署名と契約

「貴族どもからすると即決の条件なのだが……何が気にくわないんだ?」


 俺はベァナ、ニーヴ、プリムからの同行の申し出を振り切り、アーネスト宅を訪れていた。


 今回の話は……彼女達に聞かせるわけにはいかない。


「こちらからのお願いなのに本当に申し訳無いのですが……私は今旅の途中で、ダンケルドに長い間留まるわけにもいかず……」

「ああ、だからそれについてはアーネスト商会の行商担当という事でどんどん他の町に出向いてもらって構わないし、商会の名にさえ傷がつかなければ何処に行っても何をしても俺は一切気にしない! ヒースさんにはそれくらい世話になったんだからな!」


 豪快に笑うアーネスト。


「もちろんそれはとても有難いのですが……しかしその話だと……娘さんも一緒に連れて行く必要がありますよね?」

「そうだな……シンシアもベリンダもいざと言う時の為に馭者ぎょしゃとしての訓練はしているので、連れて行くと重宝するとは思うぞ」

「そうなのですか」

「ああ、でも場合によってはダンケルここドに置いていっても構わない。二人とも町の男とは絶対に付き合いたく無いと言っているし、実際先祖から受け継いだ地位や名誉だけが取り柄の、ろくでなしのボンボンばかりだ。娘達が不貞を働く事は絶対にあり得ないだろう。だから連れていっても置いていっても大丈夫だ」

「私が旅の途中にその……浮気するかもしれませんよ?」

「もしかしてベァナさんの事か? というか彼女はヒースさんの奥さんだと思っていたのだが、違うのか!?」

「違います! 私の恩人で、大事な友人です」

「そうだったのか……まぁでもうちとしては一番目とか二番目とかどうでもいいので、ベァナさんも奥さんにしてしまえば良いだけの話だな!」

「してしまえ……ですと!?」

「まぁとにかく俺としてはどちらか、出来れば両方とも貰ってくれると嬉しいんだ。こんな話、町の有力者にも一切した事無いからな!!」



 俺は今、アーネストの娘との婚約を迫られていた。



 長女のシンシアか三女のベリンダのどちらか。

 出来る事なら、その両方と婚約をして欲しいという申し出を受けていた。


 なぜそんな事になったのかと言うと……





 金欠。

 金が全く無い。





 アラーニで譲ってもらった魔物の牙はカルロの使用人達に。

 元々持っていた巾着きんちゃく袋の金貨はニーヴとプリムに。


 それぞれの解放で、ほぼ全部使い切ってしまった。



 自分で持っている所持金はもう数日分の宿泊費だけだ。

 しかも仲間が二人増えた事もあり、馬車を借りて旅を続ける余裕はない。



 そこでどうにか馬車を調達出来ないか、アーネストへ相談しに来たのだが……



「俺は一代で財を成したせいもあって、どうも地位や名誉で人を判断しない習慣が付いたようでな。能力だったり人物重視というのかな、妻も同じ考えの持ち主なんだ。それで性格は全然違う娘達も、結婚相手に関しては全員似たような価値観を持つようになってしまって」

「とても素晴らしい事だと思います」

「そう思ってくれる貴族も中にはいるんだが……かなり少なくてなぁ。気にくわない家との縁談話は俺の一存で全部断っていたら、ついには縁談話自体が来なくなってしまったんだ! それで娘達に散々怒られてなぁ……」


 以前、彼の娘達が父親に噛み付いていたのはこの件についてだろう。


「ただ貴族や豪商の息子と結婚するとなると、資産の権利関連の問題で確実に揉める。娘の子、つまり俺の孫たちはうちの人間では無くなるんだ。そうなると俺の農園は誰が継ぐというんだ?」

婿むこを取る、というのは出来ないのですか?」

「三男坊以降だったら可能だろうな。実際にそのコネを使って商売に利用する商人もいる。しかし俺にとってはロクでも無い貴族と繋がりが出来るのはごめんだし、商売利用の為だけに娘を結婚させたくはない」


 中世の世界だと姻戚関係を利用して自分の家の繁栄を図るというのは、一種の定石じょうせきなのだが……

 この点でもアーネストはある意味型破りだ。


「俺は農園を任せられる程度の能力を持っていて、価値観を共有出来る若者に後を継いでもらいたいって思っている。農園が潰れて孫たちに苦労させたくは無いし、かと言ってひたすら利益を貪るような守銭奴にもなって欲しく無い」

「確かにそれはアーネストさんの求めるものではないですね」

「ああ。金というのはあくまで道具だ。道具は沢山あったほうがいいが、使わなければ意味が無い。そしてその用途は出来るだけ有意義であって欲しい」


 彼は俺に目を向ける。


「そんな都合のいい人物なんてどこにもいないだろうって諦めていたら、これ以上ない程ピッタリの婿候補が忽然こつぜんと俺の前に現れたわけだ!」

「それが……私と言うわけですか」

「ああ。本当にヒースさんしかいないと思っているし、逆に他の人物を婿に迎えたら激しく後悔すると思うのだ。何しろ娘達が二人ともヒース殿を好いていてな……頼む! どうにかならないだろうか!?」




 お願いをしに来たはずなのに、いつの間にかお願いされる側になっていた。




「記憶に問題があるという事なので念のためお伝えしておくが、この世界じゃ妻を多く持つのは倫理りんり的に全く問題無いことだ。これは戦争や魔物との戦いで命を落とす男性が多い為で、協会が伝える神の教えにも明言されている。制度はまちまちだが、実際に各国の王族や貴族たちは複数の妻を持つのが普通だな」

「しかしそれはそういった高貴な身分だからでは?」

「身分と言うよりは、経済力と後継者問題が主な要因だろうな。例えば爵位が一代限りの騎士ナイト爵の家は、妻を複数持たない事が多い。逆に大手商会のおさなんかは貴族で無くても複数の妻を持つのが普通だ。まぁ後継者争いなんかも起こって面倒なので、俺の妻は一人だけだが!」


 一夫多妻制と言うのは地球の歴史では珍しくない。

 アーネストの話からすると、イスラム世界の婚姻制度に近いようだ。


 となると複数の妻はそれぞれ平等であり、扶養する義務がある。


「仮に私が複数の妻をめとったとして……私にそれだけの財力はありません」

「だからこそ婿に欲しいのだよ。そうすればヒースさんはうちの人間になる。行商をしながらたまにダンケルここドに戻って、先日のように農場への意見をくれるだけでいいんだ。あと、出来れば跡取りは沢山欲しいのだが……」


 元の世界の常識の抜けない俺にとっては正直、色々と面喰らう事ばかりだ。


 しかし俺が元の世界に戻れるとは限らない。

 その場合、俺はどうやって生きて行けば良いのだろう。


「うちは今行商は行っていないので馬車は無いが、マーカスとその知り合いに頼めばすぐに作ってくれるだろう。もちろん旅の費用は農場の経費として全て出す!」


 アーネストの農場はもう何度も足を運んでいて、彼の家族も従業員達も顔見知りになっている。

 この世界の職場としては多分、最もホワイトな企業の部類に入るだろう。

 それに他の町を自由に行き来して良いという、これ以上無い破格の条件。



 しかし……



「アーネストさん。少し考えさせてくれませんか」

「ああ勿論もちろんだ。ヒースさんがどういう決断をしても、俺のヒースさんに対する評価は変わらない。納得の行く答えを聞かせてくれ!」



 こんな大事な問題、すぐに答えなんて出やしない。

 しかし答えを出さなければジリ貧だ。

 色々な土地を見てみたいという娘達の希望も叶えてあげたい……


 そんな事を考えながらアーネストの店を出ようとすると……



「おお、剣士殿ではないか」


 店の前で、姿勢良く立つ女性剣士。


「セレナさん、でしたね。こんな所で会うとは奇遇です」


 彼女はホブゴブリンと一騎打ちをした女性剣士だ。

 ニーヴとプリムの顔見知りでもある。

 アーネストの店に食材でも買いに来たのだろうか?


「奇遇とは? それはむしわたくしのセリフですな、ヒース殿。」

「と、申しますと?」

「ここはわたくしの住まいであるが故に」


 住まい?

 アーネストの家に住んでいる?


「えっと、という事は?」



「改めましてヒース殿。自分はアーネストが次女、セレナだ」





 世の中は良く狭いものだとは言ったものだが……


 まさかこんなに狭いとは。





    ◆  ◇  ◇





「一番最初に会った時、どこかで見たような気がしていたが……言われてみれば母上に良く似ている」

「そうであろうか? 普段から男っぽいとしか言われぬので、自身ではわからぬが」


 アーネストの件で相談があったため店を離れ、町の中心にある広場に来ていた。

 セレナはかしこまったやり取りが苦手なようで、対等に話す事にした。


 彼女もアーネストの娘であるはずだが、婚約の話ではその名前が出てこなかった。

 確かに男性のような身なりをしているが、決して男に見えるわけではない。

 むしろその凛々りりしさは、女性としての魅力を際立たせている。


 父のアーネストが縁談の話にセレナの名前を出さなかったのはアーネストの独断か、または彼女自身がそれを望んでいないからなのだろう。


 そうだとすると家の者ではあるとはいえ、直接的な利害関係は薄い。

 内情を知っているだけに、相談相手としては最も適任だ。


「家族からすごい男性が農場改革に来ているという話は聞いてはいたが……まさかヒース殿だったとはな。私はてっきりもやしのような見た目の学者さんでも来ているかと思い、全く興味が無かったのだが……」

「俺も何度も訪れていた農場の次女が、まさか女性剣士だとは思いもしなかったが」

「確かに私は姉のようにおしとやかでも、妹のような愛嬌さも持ち合わせていないからな!」


 そう言いながらも、本人はその事について全く気にしていないようだ。


「それで。父から姉と妹の両方を貰ってくれと頼まれたと?」

「そうなんだ。別に断るのは簡単なのだが、彼も彼なりに色々考えた結果らしく……」

「ヒース殿はシンシアやベリンダの事はどう思うのだ?」

「そうだな……それ程沢山話をしたわけでは無いが、親御さんがしっかりしているせいか二人とも性格もいいし、それぞれ個性があって良いと思うな」

「そうか……それならば我ら三姉妹は、結婚相手としてはどうだ?」


 俺の顔をうかがうセレナの表情はかなり真剣だ。

 下手は答えは出来なさそうだ。


「なかなか難しいのだが……俺には知りたい事があって、旅を続けたいと思っている。アーネストさんは娘を町に置いて行っても良いとは言うが、いくらなんでも結婚相手をそのまま町に置いて旅に出るのはちょっと違うと思うんだ」


 彼女は黙って話を聞いている。


「それに例のカルロ農場の件をある程度知っていて、剣の腕も立つ君だから話をするのだが……多分俺は何かに追われている」

「何かというのは?」

「カルロ農場で悪さをしていた魔術師が、俺の事を知っていたのだ。しかもどうやらそれは俺が記憶を無くす前の話らしい。多分魔神信奉者関係だろう」


 マラスの仲間が儀式を行っていた事からも、それはまず間違い無い。


「シンシアもベリンダも素敵なお嬢さんだし、多分良い奥さんになるとは思う。しかし彼女達はあくまで商人の娘だ。そういう意味では同じ商人の娘でもセレナは違う。君は君自身もそうだし、他の誰かをも守る事が出来る。多分俺は今後そういう危険な状況に置かれ続けるので、自らの身を守れない伴侶を旅の道連れにするわけには行かない」

「要するにヒース殿は、危険な旅に戦えない者を連れて行けない。だから結婚は出来ないと」

「まぁそういう事だ。ただそれだと馬車や資金の提供が無くなるので、今後俺はこの町で冒険者稼業をして暮らしていかなければならない。しかしそれではアーネストの娘さん達と結婚し、この町に住むのと実質何ら変わりがないのだ。だから悩んでいる」


 セレナは話の内容を反芻はんすうしていたが、じきにある提案をした。


「わかった。私が父を説得してシンシアとベリンダとの婚約話を白紙にし、かつヒース殿が旅を続けられるように取り計らおう」

「そんな事が出来るのか!?」

「考え方を変えれば良いのだ。ヒース殿が旅をするのではなく、私がアーネスト商会の行商人として旅をする」

「!?」


 そうか!

 彼女は次女とは言え、れっきとしたアーネストの娘だ。

 アーネストの代理という事で行商を行い……


「君の行商に俺が護衛兼、アドバイザーとして乗り込めば良いと!?」

「そうだ。私は多分、馭者ぎょしゃとしては姉妹の中で最も優秀だ。実は今まで何度も行商を願い出たのだが、父から『お前には無理だ』と言われ、許可が出なかったのだ。しかしヒース殿が一緒であれば父もうなずくはず……」


 剣の道一本だった彼女に、商才は無いと判断されたのだろうか。



「こうしてはおれん! 直ぐに許可を取って来るから、ヒース殿は店の中で待っていてくれ」




 そう言って彼女は来た道を小走りに自宅へ戻って行く。

 俺はその後をゆっくりと追い、アーネストの店に向かった。





    ◇  ◆  ◇





 飲食スペースで茶を飲んでいると、奥からセレナが戻ってきた。

 二枚の羊皮紙を手にしている。

 役所で発行する公式書類らしい。


「ヒース殿! 許可が下りたぞ! この証書のこの部分にサインか署名オートグラフをして欲しい」


 書類を見ると標準語で書かれた文章が並んでいる。

 俺にはまだ理解出来ないレベルの文章だ。

 そして書類の一番下には誰かのサインと思われるものが既に記入されていた。

 多分アーネストのものだろう。


「署名と言われても……これにはどんな内容が書かれているんだ?」


 いくら信用しているアーネストの娘だとしても、書かれている内容を確認せずに署名オートグラフをするわけにはいかない。


「父は私の商売センスに疑いを持っているようで、ヒース殿に私の補佐をして欲しいと言っていた。なのでここにはヒース殿と私がお互いに助け合うという事と、それに対する報酬について書かれているそうだ」

「書かれている《そうだ》、というのは?」

「実はな……私もあまり読み書きが得意ではないのだ」


 彼女は珍しく苦笑いをする。

 本当に剣術ばかりの生活を送ってきたのだろう。


「しかしヒース殿が何かを支払うという事は無いし、シンシアとベリンダとの婚姻の件も一切書かれていない。それは父が明言していたので大丈夫だ! これがあれば私は武者修行……いや行商に出ていける!」


 つい本音が出ていたが、その点からも真実を言っているのは間違いないだろう。

 そしてアーネストも嘘を付くような人間では無い。


「わかった。自分の名前を書くのは自信が無いので署名オートグラフでいいよな?」


 署名オートグラフは紙を秘薬として認識し、そこに何かを書くイメージで発動する魔法だ。

 俺は用紙の下の空白にてのひらを向けイメージする。


 二枚の書類への署名オートグラフはあっさり完了した。



「こっ、これで私の夢が一つ叶う……礼を言うぞヒース殿っ!」



 セレナは書類を持って、急いで奥へと戻って行った。




 店の奥に消えた彼女の背中を見つめながら、今後始まるであろう旅路について思いを馳せる。




 そしてその旅路を思い描きながら、改めて旅費が無い事を思い知るのだった。



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