8ーミヤと団子と、しろうさぎ

 登校するや否や、どこからか噂が出来上がっていた。

「あのミヤが、昨日来たばっかりのカワイイ転校生と同伴登校してきたってよ!」

「ミヤって沼落ぬまおち団地最強っていうあの? 意外と手が早いんだなあ」

「転校生って誰?」

「二年D組に来たあの娘だよ。ほら、黒塗りのながーい外車で登校してきた」

「何で超お嬢様と超貧乏人ミヤが?」

 聞こうと思わなくても聞こえてくる。学校中で耳に入るのはその話題ばかりだ。

「クッソうるせえ外野だな……ブッ転がすぞ、ったく」

 ミヤは今、青筋を立てて当番の仕事という名目で数学の式を消していた。

「ミ、ミヤ~~~~~……っ、黒板鳴ってる! キィキィ鳴ってるよ!」

 耳を塞いで悲鳴を上げたのはゲッツだ。今日も大きな風呂敷包みを持参してミヤのいる別クラスに侵入していた。

「ヨロイもミヤを止めてくれよ! 俺この音苦手なんだよ〜……」

「俺は別になんとも思わない。昼飯の邪魔するなよ」

「つめてーぞヨロイー!」

 にわかに教室前の廊下がざわつく。しかしその原因はすぐにわかった。竹誓が姿を表したからだ。

「仁人さん、いっしょにお昼を食べましょう。お弁当を持ってまいりました」

 どよめく教室に竹誓は躊躇ためらいなく足を踏み入れた。その手には二つの弁当包がある。

「持ってきたって、アンタいつの間に作ってたんだ? ……っていうか家にそんな弁当箱なかったと思うが」

「私物です。足りなかったら申し訳ないのですけど」

「うぇっ!? 輝夜さんとミヤ、本当に知り合いなの!? やたら今日みんな噂してると思ってたけどさ……っていやいや!? 一緒に住んでんの!? 同棲してんの!?」

「うるせーゲッツ」

 ミヤは黒板消しを両手に括り付けてベランダに出ていく。竹誓は心得ているかのように、ゲッツとヨロイの席に近い、空いている席からイスを拝借している。互いを意識しすぎていない、阿吽の呼吸が見えるような行動だ。

「お隣よろしいかしら?」

「あっ、あぁー! どうぞどうぞ!」

 ゲッツは竹誓のためにスペースを開けた。ガタガタと机も揺らすのでヨロイが顔をしかめた。

「……あら? こちらの大きなお弁当箱は」

「これ? うちの母ちゃんが店の惣菜詰めてくれっからいつも持ってきてんのよ。俺んち、肉屋やってるから。ミヤが腹空かせてるだろうからって」

「そうなんですか……」

 竹誓は少し暗い表情で手元の二つの弁当を見つめていた。

「でもミヤはスーパーの廃棄弁当とうちの惣菜、全部食うよ。ミヤは食べる機会がないだけで、本当はめっちゃ食いしん坊なんだと思う。好き嫌いも無いしな!」

「そうなんですか! よかった……」

 ゲッツの言葉に安心したように竹誓はぱっと顔をほころばせた。

「誰が食いしん坊万歳だ。成長期と言え」

 そこへ黒板消しを叩き終わったミヤがベランダから戻る。

「ミヤ、ベランダ閉めろよ。チョークの粉入って来る」

「チョークの粉も口に入れば栄養になるだろ」

「ならないんだよ石灰だから。むしろ毒だから!」

 お前みたいに毒物食っても死なない人間てのは存在しないんだよ。とヨロイはぶつぶつと付け加えた。

「……それは本当なのですか?」

「なにがー? ほらっ、輝夜さんもうちの肉食べて食べて!」

「あ、ありがとうございます……ではこちらの唐揚げをいただきますね」

「どうぞおあがりよ!」

 竹誓持参の漆塗りの黒いマイ箸。それに唐揚げを一つ挟む。今日の唐揚げには紅ショウガが衣に絡んでいた。竹誓に続いて、ヨロイの箸も一つ同じ唐揚げを攫って行った。

「俺たちが小学校四年生の時、団地内の公園に鳥の死体ばたばた落ちてた事件があったんだよ」

「あっバカヨロイ! それ言ったら輝夜さんドン引きしちゃうだろ!」

「……仁人さんと関係のあるお話でしたら、ぜひ聞かせてください」

 ゲッツが人差し指を口の前に立ててヨロイにサインを送るが、竹誓は口の中のものを飲み込むと出したばかり箸を揃えた。

「仁人さんのこと、何でも知りたいんです。昔の事なら尚更」

 冷やかしで聞きたいわけではなさそうだ。その目つきを見てヨロイは思った。

 黒板掃除を終えようとチョークの補充をしているミヤの背中をちらと盗み見てから、耳を貸すように合図を出す。竹誓は素直に顔を寄せた。

「……警察も変質者が出没してるということで捜査を始めるくらい、その時はちょっとした事件になったんだ。結果的に犯人は捕まらなかったけど……くだんの公園である光景を、俺とゲッツは見たんだ」

「ある光景とは……?」

 小さな声で告げたヨロイ。竹誓がごくり、と次の言葉を待つ。

「ミヤがうさぎと団子食ってたんだよな」

「……え?」

 次の句はゲッツが持って行った。

「仁人さんと、うさぎさんが……公園でお団子を食べてた……?」

 ほわほわわん、と竹誓の脳内に小さな男の子とふわふわのうさぎが仲良く団子を食べている図が浮かぶ。なにやらとてもファンシーな世界観だが。

「ゲッツ……言葉が足りなくて輝夜さんが戸惑ってるだろ」

「まあでも本当のことじゃん? 何やってんのー? って聞いたら、振り向いたミヤが真っ白なもちもちした団子持ってたんだよな。で、それ食ってたから、いーなーって俺が言ったら……」

「それはホウ酸団子だったんだよ。どこかの誰かがそれを公園中に仕掛けてたんだ。その団子を食べた鳥が死んでいっぱい落っこちてたってわけなんだけど、その後が意味不明でさ……」

 ここでヨロイもゲッツも唸って口を閉じる。

「まだ何かあったんですか? それに、ホウ酸団子を食べてしまった仁人さんは……!?」

「いや、ミヤはあの通りアホみたいにピンピンしてるんだけどさ……ホウ酸団子を食べて病院にも運ばれずケロリとしてんの意味わかんなくね?」

 確かに。

 ホウ酸団子は害虫駆除のためにしかけることもある、ありふれた毒物だ。家庭で簡単に作成できる。但し、ペットや小さなお子さんには届かない場所に置きましょう。という注意書き付きだ。

「小学校四年生といっても、まだまだ体も出来上がってない子供ですよ? さすがの仁人さんも何も症状が無かったわけではないでしょう?」

「ホウ酸団子の作用かは……絶対違うと思うけど、ミヤの団子食ってた口からうさぎが出てきた」

「口から、うさぎさんっ? 何で!?」

「ほら、意味わかんないっしょー? ミヤは団子もうさぎも、拾ったもん全部食べちゃうんだなあー、ってヨロイと話してたよね」

「当時はまだものを知らない子供だったからな。……でも俺たちは、公園に落ちてたホウ酸団子を拾って口にしたミヤと、食ったばかりのホウ酸団子を咥えたうさぎがミヤの口から跳んでいったのを見た。大人に言っても誰も信じてくれなかったし、当のミヤがケロリとしてるもんだから俺とゲッツがグルで嘘ついてると思われたみたいだった」

 ゲッツが堪えきれなかったように、声を立てて笑い出した。

「思い出したらっ、笑けてきたわ。そんな感じだったなー! でもさ、ミヤといるとそういう突拍子もない――奇跡みたいな面白いことが起きるんだ! 面白い奴だよな、ミヤってさ!」

 きらきらと輝かせたゲッツの目は、小さい子供がいたずらを思いついたような目だった。それに対してヨロイは、眉根を寄せて厳めしい顔つきをしている。

「面白がってるのはゲッツだけだろ。フツーならおっかない変なヤツだって友達にもならんよ」

「そう言ってるヨロイもミヤの友達じゃんか」

「俺はただの腐れ縁っつーんだよ」

「何の話してんだ?」

 そこにミヤがようやく当番の仕事を終わらせて帰ってきた。用意されていた空いているいすに腰を落ち着かせる。

「べっつにー!! なあヨロイ!」

「はあ? また妙なこと企んでんじゃねえだろうな、ゲッツ?」

 ゲッツの口を割らせようとミヤがヘッドロックをかける。ヨロイはそれを横目に、もくもくと弁当をたいらげていった。




「仁人さんは、御友人に愛されているのですね」

「あいー!?」

 ミヤがゲエーっと舌を出す。

「んな高尚な物アイツ等には無ぇよ。ないない!」

「そうでしょうか」

 昨日の十六時にゴッちゃんが待っていたはずの沼落団地内の運動場。

 その中央にミヤと竹誓は立っていた。

 運動場は背の高いフェンスで囲まれているので、野球も子供がバットを振る分には許されている。土日は小学生から高校生までスポーツ青少年達が場所争いをしていたりする。

 しかし現在の時分、ここにはミヤと竹誓だけがそこにいた。

 ミヤはフェンスの向こう側、ただ一つの出入り口あたりを睨んでいた。

「なあ……あんな雑な『果たし状』でゴッちゃん来ると思うか?」

「必ずいらっしゃいますよ。マツリの参加者ですから、決闘の機会を逃す術はありません」

 そう竹誓は自信満々に返すが――はたしてとミヤは疑う。

 なんだかんだで昨日のゴッちゃん主催のくずれた果し合いは、毒気を抜かれたらしいゴッちゃんのおかげでバイト後に追撃があったりはしなかった。だからというわけではないが、今日はミヤの方から『果たし状』とシャープペンで殴りかかれたノートの切れっ端をゴッちゃんにくれてやっていた。それもゴッちゃんの下駄箱(場所はゲッツに訊いた)にポイと入れただけだ。しかも宛名も送り主も、時間も場所も何も書いていない。

「ゴッちゃんさんはわかっているはずですから、仁人さんはどっしりと構えていらっしゃるといいですよ」

「はあ……」

 時刻は十六時半を回ったところ。

 竹誓の言う通り、本当にゴッちゃんの何かしらの勘が働いて来てくれるのだったら、自分が指定していた十六時なりに到着しているのではなかろうか?

 ミヤはやはり疑念の拭えない視線で出入り口をぼんやり眺めていた。

「朝もお話ししましたが、勝敗を決するためには昨日のような中途半端な打撃ではいけません。相手の願いを砕くまで叩いてください」

「それがよくわかんねんだけど……要は完膚なきまでに叩きのめせばいいってこと?」

「その理解でいらっしゃればよろしいかと」

 来ますよ。と竹誓はつぶやいた。

 ミヤの耳にも届いている。あの改造されたマフラー音。ゴッちゃんのバイクだ。

「家の玄関から数秒だろうが。徒歩で来いよ、徒歩で」

 格好つけたがりの対戦相手の姿が見えたところで、ミヤは嗤ってしまった。

 しかし自身が嗤っている事には気付いていない……。

 その大型バイクは巨大な獣の咆哮じみた騒音を立てながら、こちらへ向かってくる。スピードは落とさない――甲高い金属の音と飛んでいったグリーンのフェンスの扉の落ちたけたたましい音。それが鳴ると同時位に、大型バイクは運動場の中央へ砂煙を上げて停車した。ドッドッド、とエンジン音が心臓に響く。

「よォ……ミヤにしちゃ、小粋な事してくれるじゃねえか?」

「よォゴッちゃん。寝坊か? 随分待たせてくれるじゃん」

 フン、と鼻を鳴らしてゴッちゃんはヘルメットを脱いだ。そしてつぶれてしまっていた前髪、頭頂、後ろ髪を丁寧に櫛で整える。

「で、一つ聞きてェのが……なあんで竹誓ちゃんがミヤの隣にいるんだ? ええっ、オイ?」

「俺のスポンサーらしいぞ。よくわかんねえからそれ以上は本人に聞いてくれ」

 眉間に皺を寄せて、鼻頭を掻く。ゴッちゃんの額はピク、ピク、と痙攣していた。

「クソがァ……クソがクソがクソがアァッ!!!!!! すましたツラしてんじゃあねぇぞミヤのくせにィィィィィィッ!!!!! 俺はお前の本性を知ってるんだからなアッ!!!!! 今日という今日はその化けの皮剝いでやるぜェッ!!!!!!」

「ハハッ。んじゃ、早速おっぱじめようぜ!」

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