初めての仲間
そよそよと頬を撫でる爽やかな風で目を覚ます。
目をこすりながらゆっくりまぶたを持ち上げると、まだ紫がかった色をした雲と空が見――えない。
空の代わりに俺の視界を占領していたのは……
「ごきげんよう。よく眠れまして?」
桃色の髪の少女だった。
彼女は覆いかぶさるような姿勢で、横たわる俺の顔をのぞき込んでいる。
「えっ……だ、誰……?」
まさか野盗?
にしては身綺麗すぎるか。
「あら、失礼しましたわ。まず名乗るのが礼儀ですわね」
「いやその前にどいてくれると嬉しいかな」
俺が困惑気味にそう言うと、彼女は案外あっさりどいてくれた。
彼女は咳ばらいをひとつし、姿勢を正して微笑む。
「私はデレー=ヤンと申します。第四領地の領主、ルイス=ヤンの次女ですわ。どうぞよしなに」
「はあ……って領主!? 領主の娘さんって言った!?」
「ええ」
ユラギノシアは、王都を含め9つの大領地に分かれている。
王都を第九として、第八、第七……といった具合に名付けられており、この辺りは第四領地にあたる。
つまり彼女、デレーはここ一帯を治める大領主の娘ということだ。
「め、めっちゃ貴族……。あ、俺の名前は」
「フウツさんでしょう? 存じておりますわ」
「へ」
自己紹介をする前に名前を知られていたことに驚き、俺は間抜けな声を出す。
だが彼女はそんなことにはお構いなしに、言葉を続けた。
「マハジ村出身、16歳。役職は【剣士】、スキルはまだお持ちでないのでしたわね。昨日は4つも町を回って、お疲れでしょう? ギルドの受付の方も不愛想でしたし、災難でしたわね。本当ならすぐに声をおかけしたかったのですけれど、つい陰から見るのに夢中になってしまって……申し訳ありませんわ」
「待って待って待って」
「はい?」
「なんでそこまで知ってるの……ですか」
「詳しい話は後でゆっくりしましょう。それに、敬語でなくてもよろしくてよ。私も16歳ですもの。あ、私のことは『デレー』とお呼びになって?」
なんかすごい人だなあ……。
貴族ってみんなこうだったりするのかな?
「それより、まずは朝食にいたしましょう! 私、そこのお店をお借りしてサンドイッチを作ってきましたのよ」
「あ、ありがとう……?」
まあ悪い人ではないみたいだ。
「さ、召し上がってくださいまし」
「あ、うん。いただきます」
デレーに促されてサンドイッチを口にしたところで、俺は重大なことを見落としていたのに気付く。
……俺、全然嫌われてなくない?
寝起きの頭と、彼女があまりに、こう、初めて会うタイプの人間だったせいで無意識にスルーしていた。
嫌われてない、どころかこれは好意と言って差し支えない気がする。
いや。
いやいやいや、そんなわけないだろう。
何を馬鹿なことを。
俺が人から好かれるなんて、天地がひっくり返ってもありえない。
きっとデレーが誰に対しても優しくて、俺を嫌いながらも施しをしてくれているとかだ。
そうに決まっている
……でも、ちょっと待てよ。
今までそういう人もいなくはなかったが、明らかに対応が雑だったりした。
それに個人情報まで握ってる(さらにそれを本人に喜々として話す)なんて尋常じゃない。
まさか、上げて落とすのが趣味の人?
みじめな人間を喜ばせておいて、後でどん底に突き落とすつもりだったり?
やばい。
考えれば考えるほど彼女が何を考えているのかわからなくなってくる。
疑心暗鬼に駆られながらサンドイッチを食べ終え、俺は彼女に恐る恐る尋ねた。
もうこれしかない。
「あの……デレーは、俺のこと嫌いだったり、不愉快に思ったりしないの?」
冷や汗をダラダラかきながらデレーの顔を窺う。
彼女はきょとんとして、それからとびきりの笑顔で言った。
「いいえ! 大好きですわ!」
生まれて初めて聞く、自分に向けられた「好き」の言葉。
しかも「大」付き。
それは俺にとってあまりにも刺激が強く、意識を消し飛ばすには十分な衝撃であった。
「フウツさん?」
「はっ!?」
我に返り、心配そうな顔をするデレーと目が合う。
「どこか具合の悪いところでも……?」
「い、いや、大丈夫」
嘘だ。
全然大丈夫じゃない。
一昨日、薪で頭を殴られた時よりもずっと強い衝撃が、俺の思考をぐわんぐわんと揺らしている。
「その、デレーはなんで俺のことが……す、好き、なの? 俺たち初めて会うよね?」
ポンコツと化した俺の頭は、息も絶え絶えにそんな言葉を捻り出した。
もしかしたら俺が忘れてるだけ、あるいは気付いていないだけで、何か彼女に好かれるような行いをしていたのかもしれない。
それならばまだわかる。
他人から好かれるという前代未聞の異常事態も、一応は呑み込めるだろう。
「それは……」
俺は固唾を飲んで次の言葉を待つ。
するとデレーは少しためらい、ポッと顔を赤くして言った。
「一目惚れをしましたの」
……わ、わからね~~~~!!!
期待していた答えが何一つ出てこなかった。
一目惚れ?
一目嫌いしかされたことがない俺に?
ますます謎だ。
「それより早く手続きに行きましょう?」
「手続き? 何の?」
「もちろん、冒険者登録ですわ。私、昨晩はサンドイッチを作っていて、まだ済ませていませんの」
「???」
さっきから情報過多でまったく話が見えてこない。
一度、整理しよう。
デレーは貴族の令嬢で、俺に一目惚れをした。
それで昨日は俺の個人情報を(おそらく貴族特権で)手に入れたり、俺の行動を陰から見ていたり、サンドイッチを作ってくれたりしていた。
ちょっと理解の及ばない部分もあるが、おおむね「俺のことが好き」「俺のためにいろいろしてくれた」ということだ。
それを踏まえると彼女が今、冒険者登録を希望しているのは……。
「俺とパーティーを組んでくれるってこと……?」
「その通りですわ!」
デレーのはじけるような笑顔。
淀みの無い、肯定の言葉。
彼女は、俺の仲間になる、と。
確かにそう言ったのだ。
俺は気が付けば涙を流していた。
「まあ! いかがなさいましたの!?」
「ご、ごめん。嬉しくって、つい」
理解に苦しむ彼女の行動とか、ありすぎて困る突っ込みどころとか、全部が感激に押し流されていく。
そうだ、多少変わったところがあったっていいじゃないか。
彼女は俺と仲間になってくれるんだ。
俺に、仲間ができるんだ。
それ以上、何を望むことがあるだろう。
胸の内に温かいお湯が流れ込んで来るようだった。
これが、「好かれる」という感覚……。
「急に泣いちゃってごめんね。それじゃ、行こうか」
いつまでも感動に浸っているわけにはいかない。
涙を拭いて、俺は立ち上がった。
デレーと共にギルドへ向かうと、昨日と同じ女性が受付にいた。
まあそりゃそうだけど。
彼女はやはり冷やかに俺を一瞥したが、デレーを見ると朗らかな笑顔に戻った。
「あの、フウツさん」
書類を渡されたところで、デレーが俺の方を振り向いて言った。
「付いてきていただいて申し訳ないのですが、向こうの方で待っていてくださいまし」
「? わかった」
人に見られていると文字を書きにくいタイプなのだろうか。
俺は特に深く考えることもなく、その言葉に従い少し離れた場所に移動する。
しばらくするとデレーは冒険者証を携えて帰ってきた。
「登録できたみたいだね」
「ええ。フウツさんのパーティーにも無事加入できましたわ」
「あれ、でも俺のところに連絡が来てないよ」
確か昨日、「加入希望者がきたら連絡する」と言われたはずだ。
「同意済みだとお伝えしましたの。少し説得に手こずりましたけれど、わかっていただけましたわ」
「なるほど……?」
なら最初から俺が言った方が良かったんじゃないか? といまいち腑に落ちないけど、まあ上手くいったならいいか。
「では改めて。これから同じパーティーの仲間として、よろしくお願いしますわ」
デレーが手を差し出す。
「うん、こちらこそよろしく!」
俺たちは固く握手をした。
……この時の俺は、仲間ができた喜びで疑う心というものを完全に失っていた。
デレーの行動も、言葉も、何も他意は無いのだろうと馬鹿正直に信じていたのだ。
俺が自分の愚かさとデレーの恐ろしさに気付き手遅れを悟るのは、その翌朝のことだった。
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