由々しき事態
「この世界にも、
馬車の最後部に座りながらふと、そう呟く。
今は日本でいう所の十月あたりらしいが、旅の身だとその感覚が分からなくなる。
大地はその身の変化を
「ヒースさんの故郷にも紅葉はあったのですね」
「ああ。俺が生まれた国は四季がはっきりしている国でな。季節毎に違った景色を見せてくれる、とても美しい国だった」
「見てみたいですね。いつか」
ベァナにとって、それは本心だったのだろうか。
遠くを眺める彼女の姿からは、その真意はわからなかった。
セレナからの報告を聞き、暫くは訓練や食事の時間を短縮して移動に充てている。
領主の影響が強いカークトン周辺から、少しでも離れる為だ。
その甲斐あってか、結局追手と呼べるような敵は現れていない。
とは言え何度かゴブリンと遭遇する事はあって、ニーヴとプリムはそこで初の実戦経験を積むことになった。
ニーヴは初動で少しだけ焦りを見せたものの、臆したりせずに対応出来ている。
プリムに至っては堂に入ったもので、きっちり射程に入ってから
魔法の場合は詠唱があるため、タイミングを取るのが難しいという事もある。
こればかりは実際の戦いの中で掴んでいくしかないだろう。
とにかく俺達の戦力が着実に上がっているのだけは確かだ。
また追手については、かなり楽観視出来る程度になってきた。
というのもこの世界の都市同士は、糸のように細い街道でのみ繋がっている。
もし俺達の目的地がトレバーと知っていたならば、街道封鎖をすれば良い。
それが行われていないという事は、本気で捕まえるつもりが無いか、俺達の目的地を知らないかのどちらかに違いない。
目的地のトレバーはザウロー家の管轄だが、情報さえ届いていなければ問題無い。
ティネと合流するかその行く先さえ知れれば、後は長居しなければ良いのだ。
◆ ◇ ◇
そしてある日の夕食の後。
「暫く時間が取れなかったが、そろそろお菓子を作ろうかと思う」
「本当ですか!!」
「やったーー! です!!」
娘達はお菓子の話を忘れずにいながらも、ずっと我慢していたらしい。
普通これくらいの子供であれば、自らの欲望に忠実なのだが……
人の成長にとって、環境がいかに多大な影響を与えるかを実感した。
少しくらい
俺はセレナに買ってきてもらったもち米の粉を取り出し、食器に入れる。
「そう言えばヒース殿が用意してくれる食器は、どれも変わった形をしているな」
「ああこれか。これはアラーニ村を出る前に頼んで作ってもらった物だ」
ジェイコブに頼んだ幾つかのキャンプ用食器。
今回はその中からキャンプでは定番のシェラカップを使う。
ボウル代わりに使うには少し小さめではあるが、何種類か作ってもらった食器のうち、一番大きいものを使用した。
ベンと居た時には全く出番が無く、結局シーズニングくらいしかしていない。
ダンケルドを出てから使うようになったのだが、俺にとってはやはり長年使ってきた食器のほうが手に馴染む。
「まぁ今回は調理って言っても水を加えて
そう言って、水を少しだけ加える。
初めて作った時は俺もご多分に漏れず、水を入れ過ぎて失敗した。
「パン生地を作る時と似ていますね」
「まぁ穀物の粉って言ったら、大抵は水を加えてこねるのが基本だからな」
娘二人が興味深そうにのぞき込んでいる。
ニーヴは発言内容から言って、調理法自体にも興味がありそうだ。
プリムは間違いなく、あくまで食べ物として見ているのだろう。
なんというか二人とも素直で、素朴で。
見ていてほっとする。
「よし、こんなもんかな。この後これをちぎってこれくらいの大きさに丸めて、最後真ん中を潰して平らにするんだが……ちょっと量が多いので手伝ってくれないか」
「かしこまりましたー」
「しょうち、です!」
みんなで
日本人には馴染み深い『
多くはうるち米の粉を使うのだが、今回は俺の好みもあってもち粉を使う。
本当は白玉粉がベストだったが、製法からしてさすがに存在しないようだ。
多少食感に違いがあるだけなので、これはこれで十分だろう。
初めはプリムの好きなビスケットを作ろうかと考えていた。
しかし洋菓子には、必ずと言っていいほど卵や牛乳が使用されている。
そしてそれらは運搬には適さず、日持ちもしない。
その点和菓子に使われる材料は、そのほとんどが保存の利く食材である。
長旅のお供にはピッタリだ。
みんなが団子を丸める間に、俺はもう一つの大事な作業である「味付け」部分に取り掛かる。
これも色々と悩んだのだが、今回初の試みなので手間のかからないものにした。
一つは『きな粉』。言わずと知れた乾燥大豆の粉だ。
これはアーネストから譲ってもらったので、そのまま使えば良い。
砂糖を入れるだけなので、他に特に準備するものも無く、簡単だ。
そしてもう一品。
きな粉だけでは味気ないと思い、定番の『
だが
団子では定番なのだが、作る手間を考えて今回は見送る事にした。
因みに俺は断然、
餡の代わりに、と思いついたのが『カラメルソース』だった。
これならば砂糖を煮詰めるだけだし、俺も実際に何度か作った事がある。
注意としては、焦げないように混ぜ続ける点だけだろう。
手間や気は使うものの、時間はそれほどかからない。
「ヒースさーん。こっち、まるめ終わりました!」
「そうか。それじゃそれを鍋でさっと茹でて欲しい」
「わかりましたー」
ベァナが団子を茹で始めたあたりで、カラメルソースが出来上がった。
今はまだサラサラに見えるが、少し冷ませば丁度良いとろみ具合になる。
「あまーいにおいがするですー」
プリムがカラメルの香りに釣られたのか、くんくんしながら近づいてくる。
「まだものすごく熱いから、絶対に味見とかしちゃダメだからね!」
「はいです!」
人間にとって最も身近な液体は水だ。
沸騰していれば気泡が発生するし、湯気も出る。
これは液体が気体へと状態変化するからである。
だが当然の事ながら、カラメルは水とは違う。
調理の過程で200度前後まで達するが、最終的に気泡も湯気も出なくなる。
だからその温度を認識しづらく、火傷をする事も多い。
溶岩は冷えて黒くなってもまだ数百度の熱を持っている。
普段目にしないものは、見た目だけでその温度を知る事は出来ないのだ。
「よし、こんなもんでいいだろう」
全員にシェラカップを配り、それぞれが思い思いに団子をよそっていく。
二人の娘は自分の作ったものを覚えているらしく、目当てのだんごをカップに入れる度、嬉しそうにしていた。
小学校の頃の調理実習の風景が頭を
普通の授業より、数倍楽しかったっけ。
なんというか、仲間と一緒に同じ目標を目指すというのが新鮮だった気がする。
子供の頃に経験した楽しさを、娘達も体感してくれたような気がした。
形は違えども、そう思うとなんだか嬉しくなる。
「こっちがきな粉でこっちがカラメルソースだ。きな粉はパサパサしているので、団子をお湯から出してすぐ付けるとくっつきやすいぞ。逆にカラメルソースはお湯を切ってから付けた方がいい。それじゃ食べよっか。いただきます」
「いただきまーす!」
「いただきます」
普段何気なく使っていた食事時の挨拶を、今では全員するようになっていた。
娘二人は単にみんながやっているから、という理由だったとは思う。
ただ年長の二人に言葉の意味を説明した所、ベァナもセレナもそれぞれの観点で感銘を受けていた。
ベァナは『万物に宿る神への感謝』という解釈をし、セレナは『数々の命を奪って生きるという、人の業への
確かに両者ともそれほどずれてはいないのだが、性格や信条によってこうも解釈が変わるのだというのを改めて実感した。
「!?」
「これは……うまいな」
「おっ、おいしいです!」
団子は非常に好評だったようだ。
夕食を食べた後だというのに、あっという間に品切れになってしまった。
◇ ◆ ◇
夕食の片付けも終わり、日課の魔法研究を行っていた
セレナから予想外の依頼を受ける。
なんと団子とカラメルの作り方をもう一度教えて欲しいと言うのだ。
「いつもベァナ殿とヒース殿に任せるのも忍びないのでな。少しは役に立たねばと」
「てっきりセレナは料理などには興味が無い、と思っていたのだが」
彼女が持つ『和』の雰囲気から、絶対きな粉派だろうと勝手に想像していたが……
まさかカラメルソースを作りたいとは。
ステレオタイプの先入観なんていうのはつくづく役に立たないと思い知る。
「以前は真面目に料理の修業もしていた。実家が食品店だからな。だが、それが全て見合いの為だと知って、父に宣言したのだ。『そんな目的で修業するなんて真っ平ごめんだ』と」
「そうなのか。確かに女性が料理を作らなきゃならないとか、ちょっと古い価値観だよな。アーネストさんはそういうのにこだわらないかと思ってたんだが」
「父と言うよりも世の中の総意のようなもの
この世界が男性優位の社会である事は、今まで見聞きした事から実感している。
例えば婚姻。
この世界では男性が複数の妻を
もちろんそこには立場や経済的なものなど、様々な理由があるのだとは思うが、逆は認められていない。
「それに私は……恋愛や結婚に興味が無いのではなく、父に紹介された男共に興味が持てなかっただけだ。というより町の男共全員、興味が持てなかったのだが」
「はは。まぁセレナに釣り合う男なんて、そうそういないと思うぞ」
何しろ彼女は自分を厳しく律し、更なる高みを目指す人物だ。
そしてなおかつその見た目は凛として清々しく、美しい。
俺も含め、大抵の男なら近付くことすら恐れ多いと感じるだろう。
「まぁ少ない事は認める。しかし全く居ないでも無いとは思うのだが──」
珍しく照れた様子のセレナ。
今まで全く想像したことはなかったが、彼女にも尊敬出来る人間はいるのだろう。
特に彼女の師匠であるタヘイという人物には個人的に興味があった。
タヘイ──
まるで江戸時代の武士の名のようではないか。
「セレナが気になる男か……よっぽど立派な人物なのだろうな」
「とっ、とにかくだ。私も料理はするので、きちんと指導を頼む!」
「了解。こちらこそ宜しくだ」
彼女はそう言って、自分の剣を持ってどこかに行ってしまった。
素振りでもしに行くのだろうか。
結局その場には俺一人が残された。
途中馬車の奥から視線を感じたが、魔法書に気になる記述を見つけた後は、一切気にならなくなった。
◇ ◇ ◆
馬車の陰に隠れる、影が二つ。
「由々しき事態ですよ、これは……」
「ゆゆしき?」
「うん。ベァナさんに強力なライバルが出現なのです」
「セレナさんとベァナさん、たたかっちゃうのですか」
プリムは少し涙目になりながら、隣の友人を見る。
「戦うと言うか……女の闘いだよ!」
「みんななかよくしたいですっ!!」
ずっと奴隷だったプリムにとって『たたかい』と言えば暴力のイメージしかない。
彼女にとってはベァナもセレナも、大好きなお姉さん達だ。
その二人が『たたかう』
「プリムちゃん大丈夫。闘わずして二人とも勝つ方法があるの」
「ほんとう?」
「うん。そしてうまく行けば、私達も勝てます」
「わたしはみんなと戦いたくないよ?」
ニーヴは都会に住んでいただけあって、色恋話については結構豊富だ。
本人にそういった経験は一切無いが、本や友人
そういった意味ではベァナやセレナよりもずっと詳しい。
そして最も積極的な女の子でもあった。
なぜかと言うと……
彼女の将来の夢が『お嫁さんになる事』だからである。
「プリムちゃん。例えばだよ? 男の人と一生一緒に暮らすとしたら、誰と暮らしたい?」
「ヒースさま」
「当然だよね! わたしもそう。でも前に話をした事があると思うけど、一生一緒にいるためには、その人と結婚しないといけないんだ」
「じゃあわたし、ヒースさまとけっこんする」
「私だって今すぐそうしたいよ! でもねプリムちゃん。ベァナ姉さまがヒース様の事を大好きなのは見ていてわかるじゃない?」
「わかるー」
「でもベァナ姉さまがヒース様と結婚する前だと、私たち結婚出来ないよね?」
「うん。ベァナ姉さまが先」
現代日本では考えられない、恐ろしい話を二人はしていた。
ただプリムはその意味が良く分かっておらず、ニーヴにとってはあれこれ考え抜いた上の結論だった。
この世界は、一夫多妻でも全く問題ない世界だ。
それは容認されている、というレベルの認識ではない。
当人達の同意さえあれば、当然のように現実的に行われている事実だった。
もちろん人間だから独占欲や嫉妬は存在する。
しかしこの世界に
結婚相手を独占するような女性は、他の女性たちから一斉攻撃を食らうのだ。
だがヒースの周辺にいる女性に、他人を蹴落とそうと思う人間はいない。
色々と考えた結果──ニーヴが導き出した結論。
それが『全員結婚すれば良い』というものだった。
「でもベァナ姉さまはなかなかの奥手なようで、全然進展が見られないの」
「しんてんって?」
「えーとだから……キスとか?」
自分で言いながら顔を真っ赤にするニーヴ。
「とにかくっ! 順番は大事なの。確かにセレナさんのほうが年齢的にはお姉さんだけど、ベァナ姉さまはヒースさんを最初からずっと支えているんだし」
「じゃあ、セレナさんが二番目?」
「そうね」
「じゃあニーヴちゃんは?」
「三番目?」
「ずるいーっ! プリムも三番目がいいっ!」
結構真顔で抗議するプリム。
こんな表情をするプリムを、ヒースは未だ知らない。
「えっと、プリムちゃんと私はいつも一緒なので、二人とも三番目って事だよ?」
「そっか。それならよかった」
ニーヴは別にプリムを欺いて言っているわけではない。
本気で二人一緒に、ヒースに嫁入りするつもりでいた。
「というわけで私たちはまず、ベァナ姉さまがヒース様に嫁ぐ事を第一目標にします!」
「うけたまわった、です!」
ヒースの見えない場所で、また新たな事態が始まろうとしていた。
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