好きだから、好きと言えなかった君へ~僕は再び「好きだ」と言えない恋をする
北島 悠
第1章 若き日の過ち
第1話 余命宣告―しなかった事を後悔したくない!
膵臓癌、ステージ4、余命3か月。これが昨日僕の受けた診断結果だった。
僕の名は相原祐介、43歳独身。
不思議と絶望感や死への恐怖は思った程ではなかった。事前に症状をインターネット検索しており、ある程度覚悟していたからかもしれない。
異常に体重が減り、背中や腰の痛みが激しく、白目や手が黄色っぽくなっていた。黄疸である。これはかなり深刻な病気だろうなと思っていた。
それよりも、残された時間で何をしようか、そればかり考えていた。「しなかった事」を後悔したくなかったからだ。
人は最後に「した事」よりも「しなかった事」を後悔すると言うけど、本当だったんだな。
もちろん、残り3か月をすべて行動に当てる事が出来る訳ではない。まもなく入院しなければならない。痛み止めの薬を使って、なんとか普通の生活が出来るのはあと2週間程度だそうだ。これが僕に残された時間という事だ。
すぐに頭の中に浮かんだのが葉山裕美だった。裕美は僕が大学生の頃にレストラン「マミー」でアルバイトしていた時の後輩である。
僕と裕美の関係を一言で言えば、いわゆる「友達以上恋人未満」という事になる。
お互いに気持ちを確かめ合った訳ではないが、少なくとも僕は裕美の事が好きだった。そして、きっと裕美も僕を好きであるに違いない。そう思っていた。
2人で色んな所へ行ったっけ。ディズニーランドや八景島みたいに、ただの友達同士ではあまり行かない所も。僕からだけでなく裕美からの誘いも、一度や二度ではなかった。
なにもしなかったけど、僕が当時住んでいたワンルームマンションで2人だけで過ごしたことも……
しかし、僕達はとうとう恋人同士になる事はなかったんだ。それは気持ちを伝えなかったからに他ならない。
僕もいい歳だから、今まで色んな恋をしてきた。中にはうまくいって恋人同士になれた事もあれば、駄目だった恋もある。圧倒的に駄目だった方が多いけど。好きな人に気持ちを伝えられなかった事も何度もあった。だから、好き「なのに」好きと言えなかった女性はけっこういる。
例えば初恋。当時小学生だった僕は幼さゆえにどうしたらいいか分からず、気持ちを伝えるどころじゃなかった。
残りは全部、相手が僕の事を好きではない事が高確率ではっきりしているから、玉砕覚悟で告白しても迷惑だと思ったからだった。
でも、好き「だから」好きと言えなかった女性は僕の人生でただ一人、裕美しかいない。
それは、裕美との日々があまりにも楽しすぎて、この関係を絶対に失いたくなかったから。
裕美との出会いはぶっ飛んでいた。「ドラマかよっ!!」って突っ込まれても仕方ないくらい、ある意味で最悪(?)の出会い。
ある日、店長に呼ばれて休憩室に行くと、2人の女の子を紹介された。
「相原君、今度うちに新しく入った新人を紹介するよ」
そのうちの一人が裕美だった。もう一人は裕美と同じ高校の友達の高畑美貴。
裕美は決してブスではないが、ごく普通の顔でデブと紙一重のぽっちゃり体形の女の子。美貴は目がパッチリして小柄でかわいらしい女の子だ。
そして、時間帯のリーダーだった僕は、2人の教育係を命じられた。
レストランのアルバイトの仕事の中心は、お客さんから注文を取る事であるが、初日は無理なので、もう一つの中心である料理運びと、雑用を教えた。例えばグラスの水やコーヒーのお替り等である。
この日裕美は仕事が終わってからこんな事を言ってきた。
「相原さん、今日は一日本当にありがとうございました。お礼に一緒にごはん食べに行きませんか?」
「えっ?」
「もちろん、相原さんのおごりで!」
おいおい、たしかに女の子と食事出来るなんて嬉しいけど、それが初対面でしかも先輩に対する態度か。なんてずうずうしい娘だろう。これが第一印象。
「当然美貴も一緒だよ。相原さん美貴ねらいでしょ。悪くないよねっ!」
さらにもう敬語使わないでため口になってるし。礼儀知らずにも程がある。
それでもこの話に乗ったのは別に裕美と食事したかったからではない。この時は裕美のいう通り、あわよくば美貴とお近づきになりたかったからだ。美貴は見た目が僕の好きなタイプの女性だったのだ。
「でも助手席には私を乗せてね。」
「なんでよ~」
「だって助手席って事故ったときに一番死亡率が高いじゃん。いとしの美貴ちゃんが怪我でもしたら大変大変」
「事故なんか起こさね~よ。バーカ」
「私ってなんてやさしいんだろ」
「勝手に言ってろ」
こんな感じの最悪な出会いで、僕は初めて会った日に裕美と食事する事になった。
少し前に、大学の友達の森山
ただし、お目当ての娘の引き立て役として。少なくともこの時には、裕美が今までで一番好きな人になるなんていう予感はただの1ミリもなかったんだ。
まさに180度気持ちが変わってしまった訳だけど、なぜなのか言葉で説明してくれと言われると困ってしまう。
なんせ、こんなインパクトのある出会いとは裏腹に、その後の日々は平凡そのもの、他人が知ってもつまらないんじゃないかな。
何かドラマティックな胸キュンエピソードがあって、ある日フォーリンラブ突然! みたいなのを期待していた人はがっかりするかもね。
そんなのないってば。
本当に日々のほんの小さな事、その地味な積み重ねの賜物なんだ。
それでも良ければ僕の話につきあってくれ。
出会いの日の食事と、行き帰りのちょっとしたドライブで裕美と美貴と話してみてわかった事は、裕美が天才的な聞き上手だっていう事。
質問の仕方がいいのはもちろんだけど、その絶妙な相槌のタイミングと打ち方、全く違和感のない7色のゼスチャー、まっすぐこちらを見つめる透き通った瞳etc...
これらを駆使されると、かなり答えにくい質問でもなぜかペラペラと話したくなってくる。
まるで昔からの幼馴染みたいに会話がはずんだ。僕は人見知りが激しくて、男友達でさえ打ち解けるのにはかなり時間がかかるくらいだから、ましてや女の子と出会ったその日に、こんなに喋りまくるなんて事は今まで一度もなかったんだ。
どんな感じだったかって?
「ね・ね・ね、相原さんて彼女いるの?」
(いきなりそれかよ! ねーだろフツー)
「いなくて悪かったな。第一いたら君らと食事なんかしないし。こう見えてもすごい一途なんだぜっ!」
「一途ってのはちょっと違うんじゃない。彼女以外の女の人と食事もしない方が変だよ。2対1だしアリでしょ」
「へ?」
「自分がナシってことは、相手にもそれを求めるって事だよね。あんまり束縛しすぎても嫌われちゃうよ」
「誰が何と言おうと、ぜーーーったいにナシ!」
これがあったその日の会話とは思えないよね。普通激怒するよ。でもなぜか怒る気にならなかったんだな。
あともうひとつ気付づいた事。裕美は左利きだった。
すごくくだらない事かもしれないけど、僕には自分流の色んなこだわりがある。左利きをどう思うかがその一つだ。
僕自身は右利きだけど、子供の頃は左利きだったら良かったのにといつも思っていた。さらに男女問わず、左利きの人を変に羨ましがっていたのだ。
なぜかというと、左利きは少ないからとにかく価値がありそうな感じがするし、いろんな歌のタイトルにもなってるじゃない。「私の彼は左利き」とか、「サウスポー」とか。
あと子供の頃好きだった漫画「野球狂の詩」の水原勇気がサウスポーだったということが、特に左利きの女性の印象をかなりアップさせる要因だったと思う。
「野球狂の詩」とは、ドカベン等で有名な水島新司氏の野球マンガだ。水原勇気という女性が、男性に交じってプロ野球で活躍するというストーリー。アニメや映画、ドラマ化もされたから知っている人も多いと思う。いや~すごく綺麗でカッコよかったなあ。
まあ、もちろんそれだけで惚れるなんて事はあり得ないけれど。
その日に裕美の印象は、出会った時の「礼儀知らずでずうずうしい娘」から「不思議な娘」に変わった。
この「不思議な娘」という言葉は、僕的には悪口ではない。どっちかというと誉め言葉に近いかな。でも、まだまだ恋の予感はコンマ何パーセント、あいかわらず口説きたい相手は美貴のままだけど。
でも、この調子で裕美と接していくうちに、どんどん印象は良い方へ変わっていくのを感じた。そしてその速度はどんどん増していった。
次は「ちょっと気になる娘」、その次は「かなり気になる娘」、さらに次は「めちゃくちゃ気になる娘」……
いつのまにか美貴狙いではなくなり、裕美しか見えなくなっていた。
思ってたよりずっと早く「今までで一番好きな娘」になった。
もっともっと裕美の事を良く知りたい。そして僕の事をもっともっと知って欲しい。
僕と裕美は信じられないくらい相性が良かった。男は多少なりとも女性の前では背伸びしたり、変にかっこつけたりするものだけど、不思議と裕美の前ではそんな事したいと思わなくなる。本当に自然に、等身大の自分でいいと思える。
気の利いたおせじも、面白い冗談も言えない僕の話を本当に楽しそうに聞いてくれる。そして僕がして欲しいと思ったまさにそんな反応を示してくれる。
中でも一番嬉しかったのが、知り合って1か月もしないうちに、2人きりのときに僕のことを「祐介~」と下の名前で呼び捨てにしてくれた事。さすがに職場では相変わらず「相原さん」呼びだけど。
この「下の名前呼び捨て」を好きな人にして欲しいというのも、自分流の色んなこだわりの1つ。恋人になった人には直接そう呼んでくれと頼んだ事もある。だって親しさの象徴みたいじゃない。「下の名前呼び捨て」って。
だけど、僕は裕美にそれらしい事は何も言っていないのに、本当に自然にそう呼んでくれた。「この娘、人の心を読む能力があるのか?」そう思った。
もしかしたら僕達の前世は「割れ鍋に綴じ蓋」だったんじゃないか、そう思わせてくれるような女性なんだ。
おせじにも美人とは言えないけれど、その笑顔は見ているだけで心を癒してくれる。そのちょっと甘ったるい声も、なにげなく髪をいじるその仕草も、何もかもがすっかり僕の心を虜にしてしまった。
もし、裕美と恋人同士になれたならどんなに幸せだろうかと思う反面、今の関係を失う事になる可能性を考えたらとても怖くて、情けないけれどどうしても告白できなかったんだ。
(もう、恋人同士になれなくてもいい。神様、どうか今の裕美との日々だけは絶対に奪わないで)
僕の人生で一番キラキラと輝いていた素敵な時間。幸せだった。ただ裕美と一緒にいるだけで。この日々が永遠に続いて欲しかった。
これ程までに好きだった裕美との関係は、ある予想も出来ない事件がきっかけで、突然終わりを告げた。
いや、責任転嫁はやめよう。他でもない僕自身のせいで、裕美と会う事が出来なくなったんだ。
◇◇◇◇◇◇
読んでいただきありがとうございました。
次の第2話はかつての職場のアイドルが祐介に会いに来ます。いったいどうなるのでしょうか? お楽しみに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます