第6話「命」

 口をぽかんと開けたまま放心しているマナの頬を詰まんでむにむに弄っていると、少しして我に返ったようだ。


「なんをしていむのでむか?」


 頬っぺたの心地よさに手を放してしまうのは心苦しいが、あまりやり過ぎるとまた長時間の説教が来そうなのでこの辺にしておこう。


「ごめんごめん、余りに反応がないものだから」


 我を取り戻したマナは大事なことを思い出したのか「はっ!」と声を漏らしてシルバーグリズリーが吹き飛んだ先を注意深く観察する。


 ここまで動きがないと言うことは、つまりそういうことなんだろう。


「それでご主人様、そろそろ説明していただけますか?」

「いや、説明と言われても……まぁ、強いて言うならちょっと頑丈にされ過ぎたみたいだな」


 ハハハっと笑う俺に対してマナは「真面目な話をしているんです」と言うように目を細める。


 これはあれだ、茶化して済む問題じゃないらしい。


「みたいだなって……それでは何の説明にもなっていません」

「……うーん、説明と言われても難しいんだけど、俺は生まれ変わる前に女神セレン様に少し頑丈な身体にしてくれって頼んだろ? 多分それが原因」


 納得したようなしてないような複雑そうな表情をマナは浮かべている。


 最初に違和感を感じたのは木の上から落ちた時。

 木の上から落下した時の高さはだいだい五、六メートル程度。マンションの高さにすると二階ぐらいの高さになるが、十分な体勢で足から降りたならば怪我をせずに着地することは可能だろう。


 しかしあの時の俺は受け身も取れずに背中から地面に落下した。決して軽くはない衝撃を受けたにも関わらず、不思議と痛みは全く感じていなかった。


 もう一つの心当たりがシルバーグリズリーから逃げている時。隣を走るマナは明らかに疲弊している様子にも関わらず、俺は疲れるどころか息切れすら起こしていなかった。



「一言で例えるなら、身体能力が化け物レベルになったってところか。今ならこんなことだってできるぞ」


 まだ一度も試していなかったが何となくできるという確信があった。


「それっ!」


 周りの木々の高さは十メートルは超えているだろう。その中から掴みやすそうなものを選んで抱えるようにして持ち上げると、木の根元が地面から浮かび上がってくる。


 このまま完全に引っこ抜くこともできたが、邪魔になりそうなので一先ず元の地面に埋め直す。


「な、なるほど。私の中の常識が覆されていく気はしますが、それを見せられては納得する他ありませんね」

「っ!? そうだ、良いこと思いついたぞマナ!」


 引っこ抜かれかけた木を見て閃いた。


 少し開けた場所に移動した後、近くの木を一本ずつ引っこ抜いてから横倒しにすることで壁を作っていく。

 材料はあっても建築の知識も技術もないので原始的な方法なのはご愛嬌。それでも簡易的だが外敵から身を守る拠点の役割は果たせるはず。


 先ほどの洞窟も悪くはなさそうだったが、逃げ道が入口しかないのは不安要素だ。いくら身体能力が化け物レベルになったとしても無敵になったわけじゃない。


「こ、これは……」

 

 マナが嬉しいような呆れたような複雑な表情でこちらを見つめる中、淡々と作業を進めていく。



 しばらくして仮拠点が完成した。


「これなら外敵に襲われることは少ないだろうし、襲って来たとしてもすぐに気付けると思うんだ」

「なるほど、確かにこれは安全かもしれません」


 自分たちの居場所は木の葉や枝が邪魔になって外から見えることはない。無理に入って来ようとすればガサガサと音が立つため、寝入っていたとしても敵襲に気が付くことができる。

 

「念のためさっきの魔物がどうなったか見て来るから、マナはここで待っていてくれ」

「……はい、わかりました」


 俺の考えていることを理解しているのか、マナは無理やり作ったような笑みを浮かべて見送ってくれた。


 木々が薙ぎ倒された後を進んで行くと、予想通りの光景が目に入ってくる。

 全身に傷痕が残ったシルバーグリズリーは地面に横たわったまま動く気配はない。


 近づいてそっと手で触れてみるとまだ暖かさが残っている。つい先ほどまで生きていた証だ。


「……俺が殺したんだな」


 理解していたつもりだ。ここは異世界なのだから命は奪い、奪われるもの。異世界転生物の小説ではそれが当たり前だった。


 仮にまた同じような状況になれば俺は迷わず魔物を殺すだろう。それこそ、相手が人間だったとしても、マナを守るためであれば躊躇はしない。


「だがそれでも、今回だけは――」

 

 俺はシルバーグリズリーを弔うために自らの手で地面を掘り始めた。



 それから三十分程で仮拠点へと戻る。


「戻ったぞマナ」


 枝葉を掻き分けながら仮拠点の中に入ると、手頃な大きさの枝で見事に組み立てられた焚き木が目に入る。

 

「お帰りなさいませご主人様。夜は冷えると思いますので簡単にですが暖を用意しようかと」

「助かるよ、ありがとう」

「火は魔法で簡単に起こせますから。これぐらいの規模ならば火の粉が燃え移ることもないかと思います」

「あぁ、そうだな」


 すると俺の手を見たマナが近づいて来た。


「先に汚れを落としましょうか」


 マナの水魔法で土だらけになった両手を洗い流してもらう。魔法の発動中もマナは深く追及してくることはない。

 きっと俺が何をしてきたのかを察しているのだろう。


 手を洗った後に焚き木の近くに座ると、マナが魔法を発動させて焚き木に火を付ける。


 しばらくの間、二人でパチパチと小さな音を立てる焚き火を静かに見守った――




「この世界で魔物は人に敵対する生物。魔物は人を殺し、人は魔物を殺す、それはこの世界では当然の摂理です」


 先に静寂を破ったのはマナだった。

 俺は未だに震えている両手を見つめながら言葉にする。


「……わかっていたつもりなんだけどな」

「前の世界でも人は生きるために家畜を育て、自ら家畜を殺して糧としていました。自然界でも動物たちは生きるために他の動物を殺し、自らの糧とした。この世界でも変わることはありません。ご主人様は生きるために当然のことをしたまでです」


 マナは俺の震える手を優しく握り、肩を預けるように寄り掛かって来る。


「それでも割り切ることができないのなら、無理に変わる必要はありません。それはそれでご主人様の長所の一つだと思います。今はまだ頼りないかも知れませんが、そうした役目は全て私にお任せください。私は心優しいご主人様が大好きですから、ご主人様には今のご主人様のままでいて欲しいんです」


 ……バカだな、俺は。マナにここまで言われなきゃわからないなんて。


「ごめん、気を使わせちゃったな……女神様にこの世界のことを聞いた時から、いつか自分の手で命を奪うことになるだろうと覚悟はしていたんだ。ただ、それが少し早かったから気持ちの整理がつかなかった。でももう大丈夫だ、ありがとう」


 マナの頭に手を置いて髪の毛をわしゃわしゃと撫で回し、犬耳もモフモフするがマナは嬉しそうな顔をして黙ってされるがままじっとしている。


「やっぱりマナは頼りになるな、傍にいてくれるだけでこんなにも心強いなんて」

「ふふっ、それは私も同じですよ」

「それにこのモフモフさ、昔を思い出す」

「ご主人様、毛深いのは耳と尻尾だけです。昔と一緒にしないでください」

「ハハハッ、そうかそれは悪かったな」


 そう言葉にしつつも俺は撫でる手を止めることなく、それに対してマナも何も言うことはなかった。

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