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「桜が見たい」

 車の助手席に座った紗良が不意にそう言った。色付いた木々が次第に葉を散らし、人々を芸術やらスポーツやらに勤しませた秋が終わりに近づいた日のことだった。

「そんなん春に言えよ。紅葉でも見とけば?」

 僕がそう言うと、紗良は不貞腐れたように黙った。去年の秋にも同じような問答があったような気もする。

 運転中の僕は紗良の方を見るわけにはいかない。目的地に着くまでに機嫌を直してくれればいいなと思ってため息を吐いた。彼女の不機嫌は前触れなくやってくるものだから面倒くさい。

 僕の愛車であるシルバーのセダンは山道をすいすいと登った。どうやら風が吹きはじめたらしく、フロントガラスの向こう側で落ち葉が巻き上げられていた。

 その光景は、見る人が見れば精霊のワルツのように感じるのだろうが、僕には死人が現世に這いあがろうとしているように見えた。息の吸いづらい車内の雰囲気に影響されているのだろうか。我ながら捻くれた見方をしているなと呆れながら踊る枯れ葉をつぶして進んだ。

 今日の外出はマイナーなカフェ巡りを趣味とする彼女の提案だった。山小屋カフェに行かないか、と。

 僕はコーヒーや紅茶に詳しくないし、正直に言えば都内のカフェで十分なのではないかと思う。車を運転できない彼女が僕を誘ったのは、僕の車をあてにしたからではないかとも思う。ただ、そんなものは最近連絡が途絶えがちな彼女からの誘いを断る理由にはならない。彼女はカフェを、僕はドライブを楽しめば問題はないと思った。

 カーナビが左折を知らせる。ハンドルをきった僕の視界の端に、ペットボトルをもてあそぶ紗良が映った。


「いらっしゃいませ。二名さまですね」

 そこは山小屋というよりも、フィンランドやノルウェーなんかにありそうな、家庭的であたたかみのある小さな家だった。暖炉で揺れる火が、紗良と僕の間にあったどうにもできない緊張感をほぐしていく。

「来てよかったでしょ」

 まだ席にも着いていないというのに、紗良はそう言って僕を見た。どうやら僕が乗り気でなかったことを見抜いていたらしい。曖昧に「まあ、そうだね」と答えると「だってさ、駅前のスタバでいいじゃんって思ってたでしょ?」と得意顔で返された。

 重厚な作りの木製テーブルには、長年使われてきたことがうかがえる細かな傷と、それに相応しい威厳があった。ソファー席に案内された僕らの間に置かれたそのテーブルを、紗良は指で撫でた。

「隠れ家カフェの代表格って感じだよね、ここ。雰囲気いいしさぁー」

 彼女の顔が哀愁に満ちて見えた。そんな顔を初めて見た僕はどうしていいかわからずに、彼女の表情から逃げるように店員を呼んでオーダーをした。カフェオレとモンブランを二つずつ。店員がカウンターの奥へ引っ込む頃には彼女の顔は晴れていて、店内の様子をカメラに収めていた。

 窓の外に、待ちぼうけをくらうセダンが見えた。ボンネットの上に赤い葉を一枚乗せている。その葉に、なぜだか紗良のさっきの表情が重ねられた。

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