因果応報

 ヒースと入れ替えにやってきたのは、師団副長だった。


「失礼しますシアラさん」

「あらエグモント様、何か御用ですか?」


 あくまで事務的な応対であり、表情は平静を保っている。


 シアは決してエグモントを嫌っていたわけでは無い。

 そもそも彼女は見合いの話の後、彼と本気で婚約するつもりだった。


 それは今まで出会った候補の中で、彼が最もまともだったからである。


「先程は大変情けないお姿をお見せいたしました」

「いえ。お相手がヒース様ですもの。こうなるのも仕方がないと思いますわ」


 シアの一言に悔しさをにじませるエグモント。

 だがその悔しさは、自分に向けられたものだ。


「その通りです。彼は私の見立てよりも数段優れた剣士でした。その見極めも出来ず、彼をあなどっていた私は本当に情けない男です」


 彼は目線を下に落としたまま話を続けた。


「私はヒース殿がシアラさんとの婚姻時期を確定させず、気分次第で破棄出来るという状況だとお聞きしました」

「ええと、確かにそういう解釈も出来ますが……ヒース様はそんな事をされる方ではございませんわ」

「彼がどういう人物なのかは、私には良くわかりません。ですがウェーバー家の世継ぎの問題は、候補者であったこの私自身が良く存じ上げております。すぐにでも後継を確保しなければならないような状況だと言うのに、正式な婚姻を気分次第で決めるなどと……シアラさんはそれでも宜しいのですか!?」


 話を進める度に語気を強めるエドモント。

 そんなエドモントの様子をじっと聞いていたシアの返答は……


「正直な話、すぐにでも結婚したいですわね」

「そうですよね! ではなぜそんな条件で婚約を!?」

「それは……相手がヒース様だからですわ。他の貴族の殿方と結婚するのであれば、そこはしっかり契約を交わした上、交わした約束は必ず守っていただきます。なぜならそれは後継領主を確保するのが一番の目的だからです。でも……」

「でも?」


 今までにこりともしなかったシアが、見た事の無いような笑みを漏らした。


わたくしがヒース様との婚約を望んだのは、それが第一の目的ではございません」

「後継の確保が目的では無い? ではなぜ……」

「私がヒース様のおそばにいたい。ただそれだけです。それくらい彼の事を心からお慕い申し上げております」


 シアの赤裸々な告白に衝撃を受けるエドモント。

 しかしその彼もそのまま引き下がらない。


「でっ、でもシアラさんはこの町の演劇場で、私の事を『旦那様』と……」

「ごめんなさいエグモント様。その時はそうだったのかも知れません。でも今はヒース様が一番大切な存在なのです」


 その一言で撃沈するエグモント。


「そんな……」

「あのヘイデンとケビンににらまれている中、私とヒース様は共に苦難を乗り越えて来たのですよ? そんな状況にいた私が、他の誰を愛せると言うのですか?」


 その言葉はエグモントにとって最もこたえる一言だった。

 彼は彼女が最も苦しんでいる時期に、何もしてやれなかったのだ。


「エグモント様の事をお嫌いなわけでは決してございません。貴方は私の知る貴族の中では最も信頼に値するお方。素敵な女性と巡り合う事をお祈り申し上げますわ」


 そこでふと思い立つシア。


(なぜエグモント様が、婚約内容の詳細をお知りなのでしょう?)


 別に極秘事項というわけでは無かったが、話のついでに聞いてみる事に。


「ところで私とヒース様の婚約について随分お詳しかったようですが……どちらからそのお話を?」

「昨日、街中で偶然にベァナさんにお会いしまして。いてもたっても居られなかった私はベァナさんに頼んでお話を……」


(なるほど、そういう事ですか……ベァナさんったら、なかなかやりますわね)


 ベァナは相手を罠におとしいれるような女性では無い。

 言葉のあやと話の展開、そしてエグモントの勘違いによって、このような状況が生まれてしまったのだ。


 そしてその事はシアにもある程度察しが付いていた。


(でもまぁ……少しくらいはお返し差し上げないといけませんわね!)



「それはエグモント様、実に興味深いお話ですね」

「興味深い、ですか?」

「はい。実はですねエグモント様、ベァナさんは……」



 それはベァナに対する、シアのちょっとしたいたずらだった。



(ベァナさんには全く効き目が無いでしょうね。むしろエグモント様が可哀そうだったかしら)



 ベァナの気持ちがこの程度で揺らぐ事は絶対に無い。

 シアはそう確信しているからこそ、ちょっとしたお返しをしたのだ。



 エドモントはシアにいくつかの質問をした後、意気揚々として去って行く。



「こういういたずらって、大抵自分に返って来るのよね」




 それがわかっていながら、面白そうな事を我慢出来ないシアであった。





    ◆  ◇  ◇





「というわけで結局、私も首都まで同行する事になった! この先もしばらく宜しく頼むぞ!」


 大好評のうちに終わった食事会の翌日。

 出発準備を始めていた俺達に、ミランダが掛けて来た言葉がそれだった。


「随分急な話ですわね。それは本当に本部からの指示なのですか?」

「シア殿、そもそも私自体が本部の人間だ。私が決めた事はそれ即ち、本部の見解でもあるっ!」

「すごい理屈ですわね……でもまぁ馬車が別であればむしろ安全かしら……」

「そうだな。だが出来れば私もヒース殿の馬車に……」




「「絶対にダメですっ!!」」




 もはや職人芸のように息の合ったツッコミを見せるベァナとシア。

 それを聞くミランダも随分楽しそうだ。


「駐屯地の指揮は大丈夫なのですか?」

「それならば問題は無い。私は立場上、色々な場所に顔を出さなければならない事が多くてな。そういった場合はエグモントに任せるようにしているのだ」


 師団副長のエグモント。


 彼は食事会の後、俺に対して不遜な態度を取った事を謝罪しに来た。

 俺からすると単なる試合前の気合の現れだと受け取っていたのだが、彼の話によればそうではなかったらしい。


 とにかく一時は縁談の話も出ていたシアを、どうか幸せにしてあげて下さいとわざわざ頼みにやって来たのだ。

 律儀な男である。



 そして、そこまでは良かった──



「……いえ、そんな……頂くわけには……」

「わたくしは仕事が……いつまでもここでお待ち申し……」



 少し離れた場所で話をしていたのがそのエグモントと──ベァナだ。

 親善試合の最中、かなり打ち解けた感じの二人だったが──



(いくら何でも打ち解け過ぎでは無いか!?)



 どうやらエグモントが何かを渡そうとしているようだ。


 離れているため、何を話しているのかはよくわからない。

 かと言って二人の傍まで行って、話の内容を確認するような無粋な真似は……


「男として、ちょっとみっともないですわよね」


 俺が思っている事をずばり言い当てるシア。


「あ、ああ。いやちょっとベァナが困り顔をしているようだったのでな」

「ヒース様はベァナさんの事はいつも心配されますよね? 私の事も少しは心配していただきたいですわ……」

「良いではないか。それくらいヒース殿から全幅の信頼を受けていると思えば」

「わたくしこれでも皆さんと旅を始めてまだ二週間ちょっとしか経っておりませんのよ? 旅に不慣れな私をもっといたわっていただかないと……」


 そうこうするうちに出発の準備も終わり、馬車が出発する。


 今回はニーヴとプリムが御者役を買って出てくれた。

 彼女達にとって、仕事やお手伝いは仲間でいる存在意義として重要らしい。

 二人とも馬達の世話は好きなようだし、楽しくやっているので大丈夫だろう。


 心配していたベァナについても、特に問題は無さそうだったのだが……



「それでベァナ殿、エグモント殿とは何を話されていたのだ?」



 さすが女性同士というか──違和感の無いやり取り。

 セレナの事なので、きっと俺への気遣いなのだろう。


「それが良く分からないのですけれど、相談に乗ってくれたお礼とかでペンダントをプレゼントされそうになりまして」

「それは高価なものなのか?」

「翡翠があしらわれているペンダントで、確か小金貨三枚だったかと……」

「小金貨三枚だと!?」


 驚くセレナ。

 彼女は商人の娘ではあるが、家で商う商品は食料品が中心であった。

 裕福な家とは言え父アーネストの影響か、金銭感覚はほぼ庶民と同じだ。

 小金貨三枚といえば、一般庶民が二カ月は暮らせる程の額なのだ。


「相談に乗ったくらいで小金貨三枚とは……やはり子爵家の子息ともなると、金周りも良いのだな」


(いやいや、いくら何でもほぼ初対面な状態の女性にプレゼントというのは……)


 律儀で紳士的なエグモントが、なんの理由も無くそんな事をするはずがない。


 俺はふとシアに目を向けた。


 彼女は幌に開けられた通気窓から外を眺めている。

 だが、どうやら二人の会話に耳をそばだてているようにも見える。



(これはちょっとあやしいな……)



 俺は思い切って、ベァナに質問を投げかけた。


「二人とも話の腰を折ってすまぬ。その相談というのはどんな話だったのだ?」


 言いづらそうにするベァナ。


「あの……怒りませんか?」

「ベァナが他人を傷つける様な事を言わない事くらい、俺は十分理解している。だから怒らないよ」


 シアに目を向ける。

 体勢に変化は無かったが、体が少しこわばっている気がする。


「わかりました。実はエグモントさんからシアさんとヒースさんの婚約の件を聞かれて、それでその内容をお伝えしたのですが……」


 話を要約すると、どうやら俺とシアの正式な婚姻時期が未定だった事に対してかなり憤慨していたらしい。

 後継者問題の解決が最優先なのに、なぜ先延ばしにするのかと。


「すみません! 私の伝え方が悪かったせいで……」

「いや。確かに俺は自分の都合で婚期を決めさせてくれと頼んだ。だからその点について責められるのは理解もするし、批判も甘んじて受けるつもりだが……」


 おかしいのはその後の行動だ。


「なぜベァナがプレゼントを貰う事に繋がるのだ? 知っている事を話しただけなのだよな? ベァナ、彼は他に何か言っていなかったか?」

「ええっと、そうですね……既に婚約中だったのがセレナさんとシアさんだったのは不幸中の幸いだった、あの時お店を眺めている貴方をお見かけしたのも、きっと神の思し召しに違いありません、というような事をおっしゃっていまして」


 更に話を聞いてみると、彼がベァナにプレゼントしようとしていたペンダントは、丁度その時にベァナが眺めていたものだったらしい。


(それをしっかり覚えてプレゼントするとは……男としては完全に敗北……)


「ごめんな。こんなに色々尽くしてくれているのに、何もしてやれなくて……」

「いえいえいいんですっ! たまたま見つけたペンダントが綺麗だったので、ただ眺めていただけです!」



(それってやっぱり欲しかったって事ではないか!)



 しかし最も気になるのはその点では無い。

 その疑問はセレナが引き継いでくれた。


「ベァナ殿。エグモント殿はベァナ殿は婚約していないという事実を知っていたわけだな?」

「はい。でもそれって皆さんご存じなのでは?」

「いや。公表しているのはシアと俺の婚約についてだけだ。ベァナも食事会の時の兵士たちの動きを見ただろう?」

「はい。私とセレナさんの所に兵士さんたちが押し寄せて来て、結構大変でした」

「つまりそれは婚約済みのシアではなく、まだフリーだと思われているベァナやセレナとお近づきになりたいという、彼らの気持ちの表れだったのだ」

「という事は……みなさんセレナさんが婚約済みだというのをご存じ無かったと?」

「ああ。誰かさえしなければ、な」


 俺の視線を感じたセレナが、その意を汲む。


「すまぬが、私が話をした兵士は試合中のカール中隊長だけだ。当然ヒース殿の話などはしておらぬ」

「まぁそうだろうな。ベァナはエグモント副長にその話をしたのか?」

「いいえ。私はエグモント様から、シアさんの事しか聞かれませんでしたので……」



 ニーヴとプリムが、兵士と率先して話をするとは考えられない。

 となると──



「シア。話は聞いていたんだろう? ちょっとここに来てくれないか」



 彼女は言われたまま、おとなしく俺の前にやってきた。

 そして座るなり一言。





「因果応報とは、正にこの事なのですわ……」




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