戦乱の兆《きざし》
ヒース一行とキュクロプスとの戦いから遡る事、ひと月ほど前。
メルドラン第四皇子のアイザックは、父王レスターが長期に渡って病床に伏している事を理由に、自らの第四十二代メルドラン王即位を宣言した。
メルドラン王家にはこの所、不運としか言いようの無い出来事が立て続けに起こっている。
まず誰しもが次期国王として疑わなかった第一王子のレオナルドが、魔族との大規模戦闘の
そして国民、特に平民から人気の高かった第三王子のアーサーも何者かに毒殺されるという悲運に見舞われている。
また有力な後継者の一人である第二王子アルフレッドは存命ではあるが、彼はアイザック一派から国家反逆の罪を問われ王都を脱出。現在も行方不明だ。
アルフレッドを良く知る者からすれば、それは間違いなく
というのも、アルフレッドは王位に全く興味が無い人物なのだ。
実際彼は王家とは全く関係の無い生活をずっと続けていたし、それは継承権第一位のレオナルドの存在があってこそ実現されていたものだ。
そんな長兄を、彼が手に掛ける事などあり得ない。
またレオナルドとアルフレッドは同じ第一王妃を母に持つ兄弟である。
性格こそ全く違うものの、その仲は非常に良好だった。
しかし第一王子と共に出陣したにも関わらず、彼だけ無事生還出来たという事実。
国民達に王室内の細かな事情までは伝わらない。
よってこの事は、アイザックによる糾弾活動の格好の材料となってしまうのだった。
また存命の王子としては他にも末子のセオドアがいる。
彼はこれらの事件が起きた時期にたまたま母の出身である伯爵領を訪れており、騒動には巻き込まれなかったものの、ほぼ領内で軟禁状態にある。
ただ彼はまだ十二歳と幼く、アイザックよりも王位継承順位が低い事もあって、アイザック陣営からの圧力はそれほど強くはない。
このような状況ではあったが、アイザックの即位に対し異を唱える者は既に誰もいなかった。
それもそのはずである。
メルドランの実権はこの数カ月の間、アイザックの母であるダニエラ第二王妃に握られていたからだ。
そして彼女に対抗する勢力の選択肢はたったの三つ。
・王都を出る。
・異を唱え、投獄される。
・徹底抗戦の上、反逆者として殺される。
そして恐ろしい事に、例外は一切存在しなかった。
◆ ◇ ◇
場所は変わってトーラシア連邦首都、その名もトーラシア。
連邦北部の山岳地帯を源流とした河川はダンケルドのすぐ脇を通り、支流を集めながら大きな流れへと変貌を遂げていく。
そしてトーラシアは、まさにその大河の河口に位置する大都市である。
元々は川を行き来する船と大洋に出る大型船の中継地として栄えた町だった。
そしてトーラシアが連邦としてまとまって本拠地を決める際、諸外国との交易が盛んだった事と、連邦の版図のほぼ中心に位置している事もあって、数々の候補地を抑えて首都に選ばれたという経緯を持つ。
トーラシアは東方三国の中で最も南にある。
そしてその首都は暖流の影響もあり、年中あたたかい。
また南洋に浮かぶ島々からの珍しい品が集まるという事もあって、様々な民族が交差する文化の町でもあった。
その首都トーラシアの中央に位置する連邦本部。
盟主フェルディナンドは、執政官のリーナスから報告を受けていた。
「それで、メルドランがフェンブルへ侵攻を始めたと? それは確かなのか?」
「はい。既にフェンブル北方のいくつかの町村が、メルドランの支配下に置かれているとの報告が複数上がっております」
「うーむ、政変の噂は本当だったか。レスター王ならば、娘の嫁ぎ先に攻め入るなどという愚行は決してしないはずだからな」
メルドランの政変は、既に東方諸国へ伝わっている。
「そして侵攻した軍隊に獣人や魔物が混じっていたという報告も上がっております」
「獣人はともかく、魔物まで居たとなると──
「はい。そう思われます」
「リーナスよ、連邦内に巣食っていたシンテザの手の者との関連性を徹底的に洗い直してくれ。頼むぞ」
「承知いたしました、フェルディナンド様」
小さな都市国家の集合体であるトーラシア連邦。連邦の舵取り役である盟主は、地球上の分類上では「選挙君主」に該当する立場となるだろう。
現在の盟主であるこのフェルディナンド公も、元はトーラシア南部に領地を持つ領主の一人だった。
盟主となった現在は代々の盟主同様に領地を息子に引き継ぎ、自らは連邦の体制維持や領地間の調整役に専念している。
全領主から満場一致で選出された彼のような傑物を以てしても、強力な自治権を持つ領主達のまとめ役と言うのは、片手間で行えるような平易な業務では無い。
「それとトレバーの話だ。あれはどこまでわかった?」
「例のヒースという剣士の件でしょうか?」
「そうだ。
笑みを浮かべるフェルディナンド。
それは正に、物語の続きを心待ちにしている者の目だった。
「どこから来たのか誰も知る者がいない、旅の技術者だったか?」
「一応アーネスト商会からの依頼を受けてトレバーを訪れた、という事になっておりますが──」
「まぁダンケルドでの逸話は事実だったとしても、依頼というのは後付けされたものであろう。そうしておけばマティウス男爵の領主復帰へ大きな足掛かりとなる」
「それでは送られてきた文書が捏造されていると?」
「ヘイデン・ザウローが今まで行ってきた各種工作に比べれば全く問題にならんよ。もし依頼を受けたというのが嘘だったとしても、彼は実際に町の為に井戸を掘り続けているのだろう? 報告によると順調だと言う話じゃないか」
「その点についてはトレバーの魔法協会支部長、ロルフ・アイゼンハット殿の
「ふむ。それに聞いた話では、数百メートルもの深さを掘り進めていると言うではないか! そんな井戸など今まで見たことも聞いた事も無い。そしてダンケルドでの逸話の数々。知識や技術もそうだが、人柄もかなり評判が良いそうだな」
公爵は少し前のめり気味にそう語る。
「噂によると、ダンケルドではシュヘイム殿と人気を二分しているという話も──」
「はははっ! それはいい! シュヘイムの奴は十分その力と資格があるのに、なかなか腰が上がらぬ男だからな、いい刺激になるだろうよ!」
一個師団を率いていたシュヘイムの事を、盟主であるフェルディナンドが知らないはずもない。
彼にとって、シュヘイムは信用できる将の一人であった。
「まぁとにかくだ。トレバーから送られて来る文書が全て事実だとは思ってはおらぬが、彼のような存在は民にとって大きな希望になるし、心の支えにもなり得る。出来れば彼一人でどこまでの事を成し得るのか、その行く末をこのまま見ていたかったのだが──」
「ザウロー家にシンテザ一派が関わっていた事実が露見した今、そんな悠長な事も言ってられませんね」
「そう言う事だ。まぁこれでザウロー家をトーラシアから名実ともに追い出せるわけだし、一刻も早くミランダをトレバーに向かわせないとな。才能ある若者がつぶれてしまう前に」
「フェルディナンド公はやけにその若者を気にかけておいでですね」
ちょっとした世間話程度のつもりで訊ねたリーナスだったが、彼の
「リーナスよ。メルドランのレスター王が若かりし日に、世間から『放浪王』などと呼ばれておったのを知っているか?」
「話に聞いた事はございますが、それは実話ですか? 私はてっきり王の業績を羨む者による流言かと」
「それが実話なのだ。王は儂よりも少し年上なのだが、儂が領主を継ぐ頃には既に放浪中でな。当時は各国の貴族連中も住民達もこぞってバカにしていたものさ。国民から巻き上げた金で諸国漫遊なんて、いいご身分だってな。それで誰が言い出したか、もう一つ付いたあだ名が『放蕩王』って言うんだ。笑っちまうだろう?」
盟主は楽しそうに話す。
「このご時世でそんな事言う者がいたら、斬られても文句は言えないですね」
「ははっ。でも当時はそれこそ農民連中ですらそう呼んでいたのだ」
「今では想像も付かない事ですが、もしそれが本当ならよく旅など続けていられましたね? お金もかかるでしょうから、民からの反感も大きかったでしょうに」
「それがレスター王はな。完全に身分を隠し、基本一人旅だったらしいのだ」
「メルドランの王子が一人旅ですと!?」
「ああ。昔レスター王の側近に聞いた事があるのだが、国からの補助は一切受けず、それこそ冒険者のように自分の手で路銀を稼いで旅を続けていたらしい」
「賢帝と言う呼び名が嘘のような破天荒さですね」
「ああ。もちろん国王に近い者達が捜索はしていたのだが、何しろ王位継承者だからな。あまり公にするとかえって身に危険が及ぶ事になるので、人相書きも出さず内密に探し回っていたらしい。でも旅に出ているという噂だけは世に出回って──」
「それってもしかすると、町で王に出会ってもわからないのでは──」
「そうだ。だから自分が農民達から『放蕩王』なんて呼ばれているのも、直接耳にしていたのかも知れない。そう考えると
声を上げて笑い出すフェルナンド。
一通り話をして気が済んだのか、彼は深く椅子に腰掛け直した。
「しかし公爵様、それがヒースという剣士とどう関係が──」
「ああその話だったな。何の脈絡も無いのだが、彼の行動を見ているとな、なぜか若かりし日のレスター王を彷彿とさせるのだよ」
「もしかして彼がどこぞの国の御曹司ではないかと踏んでおいでで?」
「確かにヒースという名の貴族に心当たりはある──しかし実名で旅をするはずも無いので、それはおそらく別人ではないかと思っている」
「なるほど、そうでしたか」
「別にこれと言った理由があるわけじゃない。レスター王が知見を求める旅をしていたのに対し、ヒースという若者はむしろ知見を世に広める旅をしているように見える。つまりレスター王よりも更に数歩先を行っているのだよ。若い彼がどのようにしてそのような技や知恵を身に付けたのか、お主は気にならないか?」
「そう言われれば気にならなくも無いですが……」
フェルディナンドはリーナスの答えに不満げだ。
だが彼はそれくらいの事で機嫌を悪くするような器の小さい人物ではない。
「まぁ人ってのはそれぞれの役割があるからな。リーナスはもう少し新しいものに興味を持ったほうが良い領主になれると思うぞ!」
「そう言われましても……そもそも私に領地はありませんので」
リーナスも貴族家の出身ではあるのだが、彼の家はフェルディナンドの家、ロート家に仕える家臣だ。彼はその家の次男坊である。
兄は既に家を継いでおり既に小さな町を治めているものの、次男のリーナスに領地は無い。
「それならば丁度良い。近々カークトンの領主に空きが出る予定なのだが──リーナス、お主が治めてはどうだ?」
「本家の領地規模を軽く超えちゃいますよ! 私の家に継承権争いを持ち込もうとしないでくださいっ!」
大声で笑うフェルディナンド。
このあたりの
「まぁちょっとした冗談だ。カークトンとダンケルドは抱き合わせでシュヘイムに押し付けようと思ってるからな。しかし……出来ればヒースという若者にどちらかの町を治めさせたかったのだが……」
「いくらなんでも貴族以外の人物に任せるのは問題かと──領主達からの反発は必至ですし。領地を持たない貴族なんて、私以外にも沢山おりますからね」
「うーむ。こういう時には、王の強権が羨ましく思えるな」
「以前は王になど絶対になりたくないと
「あぁそうだったな。しかしトレバー領主か──ちょっと惜しい気もするな」
ヒース達がトレバーの現況やウェーバー家の冤罪を必死に訴えていた頃、連邦の本部では既にザウロー家や
「とにかく東方諸国はな、この数百年間で最も不安定な局面を迎えているのだ。そしてこのタイミングで連邦が内包する数々の憂いが明確になったというのは、今後の情勢を考えると非常に大きい」
「そうですね。運もありますが、事態が深刻になる前に対処出来たかと」
「うむ。そしてそのきっかけとなったのがヒースという若者なのだ。この連邦とて、下手をすれば
「なるほど……わかりました。連邦監察隊にはすぐに出発の準備をするよう、通達を出しておきます」
「うむ。頼んだぞ」
そしてこの後、連邦監察隊を率いたミランダがトレバーを訪れる事になる。
監察隊がトレバーにもたらす情報は主に二つ。
一つはザウロー家の領地統治権および爵位の剥奪と、その後継領主について。
ザウロー家の処遇については既に決定事項だが、後継領主については現地に赴くミランダに一任される事になる。
そしてもう一つが、隣国フェンブルがメルドラン王国から侵攻を受けた事実だ。
だがこれはその時点での話であり、ミランダがトレバーに到着する頃には、事態は更に深刻な局面を迎えていた。
フェンブル大公国軍とメルドラン王国軍の間で大規模戦闘が起き、そしてその戦いに於いて大公国軍が大敗を喫してしまうのである。
フェンブル大公国と国境を接し、かつ友好関係を結んでいるトーラシア連邦。
フェンブルの大敗は即ち、トーラシア連邦への救援要請と同義であった。
数百年もの間、大きな戦乱の無かった東方の地。
メルドランの政変をきっかけにして、三つの大国と周辺諸国は更なる戦乱の渦に巻き込まれていくのだった。
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