逃亡者

 それから二日後の事だった。

 村には宿が無いため、村のすぐ近くにキャンプを張っていたのだが……


 そこに村長が訪れた。

 かなり焦っているようだ。


「剣士様! ちょっと前に例の魔物が現れたと、村人から報告さありましたもんで」

「本当ですか? 被害状況は?」

「一人襲われそうになりやしたが、抵抗したところ魔物らは逃げ出したようでぇ……今村の連中がその魔物を追ってますだ」

「私も現場に行きます。場所を教えてください」


 村長の話によれば、獣人が現れたのは少し離れた場所にある耕作地との事。

 農作業をしている所を襲われそうになった、という話だった。



(これは急がないとまずいな……)



 俺達はすぐに現場へと向かった。





    ◆  ◇  ◇  ◇





「剣士様、あそこでございますだ」


 見ると藁や農機具などをしまう為の小屋の前に、鎌やくわを構えた村人たちが数人固まっていた。


「もう我慢なんねぇべ! 二匹くらいの魔物、おら達でもなんとかなるべさ!」

「んだ! 逃げるくらいの魔物だ。対して強くもなかんべぇよ!」


(やはりか……村人が興奮してしまっている)


 命を落とした者がいないとは言え、立て続けの被害に我慢の限界だったのだろう。

 どうにかして落ち着かせなければ、無用な戦いに発展してしまう。


「皆さんお待ちください。折角我々が来たというのに、村人に犠牲者が出てしまっては申し訳が立ちません。ここは魔物退治の実績がある我らにお任せを」

「おお、剣士様がいらっしゃいましたか……それなら一安心だべな。宜しくお願いしやす」


 村への滞在中もセレナとの訓練は欠かさず行っていた。

 見学する村人も何人かいたので、それが良いプレゼンになったようだ。


 俺は小声でセレナに用件を伝える。


「出来るだけ獣人を刺激したくない。みんなと一緒にドアの前で待っていてくれ。何かあったら合図をするから、誰も中に入れないようにして欲しい」

「承知した」



 俺は小屋のドアを静かに開け、ゆっくりと中に入っていった。



 元々牛か馬でも飼うための小屋だったのか、中は結構広い。

 一見すると無人のようにも見えるが、小屋には仕切り板があって奥は見えない。


 俺は敢えてドアを閉めた。

 仲間達だけならまだしも、村人達に見られるのは少々都合が悪い。



 俺はそもそも獣人の討伐など、一切するつもりが無いのだ。



「もし言葉が分かるなら答えてくれ。決して傷つけはしないから」


 反応は無い。

 仕切り板の向こう側を見ようと歩を進めた。



(いた)



 積まれた藁の横で震えながら身を寄せ合う、二人の獣人。

 村人の報告通り二人とも幼い少女だ。

 案の定『縛呪の首輪』をはめられている。


 一人は短剣のようなものを片手にこちらをにらんでいるが、もう一人は怯えた様子でもう一人の袖を掴んでいた。


(村人に追われてこんな場所に逃げ込むくらいだ。警戒もするだろう)


 怯える少女はニーヴやプリムよりも幼く見える。

 顔色もかなり悪いようだ。


「こないでっ! 来たら攻撃します!」

「わかった。これ以上近付かないから話だけでも聞いてくれ。君たちはシンテザ教徒にその首輪を無理やりはめさせられたのだろう?」


 少女達は黙っている。


「きっとマナ不足でとても苦しいはず。俺達なら、その首輪を外してやれる」

「人間の言う事なんて信じられないっ! あの男もそんな優しい言葉で騙して、私達姉妹をこんな酷い目に……」


(姉妹だったのか)


 このような忌まわしい首輪を付けさせられたのだ。

 彼女達がどれほど辛い目に遭って来たのか、想像に難くない。


 だが、そんな彼女達に真意を伝えるには……




 まずはこちらから。

 それ相応のものを差し出さねばならぬ。




「捕らえられ騙されて酷い目に遭って──さぞ辛かっただろうな。信用してくれなんて言葉じゃ納得なんか出来ないだろう。だから──」


 俺は腰の剣に手をやった。

 短剣を握る少女の体が一層こわばる。



「手出しをしない証拠として、こいつを……」



 俺は腰から剣を鞘ごと外し、横に放り投げた。



「これで俺はもう丸腰だ。攻撃したいならするといい。だがそちらの妹さん、彼女はきっとマナが足りなくてかなり衰弱している様子。このままでは命に関わるぞ」

「……」

「もし助かりたいのなら、俺のマナを奪え。ここから逃げるにしてもそんな状態ではすぐに捕まってしまう事くらい、君達なら理解出来るはずだ」


 すぐに動ける体勢を取っていては、彼女達は警戒を解かないだろう。

 俺はその場に胡坐あぐらをかき、目を閉じた。


 すると妹のものと思われる、とても弱弱しい一声が聞こえた。




「おねえちゃん。私……生きたい」




 それは全ての生物の存在理由でもある。

 死ぬために生まれて来る生命など、この世には一切存在しない。



「あっリンっ、だめっ!!」



 暫くそのままでいると、左手に小さな手が触れる感触があった。

 おそらく妹のものだろう。


 普通のマナ供給の場合は相手にマナを送るイメージが必要だが、首輪の効果でそうする必要は無い。

 少しずつだが、マナが吸い取られていく。


「あったかい……おにいちゃん、辛くない?」

「ああ、心配しなくていい。これくらいで俺のマナが無くなる事なんてないよ」


 その直後、左手の甲に身に覚えのある感覚を感じる。

 気になってゆっくりと目を開けると、リンと呼ばれた小さな獣人が必死になって俺の手に吸い付いていた。


(よっぽど苦しかったんだろうな……)


 マナは人の粘膜を経由したほうが伝導効率が高い。

 先程のこの子の様子から考えても、ほぼ枯渇寸前だったのだろう。


 視線をゆっくりと前方に向けた。

 姉と思われる獣人が心配そうにこちらを見ている。


「きみも辛いのだろう? 何も気にする事は……」


 そこまで言った所で、姉は驚くべき速さで迫ってきた。

 獣人の身体能力が高い事は知っていたが、流石に一瞬ひやっとする。


 妹に何も手を出さないのを見て、彼女も安心したのだろう。

 姉もまた何も言わずに、俺の首筋に吸い付いてきた。




(ああ……これはまた……みんなの機嫌を取らないとだな)




 俺の受難はまだまだ終わらなさそうだ。





    ◇  ◆  ◇  ◇





「君達、話を聞いてくれ。村人達は今までの襲撃の事でかなり怒っている。出来ればこのまま解放してあげたいんだが、それでは村の人たちは納得しないと思う。それは理解出来るな?」

「はい。私もそう思います……」


 俺が約束を守ったお陰か、彼女達は暴れる事も無くおとなしくしていた。


「それで申し訳ないんだが、少しの間だけ俺の指示に従って欲しい。君達を無事に逃がす為だ。構わないか?」

「あなたは弱っている私達をいつでも捕まえられたはずなのに……そうはしなかった。まだ不安はありますが、今は信用します。私達にはそうするしか、生きる望みが無いから」

「ありがとう。それで何をするかなのだが……」



 今から俺がしようとしているのは、村人達を騙す事である。

 もちろん困った村人を助けるつもりではあったが、俺が最も気にしていたのは彼らの事では無い。




 俺の一番の心配は、彼女達の命。




 人はそれを異物と見做みなせば、徹底的に排除する。

 もし領主に突き出されたりしたら、彼女達は間違いなく命を奪われていただろう。




 だから俺は切に願った。

 この程度の優しい嘘くらいは、どうかゆるして欲しいと。





    ◇  ◇  ◆  ◇





「剣士様、魔物は!?」


 俺が扉から姿を現した所で、村長の一声が響く。


「大丈夫だ。ほらこの通り」


 俺がつかむ革紐の先には、二人の獣人が繋がれている。

 彼女達はうつむいたままだ。


「退治されなかったので!?」

「二名の獣人を捕獲するくらい、俺にとっては何の造作も無い事だ。そもそも彼女達は領主に引き渡し、そこで裁きを受けるべきだろう?」

「ヒースさん、そんな……あっ」


 そこまで言って口をつぐんだのはベァナだった。

 見れば、彼女の視線はに向いていた。


「何か問題か?」

「いえ──」


(不幸中の幸いとはこの事)


 彼女は小屋の中で何が起きていたのかを察したようだ。

 後が怖いが、今はこれでいい。


「村に置いていては不安だろうし、俺達はこのまま彼女達を馬車で連れて行く事にする。その方が皆さんの手間もかからないだろう?」

「えぇえぇ。そりゃもう有難いこってす! それで報酬なんでやすが……」

「村で採れた食材なんかを少し分けてくれ。報酬はそれでいい」

「ありがとうございやす、剣士様!」


 セレナとシアは察したようが、問題は二人の娘達だ。

 一瞬だけ表情を確認したところ、二人とも泣き出す寸前だった。



(すまんニーヴ、プリム! ちょっとの間辛抱してくれ!)



 俺は心を鬼にし、毅然きぜんとした態度で獣人を馬車へ連れて行った。





    ◇  ◇  ◇  ◆





 村を発ち、十分な離れた時点で、獣人達の縄を解いてやる。

 馭者ぎょしゃ役はセレナが引き受けてくれていた。

 半べそ状態で仕事にならない、娘達の代わりだ。


 そんなニーヴが俺に一言。


「酷いですヒース様! 本当に領主様に突き出すのかと思ったんですから……」

「最初から周知しておくべきだったな。いや本当にすまん」

「ニーヴさん。敵を騙すにはまず味方からという言葉もありましてよ?」


(まぁ決して敵では無かったのだが……)


 獣人は姉妹で姉がメイヴ、妹がリンというらしい。

 姉のメイヴが礼を述べる。


「本当に……本当にありがとうございました。小屋に追い詰められた時には、私達ももうこれでおしまいかと思っていましたので……」

「でもその忌まわしい首輪を外さなければ、真の自由は勝ち取れませんわね……ヒース様、その首輪はこのまま外しても?」


 確かにその点が心配ではある。


 以前マラスから聞いた話によると、マナを効率的に回収出来る新型の首輪があるという話だった。

 トレバーで目撃した獣人達は自由に動き回っていたので、おそらくあれがその改良品だったとは思うのだが……


「メイヴ、君達の主人はこの近くにいるわけではないのだよな?」

「いないと思います。私達は脱走した施設から一週間以上かけてここまで逃げて来ましたので」

「そうか。であれば、それは新型の首輪で間違いないだろう。でなければこんな遠くまで逃げられなかったはずだからな」

「では、このまま外しても問題無いですわね」

「まだ明るいですし、お日様が出ている間に解呪しちゃいましょうか」


 ベァナの表情もかなり明るくなっていた。

 だが……相変わらず俺への視線は冷たい。


 一行は姉妹の枷を外すために馬車を止め、日当たりの良い草原に降り立った。


「それじゃベァナを中心に俺とシアが両脇に……」

「ヒースさんは駄目です。参加しないでください」


(まだ怒っているのか!? 今回の件は完全に不可抗力だと思うのだが……)


 だが続くベァナの発言から、彼女の真意を悟る。



「ヒースさんはまだマナが回復してないでしょう? 使えない魔法を更に増やすおつもりですか?」



 彼女は今回の状況と様子を見て、俺の体を心配してくれていたのだ。

 その証拠に、彼女は俺に笑みを向けている。



「でも俺がいなくて、マナは足りるのか?」

「お日様の力ってすごい偉大なんですよ? の光だけでヒースさん一人分くらいのマナが供給されるのです。だから大丈夫です!」

「そうか……気を使ってくれてありがとうな、ベァナ」

「ええ。でもこれで首にそのマーク付けて来たの、二度目ですからね。次に似たような事があったらその時は……」

「!?」



(三度目が来ない事を祈ろう)



 その後獣人姉妹は無事、呪縛から解放された。

 解呪の終わったベァナが俺の近くまでやって来る。

 その手には、解呪し終えた首輪が握られていた。



「ヒースさん、この首輪どうしましょうか?」

「そうだな……何かの役に立つかも知れないし、俺が預かっておこう」



 預かった首輪を一通り調べてみる。

 するとそこには、エリザ達の首輪には無い文字が描かれていた。





── ᛈᛟᛏ ᚨᛚ ᛚᚨ ᛢᛚᛞᚨ ᛞᛖ ᚳᛁ ──





『我が身にマナを』



 その時の俺は、そこに言葉の意味以上のものを何も見出せなかった。

 結局特に気にも留めずに、無造作に服のポケットに仕舞うのだった。



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