覚悟

 借りている協会宿舎の一室。

 ロルフとの話を伝えた直後、彼女達はずっと押し黙ったままだった。


 ベァナは何も言わずに、思いつめた表情を続けている。

 セレナはその内容を冷静に吟味しているように見えた。

 ニーヴとプリムも何かを真剣に考えていたようだが、結果的に一番最初に口を開いたのはニーヴだった。


「あのすごく申し訳無いのですが、私達がそこまでする義理は無いかと……」


 ニーヴが普段見せる姿とは違い、かなり冷静だというのは分かっていた。

 高度な教育を受けながらも、奴隷という身まで経験してきたのだ。

 世間を冷めた目で見ていても当然だろう。

 むしろそんな状況に置かれながらも比較的真っ当な精神を持ち続けていた事は、正直驚嘆きょうたんに値する。


「私だってこの町の人々を助けたいという一心でお水を配って回っています。でもだからと言って、町を助ける為にヒース様が婿に入るなんておかしいです!」

「まあ、シアさんが了承しなければ成立しない話ではあるが」

「おそらくだが、それについては杞憂きゆうだと思うぞ」


 シアの対応に対して、私見を述べるセレナ。


朴念仁ぼくねんじんのヒース殿にはわからないと思うが、シア嬢が婿入りを拒むとは思えないな。ベァナ殿もそう思うだろう?」

「……はい。そう思います」


 初対面時の出来事もあり、シアとは公然と接触を持たずにいたはずだが──

 女性の勘というのは本当に鋭い。


「なのでヒース殿に問題が無いならば、ウェーバー家の婿になるのがお金も一切かからず、最も町の為にもなる最善の方法だとは思うが」

「私は反対です!」

「わたしもいやですー」


 娘二人が真っ先に反対する。


「セレナの意見は全くその通りだと思う。ただシアさんがいくら了承したとしても、俺にはこの地を治める自信なんて無いし、こんな形の婚姻も望んでいない」

「だが我々に相談しに来たという事は、ヒース殿は町を救いたいのであろう?」


 確かにセレナの言う通りだ。

 仲間を危険な目に遭わせたくないならば、最初から関わらなければ良いだけだ。


「そうだ。だから俺としては可能性が少しでもあるのなら、前領主マティウスの評判が回復する事に賭けたい。というよりむしろ町民からの評判は良いのだから、単に連邦政府が誤った報告を鵜呑みにしているだけだと思うのだ」

「だがそれが今まで連邦政府に届かなかった以上、今後も届く可能性は低い。おそらくザウロー家が情報を意図的に遮断しているのであろうな」


 そう。ネックなのはザウロー家だ。

 しかしそれを排除出来るだけの力は、俺達には無い。


 相手は魔物では無く人間だ。

 ゴブリン達のように、単純な戦略で撃退出来るような相手ではない。


「となると、セレナの意見は結局どっちなのだ?」

「そうだな──もし私が男だったのであれば、この世界の常識から考えてもシア殿の婿に入るだろうな。何しろ領主の地位を継承出来る機会など、そうそう無い」


 明らかに不満そうな娘二人。

 しかしセレナは二人の娘達に目くばせしながら話を続けた。


「さればトレバーを救った忠臣として、我々が領主の元で働く事も可能であろう?」


 ニーヴの目の色が明らかに変わる。


「ヒース様! 婿に入られる方が良い気がしてきました!」


 ニーヴさん……

 苦労したのはわかるけど、出来ればもう少しとし相応でいてください!



 そう言えば、ベァナの意見だけまだ聞けていない。

 他の三人の意見も大事だが、ベァナの気持ちを反故ほごにする事だけはしたくない。


「ベァナの気持ちを聞かせてくれないか」


 彼女が仲間や、仲間との旅を大事に思っているのは間違いない。

 また彼女は、誰よりも困った人々を放っておけない性格だ。

 きっと仲間の中で、最も葛藤かっとうを抱えているに違いない。


「私は……」


 俺の精神がこの世界のものでないという秘密を知るのは、彼女だけだ。


 そしてこの地に留まるという事は、この世界で腰を据えて生きていくという選択をする事に他ならない。

 それは、俺が旅を始めた理由とは相反するものだ。


 彼女だけが、それらの要因や俺の思いを全て知っている。


「わたしは……出来るなら、この町の人々を助けたいと思っています」


 きっとそう言うだろうとはわかっていた。


「ああ。俺もそう考えている」

「でも私自身にそんな力はありません。だからヒースさんがベストだと思う方法で、その手助けが出来れば、私はそれで良いと思います」


 ベァナらしい利他の精神。


 それは一見相手の事を考えているようで、相手の気持ちを無視したものでもある。

 なぜなら彼女が自分の気持ちを犠牲にしてまで俺を手助けしてくれても、手助けされた俺が嬉しいわけが無い。


 むしろそんな事実を知ったならば、俺は自分をずっと責め続けるだろう。


 しかし信心深く慈しみ深い彼女の性格が、すぐに変わる事は無い。

 そのうち自分自身の事も優先するようになって欲しいとは思うのだが……

 今はまだ難しいか。


「みんな意見ありがとう。では俺は、次の方針で行きたいと思う」


 今回相談したのは、みんなの気持ちを聞きたかったというのが一番の理由だ。

 もちろん俺の考えと食い違う場合には考えを改めようとは思っていた。

 だが実際聞いた内容からして、大きな相違はない。


 俺は全員に向け、最初から決めてあった方針を伝えた。


「ひとまず現状は井戸を掘るのを最優先にする。それをしない事にはトレバーの存続自体が危ないからな」

「それに関しては全員異論は無いだろう」

「そして機会を見て前領主マティウス・ウェーバーの名誉回復を積極的に行おうと思っている。いくつか考えはあるし、既に布石も打ってはいるのだが──もしかするとザウロー家とひと悶着あるかも知れない事だけは伝えておこう」

「なるほど、基本方針としては了承した。しかし前領主の名誉回復というのは一番難しいのだろう? もし失敗しそうだったらどうするのだ?」

「最も効果的な対策については正直、期限切れ直前でもどうにかなると思っている」

「シアの婿を後継者とする方法か?」

「ああそうだ。だがそれは条件さえ揃っていれば誰でも良いはずだ。ロルフさんに誰か宛てがないか聞く予定だし、最終期限まで二か月はある。その間に出来る方法はなんでもする。これが今俺が考えている方針だ」


 内容的には正直な所、玉虫色と言えるようなものだ。

 だが実際問題ひと月、いや一週間先の事など誰にもわからない。


 起こるかどうかわからない事について議論をするのは時間の無駄だ。


 全員を見回すと、ほぼ納得している様子だった。

 ベァナはどちらかと言うと、ほっとした表情をしていた。




「みんな、今後も引き続き宜しく頼む」





    ◆  ◇  ◇





 結局の所、何も決まってなどいなかった。

 俺がしたのは、仲間全員合意の上でおこなった『臨機応変な対応をしていく』という宣言だけである。


 もちろん、この状況を変えていく為の努力は続けて行くつもりだ。




 俺はその後ロルフとシアにいくつか頼みごとをした。

 ロルフは二つ返事で快諾してくれたが、シアについては少し難航した。


「それはわたくしとの婚姻をお父様に認めて戴くためのもの、という事ですね!?」

「いえそうではなくてですね、お父様が渇水対策の為に私を招聘しょうへいしたという事を、お父様にも共通認識として持っていただきたいのです」


 彼女はマナ補給という名目で、会うたびに俺の手を握ってくる。

 確かに彼女はニーヴよりも担当件数が多い。

 断る理由も見当たらないし、実際にかなりマナを消費しているようだ。

 俺のマナがごっそり持っていかれるのが分かる。


 それにしても──


 なぜ指を絡めてくるのか?

 もしかすると、こうする事でマナ供給効率が上がるのだろうか?


「でもそうなりますと──わたくしを狙ういやらしい殿方からの魔の手は、その後も続いてしまうわけですね──」


 どうやらシアは、この状況を利用してケビンからの干渉かんしょうを一切断ち切りたいと考えているようだ。


「シアさん。お気持ちはわかるのですが、まずはお父様の名誉回復が優先ではないかと。ザウロー家と対等の立場を取り戻せれば、シアさんのご結婚相手についても有利に事を進められるのではないかと愚考しますが──」

「確かにそうですわね。ヒース様との婚姻は、その後でゆっくり考えれば良い事ですし──」


(なぜ結婚相手が俺に確定しているのだ……)


 色々と問題となる部分は多いが、とにかく元領主が復権しさえすれば後はどうにでもなるだろう。

 彼女の父がどんな人物かはわからないが、どこの馬の骨ともわからない冒険者風情を自分の跡取りにえたりはしないはずだ。


「わかりました。私達の今後の為にも、一筆したためましょう!」


 彼女は握った俺の手を胸の位置まで持ち上げる。



 これではまるで、二人で何かを誓い合っているようではないか!



 ある意味苦労はしたが、なんとかシアからの協力を取り付ける事が出来た。

 彼女には書面に必要な文言といくつかの注意事項を伝え、父のマティアス宛に親書を送ってもらう事になった。





    ◇  ◆  ◇





 セレナにも再度相談を持ち掛ける。

 だが流石と言うべきか、彼女はそれを既に想定していたらしい。


「父に一筆書くのであろう?」

「話が早くて助かる」

「で、内容についてだが──」

「俺をアーネストの紹介で送られた技術者という事にして欲しい」

「なるほど、そういう事か。確かにうちの父であれば、オリーブ取引の実績があるからな。規模も大きいし、領主と交流があってもおかしくは無い」


 彼女の実家で扱っていたオリーブオイル漬けチーズ。

 ベァナが大好きだったあの瓶詰の原料も、実際トレバーから仕入れたものだ。

 つまり前領主が渇水対策をアーネストに相談し、手配されて来たのが俺という事にするわけだ。


「前領主が依頼した事業なのだから、前領主の功績に出来る」

「着工が大幅に遅れたのは……ヒース殿の事情という事にすれば良いのか」

「ああ。数百メートルの井戸を掘れる技術者なんて、この地域じゃどこを探したって見つからないはずだ。遠路はるばるやって来た事にしても矛盾は無い」


 実際この世界では、馬車での旅が数か月に渡る事も少なくない。


「それとシュヘイムさんにも一筆お願い出来ないだろうか?」

「それは──ザウロー家対策か」

「そうだ。もし俺達に危険が及んだ時、バックにヴィッケルト家がいると匂わすだけでもある程度の抑止力にはなる」

「まぁヒース殿のダンケルドでの働きを考えれば、シュヘイム殿も嫌とは言わぬだろうよ」

「そうだといいが、頼めるか?」


 出来れば知人の力をあまり借りたくは無かったのだが、今回ばかりは相手が悪い。

 権力に対しては権力か、またはそれをしのぐ圧倒的な力が必要になる。


「それが前にも話したと思うが……私は文字の読み書きが苦手でな。自分の名前くらいしかまともに書けぬ」

「ああすまん。そうだった」


 確かにセレナは馬車の借用契約を交わす際、そんな事を言っていた。

 この世界の識字率から考えると、ベァナやニーヴが優秀過ぎるのだ。


「本当にすまぬ。ベァナ殿に頼むか?」

「うーんそうだな……いや、これはニーヴに依頼しよう」

「ニーヴか。そう言えば彼女は貴族出身だったな」

「ああ。こういった文書を書くのはおそらくニーヴのほうが得意だし、あまりベァナに精神的負担をかけたくない」


 セレナがふっと笑みをこぼす。


「ヒース殿は、ベァナ殿には本当に優しいのだな」

「これでも仲間全員に優しくしているつもりなんだが……彼女は強いようでいて、実は弱い部分が多いとも感じている」

「うむ。彼女はおそらくヒース殿と同様、『斬り捨てる』事が出来ないのだ」

「『斬り捨てる』か──セレナには色々驚かされっぱなしだな」



 その通りだった。

 現代日本に育った俺は、人を『斬り捨てる』事が出来ない。



 セレナが言った『斬り捨てる』は、きっと違う意味だ。

 そもそもベァナは人を斬ったりはしないし、そうなって欲しくも無い。

 セレナは「他人を見捨てられない」という意味で、その言葉を使ったのだろう。


 だが俺にとってのその言葉は、まんまその通りの意味である。


 今回の相手は人間だ。

 しかも常識が通用しないような連中である。

 しかるべきタイミングで『斬り捨てる』必要があるだろう。


「俺もそろそろ覚悟を決める時だとは思っている」


 話の内容から、セレナも察したのだろう。

 きりりとしたセレナの表情が更に引き締まる。


「もし俺の知人達に危険が迫るようであれば──」


 躊躇ちゅうちょしたせいで、後悔する羽目にはなりたくない。




「容赦なく人を『斬り捨てる』と約束しよう」




 セレナはその言葉を聞き、軽く息を吐く。


「私もそれくらいの気概でいた方がいいと思っている。ザウロー家は本当に、の集団だ」

「了解した。ただ俺はこの辺りの常識にうとくてな。斬って良いものかの助言を求めたいのだが、構わないか?」

「私の判断で良ければ、いつでも構わぬ」


 セレナは更に続ける。


「ただ私の判断は、ベァナ殿よりも過激だぞ?」

「そのほうが俺も踏ん切りが付いて良いかもな」


 二人して軽く笑う。

 しかしそれは決して楽しさから来るものでは無い。



 世界の理不尽に対する、一種の悪足掻わるあがきのように思えた。



 この世界の命はもろく、そして軽い。

 意識して守らなければ、全てを失ってしまう。

 この先に何が起こるのかなどわからない。


 ただ唯一わかっているのは……




 俺達がこれからする事が、ザウロー家の不利益に繋がるという事だけだった。





    ◇  ◇  ◆





 支部長室では、ここでは少し珍しい組み合わせの相談が行われていた。


「お時間を頂き感謝する、ロルフ殿」

「いえいえ。アーネストさんの娘さんだったとは私もびっくり致しました」

「挨拶が遅れて申し訳無かった。色々とばたばたしていたものでな」


 ロルフに面会を申し込んだのはセレナである。

 その内容は……


「それで前領主に返納された土地を全て買い取るという話ですが……」


 セレナは土地の件について、ヒースと事前に話をしている。

 彼は資金があるのであれば、全ての土地を買っておくべきと判断していた。

 それはザウロー家対策という以外に、投資という目的もあるらしい。


 セレナにはその辺りの事情全ては理解出来なかったが、ヒースがそれを望んでいるという事実だけは理解していた。


「ああ。この件は既にヒース殿と相談済みだ」


 土地の管理や証明の発行は本来、町の役所管轄の仕事だ。

 しかし役所および冒険者ギルドは元々、魔法協会の管轄下にある。

 トレバーでは、その全ての業務が同じ敷地内で行われていた。


「父からはヒース殿の判断を全面的に信頼しなさいと言われていましてな」


 そう言ってセレナは一枚の証明書を差し出す。

 受け取ったロルフはその内容を丁寧に確認する。

 彼の表情は条文を読み進めるほど、次第に驚きの色に変わっていった。


「これはびっくりしました。アーネストさんは行商の全権をセレナ殿に?」

「正確には私とヒース殿だな。我々はであるが故」


 ロルフは再度確認をする。

 しかし証書は間違いなく、ダンケルドの役所で発行されたものだった。


「確かにおっしゃる通りですね……ちなみにこの内容を、ヒース殿はご存じなのですか?」

「口頭では伝えてある。だが私も彼も、実は文字を読むのが苦手でな」

「なるほど、そうでしたか──でも安心しました。実際にご結婚されるのはまだ先なわけですものね」

「えっ?」



(結婚!?)



「ろ、ロルフ殿……それは一体どういう──」

「条文の最後に『本契約は両名の婚約をもって締結される』と明記されておりますが……もしかしてセレナ様はそれをご存じなかったのですか?」


 予想外の出来事に動揺するセレナ。

 しかし彼女は自分の家業や現在の状況から、反射的にこう感じるのだった。



(ここで否定してはまずい)



「ああっその事かっ! 随分先の話だろうと聞いてはいたのだがなっ。今すぐの事だと勘違いしてしまった。これは失礼つかまつった。ははっ!」

「そういう事でしたか! いやー、もしセレナ様がヒース様と既にご成婚済みでしたら、シアさんの後継者候補として問題が出てしまうかもと思いましてね」


 ロルフはあの親切な青年が、友人の娘と結婚してくれれば全て丸く収まると期待しているのだ。


「そ、そのロルフ殿。すまぬが確認の為、その条文を全て読んで頂けぬだろうか」

「はい、もちろんです。確認にやり過ぎなんて事はありませんしね」



 条文は簡単にまとめるとこういう内容だった。



・ヒースとセレナの婚約を署名者全員が認める事

・ヒースとセレナに商会の行商を全委任する事

・馬車や旅の費用は、全てアーネスト商会が持つ事

・旅先での商談はヒースと相談の上、最終的にセレナが決定する事

・正式な婚姻の時期は、ヒースに一存する事

・婚約が破棄された時点で本契約は効力を失う事

・契約を破棄する場合、ヒースはかかった全費用をアーネストへ返還する事



 もちろんこれらの条文の最後にはアーネストとセレナのサイン及び、ヒースの署名オートグラフが記されている。



 そしてそれは、ヒースとセレナが、という事実を意味していた。



「ロルフ殿……いらぬ誤解を受けるやもしれぬゆえ、この事はどうか内密に……」

「それが賢明でしょうね。一切他言いたしません」


 二人の懸念は全く別の所にあったのだが、他言無用であるという認識にいてだけは完全に一致していた。


 セレナはアーネストから渡されていたもう一枚の証書をロルフに渡す。

 いわゆる『為替かわせ証書』だ。


 しかしセレナは先程からずっと考え事をしている。

 その動作はゆっくりとしていて、そしてあくまで事務的だ。


「これはすごい──限度額無制限の為替なんて久々に拝見いたしました。さすがアーネストさんですね! それじゃ土地取引の手続きを進めさせていただきます」



 ロルフの言葉は、セレナには一切届かない。

 彼女は言われるがままに、ただ返事を返していた。


 もちろん魔法協会の職員に不正を行う者など一人もいない。

 そういう意味では安心して任せられる相手である。




 しかしそもそも今のセレナに、不安を感じる余裕など一切なかった。




 彼女の頭の中では、今まで自分には一切関係無いと思っていた


『婚約』

『結婚』


 という二つの言葉だけが、永久機関のようにぐるぐると巡っていたのである。



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