菓子と戦士
トレバーを出てから早一週間。
現在は中規模都市のサルフニールを抜け、森林の町であるオークスヒルの手前で野営を敷いている。明日には町に到着する予定だ。
今の所、道中はとても順調である。
連邦監察隊と共に行動しているお陰という事もあるだろう。
このトーラシアに
というのも彼らの職務は領地の治安を守る事にあり、その対象はトーラシア連邦に
つまり外敵だけでなく内部の敵、領主が独自に抱える軍隊との衝突をも想定しているため、領軍よりも更に精鋭の兵士で構成されているのである。
トーラシア連邦の監察隊に目を付けられた盗賊団に、未来はない。
「すまんが邪魔するぞー」
「あっミランダさん、いらっしゃい~」
監察隊の師団長と言えば盗賊だけでなく、連邦に加盟している全ての領主からも恐れられる存在なのだが──
「ベァナさん。いくら何でも対応が砕けすぎではありませんか?」
「えー? いつもこんな感じでお話してますよ? ミランダさんだって何も言いませんし」
今日の食事番であるベァナにとっては食事の度に遊びに来る、隣の家のお姉さん的なポジションなのだろう。
それというのもアラーニ村の貴族と言えばベァナの父アランしかおらず、しかも一世代限りの騎士爵だ。
アラン自体も元々は一般市民の出身だったので、普段から
一方、苦言を呈したシアは筋金入りの貴族だ。
もちろん、彼女が領民に対して丁重な態度を強制する事は無い。
しかし高貴な人物に対して礼節を欠いた態度を取るというのは、自らの立場を危うくする恐れがある。
領主の娘である彼女は、生まれた時からそういう教育を受けて育ってきた。
しかもミランダは監察隊の師団長というだけでなく、トーラシアの有力貴族、マイネ伯爵家のご令嬢でもある。
シアの実家であるウェーバー男爵家とは格が違うのだ。
「はははっ。シア殿の配慮はとても有難いが、ベァナ殿の言う通り気にしないでくれ。私のように現場に出ている貴族達にはな、貴族独特の慣習にうんざりしている者も多いのだ。その筆頭が私なのだがな!」
「そう言えば全く同じ事をシュヘイムさんも仰ってましたね」
「おおシュヘイム殿か。彼はとても好人物だと聞いているな。ヒース殿、シュヘイム殿の話をまた今度聞かせてくれないか?」
「ええ、それは構いませんが……本日の要件は、その件では無いですよね?」
「本日の要件」というのには意味がある。
それは、ミランダがほぼ隔日で俺達のキャンプを訪れていたからだ。
「それは当然、お目当てはデザートでございましょう」
「シアさん……あなたのほうがよっぽど対応に気を付けたほうがよろしいかと……」
「あらベァナさん。わたくしは真実を述べたまでに過ぎませんわ」
確かにシアの言葉遣いは丁寧ではあるが、その内容は実に
まさに
まぁそれもミランダという、懐の広い人物相手だからこそ言える事なのだろうが。
「あーっはっはっは! いやー、このチームは本当に面白いなっ! いっその事、わたしもヒース殿の仲間に入れさせて……」
「「それは絶対にダメですっ!」」
普段は噛み合わないベァナとシアが、この時ばかりは綺麗にハモった。
やはりティネの言う通り、結局は似た者同士なのかも知れない。
◆ ◇ ◇
「しかし野営中にこんなにうまい菓子を作ってしまうとは。本当にヒース殿はすごいな」
「いえ。それもミランダさんが食材を調達してくれたおかげです」
「お礼を言われるような事じゃないぞ。何しろ私が食べたいがために、卵や牛の乳を用意させたのだからなっ!」
きっかけは、ミランダが興味本位で俺達の夕食を覗きに来た時の事だった。
例によって食後のデザートとして団子を作っていた時に、たまたま彼女がやって来たのだ。
当然の事ながら、ミランダも団子を食べるのは初めてだった。
『非常に恥ずかしい話なのだがな、わたしは菓子類に目が無くてな』
『ミランダさんっ、全く恥ずかしい事なんてありませんよ! 私達全員、みんな大好きですからっ!』
そんなベァナの言葉が引き金になったのか、ミランダは夕食時になると頻繁に訪れるようになった。
そしてその後、食材さえあれば更に色々なものが作れるという話を聞いた彼女は、途中で立ち寄った町などで食材の調達を引き受けてくれる事に。
特に牛乳や卵が入手出来たのは非常に有難かった。
洋菓子に必須なこれらの食材は、こちらの世界だとなかなか保存や運搬が難しい。
卵は割れやすいし、牛乳は馬車の揺れによって
そして更に有難い事に、これらの食材費はミランダ個人の懐から捻出されている。
つまり彼女が夕食に参加している間は、食費が浮くと言う事だ。
(旅費が浮くのはありがたいな)
今回のお菓子についてだが──
折角新鮮な卵と牛乳が入手出来たという事もあり、メレンゲを使ったお菓子作りにチャレンジする事にした。
自宅で何度か作った事はあったが、こちらの世界では初の試みだ。
「ところでこれは何という菓子なのだ?」
「私の故郷では概ねケーキとかカステラなんて呼んでましたね。厳密には別物らしいのですが──まぁ基本的に軟質の小麦粉と卵黄で生地を作って砂糖で味付けをし、しっとりさせる為の油分、あとは卵白を泡立てたものでふっくらさせるって点では一緒です。石窯なんかで焼いたほうがもっとふっくらと出来ますよ」
「なるほど……しかし材料自体はそれほど珍しくも無いのに、なぜ誰も作らなかったのだろうか」
「おそらく工程が複雑だからでしょう。正直、ビスケットも材料は同じですし」
小麦粉を使った洋菓子のルーツはパンにある。
空腹を満たすという意味で言えばそれだけでも十分だったろう。
だが、よりおいしいものを求めるのが人の
ヨーロッパの菓子職人達が様々な工夫や改良を重ねた結果生まれたのが、今日の洋菓子の数々なのである。
こちらの世界で作ったのは初めてだったが、思ったよりも出来は上々だった。
一つだけ残念だったのが、生クリームまでは用意出来なかった事。
さすがに遠心分離機までは持って来ていない。
今回は仕方がなく蜂蜜がけで食べる事にしたが、それでも大好評だった。
特にニーヴとプリムのはしゃぎっぷりが、毎度の事ながら半端ない。
「ヒース殿。ちょっと頼みがあるのだが──」
「なんでしょう?」
「我々北部方面隊は、この先にあるアルフォードという町を拠点としているのだが、私だけうまいものを食べていては隊員達に申し訳が立たん。材料と場所はこちらで提供するので、隊員達にも貴殿の料理を振舞ってはいただけないか? もちろん謝礼も出そう」
「なるほど。私個人としては問題無いのですが、一度仲間達と相談してから決めさせていただけないでしょうか?」
「それは勿論だ。よろしく頼む」
特に聞かれてまずい話でも無いため、その場で全員に確認する。
「とってもおいしいので、賛成賛成ーっ!」
「またたべたいですー!」
娘二人は、ちょっと目的を勘違いしているようだ。
ただ我々の分まで余分に作っても、文句を言われる事など無いだろう。
結局、彼女達の目的はなんの問題も無く達せられる。
「おいしいものはみんなで分け合うべきですっ! 私もお手伝いしますし」
ベァナらしい意見だった。
「そうですわね……しかし報酬の内容は事前に確認しておくべきかと」
シアらしい意見だ。
するとミランダからすぐに反応があった。
「シア殿、これでどうだ?」
ミランダがシアに向かって、指で何かを伝えている。
貴族同士の暗号だろうか?
それが何を意味しているのか、俺にはさっぱりわからなかったのだが──
「ヒース様っ!」
「どうしたシア?」
「このお話──是非お受けいたしましょうっ!」
こういった貴族同士の交渉は、シアに全面委任するのが得策か?
最後まで何事かを考えていたのがセレナだったのだが──
彼女は神妙な面持ちでこう切り出した。
「ミランダ師団長。誠に
「おおセレナ殿、頼み事とは?」
「一度で構いません。剣でお手合わせ願えないかと」
ミランダの表情が、にわかに凛々しさを取り戻していく。
セレナの申し出に気を悪くしたわけではない。
普段よく目にしている彼女の姿に戻っただけだ。
武人としての精悍さと、甘いものに目が無いというお茶目さ。
そのどちらもが、彼女の本質なのだろう。
「師団長の申し出にかこつけるような形で恐縮でございますが──」
「いや、構わぬ。実は私も手合わせ願いたいと思っていたのだ」
「それは誠でございますか?」
「もちろんだ。常々うちの隊員では相手にならぬと感じていてなぁ」
「いえ、師団長のお相手をまともに出来るなどとは露いささかも思っておりませぬ。ただ武勇で名を馳せる師団長の胸を、少しでもお借り出来ればと思いまして」
「私としても是非お願いしたい所なのだが……ただ一つだけ問題があってな」
ちょっとだけ困った表情のミランダ。
「問題でございますか?」
「ああ。実はセレナ殿、ヒース殿共に、手合わせを望む隊員が相当数いるのだ。私が手合わせを了承したとなると、両人への対戦希望者が殺到するだろう」
「そんなにですか」
「ああ。何しろ
「女性という点で興味を持たれても全く喜べないのですが」
「全く
「そんなにですか!?」
「うむ。だからそうだな……こういうのはどうだろうか」
参加の意思を一切表明していない俺を他所に、具体的な話が進んでいく。
「私の部下に腕の良い兵士が二名いる。私から見てもなかなかの腕前で、彼らに勝てる隊員は他に皆無だ。だから彼らを打ち負かせさえすれば、他の隊員はおとなしく引き下がるだろうし、私との対戦に不平を言う奴もいなくなるだろう」
「なるほど……しかしそれほどの兵士が相手では、私では力不足かも知れませぬ」
「いや。間違いなくセレナ殿が勝利するだろうと思っての提案だ。そもそもセレナ殿が負けてしまったら私との対戦も叶わぬし、勝てると勘違いした男共からの申し込みも増えてしまうであろう?」
「まぁそれは負けた者の宿命ですので、その場合は甘んじて受け入れますが」
「まぁ万が一にもそんな事は無いと思うがな。それではそれで手配するぞ?」
あまり乗り気では無い俺は、念のため確認を取る。
「すみませんミランダさん。その話には私も含まれるのでしょうか?」
「当然そのつもりだったのだが、何か問題でもあるか?」
「今回のキュクロプス戦では、私は魔法で戦いました。それに私は現在、セレナから剣術の手ほどきを受けている状況です。私などでは相手にならないかと」
「なるほどそういう事か。であるならば、むしろ参加してもらって、どうにかしてうちの部下に勝利しておいたほうが良いと思うぞ?」
「それはどういう事でしょうか?」
ミランダは俺達を取り巻く状況の説明を始めた。
「トレバーの町でも話をしたと思うが、ヒース殿は今回の件で領地を救った英雄的なポジションにある。それにヒース殿が優れた剣士である事は、盗賊退治やヘイデン親衛隊との戦いを通じて、既に周知の事実だ」
「優れているかは別にして、確かに普段は剣で戦っています」
「そうだろうとも。そんな立派な剣をお持ちなのだから、使わない手はない」
俺は自分が持っている剣についてすら、未だ良く分かっていない。
しかし今まで様々な剣を見てきてはっきり分かったのは、自分の剣が特別なものであることだった。
一般兵が使う大量生産の支給品では無く、間違いなくオーダーメイド品だ。
「ああこれですか。頂き物なので私も詳しい事はわからないのですが、扱いやすくてとても良い剣だとは思っています」
元のヒースから受け継いだ剣だと考えれば、決して嘘では無い。
「頂き物……と?」
ミランダの表情が一瞬固まった気がしたが、すぐに元の表情に戻る。
「なるほど。しかしその剣を使いこなせているというだけで、ヒース殿はれっきとした剣士なのだと思うぞ」
剣について更に追及されるのかと思ったのだが、その話はそこで終わった。
「兵士が名を上げる相手としては、もうそれで充分なのだ。町を救った英雄に剣術で勝利したとなったらどうだ? 戦功の少ない兵士にとってはこれとない売り文句になるだろう?」
「自分に箔を付ける為に……ですか」
「そうだ。もしそれが簡単に勝てそうだなんて思われても見ろ。手合わせの申し込みが絶えず、旅などいつまで経っても始められなくなるだろうよ」
そんな状況は絶対に避けたい所だが──
俺個人は、何を倒したとか誰に勝ったなどいう事に全く興味がない。
だが、確かに職業兵士となれば話は別だろう。
有名人との戦いで勝ったという事実は、非常に有効な実績となる。
「だからこそ出て欲しいんだ。そして是非うちの兵士共を叩きのめして戴きたい。彼らは私以外、世の中には強い戦士などいないと勘違いしているようなのでな」
では、もし手合わせの申し出を断り続けたとしたらどうだろうか?
ウェーバー家が領主として存続出来たのは、俺の実績を買っての事だ。
俺が戦いから逃げていては、ウェーバー家に泥を塗る事になる。
(それだけは絶対に避けなければならないな)
「なるほど……わかりました。自信はありませんが、最善は尽くします」
「おおそうか! 宜しく頼むぞ!」
ミランダは俺の返答に納得したようだ。
「本拠に戻るまでは何かあるとまずいので、手合わせについてはアルフォードで行うとしよう。その後、隊員達に食事を振舞えば皆喜んでくれるし、息抜きにもなるだろう。ちょっとしたお祭りのようなものだな。宜しく頼む!」
北部方面隊の本拠地があるアルフォードは、ここから数日の距離だ。
今から対策を取っている時間など無い。
(こうなったらもう、その場の流れに身を任せるかー)
こうして俺は、手合わせの件は当日まで考えない事にした。
◇ ◆ ◇
食事も終わり、夕食の片づけを行う中。
ヒースが少し離れた隙に、セレナはミランダから小声で話しかけられた。
「セレナ殿、これはあくまで世間話として聞きたいのだが」
「はい、なんでしょうか?」
「ヒース殿はああは言っていたが、でも実際はとてもお強いのだろう?」
セレナはヒースが本来の力を出せない状況にある事を知っている。
そしてその事はヒース自身の希望もあり、現状ベァナとセレナにしか知らされていない。
だがヒースが稀に、信じられないような動きを見せるのも事実だ。
それは彼自身が危機を感じた際、顕著に現れていた。
(彼が言うには、体が動きを覚えているだけだと言っていたが……)
本当の所はセレナにもわからない。
ただヒースは隠し事をする事はあっても、仲間に嘘を言うような人間ではない。
セレナは言葉を選びつつ、こう伝えた。
「ええ、彼は本当に強いですよ。ただ──」
「ただ?」
「彼の本気を引き出せれば、の話ですが」
セレナの一言に、ミランダの目つきが変わる。
「そうか。本気か」
そう呟いた後、彼女の表情は一瞬にして元に戻った。
そして
「今日もうまい料理を振舞ってくれて心から感謝だっ!」
「もうお帰りになられるのですか?」
「色々な話が出来たからな。それと二人との対戦、楽しみにしているぞ!」
ベァナの問いにそう言い残し、ミランダは自陣に戻って行った。
彼女が立ち去るのを見届けた仲間たちは、食事の後片付けを再開する。
そんな中、セレナは自分自身の言葉について再考していた。
「ヒース殿の本気──」
セレナとの模擬戦の時にも稀に、ヒースの本気を垣間見る事があった。
しかしそれは本当に極一瞬の出来事で、それと同時に致命的な瞬間でもある。
その直後に形勢は逆転、正に一瞬にして勝負が付いてしまうのだ。
セレナは自分を打ち負かせる男性が現れた事に対し、何とも形容のし難い喜びを感じてはいたのだが、同時に己の力量の無さに悔しさも感じていた。
(力に差があるのは仕方がない。おそらく師団長と手合わせをしても、私には手も足も出ないだろう)
ミランダとセレナでは、
(だからこそ、その力の断片に触れてみたい)
その事こそが、彼女がミランダへ手合わせを申し込んだ理由なのだ。
しかし。
(もしヒース殿とミランダ師団長が手合わせをしたら──)
普段手合わせをしているセレナでも、ヒースの真の力を完全に引き出せない。
だがミランダはトーラシアでも一、二を争うほどの剣豪だ。
そんな二人が戦う事によって、何が起きるのか──
セレナの頭は自分の戦いよりも、二人の戦いで一杯になるのだった。
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