善と悪

「魔法協会を辞めるですって!?」


 驚くシアにうなずくハンナ。

 二人の周りには、すっかり葉の落ちた果樹が広がっている。


「ええ。メラニーの農場をね、彼女の家族が戻るまで手入れしてあげたいの」

「ああ……みんなまだ帰郷出来てないものね」


 ヘイデン・ザウローによって連れていかれた町民達も、マティアスが復帰した話を聞いてぽつぽつと戻り始めていた。

 だが中にはかなり遠くの鉱山などで働いている者もおり、帰郷するのに一か月以上かかるであろう町民もいる。


「盗賊退治の件で思ったの。私は多分、協会員として相応しくないって」

「どうして? ヒースさんからとても助かったって話を聞いているけど」

「盗賊とはいえ、人を一人あやめたのよ。わたし」


 普段は明るいハンナだったが、メラニーを亡くしてからは伏し目がちな表情が多くなった。


「でもそれは仕方がないじゃない? あいつらのせいで領民が何人犠牲になったか」


 領主の娘であるシアにとって、領民を脅かす者は全員害獣扱いである。

 領民は守るべき対象であり、盗賊は駆逐されてしかるべき存在だと教育を受けて来たし、自らもそれを信じて疑わない。


「シアのような人が居なかったら、私は一生悩み苦しみながら生きて行くしかなかったでしょうね。協会は人の殺生を一切禁じているから。シンテザ一派を除いては、だけど……」

「その盗賊達、縛呪の首輪で獣人を使役していたって聞いたわ。シンテザ一派のようなものじゃない?」

「盗賊団の団長はそうだったのかもしれない。でもね、盗賊団にはゲルトさんのような人だっている。それに捕まった盗賊団員の中には生活に困って、仕方なく加入したって人も多いって聞くわ。誰が真の悪人で誰が善人かだなんて、普通の人間にはわかりっこないのよ」


 ゲルトは単眼の巨人キュクロプスとの戦いの後、大部分の住人から受け入れられるようになっていた。

 しかもティネとヒースによって制作された補聴器のお陰で、コミュニケーション面の問題も改善されている。


「でもハンナは結果的にセレナさんやヒースさんの窮地を救った。もしあの時ハンナがその行動を取らなかったとしたら、今頃トレバーはゴーストタウンになっていたかもしれないわ」

「そうね。だから私自身は納得出来ているの。でもそれはあくまでトレバーの領民としてであって、魔法協会の職員としてではない」

「だから職員には相応しくない、と?」

「ええ。それにこれからはメラニーの農園を面倒見ないといけないし、協会の仕事と両立はちょっと難しいかなぁ。結構広いのよね、この農場」


 周りを見渡しながら微笑むハンナ。


「ハンナさんがそう決めたのなら、そうした方がいいわね。私だって自分の進む道を自分で決めたのだから」

「シアのその行動力の高さには本当に恐れ入るわ。領主の娘が馬車で旅とか、普通あり得ないわよ」

「ハンナさんはご存知無いかも知れないけれど、ヒース様の馬車ったらすごいのよ? 小石に乗り上げてもガックンって来ないの!」

「いや馬車の乗り心地も大事だけど、そうじゃなくてね……」


 シアは既にヒース達と同行する事を決めていた。

 そして旅立つ前に、こうして仲の良かった友人と別れの挨拶をしているのだ。


 次に戻って来れるのがいつになるか──

 それはヒースでさえ知り得ない。


「首都に向かうんだっけ」

「ええ。最終的な目的地はフェンブルとメルドランの国境付近らしいのだけれど──」

「国境って、それって戦争の真っただ中じゃないの!? 大丈夫なの!?」

「フェンブルの最東部で、主要な町は全く無いからその点については大丈夫。そもそも便宜上国境を定めているだけで、軍の駐屯地すら無い土地だからね。問題はそこにどうやって行くかで──」

「東側って言うと、陸路だと必ずフェンブルの中心部を通過しないと無理ね。でもそれだと戦闘に巻き込まれる可能性もあるし」

「そうなの。危険だし、そもそも街道封鎖されている可能性もあるわ。だけどフェルコス行きの船は問題無く出航しているみたいなの」

「海路かー。それってミランダ様からの情報?」

「そう。軍の人間の話だから内容は信頼出来るのだけれど、戦況によってはそれもいつまで続くかわからないのよね」


 情報伝達の速度が著しく遅いこの世界で、最も速く正確なのが軍による早馬だ。

 そう言った意味では、現状最も優れた情報網が近くにある。


「とは言っても、諸国を旅する機会なんて一生来ないって思ってましたし。とにかく行ける所までは行ってやってやろうかと」

「あはは、それでこそシアね」

「というわけで暫くの間領地を留守にしますけれど、わたくしの代わりに領地をお願いいたしますね」

「それは御父上にお願いする事じゃないの?」

「領主である父になんてお願いなどしませんよ? 領地を守るのは領主の義務。言われなくてもやって当然の事です。でも結局、一人の人間で出来る事なんて限られているわ。そんな中、わたくしに出来る事と言えば、信頼出来る数少ない友人達にお願いする事だけなのです」


 そう語るシアの目は、普段とは違って真剣なものだった。

 そして深くお辞儀をして一言。


「トレバーをどうか宜しくお願いいたします」


 そんなシアの姿を、ハンナは驚きの表情で受け止める。

 親しい仲だとは言え、相手は領主の娘なのだ。


 ハンナもこの時ばかりは普段の態度を改め、領主の娘の申し出を丁重にうけたまわった。


「シア様、お顔をお上げください。私に出来る事であれば、なんでもやらせていただきますから」


 その言葉を聞き、顔と目線だけを向けるシア。

 その表情は不敵な微笑みを讃えていた。



「聞きましたわよ? 今『なんでも』とおっしゃいましたわね?」



 普段のシアに戻った事に気付くハンナ。

 彼女は少し呆れながらも、「はいはい」と返事を返すのだった。






    ◆  ◇  ◇






 長かったトレバーでの生活も今日で最終日。


 俺達は連邦監察隊の師団長であるミランダと共に、トーラシア連邦の首都へ向かう事になった。

 戦争状態のフェンブルを避け、その隣国であるフェルコスへ向かうためだ。


 魔法協会のエントランスには、滞在中に関わった人々が集まっていた。


「ロルフさん、今まで大変お世話になりました」

「それはこちらのセリフですよヒースさん。不安と恐怖に怯えるしか無かった我々の生活を元に戻してくれたどころか、将来的な不安まで払拭してくださって」

「元々アーネスト商会からの依頼、という事になっていますので、お礼でしたらアーネスト商会の代理人であるセレナに言ってあげてください」


 近くに立っていたセレナが、俺の言葉に反応する。


「例には及びませんよ。何しろ商会は放棄された農園の権利を格安で手に入れられたのですから。これも領主様とロルフ殿のお陰でございましょう」


 ヘイデン・ザウローが課した税を払えず、土地を差し出す予定だった農園主が相当数いたのだが、セレナはアーネスト商会の名でそれらを立て替えていたのだ。


 もちろんマティウスの復帰後に戻って来た農園主に対しては、立て替えていた税と同額で土地の権利を返還している。

 そもそも土地を買うのが目的では無かったし、いくらアーネストであっても広大な果樹園を運営する人員をすぐに用意する事など出来ないのだ。


 とは言っても中には完全にトレバーを捨ててしまった者も何人かいた。

 そういった土地については今後、アーネスト商会所有の農園として運営される予定である。


「好都合な事に今は土地を休ませている時期ですし、手入れが必要な場合は私が手配しておきますのでご安心を」

「ありがとうございます、マティウスさん」

「いえいえ、これはトレバーの為でもあるのです。せめてこれくらいの事はさせてください」


 希望者に土地を返還した事もあって、ほとんどの住民がアーネスト商会に好意的だった。既にいくつかの農園からは人的な援助の申し出もある。

 まぁもっとも、規模の大きなアーネスト商会にコネを作っておきたいという思惑もあるのだろうが。


 お偉いさん方との挨拶の中、ベァナがベンチに腰かけている老人に近付くのが見えた。それに気付いたシアも横に並んでいる。


「タバサおばあちゃん」

「おお、その声はベァナちゃんかえ?」

「はい。ベァナです。私達は今日町を発ちますが、無理をなさらずお元気でいてくださいね」

「今まで本当にありがとうねぇ。私は大丈夫よ。どういうわけかハンナさんがね、今後は井戸の水を汲んで来てくれるって言ってくれてねぇ」


 タバサの話を笑顔で聞いているのはベァナだ。

 一方シアの口は真一文字に引き結ばれ、少し辛そうだった。


 目が不自由なはずのタバサだったが、どういうわけかそんなシアに声を掛ける。


「シアちゃん。そんなに責任を感じないで」


 驚いた様子のシア。

 彼女がタバサへ顔を向けると、視線を感じているかのように語り始めた。


「わたしはねシアちゃん、目が見えなくなってから良く見えるようになったものがあるの」

「目が見えないのに、見えるもの……ですか?」

「ええ。周りのみんなの気持ちがね、良く見えるようになったのよ」


 タバサの視線の先には誰も居ない。

 しかしその言葉は、その場にいる一人ひとりに向けられているようだった。


「シアちゃんはあなたのお母さまやお婆様と同様、とても優しい娘。今までずっと町を守ってくれてありがとうね」


 普段は至って冷静なシアだったが、タバサからのストレートな感謝の気持ちは彼女の気持ちを揺さぶるには十分だったようだ。

 口元を両手を押さえ、何かをこらえている。


「だから私は大丈夫。シアちゃんはこれから、自分の力を自分やお仲間の為に使ってあげてね。それとね、これを──」


 タバサがゆっくりとした動作で、懐から何かを取り出した。

 彼女の右手に乗せられていたのは、トパーズのような薄黄色味を帯びた、透明な宝石のようなものだった。


 その物体は明らかに人工的に成形されたもので、細長い物体だ。

 綺麗な長方形の端に、指が入る程度の穴が空いている。


(まるでスケルトン型USBメモリのような……)


 指輪にしては大きすぎるし、ペンダントトップか何かだろうか?


「あの……これは?」

「あなたのお婆様、マーサ様からいただいたものよ。彼女がこの町に来たばかりの頃にね、仲良くしてくれたお礼って事でくれたの」

「お婆様が?」

「ええ。彼女は元の国から持ってきたお守りだって話をしていたけれど……宝石みたいにとても綺麗でしょう? だから身に着けるのがもったいないし、失くしてはいけないと思って、ずっと大事に仕舞っていたのよ」


 懐かしむように虚空を見上げるタバサ。


「これをシアちゃんにお返ししたいのです」

「そんな大事なもの、戴くわけには参りませんっ」

「大事なものだからこそ、シアちゃんに持っていて欲しいの。マーサさん所縁ゆかりの品を、所縁のある人に受け継いでいって欲しいの。私にとっては間違いなく大事な品だけれど、私の息子や孫達にとってみれば単なる綺麗な石でしかありませんからね」


 しばし考えこむシア。


「マーサ様の気持ちをね、受け継いで欲しいの。孫であるシアちゃんに」


 シアの話によると、彼女の祖母であるマーサはあまり形見の品というものを残さなかったそうだ。

 そもそも嫁入り時にも私物をあまり持っておらず、領主の奥方となった後も質素な暮らしをしていたらしい。


 そう考えると、このお守りはシアにとっても貴重な品だ。

 彼女は考えがまとまったらしく、タバサに一つの提案をする。


「それではこういたしましょう。これは戴くのではなく、シアラ・ウェーバーが責任持ってお預かりいたします。そういう事でよろしいですか?」

「ええ、ええ。旅立つシアちゃんを、きっとマーサ様が見守ってくれるわ」


 シアはお守りを受け取った。


「町を離れるわたくしの代わりと言ってはなんですが、何か困った事があったらハンナさんを頼ってくださいね」

「何から何まで気を使ってくれてありがとね。皆さんも道中お気をつけて」



 その後も協会の職員達や町の復興作業で一緒になった住民達との挨拶を、各々が済ませて行く。

 二人の娘たちはお年寄りに人気があるのか、胸いっぱいに選別を貰っていた。

 ただその表情は複雑で、嬉しいながらも半べそ状態だった。


「ゲルト、町の事は頼んだぞ」

「はい、ヒース、さま」


 元々書き言葉には優れていたゲルトだったが、元来の物覚えの良さもあってここ数日で簡単な会話なら問題無く出来るようになっていた。


 彼は結局、マティアスの計らいで町の衛兵隊員として雇われる事になった。

 実際に町を守ったという実績もあるため、過去の不祥事については不問にしてくれるそうだ。


 そもそも盗賊団に所属していたと言っても、団長の護衛をしていただけである。

 彼が盗みに参加した事実は一切無い。


「いろいろと、ありがとう、ございました」

「まぁ気にするなって。困った事があれば、ロルフさんに相談するといい」

「はいっ」



 俺達は同時にサムズアップをする。

 彼も色々と大変な目に遭ってきたようだが、これで真っ当な生活に戻れるだろう。



 困難な立場にいる人が、その境遇から抜け出すのは大変な事である。

 その手助けを出来た事が、素直に嬉しかった。


 それは単なる自己満足なのかも知れない。

 でもこの自己満足で誰かが喜んでくれれば、その喜びは何倍にもなる。



 偽善と言われようが一向に気にしない。



 そもそも善か悪かなど、人が勝手に決めた価値観である。

 個人の主観で如何様いかようにも変わる、全く当てにならない指標に過ぎない。



 だから俺はそんな価値観にこだわらず、自分が良いと思った事をするだけだ。



「ヒースさま、準備出来ましたっ!」

「わかった。それじゃ行こうか」



 ニーヴの呼びかけに応じて、馬車へ向かう。



 今回の旅はとても長くなりそうだ。


 ひとまず直近の目的地は連邦首都のトーラシア。

 だがこれも単なる通過点に過ぎない。




 俺達の真の目的は、メルドラン・フェンブル・フェルコスにまたがる、トライドリンゲン山脈の麓。

 そこに住むという、老エルフを訪ねる事にあった。






 彼の名は魔導士スプレイグロ・ヤース。





 ティネの師匠である。





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