episode25
屋上は子供が乗り越えられないような一メートルほどの壁で囲まれている。水はけのために地面には防水塗装がされ、そこはプール
やはり期待はしてなかったが暇をつぶす物なんて当然なにも無くて、ベンチもなければ植木鉢ひとつも置いていない。この殺風景さはまるで…。
「刑務所みたい」
「花瀬さん、それは思っていても口に出しちゃいけないよ」
「まあファミレスに行くよりはここの方がいいや」
騒がしい場所は居るだけで疲れるからね、花瀬はそう言いながら壁に近づいていく。たしかにここは殺風景だが、屋上外の景色は案外悪くはなかった。古き良き大金井商店街が一望できた。期待値以上で花瀬は「わあ」と驚いた声をもらす。函館の夜景ほど絶景ではないが、街路灯に照らされた商店街を眺めるにはこの場所が特等席と思えた。
花瀬は景色に目を落ち着かせつつ、壁に寄りかかりながら水筒と紙コップを取りだした。水筒の中身は昼間に余ったミネストローネスープ。それを二つの紙コップに注いでいく。店を出る直前に、赤田が水筒に入れてくれたものだった。彼の気遣いは百万点だ。
「菅原も飲むでしょ?」
「うん、ありがとう」
菅原は紙コップを受け取って花瀬の隣に移動する。商店街の景色をおつまみにして、ミネストローネスープを飲みながらただ時間が過ぎるのを待っていた。赤田が気を利かせて冷製ミネストローネスープにしてくれたようだった。味付けも変えてくれてサッパリと飲みやすく、トマトジュースよりも深い味わいがある。
「美味しいね」
「うん、美味しい。ホントに美味しいんだよ。赤田が作る料理はぜんぶ美味しいんだよ。だから…」
不安にかられ、その不安を表に出さぬよう平常心を保っている。花瀬だけではなく菅原も。彼らにとって『美味しい』は『大丈夫』に代わる言葉だった。こうして気持ちが落ち着いていられてるのも半分はミネストローネスープのおかげである。飲んでいるときは気が紛れるから。
びゅうう。地上に比べてやはり屋上は風当たりが強い。花瀬の髪が風に攫われる。髪型を崩れるのを嫌がると思ったが、彼女は髪を押さえることもしないで風に遊ばれたままでいた。髪の隙間から見えた彼女の横顔は不安を隠せていなかった。さっきまで茶番をくり広げていた彼女が別人のよう。
「それにしてもフットワークが軽いよねこの商店街は」、菅原はふたたび商店街を眺める。眩しいライトに照らされた歩道にはたくさんの人が歩いている。
「思いつきで商店街全体をビアガーデンにしちゃうなんて。そんなの聞いたことないもん。なんていうか自由だよね」
数分前のことだ。大金井商店街は事前予告もなしに一般車両の進入を禁止して歩行者天国とした。さらに商店街の端から端まで、海の家にあるような組立て式簡易テーブルとイスが乱雑に設置され、あっという間に、商店街全域がビアガーデン会場に変化していった。
さすがに屋台までは出店していないが、その代わりとして一般家庭用の冷蔵庫がいくつも置かれていた。延長コードで無理やり引っ張ってきたらしい。冷蔵庫の中身は酒や炭酸飲料の他、店の残り物で作られた料理やおつまみなどが入っている。集金箱にお金を入れたら誰でも自由に利用していい無人システムだ。
噂をききつけた仕事終わりのサラリーマンや、近所の人達がぞくぞくと集まっていく。突発的に開かれた小さなお祭りだ。いつにも増して商店街は賑やかしい。賑やかしくて、楽しそうで、少し、不愉快だった。
「それもこれも赤田君の緊張をほぐすための商店街や町内会の粋な計らいなのかな」
「違うよ」
花瀬がぴしゃりと言い放つ。めずらしく真剣な面持ちだった。
「違うって?」
「このお店とは今日でお別れになるから、最後くらいみんなで賑やかにお見送りしよう、そう言ってたのをさっき小耳に挟んだんだ」
「そうなんだ。もう取り壊すことを決意しているんだね。それを赤田君が知ったら…」
「たぶん赤田も知ってる。知ってて、今も料理を作り続けてる。自分のベストを尽くして最高の料理を提供しようと頑張ってる」
「それでも結果を覆すことはできないんだよね。きっと無理なんだろう」
菅原たちは高校三年生だ。世間を知らない小さな子供ではない。大人の事情というのもなんとなく察することもできる。どうしようもならないこともある。それを踏まえて彼らは悟った。
どんなに赤田が最高の料理を提供したとしても、人の心を動かすような絶品料理を作ったとしても、この店の運命が変わることはない。どうやっても覆せないのなら、これから行われることに何の意味があるのか。ただ赤田を苦しめるだけなんじゃないのだろうか。
「こんなエンディング、ゲームだったらクソゲー認定だよ。低評価アンチ長文をおみまいしてやるわ」
商店街の眩しい光に目が疲れてくる。花瀬は商店街側に背を向けてしゃがみ込んだ。少しでも首を動かせば、毛先が地面に付いてしまいそうだった。そんなことお構いなく、花瀬は夜空を見上げる。星が瞬かない夜空を。
「――え、え」、突如、花瀬は驚いた声をだした。
「どうしたの?」
「全然、星が見えない」
「星? あぁ、周りが明るいからしょうがないよ。東京の空はこんなもん――」
「違うのっ!」
声を被せて否定してくる。
違うとはどういうことなのか。菅原は気になって隣にいる花瀬を見た。大切な宝物を無くして焦っているような顔をしていた。きょろきょろと目玉を動かして何かを探している。眉をひそめて呼吸すらも忘れて何かを探している。あきらかに様子がおかしかった。菅原も夜空を見上げた。UFOはもちろん、飛行機も、月も、星すらもみあたらない。
どこを見ても紺色の空しか瞳に映らなかった。
「花瀬さ――」
「昔はね毎日のように星を見ていたの」
何を探していたのか分からないが、諦めたのだろう。花瀬の声は落ち着きを取り戻していた。そして昔懐かしい記憶を思い返す。まだ夢を諦めていなかった頃の自分を俯瞰して語りだす。
「望遠鏡を使ったり肉眼だったり。基本はベランダだけど、たまに川沿いから星を見上げてさ。だからなのか目が慣れて今と同じ条件でも星が見えていたんだ。なのに今は見えやしない。何も見えないんだ」
小さい頃から習慣だった天体観測。いつから星を探さなくなったのか。きっと夢を諦めた日を境にだろう。星と距離をおいた結果がコレだ。花瀬は「はあ」とため息を漏らす。
「そんなことにいまさら気付くとか…ははっ」
情けない。花瀬は自分自身に呆れていた。そんな情けない自分に向けて、吐き出すように笑った。
「わたしね、この七日間はホントに楽しかったんだよ。だけど楽しかった気持ちと同じくらい苦しかった」
「苦しかった?」
「あんなに頑張っている赤田と自分を比べて、情けなくなっちゃった。今もそう。現実を見ようと夢を諦めた自分が恥ずかしい。失敗を恐れて夢からフェードアウトした自分が恥ずかしい。それなのに夢を諦めきれていない自分がまだいる。そんな中途半端な自分が恥ずかしい」
「恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしいッ…」と何度も貶す。悔しさがこみ上げて瞳が濡れている。その瞳に街明かりが反射して星のようにキラキラしている。満天の星々をビー玉に取りこんだようだ。それでも。彼女にはその満天の星々を見ることはできない。
「恥ずかしすぎて情けなくて消えたくなる…」
花瀬は膝を曲げてそこに顔をうずめた。なんとなく花瀬の気持ちに共感できる部分が菅原にはあった。頑張っている人の近くにいると、自分の存在が霞んでみえてしまう。自信を喪失してしまいそうになる。ポジティブが必ずしも伝染するわけではないのだ。
菅原もその場にしゃがんで同じように夜空を見上げた。やっぱり目を細めても、見えるものは紺色の空だけだった。
「何やってんだろう、わたしは…」
久しぶりに聞いた花瀬の弱々しい声は、商店街の愉快な声に流されていく。
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