうしても招待したい人たちがいるの。でも呼ぶのはちょっと難しいかなと思って」

「なんだ、相談ってそんなこと。あっ、ごめんなさい。由美ちゃんにとっては大問題なのにそんなことって言ってしまって。ただ、別のことを思っていたから」

「別もことって?」

「例えば、身内だけでやりたいから、お母さんは遠慮して欲しいとか。馬鹿みたいだけど、そう言われても文句は言えないなと一瞬思ってしまって」

 継母の顔に色が戻って、口が少しほころんだ。

「そんなこと、口が裂けても言いません。だってお母さんは身内でしょう」

「私も身内か。由美ちゃん、ありがとう。それで、ご招待したい人たちはどなた?」

「実母方のお祖父ちゃんとお祖母ちゃん」

 由美はためらうことなく、はっきりと言った。先ほど祖母から聞いた話が頭を過ぎった。

「えっ?」

 継母は戸惑いというよりも、訝しい顔をした。

「ご招待したいって、当然出席していただくんでしょ。だって、由美ちゃんの花嫁姿を一番楽しみにしているのは、あのお二人だもの」

 意外な答えが返ってきたことに、正直由美は正直驚いていた。

「招待しても問題ないかな?」

「どんな問題があるの? お二人は血の繋がった肉親でしょ。出席しない方がかえって不自然だと思うけど」

「お母さんはそう言ってくれるけど、丸山のお祖父ちゃんはどう言うかな?」

「クレームをつける理由があるとは思えないけど。もし万一そういうことがあるなら、その人たちを招待しなければ良いだけのことじゃない。簡単よ」

 とんでもない提案に、逆に由美の方が面食らってしまうほどだった。

「そんなことできるわけがないじゃない」

「どうして、結婚式も披露宴も、由美ちゃんと隆央さんのためにやるのよ。それをたとえ肉親だからといって口を出す筋合いのものではないでしょ。私はそう思うけど」

「それはそんなんだけど……。そう簡単に行かないのが結婚式らしいの。実は、正直にいうとね、もうお祖父ちゃんとお祖母ちゃんには話をしたの」

 思い切って、先ほどの祖父の言葉を継母に話してみた。

「私に気を遣うことも、遠慮することも、そんなことまったくないわよ。それを言うなら、さっきの話だけど、私はまったくの部外者だもの。私の存在が面倒なことの原因になっているなら、もちろん私は喜んで出席を辞退するわよ」

 それで問題が解決するなら、遠慮なんかする必要はないと付け加えた。

「私の説明が舌足らずでごめんなさい。お母さんには絶対に結婚式には出て欲しいの。でも、お祖父ちゃんたちのこと、お父さんにどう切り出せばいいのか判らなくて」

 由美はオロオロとうろたえてしまっていた。

「由美ちゃん、当たって砕けるしかないよ。それにお父さんだってそんなに分からず屋な人じゃやないよ。実の娘のことだもの、悪いようにはしないって。せっかく今日きたんだから、善は急げと言うから、晩ごはんを一緒に食べながら話をしてみたらどう?」

 継母の言う通りかもしれない。結婚式は一生に一度のことだもの、自分が主役にならなければ。

「そうしようかな」

「そうと決まったらご馳走を作らなきゃねえ。由美ちゃん一緒に買い物に付き合ってくれる。お父さんの好物を用意していた方が良いよね。私は腕を振るって料理で援護射撃をするわ」

「強力な援護射撃をよろしくお願いします」

 二人は声を出して笑った。ひょっとしたら、こうして二人で声を出して笑い合ったことは、今までに一度もなかったことかもしれないと、屈託なく笑う継母の横顔を見ながら、由美は反省も込めてそう思った。

 継母と二人で近所の商店街に買い物に行って、父親の好きな豚しゃぶしゃぶ用の、黒豚のうす切り肉や、薬味の中でも父親が特に好きな茗荷も買った。夕食の支度も手伝って、準備がすべて整った頃に、まるで測ったようなタイミングで父親が帰ってきた。

 けれど、継母や由美が思い描いていたように、ことは上手く運ばなかった。

 食卓は思いのほか賑わった。最初のうちこそ久しぶりに一緒に食卓を囲む照れもあり、会話もぎこちなかったが、少しお酒が入って食事が進んで行くと、父親も今日のゴルフでのハプニングを面白おかしく話すなど、雰囲気は時間を追うごとに良くなって行った。

 食事を終えて、継母が少し濃い目のお茶を淹れてくれた時には、機は熟したと思った。だから、結婚式の話を切り出した。

「お父さん、私たちの結婚式のことなんだけど」

「おい、まさか今になって取り止めるなんて言い出すんじゃないだろうな?」

 冗談めかしに言っていたけど、目はまったく笑ってはいなかった。ああ、お父さんはやっぱり私のことを心配してくれているんだなと感じることができて、由美は嬉しかった。

「そんなことじゃないから安心して。実は結婚式に招待する人たちのことで相談したいと思って」

 由美には、笑いながらそう話す余裕がこの時にはまだあった。それほど良い雰囲気に部屋中が染まっていた。

「招待客の人数に余裕がないのか? そう少し席を増やすか」

「それは問題ないの。これは、相談というよりも報告になってしまうんだけど、私、ママの方のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんを結婚式に招待することに決めたの。二人には、私の花嫁姿を是非見せてあげたいから」

 継母も横で何度も頷いてくれている。

「何を馬鹿なこと言っているんだ。そんな非常識なことができるわけがないだろ。お前は、お父さんやお母さんに恥をかかせたいのか」

 非常識、恥。どうしてこの人はそういうふうに受け止めてしまうのだろうか。

「もう家とはまったく関係のない人たちを、なぜ結婚式に招待しなければならないんだ。そんなこと、百歩譲ってお父さんが許したとしても、うちの親戚連中が許すわけがないだろ」

 父親が本心から言っていることは、段々と大きくなる声と、鋭くなっていく視線にはっきり表れていた。

「関係あるわ。二人は本当の私のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんだもの。結婚式に出席してもらうことは、当たり前のことであって、非常識でも、恥でもないわ。お父さんの言っていることの方が常識を外れているわ」

「屁理屈を言うな! 結婚式は二人だけの問題じゃないんだぞ。家と家との問題なんだ。内藤の家の人間を出席さたら、丸山家の全員が笑い者になってしまうんだぞ。そんなこと子供じゃないんだからお前だってわかるだろ」

 父親の目が血走っていた。昔から怒りがすぐに目に出るタイプだ。

「笑い者って、誰が誰に笑われるの? お父さんの言っていることの方が理屈に合ってないじゃない。だって、内藤のお祖父ちゃんもお祖母ちゃんも、血の繋がった親戚じゃない」

 由美は、父親の血走った目にも、大きな声にも怖気付かなった。自分の結婚式だもの、自分が主役なのだから、気持ちは決まっていた。

「死んでいない人間なんて、もう関係ないんだよ。あいつが死んでからもう何年になる。十年以上も経っているんだぞ。由美にはちゃんとお母さんがいるんだし、もう内藤の家と係わり合いを持つのは止めろ。あの二人が結婚式にきたら、幽霊がきたのも同じだ」

 父親は、まるで効能を間違えて飲んでしまった苦い薬を吐き出すように、顔を歪めながらそう言い捨てた。

「ひどいよ! ママのことも、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんのこともそんなふうに言うなんて。……お父さんはまともな心を持った人間じゃない」

「なんだと! 誰のおかげでここまで大きくなったと思っているんだ」

-バチン!-

 父親の力任せの平手が由美の左の頬に飛んだ。

 由美は涙を流したくはなかった。こんな汚い言葉を吐く醜い心の人間に、どんなに強い力で頬を打たれようとも、私は決して負けない。痛さなんかに涙はしない。

 でも、涙が溢れてきてしまい止まらなかった。心が痛かった。心の痛みでまともに呼吸ができない。ナイフでぐちゃぐちゃに切り裂かれたような耐え難い心の痛みが、涙となって頬を伝って流れ落ちてくる。誰か助けて、この心の痛みを受け止めて。

「由美ちゃん、隆央さんと二人だけで結婚式を挙げてしまいなさい。誰一人呼ばなくていい。愛する二人だけで、二人のために契りを結んだらいい。美しい二人の愛に中に汚れたものは混ぜなくていいの。そうしなさい、結婚は誰のためでも、家のためのものでもなく、由美ちゃんと隆央さんのためのものだから」

 継母が由美の後ろから肩を抱いて、きっぱりとして口調で言ってくれた。

「部外者が余計なことを言うな!」

 父親の怒りは矛先を変えて、さらに激しさを増して行った。

「部外者だから分ることもあるんですよ。余計なことは言うつもりはありませんが、正論は、冷静さを失っているあなたよりはきちんと言えると思いますよ」

 継母は、まったく動揺のない様子で、淡々と話を続けた。

「あなたは、かつて由美ちゃんのママを愛して結婚をされた。大学時代のお友達からお二人は大恋愛だったとお聞きしたことがあります。愛して愛されて、最愛の二人が結ばれて、こんな可愛い由美ちゃんという娘まで授かって、嬉しいことも感動したことも数え切れないほど味わってこられたでしょう。幸せの時間を共有してきた大事な伴侶ですよね。そんな大切な人に対して、死んでいなくなった人間なんかもう関係ないんだと、どうしたらそんなひどいことが言えるんですか? 人間、どんな生き方をすれば、そんなに心が腐ってしまうものなのですか?

 考えてみてください。ママは、愛する娘を残して、この世を去らなければならなかったんですよ。幼い子供を残して死んで行くことに未練を残さない母親がどこの世界にいますか?それはもう悲しくて、悔しくて、残念で、申し訳なくて、数え切れないほどの未練を残してこの世を去って行ったのです。

 だからこそ、天国から由美ちゃんの幸せをずっと願っていたと思います。成長を喜び、挫折を心配して、でも見守るしかない自分の不甲斐なさを、あの世でずっと悔やんでいたでしょう。

 愛する人ができて、その人と結婚をする。こんな幸せを一番喜んでいるのは、誰でもない天国にいるかつてあなたが愛してやまなかった由美ちゃんのママですよ。どんなにしてやりたくても、手をかけて面倒をみてやれなかった分、綺麗な娘に育ち、優しい人に巡り会え、そして無事に結ばれる。このことを遠い空から強く願い続けていたと思います。こうした母親の気持ちは、由美ちゃんの父親のあなたにも手に取るように判るでしょう。

 それが、世間体ばかりを気にして、挙句の果てには一番大切な人まで貶めるような言葉まで吐くなんて。父親としてはもちろんのこと、夫としても、そして人間としても最低だと、部外者として思います。それなら、部外者としてそのまま出て行けとあなたが言うなら、私は由美ちゃんと一緒にこの家を出て行きます。あたなの大切な親類縁者にどうぞこの先ずっと面倒を見てもらってください」

 継母が話をしている間中、由美は泣き続けていた。亡くなった母親の代弁をしてくれていると感じていた。それは、もしかしたら継母の体に天から実母が下りてきて、継母の口を借りて話をしているのではないかと錯覚をしてしまうほどだった。

 継母の話が終わるのを待って、当然父親が大声で怒鳴りながら反撃をしてくるだろうと思っていた。由美の知っている父親は、とにかく負けず嫌いで自分の考えを絶対の曲げない人だった。

 けれど父親は、何も反論してこなかった。ひと言も言葉を発しなかった。

 翌日、由美のもとに、父親本人から電話があった。

 内容は、結婚式は自分たちのものだから、どんな形式でやるのかは二人で決めたら良いということ。もし、披露宴をするなら、招待客も自分たちで決めて、それでどこからか文句が出るようなら、それはお父さんの力で説得するということだった。

 そして、電話を切る直前に、少しの間沈黙が続いた後に、父親は小さな声で「済まなかった」と言った。その謝罪は、亡くなった母親に対してなのか、由美に対してなのか判らなかったが、きっと天国の母親は、最初から怒ってはいなかっただろうと思った。だって、本当に優しい人だったから。

 すでに切れている受話器に向かって、「お父さん、ありがとう。幸せになります」と、涙の混ざった声でお礼を言った。

 結婚式、披露宴には内藤の祖父母も喜んで出席をしてくれた。由美の白無垢姿を控え室で見た瞬間、祖母は「母親に生き写しだ」と言ったまま、ずっとハンカチで目頭を押さえていた。

 継母は、挙式の時も、披露宴の時も、亡くなった母親の写真をフォトスタンドに入れて、一緒に出席をさせてくれていた。

 キャンドルサービスの時に、親族のテーブルに行くと、継母が耳元で、「由美ちゃん、ママもきっとこの会場にきてくれているよ。綺麗だと喜んでいると思うから。幸せ振りをうんと見せ付けてあげなさい」と言ってくれた。

 披露宴の終盤に、新婦が両親に宛てた手紙を読むことになっていた。由美は、この手紙を継母に宛てて書いた。

 祖父母の家を訪ねた時に、継母はどれくらい自分のことを案じてくれていたかを初めて知った。今回の結婚式のことで父親と揉めた時も、全面的に由美の味方になって守ってくれた。

これまで、一度も言えなかった感謝の気持ちを手紙に託して、継母に伝えたかった。これからはもっと親子の絆を深めて行けるようにと。

 いよいよその時がきた。会場の後ろには両家の両親が立っている。継母はここでも両手で母親の写真を大事そうに持ってくれていた。

「新婦からご両親に向けた感謝の手紙です」

 司会者の紹介のあと、由美はマイクの前に立った。眩しいライトに一瞬目がくらむ。

 昨夜遅くまで時間をかけて書いた手紙を封筒から取り出す。そして、継母に向けて手紙を読み始める。

「お父さん、お母さん、今日まで私のことを大事に育ててくれてありがとうございました。二人の深い愛情のおかげで、今日こうして愛する隆央さんと結婚することができました。言葉でありがとうございましたと言うのは簡単なことだけど、言葉にはできないたくさんの感謝の気持ちを嫁入り道具の一つとして、隆央さんと二人で幸せな家庭を築いて行きます。

 私を生んでくれた母が亡くなって、その一年後に新しいお母さんが我が家にきた時、私はまだ十一歳の小学生でした。亡くなった母親のことを唯一の母親だと強く思い続けていた私は、なかなか新しいお母さんに馴染むことができなくて、ずっと「お母さん」と呼ばないで、「あの」とか「ちょっと」とか、曖昧な呼び方で誤魔化していました。

 でも、そんな私に、お母さんはいつも優しく接してくれましたね。家の中ではほとんど口をきかない娘になっていた私に、学校から帰ると、手作りのおやつを出して、一人で一方的に話しかけてくれました。寂しさやつまらなさで沈みそうになる気持ちをいつも引き上げてくれていたのは、このお母さんの他愛のない話でした。

 毎日揃えてくれるアイロンのかかったハンカチと、真っ白な靴下。学校で手を洗った時、ハンカチで手を拭くと、必ずいい匂いがして、友達に羨ましがられたのを昨日のことのように覚えています。

 ある出来事がきっかけで、初めて私が「お母さん」と呼んだ時、「ありがとう」と言ってくれたお母さんの気持ちを思うと、今は胸が締め付けられるような思いです。ごめんね。私、ずっとお母さんにとっては悪い娘でした。自分には家族は要らないんだと、世間知らずの子供が考えるような甘くて生意気なことばかりで心の中をいっぱいにしていました。

 高校から家を出て寮生活を始めたのも、半分以上は家族と離れて暮らしたかったからです。テニスの練習にかこつけて帰省をしなかったのも同じ理由からです。

 そんな可愛気のない娘に、お母さんは毎月沢山の物が詰まった荷物を送ってくれました。中には寮生活で必要な生活用品と一緒に必ず手作りのフルーツケーキが入っていて、帰省もしないくせに、このケーキが目当てで、毎月荷物が届くのを心待ちにしていたほどです。このお母さんの手作りのフルーツケーキは今でも私の大好物です。

 お母さん、内藤のお祖母ちゃんから聞きました。私からは何も知らせていないのに、お母さんは私の出場するテニスの試合の全部に応援にきてくれていたんだね。そのおかげなのかな、私、試合では良い成績を残していたでしょ。

 やがて大学生になり、隆央さんと知り合い、交際を重ねて今日のこの日を迎えました。一段、一段大人の階段を上がる毎に、お母さんの有難さと素晴らしさと、苦労が判るようになってきました。

 結婚式のことも沢山相談をして、その度に助けてもらいました。今のような関係になるまでにずい分時間がかかって、遠回りしてしまったのは、全部私のせいです。お母さんは、うちにきた時から今までずっと変わらず私のことを案じ、心を開いてくれていました。

 ごめんね、お母さん。あなたの娘はやっとあなたの本当の優しさに気がついて、愛する人のもとに嫁いで行く事ができます。何とか間に合いました。これから幸せな家庭を築いて行く前に、お母さんの優しさと、大きな心に気づくことができました。それが私の最も大事な花嫁道具です。

 幸せなことに私には二人の母親がいます。ほかの人の二倍の愛情を受けて、私は今日、こんなに幸せな結婚式を挙げることができました。

 お母さん、私はこれからもずっとあなたの娘です。今まで一緒にできなかった買い物や旅行にも行きましょう。私は、あなたの娘でおれることを神様に感謝したいです」

 流れ落ちる涙で、せっかくのメイクが台無しになってしまったが、由美は自分の気持ちを最後まできちんと伝えることができたことが嬉しかった。

 継母は、ハンカチで何度も目頭を押さえながら、「もったいない、もったいない」と、声には出さずにつぶやいていた。

 結婚式の翌日に二人はヨーロッパに旅行に出て、スペイン、フランス、イタリアを回って、八日後に新居に落ち着いた。

 無事に帰宅したことの報告を隆央の両親にした後に、継母と内藤の祖父母にも同じ電話をした。みんな同様に、「お疲れさま」と労いの言葉をかけてくれた。

 隆央との二人だけの生活が始まった。一人暮らしの時に一応は自炊の真似事はしていたのだが、有り合わせで簡単にできるものばかりを作っていてレパートリーも少なかったので、いざ食事の支度をするとなると、適当なメニューがなかなか見つからず、その度に由美は実家に電話をして、継母に色々な料理を教わった。

 継母の料理のレパートリーは驚くほど豊富で、電話をする度に新しい料理と、その作り方を教えてくれた。こうして作った夕食の惣菜を、隆央は必ず「美味しい」と言って、毎回残さずに食べてくれた。

「こんなこと言うと怒られちゃうけど、由美がこんなに料理が上手だとは思っていなかったよ。さすがに一人暮らしで長く自炊をしていただけあるな。だって、何を食べても、どれも本当に美味しいもの」

 隆央にそう言わしめるほどに、由美の料理の腕は上達していた。これも継母の料理のレパートリーが豊富なことと、とにかく教え方が上手で、アドバイス通りに作れば失敗をすることがなかったことが、由美を料理自慢の新妻に仕立て上げてくれていた。何もかも継母のおかげである。

 こんなある日、由美のもとに継母から電話が入った。 結婚をして新しい家庭を持った由美にどうしても話しておかなければならないことがあるので、時間を作って欲しいと継母は言った。何かいつもとは違う様子を感じ取って由美は、次の週の火曜日に継母と会う約束をした。

 火曜日、継母は手作りの料理やケーキやお菓子を沢山持って、由美の家にやってきた。

お持たせのケーキを食べ、由美の淹れたF&Mの香りの良い紅茶を飲みながら、お互いの近況を少し話した後、継母が今日の目的である、由美に伝えたかった話を始めた。

 それは、まるで継母の人生のもっともデリケートな時期に起った、思いもしなかった事実だった。由美に話したかった概要を話した後に、継母は由美に一冊のノートを手渡した。詳しいことはこのノートに書いてあるから、時間がある時に読んでもらえると嬉しいと言った。

 継母が帰った後、由美は紅茶のカップなどの後片付けすることも後回しにして、継母から渡されたノートの表紙を開いた。何処の文房具屋でも購入できるごく普通の大学ノートには、継母が歩んできた壮絶な歴史が書かれていた。


お母さんのノートはここで終わっていた。

僕は、お祖母ちゃんの壮絶な人生が書かれているという、もう一冊のノートを恐る恐る開いた。

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