扇状地と井戸
「井戸を掘ろうと思います」
町の査察の翌日、俺は会議室を借りて今後の話をした。
「あのヒースさん。何度もお話したとは思いますが、この周辺ではいくら掘れども井戸水が出ないのです」
「ロルフさん。これはおそらくなのですが井戸水が出ないのではなく、井戸水が出る深さまで掘れていない、のだと私は考えています」
多分この世界の一般的な人々なら、俺の話を一笑に付していただろう。
しかしここにいるのは俺の今までの行動を見て来た仲間と、魔法協会の職員だ。
協会の職員はとても親切で、根が真面目な人ばかりである。
世間一般では
「ええと、どういう事でしょう?」
「
「
ロルフのように社会経験のある人物でも知らない言葉らしい。
つまりそれは、この世界ではあまり地学が発展していない事を示している。
「たまたま私は土地の成り立ちについて調べた事があり、トレバーのような土地を他にも知っているのです」
「おお、そうだったのですか」
嘘では無いが、半分は話を信用してもらうためのハッタリだ。
こういう時、このグリアン人の見た目はとても好都合だった。
『異国の知識』であれば、誰も知らなくて当然だからだ。
そしてこれは
つまり彼らにとって『異国』の知識で相違ない。
「まずこの町の立地ですが、北にそびえ立つ山間部にあり、南の平野との丁度真ん中あたりに位置します。この認識は間違っていないですね?」
「ええ。この町は山と山の間を埋めるような場所に立地していると考えています」
「はい。ではこの土地がどう作られたのか? 簡単に言うと北の山の岩石が何千年、何万年という長い間に、運ばれ続けて出来たと考えられます」
地形というのは基本、隆起と侵食によって形作られる。
そしてそこに火山活動が加われば、ほぼ全ての事象が説明可能だ。
「気の遠くなる話ですが……水無川の河原の石が山から来た、というのはわかります」
「そしてその水無川の河原の石、というのが重要なポイントです。河原の石はどれもちょっとの水流では流れないくらい、粒が大きいものですよね?」
「ええ」
「ああいった粒の荒い岩石によって出来た斜面が、トレバー周辺の土地の基盤となっているのです。だから水はけが良い」
岩石の大きさは
言うなれば、泥も岩石の一つである。
ただ泥は余りにも小さいため、川の流れに乗ったまま最終的に海まで運ばれる。
しかし粒の大きい岩石は、こういった『扇状地』等で留まってしまうのだ。
「川が流れる場所は今もそうですが、斜面の一部でしかありません。するとそれ以外の場所では草木達が育っていきます。やがて草木は枯れ、自然の肥料──つまり腐葉土として堆積される。だからこそ、トレバーは水はけの良さと栄養分の高さが両立する土地になったわけです」
「なるほど。土地の成り立ちは理解しました。確かにこの地の強みはヒースさんの
「つまりですね、堆積した全ての土砂の、更に下まで掘れば良いのです」
「更に下までですか……腕の良い職人なら五十メートルくらい掘れるそうですが、その分人手も費用もかかります。因みに何メートル位掘るおつもりですか?」
井戸掘りの技術は、この世界ではあまり発達していないようだ。
せいぜい二十~三十メートル程度掘っても水が出なかった場合、諦めるらしい。
しかし扇状地の帯水層の深度は、そんな半端なものではない。
「そうですね……最低でも
「にさんびゃくメートルですと!? そんなに深い穴を掘ったなんて話、聞いたこともありません。不可能ですよ!」
「普通の掘り井戸では無理でしょう。深く掘り過ぎると、人が生き埋めになってしまいますからね。ですから、全く別の方法で井戸を掘ります」
「穴を掘るのに、別の方法というのがあるのですか?」
「要は人が掘り進めなくても、水が通るだけの穴さえ空いていれば良いのです。そしてそれは材料さえあれば、誰でも掘り進める事が可能です」
この世界に来てから、大学で学んだ知識はそれなりには役立っていた。
しかし今回ほど、拓殖学を学んでおいて良かったと思えた事は無い。
ハイテク重機などを一切必要とせず、数百メートルの掘削を可能にする技術。
『
上総掘りは江戸時代後期に現在の千葉県で考案された
大学の講義で初めてその存在を知った時、俺は
とにかくローテクのみで完結している技術なのだ。
その特長もあって、発展途上国の開発でも活躍しているらしい。
21世紀にあっても廃れず、今でも重宝されている技術だ。
これまでは大学で習った知識よりも個人的な知識のほうが役立っていた。
ただ上総掘りに関しては拓殖学を学んでおいて本当に良かったと思う。
いくら俺でも、趣味で井戸を掘るまでの事はしていない。
俺はその概要や必要となる道具について軽く説明をした。
「問題は鉄管とその先端部分、そして大量の竹の確保ですね。当てはありますか?」
「竹は町の西側に竹林があるので大丈夫でしょう。鉄製品については……鍛冶師が町を出てしまって今はいません。カークトンに行けば何でも揃うのですが、領主のお膝元なので……」
「出来れば避けたいですね。監視の目もありますし」
「ええ。なのでここからずっと南に行ったサーフニールという町で手配しようと思います。少し遠いですが、なんとか入手出来るはずです」
どうやらロルフも積極的だ。
シアもハンナも熱心に聞いている。
だがそれも当然だったのかも知れない。
もし井戸が掘れたのなら、トレバーがずっと抱えていた問題を根本的に解決する手段になり得るからだ。
だからこそ、ザウロー家に事の詳細を知られるのはまずい。
「とりあえず井戸を掘っている、という事は関係者以外にはお話しないでください。彼らは多分、町の人を脅してでも聞き出そうとするでしょうから」
「わかりました。でも結構大掛かりな作業でしょうし、隠し通せないのでは?」
「そこで少し考えたのですが、いっそのこと
「ここにですか!?」
「はい。領主のヘイデンからすれば、町のどこに井戸を掘ってもあくまで領主管轄の施設です。最悪、難癖を付けて接収する事も可能でしょう。しかし協会内は現状、治外法権のような扱いです。規則か何かで縛られていなければ……」
「何かの設備を追加するという事でしたら、それは大丈夫です。宿舎や炊事場なんかは、必要に応じて後から追加したものですし」
「そうですか。では十分な広さもありますし、炊事場の近くに掘りましょう!」
こうしてトレバーに
◆ ◇ ◇
「ニーヴさん。私の代わりにすみませんが、宜しくお願いします」
シアさんから直々に依頼を受ける。
「はい! 任せてください!」
町に滞在し始めて数日が経ち、住民への水供給は私とシアさんで交代で行く事になった。
私の仕事は、シアさんの負担を少しでも軽くする事。
トレバーには町をうろつく怪しい人たちがいるので、少しだけ不安はある。
でもそれはセレナさんやベァナさん、そしてプリムちゃんが一緒に回ってくれるので、とても心強かった。
ヒース様が一緒じゃないのが寂しいけれど、ヒース様でないと出来ない事が山のようにあるのだ。
こればかりは仕方が無い。
「しかしヒース殿は本当に色々な事を知っているよな。とても記憶に障害があるとは思えん程だ。ベァナ殿はヒ-ス殿の
「わ、私ですか? ヒースさんが言うには自分が今まで何をしてきたのかは良く覚えてないけれど、人とか場所とかに直接関わらない知識は覚えていると
「そうか。しかしそれは記憶喪失というより、この地を初めて訪れた、まるで旅行者のような状況だな」
「あー……そんな感じもしますよねぇ」
セレナさんの意見には私も同意だ。
私も奴隷になる以前は、それなりに色々な書物を読んできた。
でもヒース様の持つ知識は斬新過ぎて、ちょっと博識な程度の剣士が持てるようなものではない。
もはやこの世界の常識から外れた、全く別体系の学問のように思えるのだ。
もしかすると、本当に西方にあるグリアン島の出身なのかも知れない。
「あっ、メラニーさんです」
プリムちゃんの目線の先には、以前挨拶したメラニーさんがいた。
「こんにちは。今日もみなさんに水を配りに?」
「はい」
「こんな
ハンナさんに比べると、かなり優しそうな感じの人に見える。
彼女は協会職員のハンナさんのご友人で、町の清掃をしているお姉さんだ。
こんな大変な状況なのに、町が寂れていかないように頑張っている。
「ああそうだ。皆さんちょっと待っててくださいね」
そう言うと、少し離れた場所にある家に戻って行く。
どうやらメラニーさんの家らしい。
再び戻って来た彼女は、薄いカーキ色をした何かを抱えていた。
「これ、私の農園で取れた梨なのですが」
「くだものですー!!」
プリムちゃんの目が光る。
そう言えば果樹園の話をした後も、こんなキラキラした目をしてたっけ。
この状況でも栽培を続けていたという事なのだろうか?
ベァナさんも同じ疑問を持ったようだ。
「渇水でも果物が収穫出来るのですか?」
「溜め池の水こそ底を尽いていますが、雨が振らないわけでは無いので、果樹は枯れずに済んでいます。ただ世話をする人間が減ったのもあって、以前のような量と質は維持できないのですが」
「それじゃとても貴重なものですよね」
「形がいびつだったりしてて売り物にはならないのです。宜しければ貰ってください」
「そんな、宜しいのですか?」
「皆さんには多分、これからもお世話になると思います。これくらいのお礼はさせてください」
「そういう事でしたら……有難く頂戴いたします」
ヒースさんがいない時の対応は、基本的にベァナさんがしてくれている。
私も早くそういう事の出来る大人な女性を目指さなければ!
受け取った果実をベァナさんが皆に配る。
「あのう、もうたべてもいいですか」
「プリムちゃんたらもう……大丈夫よ」
「いただきますですー!」
多少痛みがあったとしても、梨はかなりの高級な果物だ。
私も今までの人生で、たった二度しか食べたことがない。
正直な所、私も今すぐ食べたかったのです。
プリムちゃん。
私の代わりに言いづらい事を言ってくれてありがとう。
プリムちゃんに続いて、私も一かじりする。
(!?)
ものすごく甘い。
私が以前食べた梨も甘かった記憶があるが、それを遥かに上回る。
これがこの土地の恵み。
降水量と水はけ、そして降り注ぐ陽光が成せる技という事なんだろう。
ヒース様がやロルフさんがしていた話を、今更ながらに実感した。
私が感慨に耽っていると、メラニーさんが私の目の前でしゃがみ込む。
「そうそう。ニーヴちゃんにはこれもあげるわ」
そう言って彼女は、自分がしていた髪飾りを外す。
その髪飾りはイルカをかたどった、銀色に光る可愛い髪飾りだった。
「そんな、悪いです!」
「私がやりたくても出来なかった事を、ニーヴちゃんは代わりにしてくれているの。だからこれはそのお礼」
彼女はそう言いながら、髪飾りを私の髪に留める。
「とても似合うわ! まるでイルカが水色の髪の中を泳いでいるようね!」
メラニーさんは自分について話し始めた。
「わたしも前はね、精霊魔法を使えるようになりたかったの。この町で生まれたので、町がずっと水で困っているのは知っていたからね。それで、それを知った友人が応援の意味でプレゼントしてくれたのがこれ」
「そ、そんな大事なものを……」
「ああ、でも気にしないで。あげるプレゼントにこんな事言うのはなんだけど──それ安物だから」
彼女は満面の笑みでそう語る。
「でも結局精霊魔法は使えなかった。だからせめてね、町を実際に救ってくれる人に付けて貰いたかったの。それがきっとその人の望みだし、私の望みでもある。もちろん気に入らないなら捨てちゃって構わないんだけど」
「そんな事しません! 可愛い髪飾りだと思います!」
「じゃあもう、それはニーヴちゃんのものね!」
そう言って彼女は、もう一つ持っていた梨を手渡してきた。
「あとこれはヒースさんの分。是非お渡ししてあげてー」
「はいっ!」
メラニーさんは手を振って離れて行ってしまった。
「ベァナ姉さま、こんな高価そうなもの貰って大丈夫でしょうか」
「うーん……まぁ折角メラニーさんがああ言ってるんだから、逆に断るのもね。ニーヴちゃんが迷惑だと思うなら別だけど」
「いえ全然! アクセサリーなんか
でもそれはプリムちゃんだって同じ。
彼女の場合は生まれてからずっと、私物を一切持てずに生活してきたのだ。
「プリムちゃん、私だけごめん」
「ううん。それはニーヴちゃんのほうしゅう。わたしはわたしが出すけっかで、ちゃんとほうしゅうをもらうの。だからへいき」
プリムちゃんは嘘は言わない。
だからこれは間違いなく本心だ。
「わたしはヒースさまからほうしゅうをもらうです」
「それは私も欲しいです!!」
ベァナさんとセレナさんが声を上げて笑う。
結局私達はそのまま、住民たちへの給水を続けた。
帰宅後、ヒース様は私の髪飾りに全く気付かなかったわけですが……
その話はまた、別の機会にでも。
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