訊ね人

 宿を兼ねる酒場『黄金の雄羊亭』は、今日も多くの客で賑わっていた。


 ダンケルドの近くには遺跡などがないため、冒険者はあまりいない。

 居たとしても町に腰を据えて活動している、顔なじみの冒険者だけだ。


 それはこの『黄金の雄羊亭』も例外ではなかった。

 大きな酒場では無い上に、接客や味に定評のあるこの店は今日も地元の常連客で満席だ。

 だから冒険者の来店は珍しく、否が応いやがおうにも注目を浴びる。


 それが燃えるような赤い髪を持つ、うら若き女性であればなおさらだ。


「剣を持った男性と言われても……冒険者でも用心棒でも、大抵は剣をお使いになられますからね」

「それならば、宿泊客全員の名前を教えていただきたい。是非頼みます!」


 飲食をしていた他の客の目も、自然とそちらへと集まる。

 不審がるというよりも、単なる興味本位で眺める程度ではあったが。


 この旅籠はたごの店主は店が混雑していても接客をおろそかにしないので有名なのだが……

 目の前の女性剣士の無茶な要求にはさすがに困り果てていた。


 要は人探しらしい。

 かなり必死な様子なのだが、それでいて要領を得ない。


「失礼ですが、その方のお名前をお教え戴くことは出来ないのでしょうか?」

「それは出来ませぬ。それにその方の立場上、本人も名を偽って旅をされているに違いありません」


 身なりからして平民では無かろうし、横柄な態度を取っているわけでもない。

 それなりの対応をしなければ後で大変な目に遭う可能性もある。


「他に何か特徴を教えて頂ければ、少しはお役に立てると思うのですが」

「特徴であれば問題無いでしょう。剣術が得意で、多分ですがかなり高価な剣を帯同していたはずです。更に三種の精霊魔法に精通する程に優秀で、困った人々を放っておけない慈悲深いお方でもあります。ある時には年老いた領民の家の修理を自ら買って出るという事もありましてね……」


 店主は暫く彼女の長い話を黙って聞いていた。


 訊ね人のはなんとなく分かったが、彼女がその相手を心から慕っている事はしっかり理解出来た。


「あの申し訳無いのですが、身体的な特徴をお教えいただけないでしょうか」

「これは失礼。年の頃は20代中盤で、背の丈は私より拳一つ分くらいの高さです。黒髪に黒目なので傍目はためからはグリアン人だと思われるかもしれません」

「グリアン人のような見た目、ですか」

「はい。しかし真のグリアン人を知っている人からすれば、その顔立ちはこの周辺の東方諸国人のほうが近いという印象になるでしょう。ハーフというのでしょうか。そしてそれ故か、に異性にモテます」

「黒髪で黒目の剣士様と言えば、最近だとヒース様という方がお泊りになられておりましたね」



 女性剣士の目が見開かれた。



あるじ、今ヒース様と言いましたか!?」

「は、はい。多分ダンケルドの人間でヒース様の名を知らない町民はいらっしゃらないかと」

「あの方が自らの名を名乗るわけがないはずですが……済みません、なぜこの町の人間が皆、その剣士の名を知っているのか教えてください」


 宿屋のあるじは少し前にダンケルドで起こった数々の出来事を語った。


「魔物の侵攻から町を守り、魔神信仰者に乗っ取られた農園と奴隷を解放、そして新兵器と農業手法、名物商品の開発の全てをたった一か月で行った、ですと!?」

「はい。とは言っても有名になったのはここ最近になってからです。ヒース様はそういった実績を全く主張されない方だったようで、騒動が収まると同時にすぐ町を出ていかれました」

「そうですか。そんな話を聞くと、ますます同一人物に思えますが……」


 彼女は暫く考えに耽っていたが、素朴な疑問を口にした。


「それで、その黒髪の剣士様はいつ、そしてなぜこの町を出たのです?」

「宿を出られたのは確か一週間ほど前です。しかし町を出た理由までは……」

「そうですか。他に詳しい人間を知りませんか?」

「そうですね。一番親交があったのは農園主のアーネストさんですね。町の北側で食料品店を商っていますので、そこでお尋ねしてみてください」

「わかりました。色々と時間を取って申し訳ありません。今日はもう遅いので明日その店を尋ねようと思うのですが、今日この宿に空き部屋は?」

「二名様用の部屋しか空いていないのですが、それでも宜しいでしょうか?」

「結構です」

「畏まりました。それでは申し訳ございませんが、当宿は先払いになっておりますので……」


 剣士があるじに銀貨を渡す。


「ありがとうございます。しかし本当に奇遇ですね。ヒース様にゆかりのあるお客様が、こうして同じ部屋にお泊りになられるのですから」

「それは本当ですか!?」

「はい。あの日もその部屋しか空いていなかったのです」

「そうですか。私が若様と同じ部屋に……」


(若様?)


 宿屋の主には、彼女がそう言ったように聞こえた。

 そして彼の目には、少し緩んだ女性剣士の顔が映る。


 そんな視線も気にせず、彼女はふと心に思った事を呟いた。


「ヒース様もこんな遠い、見知らぬ土地で一人で過ごしていたなんて」


 宿のあるじは、気を利かせたつもりだったのだろう。

 そんな独り言に対し、律儀に返答をする。


「いえ、ヒース様は当初お二人でお泊りになられていました」

「二人? 従者か何かでしょうか?」

「従者という感じでは無かったですね。ご本人は否定しておりましたが、私はてっきりご夫婦かと」



 剣士の表情が不安とも恐れとも取れるものに変わっていく。



「夫婦……!?」

「はい。非常に若くてお綺麗な方でした。滞在が終わる間際には二名の女の子も合流しまして、結局一緒に町を出たようです。皆さんとても仲が良かったですね」

「若くて綺麗な女性に加え、二人の女の子……」




 彼女にとって、よほど衝撃的だったのだろうか。





 女性剣士はその場に崩れ落ちた。





    ◆  ◇  ◇





 翌朝。

 カウンターにはチェックアウトをする女性剣士の姿があった。


「本当にお加減は大丈夫ですか?」

「問題ありません。知人かもしれない人の予想外の行動に面喰らっただけです。そもそも知人かどうかも定かではありませんし」

「そうですね。先程もお話いたしましたが、ヒース様の事でしたらアーネストさんが一番詳しいと思います」

「アーネスト殿ですね。色々と教えてくれて感謝いたします。それでは」


 宿のあるじは彼女の後ろ姿を見送った。


 凛々しい顔立ちに堂々とした立ち居振る舞い。

 旅の剣士のようななりをしていたが、おそらくそれなりの立場にある人物だ。


 彼女の一挙一動は、一介の冒険者のものではない。


 間違いなく正規の訓練を受けた剣士。

 つまり何かしらの組織に属する軍人、しくは騎士ではないかと、主人は考えていた。


 彼女の訊ね人は話から察するに、彼女の上官か仕えている主君といった存在なのだろう。


 そしてその探し人の名もまた『ヒース』さんらしい。

 彼女は探し人である『ヒース』の事を尊敬……というよりも敬愛していたようだ。

 それは話の内容や彼女の態度からも明らかである。



 宿屋のあるじは以前泊まっていた黒髪の冒険者を思い出す。



 異邦人のような見た目の、人当たりの良い冒険者の若者。

 その彼はたったひと月で多くのものをこの町ダンケルドに残していった。


 困った人の為に惜しまず働くその姿は、確かに彼女の探す人物像と一致する。

 訊ね人がヒースさんだったとしても全くおかしくはない。



 ただ一点、女性剣士の言った言葉に違和感を感じていた。



「ヒースさんの事を若様って呼んでいたな。それに領民の家の修理とか言っていたが、それって探し人が領主って事か……?」


 ダンケルドの民にとって、領主と言えばザウロー男爵のイメージが強い。

 つまり領主と言えば民から搾取する事しか頭にない、嫌な存在なのだ。



「いやいや、領民を直接助ける領主なんて聞いた事無いし、何かの聞き違いだろう」



 宿の主人はそう結論付け、自分の仕事へと戻っていくのだった。


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