3―ゲッツの罪を数えること
ミヤがぼやっとしていると、隣に眼鏡をかけた男子生徒がやって来た。ゲッツが呼びつけたヨロイこと、
ちなみにヨロイはミヤと同じクラスなので、ずっとその辺で他人のフリをしていた。しかしゲッツに手招きされて、しぶしぶ弁当と箸を携え呼ばれてやったのだった。
「……なんだよ、俺を巻き込むな」
「おォーいィーミヤー言われてんぞ〜?」
「お前もだよゲッツ。ていうか主にお前だ。またミヤの名前でゴッちゃんに何かしでかしただろ。ミヤブッ殺す! って、
ヨロイはため息まじりに空いている席に座った。
なんだかんだ二人の動向はいつも気にしている。だからこうして話にも加わるし、ゲッツを諫めたり、ゴッちゃんがミヤを狙っていることも助言する。腐れ縁だという諦観と、ヨロイなりのやさしさだった。
「ヨロイ……ゲッツが何したったて?」
そろりそろりと逃げを決め込もうと動き出したゲッツの首根っこをミヤが引っ掴んだ。その力は強く、ゲッツのような貧弱な力では到底振りほどけない。冷ややかでいてドス黒い視線にゲッツは首を引っ込めることしかできなかった。
「いやっ、ホント! マジで今日は何もしてないからっ! 信じて! ホントのホントだから!!」
ミヤの馬鹿力は幼い頃から承知していたので暴れることはしない。その代わり全力の命乞いはする。
「じゃあ何で逃げようとしたんだコラ? やましいことがあるんだろうが」
「あー、あるっちゃあ……あるけど……それは今回ではないというか……? あぁーもーっ! なんでヨロイ裏切るんだよ!? この偏屈眼鏡!」
叫び逃げようとしても、ミヤに凄まれて睨まれれば小さくなるしかない。ヨロイはその光景に憐憫も見せずに焼きそばをすする。
「俺は別に誰の肩も持ってねえよ。強いて言えば他人に迷惑かけてメチャクチャするお前はだいぶワルイ」
「だってゴッちゃんのバイク、宝の山じゃん!? ちょっと部品もらって換金したからってさー」
「泥棒じゃねえかッ」
ゴンッ! ついにミヤの鉄槌がくだった。
こんなふうにして、ゲッツはゴッちゃんにちょっかいを出してはミヤの名前を騙って、被害者からの追撃を免れる真似を繰り返していた。ミヤとゴッちゃんが相見えれば、勝つのは結局ミヤなので、ゴッちゃんはその度に泣き寝入りなのだ。
校内でもミヤの剛腕は知れわたっているが、ゲッツの小悪党ぶりは知れていない。そんなゲッツを叱るのはいつだってヨロイとミヤだ。
「……で、今日のゴッちゃんはなんでキレてんだ?」
ゲッツを沈めたミヤは椅子に座り直して腕を組んだ。
「原因がゲッツじゃないとしたら、今朝のアレじゃないの? ミヤ、遅刻してきてチャリでバイク薙ぎ倒してたじゃん」
「えー、あれかぁ? あの後自主的に殴られに来た数名は伸したけど、その中にゴッちゃんは来てなかったぞ?」
「だからじゃないのか? ほら、今日転校性の女子がそこにいたじゃん」
「転校生?」
「ゲッツから聞いてないのか? 二年D組、
「へぇ、ゲッツのクラスに転校生来たのか。で、そのカグヤタケチカさんがどうしたって?」
「だから、ゴッちゃんは女好きじゃん」
あぁー。へぇー。そぉー。
ミヤは空返事で納得した。
ゴッちゃん曰く、ミヤは舎弟――ということになっているが、実際は違う。
一学年上のゴッちゃんだが、こちらも沼落団地で育った者同士。一言で表すとしたら、当人たちはゲェーっと舌を出すだろうが、幼馴染となる。
ミヤにとってゲッツ、ヨロイは沼落団地育ちの竹馬の友。
ゴッちゃんは……よく分かんないけどよくキレてるな。殴りかかってきたから殴り返しといた。――と、まあそんな感じの関係だ。
「昔からそういうとこあるよな。カッコつけで女子の前では特に引っ込みつかなくて。いっつも現行犯のゲッツ見てても、言い分は聞いて……で、どうせ俺が指示したとか嘘吹き込まれるんだけど、律義にやられにこっちまで来るみたいな。俺も暇じゃねえんだからゲッツだけ勝手にシメといてくれりゃいいのに」
「あはは、ホントそうだよな」
中学時代にもゴッちゃんにやっと出来たカノジョの前で、ゲッツに恥をかかせられていた。ゴッちゃんがあまりにも良いスニーカーを履いていたので、思わずゲッツが学校のスリッパと入れ替えて売り飛ばしたのだ。可哀そうにゴッちゃんは、中学校の名前の入ったスリッパでカノジョと放課後デートをする羽目になったという。
「笑い事じゃあねェんだよ! 俺にとってはタイムイズマネー! バイトの時間削ってゲッツのケツ拭きしてるわけで!」
「じゃあゲッツがその分時給出せばいいんじゃない?」
確かに。と手を叩いたミヤは、ジロリと未だ這いつくばっているはずのゲッツを見遣った。
しかし意外にもゲッツは起き上がっていて、何やら学ランのポケットを探っている。
「何してんの?」
ヨロイがゲッツ持参のレンコンハンバーグに手をつけながら眉をしかめた。
「いや……そういえば今朝、ミヤ宛に預かってるものがあったなあと……どこ行ったかな」
「俺に? 誰から? 先生?」
「今話題のゴッちゃんから。渡してきたのはおつかい頼まれただけの知らない人だったけど」
そういうことは先に言え。
という言葉は口から出ず、ミヤは肩から首から頭の先まで、盛大なため息とともに机の上にずるずると脱力した。
「本日分のお呼び出しだな。御愁傷様、ミヤ」
ヨロイがぽん、と肩を叩いてやる。その表情は他人事という様子が拭えない。
「今日も帰ったらヨットケでバイトなんだけど」
「そうだろうな」
ミヤの持参していた弁当のラベルを見ながらヨロイは頷く。
ヨットケとはミヤの第二の職場であり、廃棄の食べ物を失敬するための台所でもあった。ここに行かずばミヤの明るい明日は訪れない。
「あ、あったあった! ほら、これゴッちゃんから!」
喜色満面で自分の役目を果たした達成感を鼻息で表すこのチャランポラン。どうしてくれようか。
「今更要らねえよ、ったく……ご丁寧に『果し状』なんて書いてやがる」
「ゴッちゃんのそういうところ変にカッコつけだよなーはははっ」
その話題ももう済んでいる。
「えーと、なになに……『本日の十六時、沼落団地第一多目的グラウンドで待つ。今日という今日はお前をブチのめしてやる。首を洗って待っておけ』……こういうものってテンプレあんの? なんか至極普通のこと書いてあった」
「『果し状』を貰うことは普通のことじゃないんだよ、ミヤ」
鶏肉ボールを口に含みながら、しみじみと旨味を感じているヨロイが言う。
「普通に生きてれば『果し状』は貰わないし、『果し状』の中身も普通に感じることはないんだよ」
「いやいや、俺マットーに生きてるじゃん。学生ながら勤労し、勉学にも励んでるぜ?」
それが何でいつもこんなことに……とミヤは首を傾げた。
「ていうか、この『本日の十六時』はヨットケでバイトなんだってば。俺はゴッちゃんみたいに暇じゃねえんだよ」
やれやれと肩を竦め、手元のそれをくしゃくしゃと丸め口の中に放り込んだ。
「うわっ! ミヤ食っちゃったの!?」
「うるせえなゲッツ。何か悪いのかよ」
「腹が減ってるって言うから重い思いして惣菜待ってきてんのに、そんな物食べちゃあいけません!!」
「はあ?」
「だから、ヒトが紙を食うな! お前はダンゴムシか!」
「ヒトだって食うもんがなければ何でも口にするんだよ。ほっとけ」
自分だって、本当なら愛情のこもった母親の手作り弁当くらい食べたい。
そう、本当ならそれくらいの甘えも許される年頃のはずだ。
まるで義務のように黒ゴマのかけられた冷飯を、ミヤは尖らせた口にかきこんだ。
ところで、ミヤの母親は出稼ぎで今は団地に住んでいない。母親の居場所は知らされているので、いつでもというわけにはいかないが何かあれば連絡は取れる。今はただ少し遠いところで自分たちのために頑張っているだけだ。
貧乏暇なし。
そしてミヤはここで頑張っている。ここは沼落団地内にある、スーパーヨットケ。
学校からとんぼ返りに団地に帰り、支給のエプロンを着ければバイトの始まりだ。
「そうそう! ミヤ君さ、明日レジ入れない? 田村さんがお子さん具合悪いみたいで、明日も休むって。ミヤ君やっぱりレジはダメかな?」
裏手でゴミをまとめていると事務所のドアから店長が顔を覗かせて早口に告げた。
「あーレジすか……。前も言ったけど……」
頭を掻きながら気まずそうに言葉を濁すと、店長はそうだよねえ、と苦笑した。
「借金取りに追われてる身だもんねえ。名札付けて突っ立ってたらマズいか」
「いや借金取りっていうか、親父の知り合いなんすけど……まあ、間違ってはないか」
本音はレジ打ちの仕事は喜んで入りたい。なぜなら、品出しだけのバイトより時給が高いから。
「まだチョウさん――お父さんと連絡とれないの?」
「アイツ、ケータイとか持たない主義なんで。どこほっつき歩いてんだかもわからないし、もう帰って来なくていっす」
「あはは、嫌われてんのねえ。小さい頃はミヤ君もお父さんに連れられて団地のお砂場で遊んでたのにねえ」
「どんだけ昔の話してんすか」
「やだわーちょっと前の事じゃないの」
「いやいや十年前とかでしょ」
「大人になると十年なんて光陰矢の如しよ」
「そんなもんすか」
少し立ち話をして、口をしばったゴミ袋を集積所へ両手に持って行く。
学生服のまま来ているので、なるべく腕は体から離すようにして持つ。不自然な体勢に見えるが、クリーニングに出す時間と金を節約するにはこれくらいどうってことはない。
「……親父、またどーせ馬か船か、パチ屋にでも入り浸ってんだろうな。まあ金せびりに来ないってことは平和の証、かな……」
幼少から家庭が密集した団地という場所に住んでいると、このようにプライベートも筒抜けになりがちである。それが良い場面も悪い場面もある。特にミヤの場合、父親のことはあまり話題に出したくなかった。
「やれチョウさんはどこにいるんだ、チョウさんの通帳は、って。俺が知りてえわ、そんなもん。たまに家帰ってると思えば知らん間に電子レンジ売っ払ってるわ、酒飲んで寝てるだけだわ、風呂入ってなくて臭ェわで、本ッ当にロクでもねえ」
思い出すとどうしても悪態しか出てこない。
ミヤがここいらで団地最強と名高いのと同様に、父親も沼落団地で知る人のいないくらい有名人だった。
理由は単純明快、ロクでなしの無頼漢だからだ。
団地の公園のベンチで汚い親父が紙パックの日本酒を握ったまま寝てると思ったらチョウさんだった、といった報告も、ミヤにとっては消息確認の安堵感より恥でしかない。
「十六時か……」
ミヤが腕時計を見ると、短針が指すのは4の数字だった。
あっけなく例の時間になっていたことに拍子抜けすると同時に、自分には関係ない事だとも思う。そんなことより、目を付けている味噌カツ弁当がうまいこと売り残らないか、ということの方が重大な問題だ。
「悪ぃなゴッちゃん、金には替えられんよ。飯もかかってるしな」
結局自分はただの貧乏な高校生で、腕っぷしが強いだとか、団地最強の評判だとか、そんなものは腹の足しにもならない。今頃この広大な沼落団地敷地内のグラウンドの一角で、デッカイバイクをふかして大柄な学ラン男がイラついていたとしても。
ちょぼちょぼ客足の増えてきた店の入口。
少なくなってきた買い物カゴを見て、そろそろ補充するかと考えている時だった。
「貴方が調仁人さんですね?」
見知らぬ女子生徒が気配もなくそこに立っていた。
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