参宅(みやけ)さんはサンタクロース
小笠原 雪兎(ゆきと)
参宅(みやけ)さんはサンタクロース・上
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街がうるさく照らされ、人々は白い息を吐きながら、流れてくる定番の音楽と人波の中を泳ぎゆく。そして誰もが、今年もやってきたか、と心の中で唱える。
そんな感じだよ。悪かった。
とか意味不明な言い訳でも、してたら今朝は平手打ちを食らわずに済んだかな?
「なぁなぁ、お前好きな人いる?」
年末最後の商業イベントがやってきたなと、今朝方嬉しそうにアドベントカレンダーを開けていた妹を見て呟いて、結果、妹から小さな赤い紅葉を頬にもらったことについて、朝礼までの時間で友人に愚痴っていた。
——はずなのに、そんな話から一体どうやって恋話に繋がったのだろうか。そう聞かれて焦る。が、その焦りを隠して少し思案するフリをしてから、ウインクと共に答えた。
「お前だよ☆」
「キッツ……」
「お前が振った話じゃん、さてはLGBTを差別する気か?」
「違うし、そういうこと冗談で言う方が配慮がなってないぞ」
「確かにな。そもそも、いちいち取り上げて騒いでる時点でバカバカしい気もするけど。んじゃ、逆にお前は?」
「え〜……俺は〜うんとね〜? 誰だと思う?」
「あぁ、そうだった。
「ちょっ、でっかい声で言うなよバカ!」
焦った様子でとめにくる友人を笑って、その裏で、流した質問を聞き直されなかったことにホッと息をこぼした。そしてこっそり、件の播磨さん——と談笑しているクラスメイトの奥の壁に焦点を当てる。
二人の会話を盗み聞きする。
「間接キスってありきたりだよね……どう思う?」
「ん〜なんかわざわざラブコメのネタにするほどのことかな? って。なんか作者の恋愛未経験度がわかっちゃう的な?」
「それ、いろんな人に喧嘩売ってると思う……」
「別にそんなつもりはないけどな〜。ん?」
視線を感じたのだろうか、彼女がこちらに目を向けようとしたので、日山——『友人』と何度も呼ぶのも面倒臭いので、ちゃんと苗字で呼ぶことにした——に目を戻すと、彼が残念がるように若干危ないことを呟いた。
「惚れ薬とかあればなぁ……普段静かな播磨さんがデレて……」
「惚れ薬って効果あるのか?」
「成分はほぼ媚薬なんだって。つまり性欲から愛を引き出すってことで……なんかちょっと違うな。もっとプラトニックな愛を……」
「へぇ……。あぁ、でも俺に使おうったって、意味ないからな?」
「使わないしっ、言うとしたらお前が俺のこと好きなんだし! 変なこと言うなよバカ!」
「いや、照れるなキモい」
「ふっつーに恥ずかしいんだよっ。——……はぁ、叫び疲れた。で、意味ないって? どういう意味なんだよ」
自慢か? 言ってみろよオラ、と顎をしゃくって話を促してくる日山の、相変わらず上下運動の激しい態度にやれやれと肩をすくめつつ答える。
「薬、効かない体質なんだよ。麻酔とかはうっすら効くんだけど、頭痛薬とか睡眠薬とか、効いた試しがない」
「へぇ、じゃあ風邪とかダルくね?」
「そもそもかかったことがない」
「マジかよ。あれだな、バカは風邪ひかないってや——ふべっ……」
今までこの話をして一度として言われなかったことのない慣用句に、条件反射で拳が突き出ていて、日山は情けない声とともにうずくまった。
「惚れ薬効かないんだって……ふゆめちゃん。聞いてた?」
「ちょっ、うるさい黙って!」
「計画破綻だね」
「そもそも立ててないから!」
「やったなこのやろぉ!」
「ん? うぉっ! あぶねぇっ!」
なにやら向こうが騒がしくなったなと、声がした方を一瞥して、迫ってくる風圧にとっさに反応して、殴り返してきた日山の拳を受け止めた。
*
「うぅ……さぶ……」
体育の授業の後、すっかり外気と交換されて冷たくなってしまった肺の中の空気に顔を顰めながら、同じく外気にさらされてすっかり冷たくなったジャージを、それでも着ないよりはマシなので、着る。
妹の分と、朝の拳の件で和談の条件に受けた友人の分の、計二つ分の手形がまだ頬に残っている気がした。
階段を上って自分の教室の階まで行くと、クラスメイトが教室の前でたむろして、だるそうな声をあげていた。
「教室開いてねーの!?」
「えマジ? 係のやつどこだよ!」
「え、今誰か呼びに行ってる?」
「あ〜なんかあいつが行ってた気がするけど……知らね」
盗難を防ぐため、移動教室の時は係の者が教室を施錠するのが決まりになっている。その係はまだ校庭で遊んでいるらしい。
備考:さらに不幸なことには、どうせ誰かが呼びに行くだろの精神で他人任せになって、誰もその係を呼び戻しに行っていないことである。当然、誰もそのことは知らない。
「ふゆめちゃん寒くないの……? ジャージ余ってるなら貸して……」
「ん? 全然寒くないけど、ミコちゃん寒いの?」
「うん……死にそう……。ふゆめちゃんすごいね」
「体質の問題かな? はい、汗吸っててよければこれ着て」
そのジャージ欲しい、と口から言葉が溢れかけて、健全と呼ぶにふさわしい己の思考回路に恥ずかしくなって、顔を伏せる。
その時、空手部のクラスメイトがドアを蹴破ろうと回し蹴りを始めて、ジャージを渡していたふゆめが怒った声を上げて止めさせた。
「ちょっと! ドア蹴らないで! 誰が怒られるって委員長の私だよ!?」
「じゃあ係のやつ呼んでこいよ! 全然こねぇじゃん!」
「ったく……みんな我慢できないの? そんなに寒くないでしょ?」
「寒いわボケ!」
「はぁ、やりたくないんだけど……。ミコちゃん、ヘアピン貸して」
変わった読み方をするな、といつもながらに首をかしげると、隣にいた日山が心を読んだかのようなタイミングで、そのクセのある読み方すらチャーミングだ、となにやら鳥肌の立つようなことを言った。
寒くなったので、お返しに日山の尻を蹴っておいた。
「ん? はい、どうぞ」
「ありがと。よいしょっと」
ヘアピンを受け取ったふゆめは何の躊躇もなくそれを捻り、本来の用途を失わせる。
それを見ていたクラスメイトが驚愕している間に、自分のヘアピンも捻じ曲げて伸ばし、教室のドアの鍵穴に差し込んだ。
ピッキングなんて、と誰かが鼻息を漏らしたその瞬間、つまりものの数秒で、カチャリ、とシリンダーの回る音がした。
そうして、ガラガラとドアが開く。
「はぁ……?」
「うぉぉぉ! すげぇ! かっこいい!」
「さすがイインチョー!」
「これから盗難があったら全部委員長の責任だな!」
「そういうこと言われるからやりたくなかったの!」
ふゆめはムキーッと顔を赤くして、我先にと暖房の効いて逆に汗ばむほど暖かい教室の中に駆け込むクラスメイトに叫び、地団駄を踏んだ。
「あの踏まれてる床になりたい」
「うわキモっ」
「いたっ……」
気付かぬうちに口から溢していて、幸いなことに彼女には聞こえていなかったらしいが、隣の日山には聞こえていたらしく、尻を蹴り返された。
「あ、明日代わりのヘアピンあげるから、ごめんね?」
「ううん……ふゆめちゃんのことだから気にしてないよ。付き合う相手は選べても、妥協しないと生きてけないもんね」
「なんか酷いこと言われてる気がする!」
付き合う、というワードにドキッとした安直な自分を恥じた。
*
『そういやお前の娘さん、初仕事か。時代は早いねぇ〜昔は女性サンタ云々でいろいろ言われてたけど』
「そうですね。まぁ、サンタがキーボード叩いてハッキングしてるのに比べたら、ですよ。まったく、こんな脆弱なプログラムでお金稼ぐんだから、
よっと……こちらB班、アルソックとセコム、ハック完了です」
『了解。あと少しでA班とC班も終わるそうだ。それじゃ、予定通り開始時刻は
「了解です」
ブチッ、とノイズがかった音とともに無線機が切れる。
それから、パソコンを叩いていた男がうんと伸びをして、それまで黙って隣に立っていた少女に声をかけた。
「緊張してるのか?」
「ん〜……というか、ずっと見てきたから知ってたけど、本当にサンタなんだなぁって」
「あぁな。あれ? お義父さんは?」
「おじいちゃんならもう我慢できないって手紙回収に行ったけど」
「マジか……いや、まぁお義父さんなら問題ないか」
「うん、ベテランだもんね」
『こちら東京本部、全班ホームガードシステムのハックが完了した。
そこで無線がそう喋って、少女と男は顔を見合わせて頷く。
「バレそうになったらすぐに催眠スプレー使えよ?」
「わかった。じゃあ、行ってきます」
「あぁ、行ってらっしゃい」
真っ赤なモコモコのズボンに、白いフワフワのついた同じく真っ赤な上着を身にまとい、金色の金具の付いた茶色いベルトで上着がはだけないように留め、帽子の先の白いポンポンをはためかせながら、少女は闇夜の中に飛び込んだ。
肌を刺すような夜風に、すぐに首元のスカーフで鼻まで覆う。
少女は足音一つ立てずに屋根の上を駆け回り、水が高いところから低いところれとめどなく流れるが如く、一ミリの無駄もない動きで明かりの付いていない家へと侵入して、サンタに宛てられた手紙がないか確認する。
トナカイは目立つし、維持費に膨大なお金がかかるし、何より住宅地ならトナカイに頼るよりも人足に任せた方が楽なんだよ。
と、いつか家族の誰かが言っていたことを思い出して、世知辛いな、と少女は小さく呟いた。
そうして、予定よりも早くノルマが達成できそうなことに笑みを浮かべて、先月に巡回地域を割り当てられてからずっと、ドキドキしていた心臓を抑えて、あえて最短ルート上にある一部屋を飛ばし、着々と手紙の回収を進める。
すべての部屋を回り終えた後、少女は飛ばしていた家に戻ってきて、その一部屋のベランダにぶら下がり、片手で窓の鍵を開けて部屋の中に滑り込んだ。
お楽しみは最後にとっておくのが少女のモットーであった。
「へへ、おじゃましま〜す……ふへへ」
流石に走りっぱなしで疲れてしまったのか少女は肩で浅く息をして、後ろ手に窓を閉めた。それからスカーフを首まで下ろして、目にかかっていた髪を横に払う。
すると現れたのは、くりくりとした黒い瞳、大きくてパッチリとした目、赤い唇にすらりとした鼻立ち、帽子からはみ出る茶色がかった髪の毛。
なんと、このサンタはふゆめ、参宅ふゆめであった!
なんだ、クリスマスなんて、みたいな冷めた顔してるけど手紙書いてるんじゃん、とふゆめは勉強机の上の手紙を見て顔を綻ばせ、それをポケットに仕舞う。
どうして、こうも心臓はドキドキしてしまうのか。
わかりきったことを心に問い、答え、彼女は、はぅ……と赤らめた頬に手を添える。
だって好きなんだもん。しょうがないじゃん。好きな人のお部屋だもん。へへ、好き。うん、好き。
それから忍び足ですーすーと寝息を立てる彼に近づいて、あわよくばキスとか? とか考えながら彼の寝顔を覗き込む——と、目があった。
「ひぇっ!?」
腹部に迫る何かを感じてとっさにバックステップを踏み、躱す。
同時、彼の腕が壁に触れ、部屋の電気が灯る。突然明るくなって眩んだ視界の中、彼女は腰の催眠スプレーを取り出して彼に向かってむやみやたらに吹き付けた。
それから明るさに慣れると、顔の前を漂う催眠スプレーの飛沫を払いながらこちらを見ている彼が、ジュンタが喋った。
「——なにやってんの?」
「へっ!? さ、催眠スプレーが、効かない!?」
「薬は効かない体質なんだけど……」
「な、なんで起きてるの?」
「気配がして起きた。で、近づいてきたから殴ろうとして躱された。
質問に答えて? なにやってんの?」
予期していなかった展開と、漂う過剰な量の睡眠剤に頭の中がぐるぐる回る。そのぐるぐる回る視界の中心にジュンタくんがいて、彼が私をまっすぐ見ていて、私は彼に見られてて、見られたところが熱くなってきて——違う!
と、とにかく帰らなきゃ!
「え、えと……ご、ごめん!」
ぼんやりとして定まらない思考を放棄して、ふゆめは部屋を飛び出した。
後には、催眠スプレーと、彼女のポケットから舞い落ちたジュンタの手紙が、絨毯の上に残った。
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