それぞれの別れ

「うちの農場からだと、こんなものしか差し上げられず申し訳ありません」

「とんでもないです、エリザさん。これだけの食材を個人で用意するのにいくらかかるか。それよりもこの馬車は……」


 ダンケルドの有名農場を引き継いだエリザ。

 その彼女が用意してくれたのは、彼女の農場で取れた数々の食材だ。

 隣にはブレットの姿があった。


 彼女の農場は目下もっか再建中にある。

 そんな中、俺達がダンケルドを発つと聞き、農場で用意出来る精一杯の餞別せんべつを送ってくれた。


 マーカスに依頼して馬車を製作していたのは知っていたが、驚いた事に完成した馬車には必要な物資が全て積み込まれていたのだ。


 カルロ農場の一件がひと段落し、二人の娘を奴隷から解放した俺は、馬車の工面や旅費の確保に奔走ほんそうしていたのだが……


 それら全てが、一瞬で解決してしまった。


 どうやらアーネストが関係者全員に根回しをしてくれていたらしい。


 しかし当の本人であろう、アーネストがいない。

 ここにいるのは馭者ぎょしゃを務めるアーネストの娘セレナと、自警団団長のシュヘイム、農場を経営するエリザとブレットだけだ。


 そう言えば馬車利用の署名オートグラフをした後、アーネストと会った覚えがない。

 以前ならちょっとした用事をダシにして、しつこいくらいに呼ばれていたのだが。

 収穫期を迎え、農場が忙しいのだろうか?


「これは武器製造の協力に対する自警団からの謝礼だ。貧乏な組織なので大した金は出せなかったが、贅沢しなければ数か月くらいは持つだろう」


 シュヘイムから麻製の巾着きんちゃく袋を手渡された。

 相当な重みがある。

 彼が言っている数か月というのは、かなり控えめなのかも知れない。


「よろしいのですか?」

「ヒースさん。ご自分でも理解されていたんだと思うが、ありゃ戦争の様相を一変させるくらいのとんでもない兵器だ。もっとお金を出す組織だって世界中にいくらでもあるだろう」

「そうですね。私も同じ認識です」

「ならばそういう事だ。だから本当ならこの額でも少ないくらいだと思うぞ」


 シュヘイムへの技術供与はどうやら間違いでは無かったと思う。

 彼であれば殺傷力の高い危険な武器を、正しく扱ってくれそうだ。


「そういう事でしたら有難く戴いておきます」

「本来ならヒースさんに散々世話になったアーネストの野郎が、ヒースさんの支援をしてしかるべきなんだろうけどな」


 シュヘイムはセレナが近くにいるにも関わらず、彼の本心を語った。


 セレナはアーネストの次女である。

 普通なら娘に聞かれて良い話ではないが、多分シュヘイムはアーネストが目の前にいたとしても、全く同じことを言い放っていただろう。

 それくらいシュヘイムとアーネストは、気の置けない友人という事だ。


 しかし当のセレナはニーヴ、プリムと話込んでいて全く気付いていない。

 もっとも、セレナ自身も細かい事を気にするような人物ではないとは思うが。


「馬車と馭者ぎょしゃ兼護衛を無償でお貸しいただけたのですから、それだけでも十分助かっていますよ」

「まぁ、あいつはヒース殿の事をめちゃめちゃ買っていたしな……そう言えば婿に貰いたいって話もしていたはずだが、それはどうなったんだろうな?」


 アーネストはシュヘイムにもその婚約話をしていたのか……

 さすがは気の置けない友人同士。


 しかし、ここでその話をすると長くなりそうだ。


 ふとメイン通りの奥を見ると、乗り慣れた馬車が近づいてくるのが見えた。


「その話は良く分からないですね……すみません、友人が出迎えに来てくれたようですので、挨拶に行ってきます」

「まぁまたダンケルド寄る事があったら、必ず詰め所に挨拶に来てくれよ。茶くらいは出すからな!」


 彼はそう言って片手を挙げ、自分の詰め所へと帰って行った。


「私たちも仕事に戻ります。うちの農場にも是非遊びに来てくださいね」

「はい。今後農場がどう変わっていくのか非常に楽しみですので。ブレットさんもどうか無茶されないように」

「その節は本当にお世話になりました。もし今度こちらにいらっしゃる時には是非稽古をつけてください。今後、魔物の襲撃が無いとも限りませんので!」

「ええ。俺で良ければ喜んで」


 こうして二人もまた、自分の仕事場へと戻るのだった。





    ◆  ◇  ◇





「まだまだご一緒させていただきたかったのですが……申し訳ありません」

「商人なのですからあきないの出来る町を目指すのは当然です。それよりこちらこそ今まで色々とお世話になりました」


 俺の知る、数少ない友人の一人。

 行商人のベン。


「わたしも元々はトレバーで一番搾りのオリーブ油を仕入れる予定だったのですが、とても商売の出来る状況ではないらしく」

「オリーブ油はこれからがシーズンですものね……そうだベンさん。トレバーってどういう町か教えて頂けませんでしょうか」


 彼は元々フェンブルの東方にあるアルシアという小国出身の商人らしい。

 行商人として各地を旅しているだけに各都市の事情に精通している。


「トレバーは元々ウェーバー家が治めていた領地だったのですが、つい最近そのウェーバー家が領主を辞されたそうで」

「領主を辞するって、相当な事態ですね」

「はい。大抵は後継者が居なかったり不祥事を起こして領地を返上する時くらいしか領主を辞める事など無いのです。渇水の影響が大きかったのでしょうね」

「なるほど。それでその後は誰が領地を治める事に?」

「ダンケルドを治めているザウロー家が暫定的な領主になっています」

「ここでもザウロー家か……」


 ザウロー男爵。

 シュヘイムからもその名は聞いている。

 あまり良い話を聞かない貴族だ。


「多くの町の要人の知り合いがいるヒースさんなら、既にお耳に入っているとは思いますが、ここの領主は今とても嫌われていまして」

「確か町への出資を一切しないと聞いていますが」

「ええ、そうなんです。先代までの領主も何もしないので有名だったのですが、その代わり何の規制も無く、税率も低かったので商売のしやすい領地でした」


 なるほど。

 だからアーネストのような新参商人でも一旗挙げられたという事か。


「ところが現領主のヘイデン・ザウロー男爵は領地への投資は以前同様全く行わないのに、税率だけは上げようとしています。その理由が渇水対策との事なのですが」

「要は治水工事って事ですよね。相当お金がかかる事業ですし、資金が必要なのは当然なのでは?」

「普通の領地でしたらみんな期待もするのでしょう。でも仕切っているのがザウロー家ですからね……前領主がしてくれていたささやかな支援策すら引継ぎ後すぐに中断、その後何の計画も発表されていないのです」

「何をやるかは決まって無いけど、金はよこせと」

「はい。だから誰も信用していないのです。あと収税担当をしている領主の長男、ケビンにも問題があるようでして」

「私腹を肥やしているとか?」

「まぁそんな所です。ただ我々商人も物の流通で稼いでいるので、多少の中抜きは必要経費として我慢していたのですが……トレバーはもっと酷い状況らしく」

「酷いというのは?」

「税が収められない場合、家や土地、場合によっては人身を差し出させているという噂も聞いております。人が逃げ出すのも無理はありません」

「それは……どうにも聞き捨てならないですね」


 トレバーに向かった魔導士のティネや渇水の状況も気になるが、個人的には町の人々のほうが心配だ。


 トレバーに向かう理由が、これでまた一つ増えた。


「ベンさん色々な情報ありがとうございました。私からは何も返せませんが」

「何をおっしゃっているのですか、ヒースさんにはこんな噂話など比べ物にならないくらい大きなものを頂いていますよ」

「わたしから?」

「ええ。お金じゃなかなか買えない、とても貴重なものです」


 俺が与えたものとは?


「それは革新的な商品と人脈です」

「革新的な商品と……人脈」

「はい。両方とも手に入れようと思ってもなかなか手に入らないものです。革新的な商品というのはそうですね、沢山あるのですが……農作業の効率化を図る数々の農具や菜種油から作られた石鹸、そして雑木で作られた紙。これらの商品は非常に画期的で実用的なものばかりです」

「確かに役に立ちそうなものばかり厳選しましたので」

「世の中探せば多分、そういった品は世界各地に点在しているのでしょう。そして行商人はそういった素晴らしい商品を一生をかけて探し出すのが目的のようなものです。ですが多くの商人は一つも出会えず、その一生を終えます」


 行商について詳しくわかるわけではない。

 しかし彼のように長くその職に就いた者であれば、人それぞれの心の内に何か哲学のようなものが生まれてくるのはわかる気がする。


「私も長い間行商を続けて来ましたが、こんなに驚きに満ちた商いをしたのは初めてです。そして今後、このような機会にめぐり合う事は二度と無いでしょう」

「それは少しオーバー過ぎでは」

「決してオーバーとは思えませんが……そうですね。二度と無いわけではないかも知れません。というのも、もう一つの貴重なものを手に入れましたから」

「人脈、ですか」

「はい。私は今まで何度かこの町を訪れていますが、今回は本当に多くの方々と関わる事が出来ました。アーネストさんご一家やエリザさんという大農場主、自警団団長のシュヘイム男爵、そしてラウル・ヘイル様のご子息メアラさん」


 そう言えばメアラの父親も行商を行っていると言っていた。

 エルフで行商を行うのは珍しいようなので、きっと有名人なのだろう。


 メアラは何かの用事で忙しいらしく、工房にこもりきりのようだった。

 別れの挨拶は既にしているのだが、ここ最近は会っていない。

 元気にしているだろうか。


「確かに……言われてみれば幅広いですね」

「はい。そしてその皆さんと私を繋げてくれたのがヒースさんなのです。私にとって一番貴重で大事な人脈です」

「私は何の地位も名誉も持っていませんよ?」

「だからこそです。ヒースさん自身のご事情はあらかじめ存じておりましたので、ダンケルド到着初日にアーネストさんとお知り合いになられたと聞いて本当にびっくりしました」


 俺は元々異世界から来た人間だ。

 当然、この世界の常識を全く知らない。

 辻褄つじつまを合わせる為に「記憶喪失」という事にしているが、その説明ですら信用出来る人にしか伝えていない。

 もちろんその一人が、目の前のベンだ。


「あれは本当にたまたまです」

「私も初めは単なる偶然かと思っていました。でもヒースさんとお話ししていて感じたのです。多分ヒースさんの知識や考え方に、人をきつける何かがあるのかと」


 知識や考え方については、間違いなくこの世界には無いものだ。

 そういう意味では確かに、興味を持つ人は多いのかもしれない。


「そうなんでしょうか」

「ええ。ヒースさんは物事を根本的に変えたいという強い思いと、それを実現する為の奇抜な知恵をお持ちです。世の中にはその片方を持つ者は沢山います。特に前者は腐るほどいますが、後者……実際にやり遂げられる能力を持つ人はそういません」

「現状を打破したいという思いは誰にでもありますからね」

「はい。ヒースさん、私は常々考えていたのです。この世の歴史に名を連ねる偉人達というのは、実際どんな人達だったんだろうと。歴史上の人物なので、実際に会う事も話す事も出来ない。でももし実際に話が出来たとしたら……」


 ベンは普段見せないような、夢見るような表情で空を見上げていた。

 少年だった頃の彼の姿が、思い浮かぶ気がする。


「自分は今、そんな人物と話をしているのかも知れないと」

「アーネストさんやシュヘイムさんなら、何かやり遂げるかもしれませんね」

「あの方々もなかなかの大人物ですが、私はもっと途方もない事を成し遂げてしまいそうな人物を知っているんです」

「それは……実はベンさんご自身ですか!」

「ははっ。私にはそんな器はありませんよ! でも、もしその大人物の友人という事で歴史に名を刻めたらこの上無いでしょうね」


 単なる言葉遊びのつもりだったが、ベンはとても嬉しそうだ。


「それでは私はそろそろ発ちます。またお会い出来る日が来ることを」

「はい。道中お気をつけて」




 こうしてベンもまた、彼の故郷へと旅立った。




 短い間ではあったが、彼は俺にとって数少ない信用できる友人だ。

 さすがに一抹いちまつの寂しさを感じずにはいられなかった。



 だが俺もベンも長い旅を続ける身。

 その旅路が、いつかどこかで再び交差する事があるかも知れない。


 そしてもし、そんな偶然が訪れるのだとしたら……





(こんな別れも悪くは無いか)





 そんな事を思いつつ……


 俺は仲間達の元へと戻るのだった。



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