逃避行

 セレナが町から戻ったのは、出発した日の夜だった。

 しかも彼女は昼から何も食べていないらしい。


「明日の朝の分をと思って多めに作ってありますから、遠慮なく食べてくださいね」

「かたじけない」


 セレナは頼んだ通りの品物を買ってきてくれた。

 それほど急がなくても良いと伝えていたはずなのだが。


 どうしたのか聞こうとした所、セレナの方から報告があった。


「なるべく早めにここを出発した方が良いかも知れない」

「どういう事だ?」

「どうやらヒース殿を追っている集団が複数存在するようだ」

「複数だと?」

「ああ。私はそのうちの一人と剣を交えた」

「戦ったのか!?」

「そうだ。そして……全く手が出なかった。完敗だ」


 セレナの表情は今まで見たことの無いくらい、深刻な表情をしていた。

 だが、それも当然なのかもしれない。


 故郷のダンケルドでは、彼女に勝てる剣士などほぼ居なかった。

 その彼女が全く手が出せないような者が、追手として存在する。

 そんな相手が複数居たとなると……


「詳しい話は後で聞くとして、夜のうちに少し移動したほうが良いだろう。ベァナ、申し訳無いが娘達を馬車に」

「わかりました。プリムちゃん、ニーヴちゃん、馬車に行きますよ」


 二人の娘は昼間はしゃぎ過ぎたせいか、すっかりおやすみモードに突入していた。

 ニーヴはのっそりと、プリムは頭をこくんと揺らしながら、ベァナの誘導に従う。



(休憩すら満足にさせてやれず、本当にすまん)



 俺が最も心配していた事態が起こりつつある。


 俺とベァナでキャンプの片付けを始める。

 セレナは食事を簡単に済ました後、馬車を出す準備を始めた。


「追手と言っても──おそらくカークトンからある程度離れれば大丈夫だと思う」

「そうか。まぁセレナも馬も疲れているだろうし、無理はさせないさ」



 準備は比較的早目に終わったが、出発まで小一時間程待つことにした。




 馬車はウィスプによって照らされた暗闇を、ゆっくりと掻き分けて進み始める。






    ◆  ◇  ◇






 街灯などの無いこの世界では、真夜中に移動する事は極まれだ。

 そもそも町と町との距離があまりにも離れすぎている。

 一歩町の外に出れば、そこには獣や魔物が跋扈ばっこする世界が広がっているのだ。


 それでも人々が眠りについた後に、敢えてその道を進まねばならない人々もいる。


 財産を無くした者。

 束縛を受ける者。

 悪事が露見した者。

 ……その理由は様々だ。



 しかし共通して言えるのは『何かから逃げている』という事だろう。



 そして俺達一行も、その『何か』から逃げている。



「つまりセレナの考えでは、俺が想定していた追手とは全く別の、二方面からの追手がいると」

「ああ。一つ目は簡単で、ヘイデン・ザウロー男爵だな」


 俺は馭者ぎょしゃ席の隣に座り、セレナの報告を受けていた。


「ザウロー? 領主のか?」

「そうだ。町の商人から聞いた話だと、やはりダンケルドでの話が領主に伝わっているようだ」

「まぁそれは仕方が無いとしても……なぜ俺を?」

「ヘイデンの真意はわからない。しかし私が思うに、ヒース殿の才能というか、手腕に目を付けているのではないかと考えている」

「俺に領地運営に役立つ才能なんて無いと思うが?」


 セレナが少しため息を付く。

 俺が何か変な事でも言ったのだろうか?


「ヒース殿、自分が行った事を良く考えてみてくれ。ゴブリンからの防衛は軍事面、うちの実家の改革は農業及び商業面、カルロ農場の問題は治安維持という面でそれぞれ結果を残したのだ。こんなに多岐に渡る分野で、しかも短期間で結果を残せる人材などそうそうおらんぞ?」


 セレナがそのような視点で物事を見れる人だとは、全く思っていなかった。

 俺は自分の人物眼の無さを恥じた。


「それはセレナが俺を、そう評価してくれたという事だな。ありがとうな」

「おっ、おうともよ」


 彼女は感謝される事に慣れていないのだろうか?

 珍しく恥ずかしそうな表情を見せるセレナ。


「しかし、高評価をされているのに逃げなければならないとは──よっぽどなんだなそのヘイデンという領主は」

「ああ。本当に最悪なのだ。ヘイデンと息子のケビンは」




『清廉』という言葉がぴったり合う彼女に、全く似合わない負の陰りが見える。




 俺はつくづく、仲間の全てを知り得ていない事実を知った。

 少し話題を変えた方が良さそうだ。


「領主から追われているというのは理解した。セレナの助言通り、カークトンへは行かなくて正解だったな」

「ああ──」

「それで、もう一つの方面というのは、どんな感じか聞いてもいいか?」


 セレナの表情が一変し、元の様子に戻る。


「もう一方……ああ。会ったのは一人の女性剣士だった。彼女はヒース殿を追ってカークトンまでやって来た、と言っていた」

「俺を……追う?」

「うむ。だから私は最初、彼女が『魔神信奉者』の一味だと判断し、排除しようとしたのだが──」

「その結果、全く手が出なかったと」

「本当に情けない限りだ」

「いや。俺達の為に戦ってくれたのだろう? とにかく無事で良かった」

「かたじけない」


 セレナの表情に陰りは無いが、相当な悔しさを感じているのだろう。

 最も自信のある分野で敗れたのだから、それも当然だ。


 しかしもしその敵が魔神信奉者だったとしたら?

 セレナを無傷で逃がしたりするだろうか?


「セレナ、その剣士は本当に俺が言っていた追手だと思うか?」

「追手には違いなかったが、魔神信奉者のたぐいではないと思う。彼女の剣に邪悪な意識は全く見られなかった」

「そうか。それは不幸中の幸いだったな。もしそんな強さの魔神信奉者と対峙する事になっていたら──多分生きては帰れなかっただろう。無茶は止めてくれよ?」

此度こたびは心配を掛けて本当にすまなかった。以後気を付ける」


 そう言って会釈をするセレナ。


「そうそうセレナ。疲れたなら自分のタイミングで休んでくれ。馭者ぎょしゃは君しかいないんだ。休んでいる間の見張りなら俺に任せればいい」

「そうですよセレナさん。お昼も食べずに町からずっと走りっぱなしだったんですから、少しは体を休めないと」


 いつの間にか幌馬車の奥からベァナが顔を出していた。

 娘二人は奥でぐっすり眠っているようだ。


「ベァナ殿もお気遣い痛み入る。しかしやはり安全な場所まで進めておかねば……」

「うーん……そうだ! 今後はみんなで馬の御し方を覚えれば、セレナさんの負担も軽くなるじゃないですか!」

「確かにそうだな……なんで今まで思いつかなかったのだろう」

「ヒース殿は馬車に乗っている間、ずっと書物を読みふけっておられる故」


 セレナが少し含みを持った言い方をする。

 ただ先程までとは違って、その表情には笑みが漏れる。


「確かにそうですね。今後はヒースさんにも馭者役をやってもらいましょう!」

「貴重な研究の時間が取られるのは正直痛いが、それはみんなも同じだよな……わかった。人生何事も経験。やってやろうじゃないか」



 こんな夜中の逃避行にも関わらず、楽しい時間を過ごす。

 これも良い仲間達に恵まれたお陰だろう。




 俺は改めて、この大事な仲間達を守ろうと決意を固めるのだった。





    ◇  ◆  ◇





 セレナは迷っていた。


(カークトンから急いで離れる必要があったのは間違いない)


 セレナはザウロー家のやり口を良く知る人物の一人だ。

 以前、そのせいで一人の友人を失っている。


(ヒース殿の性格からすると、ザウローとは真っ向から対立するだろう。だが今の我々では到底太刀打ちなど出来ぬ)


 個人の力量という問題ではない。

 ヘイデンに人望など一切無いが、利権や恐怖に縛られた取り巻きが多く存在する。


 一個師団を率いていたシュヘイムですら、なかなか手を出せずにいるのだ。

 一介の冒険者にどうこう出来る相手ではない。



 情けないとは思う。

 だが今は雌伏しふくの時だ。



(それよりももう一人──クリスティンと言ったか。あの剣士は一体──)



 セレナを軽くあしらった謎の女性剣士。

 彼女は明らかに、ヒースの事を良く知る人物だった。



 セレナは、彼女との出会いをヒースに伝えるべきかどうかで迷っていた。

 というのも、クリスティンは去る間際にこう言っていたのだ。



『私と共にいるより、今はあなた方と一緒にいたほうがきっと安全』



 セレナは自ら剣を交えた相手として確信する。

 あの女性剣士が優れた腕を持つと同時に、誠実で実直な性格であると。

 彼女が魔神信奉者である可能性は、全く無いと断言できる。


 その上で女性剣士は、ヒースが自分と一緒にいるのは危険だと判断した。


 あれ程の剣の使い手がそう判断したのだ。

 もしかすると彼女自身もまた、魔神信奉者に追われる身だったのかも知れない。



 つまりヒースとの合流は、敵の目標が一か所に集約される事を意味する。



 彼女は黙々と馬車を走らせる。

 伝えるタイミングを外してしまったのと、仲間を余計な危険に遭わせたくないという気持ちが相俟あいまって、セレナは何も言えずにいた。


 しかしセレナは言えずにいるもう一つの理由に気付いていなかった。





── 仲間達との旅が、そこで終わってしまうかもしれない ──





 自分でも気付かぬそんな思いが、彼女を更に消極的にさせるのだった。



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