因縁

「これと……これですっ! やった、当たった!」

「ニーヴさんすごいです!」

「えっへん!」


 獣人の妹リンとニーヴ・プリムは歳も近いせいか、すぐに打ち解けた。

 今はダンケルド製のトランプで神経衰弱をしているようだ。


 ティネの師匠である、スプレイグロ・ヤース師の元へ向かう馬車の中。

 助けた獣人姉妹の姉メイヴに今回の顛末てんまつを聞いていた。


「やはり君たちを捕らえたのは、ジェイドという魔術師だったか」

「ご存じなのですか!?」

「俺は見た事が無いが、仲間達が以前遭遇した事がある」


 メイヴとリンは国境を越えたメルドラン側の森林地帯の出身らしい。

 直線距離で言えば一週間程度の距離なのだが、国境が敷かれているトライドリンゲン山脈には山越えの道など無く、よって集落も一切無い。


 人が住まない地という事は即ち、魔物が棲息する地域という事だ。

 そのため山を超えるには西へ大きく迂回する必要がある。


 彼女達の出身地は目的地と同じ方角なので、ついでに送って行く事になった。


「色々と聞いてすまぬが、経緯を教えてくれないか」

「はい。私達が住んでいた場所は森の奥深くで人が入って来る事などほとんど無かったのですが、そのジェイドという男はなぜか獣人だけを捕縛しているようでして……妹と狩りに出ていた時に彼の部下に捕まってしまいました」

「獣人だけ……そう言えばあの時も……」


 トレバーでティネと出会った後、危険を感じ町に戻った際もそうだった。

 シンテザ教徒達に紛れ、多くの獣人達の姿があったのだ。


「しかし彼らはなぜそんな事を……君は何か知らないか?」


 彼女を見ると、伏し目がちでとても恥ずかしそうな表情をしていた。

 何か言いづらい内容なのだろうか?


(言いづらい……そう言えばトレバーで見た獣人達は……)


「もし言えないような事であれば無理には……」

「いえ。助けて頂いたヒース様には恥を忍んで全てお話いたします。ジェイドが私達獣人に入れ込んでいる理由はわかりませんが、彼の目的は知っています」

「ジェイドの目的? それは……」

「強い子孫を残す事です。彼は獣人女性に人の子を産ませる目的で、その第一段階として精神的な隷属を試みていました」

「なんと……」


 彼女に詳しい話を聞いた所、この世界の亜人種……つまりエルフ・ドワーフ・そして獣人族はとても低い確率ではあるものの、人間と子を成す事が可能だそうだ。


 そしてジェイドが言うには古い文献にそれらに関する記述を見つけ、魔神シンテザから直接啓示を受けたらしい。



『その研究を進めよ』と。



「ですが……獣人はその……」


 言い淀むメイヴ。

 そこにシアが少々呆れ顔で割って入って来た。


「あーもうヒース様。いくら鈍感だからって、この手の話を男性にするのが恥ずかしい事くらい察してあげて欲しいですわ」

「あっ、そうだな──すまぬ」



(ううむいかん。とても気になる情報だったのでつい気が回らず……)



 小声で話しをする二人から離れ、俺は幼少組のトランプに合流した。





    ◆  ◇  ◇





「どうやら国境も無事越えられたようだし、今日はこの辺でキャンプを張るか」


 食事の準備をする中、ニーヴが素朴な疑問を投げかけた。


「シア姉さま。フェンブルに入ったのに、関所とか一切ありませんでした」

「そうですわね……フェルコスって弱小国だけど、実は三つの国と国境を接しているのよね」

「あ、それわかります! 西がフェンブル、北がメルドラン、東がアルシアですよね!」


 アルシアと言えば、確か行商人ベンの故郷。

 彼は元気でやっているだろうか。


「さすがニーヴさん、よくご存じで。まずメルドランとの国境ですが、北にはトライドリンゲン山脈ってのが横たわっていて、人が踏破するのはちょっと無理ね。野良の魔物が多く、開発が全く進んでいないようですので」

「そもそも道が無いのですね……アルシア方面はどうなのですか?」

「フェルコスとアルシアはまだ小さな国で、現状はまだ都市国家的な政治形態が強く残っています。ですから人の出入りは都市毎の管理になりますわね。何もない場所に軍隊を駐屯させるなんて、コストがかかって大変ですから」

「なるほどです。でもフェンブルって大国ですよね? トーラシアとの国境には関所があるってお聞きしましたが」


 アラーニからダンケルドに向かう途中には、確かに関所が存在していた。

 かなり緩い運用がされていたようだが。


「フェンブル大公家の分家筋がフェルコスを開いたとか。ですから実質同じ国みたいなものなのでしょう」

「なるほどー。だからお互い信用していると」

「まぁ国境なんて人が勝手に決めたものですからね。実際、地面に線が描かれてるわけじゃありませんし」



 幸いな事に、この辺りに大きな集落は無い。

 メルドラン軍来襲の心配は、今の所考えなくても良さそうだ。





    ◇  ◆  ◇





 食事も終わり、仲間達は火を囲んで獣人姉妹と歓談をしている。

 だが俺とシアだは少し離れた場所で、メイヴの話の報告を受けていた。


「話しづらそうにしていたのが、納得出来るような内容でしたわ」

「どういう事だ?」

「獣人族ってほぼ人族と同様の生活をしているのですけれど、大きな違いが二点あるようでして」

「一点はその見た目だな。それでもう一点は?」

「獣人族は人と違って発情期があるそうで、発情期以外では子供が出来づらいらしいんですの。しかも元々、人とは子を成す確率も低いので、ジェイドは……」


 普段ほとんど物怖じしないシアだが、少しだけ言い淀む。



「縛呪の首輪の効果で、強制的に発情期を発生させる実験をしていたそうですわ」

「人体実験か……なんという非人道的な事を」



 人間の脳というのは無意識的に学習するよう出来ている。

 関連付けられた強い刺激を何度も受けると、本人の意思とは関係なく脳自身が勝手な条件付けしたり、場合によっては感情への影響も考えられるのだ。


 そういう意味では、あながち的外れな手法とは言えなくもないが……


 これはある種の洗脳だ。

 断じて許されるべき行為では無い。


「というかそもそも獣人族と人が子を成せるとして、何の為にそんな事を?」

「獣人族と人からは、なぜか普通の獣人女性しか生まれないそうです。ところがジェイドが入手した古文書に『獣人の身体能力と人の能力を併せ持つ人類が誕生した』という記述があったらしく……」

「その人類最強を見出す為に、そんな実験をしているというのか?」

「どうやらそのようですわ」

「発想自体は分からなくも無いが……まずは遺伝学の確立が先だろうに」


(彼はエンドウ豆の栽培から始めるべきだな)


 この世界でどのように獣人族が発生したのかは、全く想像出来ない。

 そもそも元の世界にも存在しないのだ。


 だが間違いなく言えるのは、人と獣人が限りなく近縁種であるという事。

 もし生まれた子に生殖能力があるようならば、それらはもはや同種だと言っても過言ではないだろう。



「それで、その発情期を強制的に発生させる実験というのが──」



 話をまとめると、やはり条件付けや薬物依存の実験を行っているらしい。



(ダンケルドで芥子ケシ栽培をさせていたのは、こういう事か)



「どのくらいの規模の研究施設だったかは聞いているか?」

「彼女がいた場所には、百人近くの獣人達が囚われていたそうですわ」

「百人近くだと!? それだけの人数を養うだけでも大変だろうに。資金力が相当無ければ、そんな実験など続けられないだろう」


 だがカルロ農場のような例もある。

 彼らが独自の資金調達経路を持っていても不思議ではない。


「しかしそれほど大がかりな実験を継続して行えていたという事は、警備も厳重だったはずだ。彼女達はよく逃げおおせられたな?」

「それが、囚われている獣人の一人が脱走の機会を作ってくれたそうなんです。なんでも本来は北方の山地に住むという、白狼族の女の子だそうで」

「白狼族……それで、その子は?」

「多分まだその施設に囚われたままじゃないかと聞いていますわ。彼女だけは何か特殊な首輪を付けられていて施設内は比較的自由に行動出来るものの、館から遠く離れる事は出来ないとか」

「館から離れられない……か」


 俺の脳裏に、カルロの使用人達の姿が浮かぶ。


(古いタイプの首輪を付けられているのかも知れないな)


 困っている人をそのまま見過ごしたくはないが──


「因みにその施設の場所は?」

「一週間以上ずっと無我夢中で逃げてきたそうなので、正直場所はよくわからないと言っていましたわ。ヒース様、まさかとは思いますが、その施設を……」

「いやいや、そうじゃない。もし目的地の近くだったら危険だと思ってな」

「どう考えても危険な施設違いありませんわ。いつものような突飛な行動はお慎みくださいまし」

「まぁ……そうだな」



 どちらにせよ今は何も出来る事が無い。

 まずは助けた彼女達を無事、故郷に送り届ける事に専念しよう。





    ◇  ◇  ◆





「ダニエラ王妃から増援要請ですと!?」

「はい。なんでもアイザック王子の軍がウェグリア攻略に苦戦しているようでして、最も近くにいるジェイド様に増援をお願い出来ないかと」

「それは事実上要請ではなく、命令ではないですか……全くあれだけの魔物を使役して中堅都市の一つも落とせないなんて……愚息というのも単なる謙遜では無かったのですね」


 今後の対応を考えるジェイド。


「私が今動かせるのはこの子達だけ。かと言って要請を断ったりしたら、あの淫売王妃は何をしでかすかわかりませんし……受ける以外に無さそうですね」

「ジェイド様、白狼族の少女はいかがいたしましょう?」

「彼女への処置はまだまだこれからなのですが……大切な実験体です。置いて行くわけには行きません」

「それでは旧型の首輪に交換いたしますか?」

「あなたはそれを本気で言っているのですか?」


 ジェイドの冷酷な視線が、一層冷たいものに変わる。


「古来から伝わる縛呪の首輪など全く使い物になりません。大切な実験体が、少し目を離しただけで死んでしまうのですよ? そんな事をして、もし彼女が命を落すような事があったら貴方はどう責任を取るのです?」

「そ……それは……」

「責任なんて取れませんよねぇ? あなたとあの子では命の価値が全然違うのですから。そうでしょう?」

「はい……承知しております」


 横暴な発言に聞こえるが、教団内ではそうではない。

 彼らの究極の目的は人類の進化。

 より優秀な子孫を残す為には、命の選択もいとわない。


 そしてジェイドにとって彼女は、目的の達成に最も必要な個体だった。


「しかしマラスには感謝しかありませんね! 彼の魔法具研究にいての功績は計り知れない! しかし頭脳は優秀でもマナ量がねぇ……もう少し多ければ将来残すべき有望なたねとして推薦したのですけれど。本当に残念です」


 ジェイドの言葉は決して皮肉では無く、本心からのものだった。

 その意味では、彼は根っからの魔神シンテザ信奉者と言えよう。


「いいですか? 我々の使命はこの世を衰退の危機から救う事にあります。貴族や魔法協会などにこのまま世界を牛耳られていたら、人類は滅亡へまっしぐらです」

「はいジェイド様。貴族など滅びるべきです」

「貴族という特権階級なんぞ、害悪以外の何物でもありません。そう言う意味では愚鈍なアイザック王子こそ真っ先に死すべきなのですが……今王妃ににらまれては研究が滞ってしまいますし……加勢も止む無しでしょう」


 血統ではなく、個人が持つ能力。

 ある意味究極の能力主義である教団の考えは、貴族社会へ恨みや憎しみを持つ者に対する受け皿となっていた。


「とにかく彼女……フィオンについては、檻に入れて運ぶ他無いでしょう。正直、彼女一人だけでメルドランの雑兵ぞうひょう数百人分の戦力になるのですが……大切な彼女を戦闘で傷つけたくはありませんからね」

「はい」

「というわけで既に恭順済みの獣人達を全員連れ、ウェグリアの兵士からマナを回収します。正面切って戦闘しなければこちらの損害もそれほど出ないでしょう」

「いつも通り、麻痺毒を塗った短剣を用意すればよろしいですね?」

「そうです。そしてまだ自ら隷属を願い出ていない者たちはここに残しますので、あなたが引き続き指導してください。頼みましたよ?」

「承知いたしました」


 部下は持ち場に戻ると、彼もまた出発の準備に取り掛かる。



「出来ればずっと研究していたかったのですけれど……これもお仕事と割り切るしかありませんね」



 彼は部下達に出発の準備を指示し、翌朝には施設を後にした。

 目的地はフェンブル西部にある、中堅都市ウェグリア。




 因縁なのか、神の気まぐれなのか。




 その町へと続く道を、今まさにヒース達一行が通り過ぎようとしていた。




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