第2話  二人が互いを知った時

 ぐっすりと眠り込んでくれた真人まさとをベッドまで静かに運び、理真りまの部屋へココアを運ぶと、莉花りかはビールの缶を二本持ってリビングへ戻って来た。



 「え。何、莉花も呑むの?」

 「悪い?」

 「違うよ。珍しいな、って」


 時々晩酌をする綾人あやとではあるが、莉花は酒は基本的に外での行事くらいにしか口にしなかった。彼女的には大学時代が一番多く飲酒したのでは、と綾人は思っている。


 「なんだか、昔を思い出しちゃったと言うか、フラッシュバックしたから……」

 「学生時代あのころは毎週末くらいに仲間内で吞んでたからなあ。合コンやイベント関係なく」


 綾人の座っている低めのソファに進んで、いつもとは違う位置、隣に腰掛ける。

 普段はパパの横は真人の指定席である。

 「ポテチ、あったっけ?」

 「えっ?ナッツでいいじゃない?ポテチがいい?確かおやつにしようと小袋のがあったかなぁ?」

 ナッツは既にテーブルの上に置いてある。

 「おやつ、ってもしかして、お子様向けのやつ?」

「そうだよ。真人がお姉ちゃんの食べてる物を何でも真似して欲しがるんだもの。真人にも食べられる物を選んで買ってるから」

 「……ナッツでいいです」

 「ですよね。味うっすいし」 

 「何、子供たちのおやつ横取り?」

 「違うわよ、ママの味見ですぅ!」


 隣で少し空間を取って座った莉花に、綾人は(昔だったらぴったりくっついていたのにな)と、気分は学生時代に戻っても、お互いのスタンスが変化したのだと思うのであった。

 二人の間のスペースは、今では子供たちの特等席になっている。


 冷えた缶ビールを吞むには、春とはいえまだ夜は肌寒く暖かいとは言えないので、風呂上がりにぐいっといきたいところだが……懐かしいAYAの名前を久しぶりに想い出された二人には、の思い出話をする為の《ビール》が必要不可欠なのである。


 素面では語れそうもない。

 それくらい、二人の間の聖域、いや禁域に近い思い出なのだ。


 缶ビールのプルトップをプシュ、と開けて、二人は、小さく乾杯した。

 何に乾杯なのであろう。


 「……あのさ、俺たちは大学で知り合ったし初めて逢ったのも大学だったけどさ……これ、最初の頃すげー盛り上がって何日も何週間も毎晩ネットでやりとりしたよな……」


 綾人はナッツを頬張ると、ビールをグビグビ吞んで、ふぅっとため息をついた。

 「うんうん。すっごい初めは時間なんかめちゃくちゃになるくらいだったよね!若かったなぁ~」

 「……おい、おばさんみたいだぞ?」

 「何言ってるの?AYAだって……あ。AYAって!懐かしいね」

 「……そうだな。かりん」


 二人はふふっ、と軽く笑って、お互いビールを一口呑む。


 「確か初代たちは別々の世界線で同じ大学のオープンキャンパスに参加したんだったよな?」


 「そうだったと思うよ。私たちも参加したし、一体幾通りのAYAが参加したんだろうね?」

 「違う世界線のヤツは違う大学のオープンキャンパスに参加してるかもしれないぞ?」

「あ、そっか。志望校が同じでも、オープンキャンパスに行かなかった世界線の人たちもいるよね、きっと」


 二人は、缶ビールをテーブルの上に置き、綾人は腕組みを、莉花はソファに膝を抱えて丸くなった。

 「……あ、これも昔想像したよな……。違う世界線の自分たちのこと。俺たちはオープンキャンパスの時はお互い知らなかったはずなのに、初代たちが出逢うはずだったのにさ、こうやって俺たちが出逢って結婚して子宝に恵まれたんだぞ……なんか奇妙な縁というか」

「ちょっと……そこは《奇跡》って呼ぼうよ!凄い確率なんじゃないの?宇宙には無限の平行世界があるんでしょう?」


 平行世界……そうなのだ。彼らは、正しい名称はともかく、ネット上で知り合ったAYAのマンデラーの夫婦なのである。

 最初にネットで出逢ったであろう二人は、ネット上では繋がっていたのだが、悲しいかな、世界線が大幅に離れていたらしく、しまいには逢えずじまいでお互いが世界線を移動してしまい、お互いのフォローも外れて行方不明になってしまった。


 平行世界を移動することを彼らはを「跳んだ」「シフトした」「移動した」と呼んでいた。奇しくも彼らのフォロワーたちが彼ら「かりんとAYA」のやりとりに加わったり読んでいたりして参加していた為、おおよその内情を複数人が覚えていたのである。


 マンデラエフェクトや、平行世界……パラレルワールド、多次元宇宙といった言葉を知る前に、リアル世界にいながらネットを通じて体験してしまったこちらの二人なのであった。


 「やっぱり、あの時のオープンキャンパスの後だよね。自分も周りのフォロワーさんたちも跳びやすくなったのは」


 「そうだなあ……。俺の方も跳んできたフォロワーから聞かれたのがきっかけで、かりんのことを知ったんだしな。寝耳に水だったなあ」

 「私も。初めフォロワーさんがなんのことを言ってるか、分からなかったもんね。はあ?なんの話?ってね」


 『AYA!オープンキャンパスどうだった?かりんに会えたのか?何にも報告ないからさあ、どーしたか教えろよな!……可愛かった?』


 『かりん~?AYAって、女の子じゃなかったんだって?ねーねー、ホントに初対面の男子と一緒に参加したわけ~?アンタ受験生でしょ~?自覚してるのかな?てか、イケメンだった?』



 お互いが初めて『かりん』『AYA』というユーザーネームを知ったのは、受験生の春が始まった5月下旬の志望校のオープンキャンパスの参加後のことであった。 

 ネット上ではそれ以来、自分たちやフォロワーたちがそれぞれ世界線を移動し初めて、何人もの話が食い違う『かりん』と『AYA』が出現してややこしく、複雑になっていったので、いつからか最初の二人のことを『初代』と呼ぶようになった。

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