第210話 ある冒険者ギルド受付嬢の日常
「あ、あの冒険者登録をしたいのですが」
私の前にそわそわした様子の若い男の子がいる。
見たところ、どこかそこら辺の村から出稼ぎにきた、という感じね。
コムラードは最近仕事が多いから、行商人あたりから噂を聞いてやってきたに違いないわ。
田舎者丸出しの青年にも笑顔で優しく対応する私。
青年は少々照れた様子で私から冒険者についての説明を聞き、登録をして冒険者になった。
彼は笑顔で私にお礼を言うと早速、依頼の張り出されている掲示板を見に行った。
また一人私の虜にしてしまったわ…でも仕方ない、コムラード冒険者ギルドでもっとも可愛い受付嬢ことこのニーアが対応したんだからね。
たまに私よりミーナの方が美人だとか言う人もいるけど、私が一番だという根拠はちゃんとあるわ。
それは冒険者登録をするためにここを訪れるほとんどの男はまず私に話しかけるからよ!
ミーナと違って私は暇そうにしてるからとか、綺麗に手入れされた花壇の花よりも野草のほうが手に取りやすいからとか訳わからない理論で失礼なことを言う人もいるけど決してそんなことはない。
そんな可愛い私が、今日もそろそろ終わりだなーと思っていると
「ニーアさんちょっと太りました?」
来ました、この私に対し訳わからない理論で失礼な言葉を投げかけるこのギルドの代表が。
それにしてもいきなり太ったってなんなの?
今日はいつにもまして酷い。
「いくらギルマスとはいえ…言っていいことと悪いことがありますよ!大体この私のどこを見て太ったなどと根も葉もない嘘を言うんですか!」
「顔…ですかねえ」
「いつもの可愛い顔でしょう!?何言ってるんですか!!」
私が怒りの反論をしていると近くでこちらの様子を見ていた冒険者がぼそっと「確かにニーアちゃん太ったよな…」と言うのが聞こえた。
…嘘よ、そんなわけ…そんなわけないわ、この私が太ったなんて…いつもこの激務に耐えてる私は痩せることはあっても太るなんてことはありえないはず…
「俺この前見たよ、あそこに座ってるときもとうとうお菓子」「帰れっ!!」
迂闊なことを言う冒険者どもを追い払った。
用が済んだならさっさと帰ってほしいわ。
ギルマスが無言で私のことを見ている。
嫌な汗が背中を伝う…バレたかしら…仕事中にここで何か食べていることが…
「ニーアさん」
「はい」
「ドーナツ好きなんですか?」
「!?」
心臓が跳ね上がった、なぜそのことを!?
この私がいつものパン屋が最近売り始めたドーナツなるものを毎日買っていることを知っている!?
「机の下にあったのを一つ貰って僕も食べましたが、なかなか美味しいですよね」
「あの時消えたドーナツはギルマスの仕業だったの!?…あ」
バレました、というかバレてました、なにもかも。
そしてギルマスからは「仕事中に何も食べてはいけないとは言いませんが、ここだと色んな人に見られるので気を付けてくださいね」と軽く注意された。
軽く、というのが逆に怖い、もっと怒られると思っていた。
「まあそれだけ肥えていれば、冒険者の皆さんもとっくに気づいてるけど見て見ぬふりをしてくれてたんでしょうね」
怒るのではなくて私の心を折りに来た…
本当は自分でも薄々気づいてはいたのよ…でも認めたくなかった、太ったという事実を…
それもこれもあのパン屋がドーナツなんてものを売り出すから…
正直パン屋のこと甘く見てたわ、甘いもの売ってるだけにね!
…じゃなくて、あの冴えないパン屋のおじさんがドーナツなんてお菓子を生み出すとは思ってもみなかった、見直した、やるじゃない。
私はパン屋の策にはまってお金と美貌を失ってしまったけど。
でもパン屋のせいだけではないわ…それもこれもヴォルガーさんがなかなか帰ってこないのが良くないのよ、あの人がさっさと帰ってきて本業のお菓子作りに専念しないから私はパン屋のドーナツに頼るしかなくなったの、わかるでしょ?
「ところで知ってます?ドーナツってザミールで生まれた食べ物らしいですよ」
「えっ、そうなんですか!?」
じゃああのパン屋は自分で考えてドーナツを作り出したんじゃないってこと!?
ザミールの技術を盗んで…いや別にいいかそれは、おかげでこの街でドーナツを食べられるようになったんだから。
「ザミールか…侮れない料理人がいるようですね…注意しておかなくては」
「コムラード冒険者ギルドの受付がザミールの料理人を何のために注意しておくのかわかりませんが、発祥はリディオン男爵家なので妙なことは言わないで下さいね」
「ええっ!?だ、男爵家発祥の食べ物だったとは…どうりで高貴な感じの私に相応しいと…」
「どこをどう考えたら普通の街娘のニーアさんが高貴な感じになるのかわかりませんが、リディオン男爵の娘さんが学校でドーナツのことを自慢したのがきっかけで流行り始めたようですよ」
「あのいちいち余計なこと言わないでくれませんか?」
この人は本当に人をイライラさせるのが上手い、上司でなければ何度殴ろうと思ったか。
「でもこの話にはまだ面白い続きがあるんです、実はリディオン男爵家の料理人は…あっ、この話は内緒にしておいてくださいと言われてるんでした、それよりそろそろ本題の」
「ちょっとおおお!?変なところで話切るのやめてくださいよ!!この後ずっと気になるじゃないですか!」
「知りたいんですか?」
「知りたいです!あと私の知らない新たなお菓子を知っていたらそれも教えてください!」
「…うーん、仕方ないですねえ、新しいお菓子は知りませんが、話の続きに関してはニーアさんだけにならこっそり教えてあげてもいいですよ」
「やったー」
「ただし」
…うっ、この流れ…しまった!何か面倒なことを言われる!
「あ、僕の用件より話の続きが気になりますよね、先にそれを言いましょうか、実はですね、男爵家の料理人も別の人からドーナツを教わっていて…」
「え、あ、あの別にその話もう」
「その人物というのがヴォルガーという名前の冒険者なんです」
「んあああああああ!なんであの人はよその街でお菓子作ってんのよおおおお!ここで作りなさいよおおお!!それが仕事でしょおおお!」
「いや別にヴォルガーさんはお菓子職人ではありませんが」
つい魂の叫びがでてしまった。
ふう…いけない、はしたないわ、あーそれにしてもむしゃくしゃしたらお腹減ってきたわね。
「あの堂々と机の下から包みを取り出してこれ見よがしにドーナツをここで食べようとしないでください、今注意したばかりですよね?」
「はっ、体が勝手に…!?」
その後、私のドーナツはギルマスに取り上げられた。
「仕事が終わるまで預かっておきます」と言われて…
ついでに恐れていた面倒なことも言われた。
内容は明日、新人がくるので面倒を見てくれいうことだった。
冒険者の新人じゃなくてここの職員、最近ギルマスは忙しくてここを留守にしがちになるし、街も人が増えて活発になってきたから増員するみたい。
「本当はミーナさんに頼む予定だったんですが…今のミーナさんは、あれなので」
「ああ…まあそうですね、ミーナはしばらく無理です」
私とギルマスが話している最中、ミーナはずっと隣の受付にいた。
虚ろな目で何もない空間を見つめ続けながら…
ミーナがおかしくなっているのはマグナさんにずっと会えないせいだ。
マグナさんがヴォルガーさんを捜してオーキッドに行って、しばらくしてアバランシュのごたごたが片付いた時にはもうすぐ帰ってくるとうきうきした様子だったんだけど、その後帰ってくるどころかマグノリアに行ったと聞かされ…
でもまだその時点ではそこまでおかしくなかった。
本格的におかしくなったのはついこの前、マグナさんの声がどうしても聞きたくなったミーナがギルマスから通信クリスタルを借りようとして「向こうの通信クリスタルが壊れたので無理です」と言われたのがトドメになった。
ギルマスもあの時ばかりは「しまった、言わなきゃよかった」と顔に出ていた、珍しく。
通信クリスタルが壊れたということはマグノリアにいるヴォルガーさんたちに、通信クリスタルが壊れるような何かがあったということ。
それに気づいたミーナは…あんな姿になってしまった…私と違って痩せてきている…ちょっとだけ羨ましい。
仕事は一応してるんだけど、目の焦点があってないし突然「コールコールコール」とか言い出すので私も、普段ミーナとばかり話す冒険者も恐怖を感じて距離をとっているくらい。
家に帰れば、私に向かって「はい、ハンバーガーですよ、食べてくださいねマグナさん」と言ってハンバーガーを強引に口にいれてくることもある。
美味しいからまだいいんだけど、私はマグナさんと違って何個もハンバーガーは食べられない。
でも食べないとミーナがこの世の終わりみたいな顔をするの!
たぶん私が太ったのはそれもあると思う!
でもドーナツはやめない、甘いものは別腹だから、必要なことだから。
その日も仕事の終わりにミーナがフラフラと肉屋に立ち寄ろうとしたのをなんとか引きずって止めて一緒に家に帰った。
………
「よう!俺はヘイル!よろしくな!」
「私はキャメリアです、よろしくお願いします」
翌日、ギルマスの言っていた新人が私の元へ来た、二人なの?
そういえば人数が一人とは聞いてなかったけど…
ヘイルと名乗るのはむさくるしい男、この人は何度か見たことがある…ナインスさんとたまに一緒にいた人だ。
こんなむさくるしい男がギルドの受付を?するはずなかった。
ヘイルさんはここで雇ってる魔物の解体業務を担当する人のところへ回されるようだ。
冒険者ギルドはギルマスと私とミーナ以外にも職員はちゃんといる。
表に出てこないだけで魔物の解体以外に素材の鑑定をする人や、ギルドにある備品を管理、修理してる人とか、依頼の内容次第で冒険者に貸しだす道具もあるからね。
魔物の解体を専門の人から教わりたいということでヘイルさんはここへ来たらしい。
進んであんなグロい作業をやりたいとはちょっとおかしな人だ。
「俺はいずれ食堂をやりてえんだ!スラムだったところに店を出してな!その時のためにやっぱいろいろとちゃんとした人から学んでおきたくてよ!」
食堂をやるなら解体済みの肉を買えばいいのにこの人は肉の解体からやるつもりなのだろうか。
本格的…と言っていいのかしら…こういうのも…
「じゃあヘイルさんは一時的な雇われ職員ということですね」
「そんな感じになるかな、まああんまりこっちに顔は出さねえと思うけど一応挨拶に来たんだよ」
「それはどうも」
「店ができたら嬢ちゃんも食べに来てくれよな!」
ほう…この私に軽々しく食べに来てなどと言うとは…
ここはこの街の新参者に教えてあげないといけないわね。
「私が食べに行くと言うことはどういうことかわかってますか」
「え…そのままの意味じゃねえかな…」
「わかってませんね!私はコムラードにある食べ物を出す店は大抵知っています!高いところ以外は!」
「お、おう、だから?」
「そしてぇ!貧乏なので美味しいと思ったところ以外の店は二度と行きません!つまりこの私に選ばれた店だけが本物だということです!」
このことはギルドに出入りする者なら誰もが知っていること…
それはつまりこの私が!どの店が不味くてどの店が美味しいかここでべらべら喋っているということ!
一度でも私に不味い物を出せばどうなるか、わかっているのかしら!
「普通の人は不味いところには再び行かないのでは…?」
キャメリアと名乗った女の子がぽつりとそう言った。
「だよな」
ヘイルさんがキャメリアさんを見下ろしながらそう返した。
「わかってもらえたようですね」
「ああ…うん、まあ腕には自信があるから任せてくれよ!」
自信満々の様子でヘイルさんはそう言い残すと受付から去って行った、早速仕事場を見に行くようだ。
残されたのはキャメリアさん…なんだけど…この子、いくつよ?
いくらなんでも幼すぎない?ギルマスは何考えてんのかしら。
でもまあ一応聞いておこう…何かもしかしたらすごい賢い子供とかかもしれないし…
「で、あなた、キャメリア…ちゃん?だっけ?」
「はい、今日からここで働くこととなりました」
私の後輩となることに間違いないようだ。
「一応聞くけど、年はいくつ?」
「32です」
ん、へっ?さんじゅうに?
「ひょっとしてドワーフ族?」
「そうです、あれ、聞いてませんでしたか?」
聞いてないわああああ、32って私より年上だしいいいいい!
キャメリアちゃんじゃなくてキャメリアさんでしたあああ!
…ということで年上の後輩ができたわ。
キャメリアさんははるばるオーキッドからこの街にやってきたらしい。
向こうにある技術局というところで働いてて読み書きも計算も十分できる上に私より遥かに頭が良かった。
おまけに冒険者登録もオーキッドでしていて、冒険者の仕事についてもそんなに教えなくても済むくらい優秀。
なぜそんな人がこんな田舎の街に?
「向こうでヴォルガーさんに魔法で治療してもらったことがあるんです、かなり危ない状況だったのを助けてもらって…あの人はあちらで色んな人を助けていました、それに感銘を受けて、私もヴォルガーさんの住んでいた街で少しでもお役に立ちたいと思って来たんです」
またヴォルガーさん関係の人か…
ちなみに技術局とやらの給料はどれくらいだったか聞いてみたら快く教えてくれた。
口から泡を吹きそうだった。
ここの給料より倍以上ある。
「本当にいいの?ここで?」
「はい!お金の問題ではありません!」
すごくいい子だった…賢くて可愛くてすごくいい子。
ギルマスから言われた仕事にしては珍しくすごく楽な仕事だわ!
だってこの子別に面倒見る必要あんまりなさそうだもの!
でもひとつだけ不安なことがある。
それはこの街は…ドワーフ族が他にいないということ。
なぜって?エルフ族が住んでるから。
このリンデン王国でエルフ族が住んでる街はドワーフ族は普通住んでないのよ。
この二種族はお互い避け合ってて同じ土地に住もうとしない。
そういう法があるわけじゃないんだけど、暗黙の了解みたいなのがあって…
しかしキャメリアさんがコムラードに来たことによってこの街は、人族、エルフ族、ドワーフ族が住むという世にも奇妙な街になってしまった。
「あの、この街エルフ族も住んでるけどそれは大丈夫なの?」
「はい、私は特に気にしていません、それに私はイルザ様の加護じゃなくてアイシャ様の加護を持ってますから、エルフ族に対して嫌悪感はほとんどないですよ」
女神様の加護がどう関係してるのか良く分からなかったけど本人がいいならいいということにしておこう。
エルフ族の依頼人や冒険者がきたら私で対応すればいいことだし。
それからキャメリアさんに仕事を教えたのだけど思った通り教えたことはすぐ覚えるので、ほとんど手間がかからなかった。
私が彼女のために一番役にたったことは背の高い椅子を用意したことくらいじゃないかしら。
なのでその日の夕方には彼女にこう言うしかなかった。
「あなたに教えることはもう何もないわ…」
「ま、まだ初日ですよ!?」
「正確には私から教えられることはないということ…これ以上のことは、向こうに聞いて」
私はそっと隣の受付にいるミーナを指さした。
「…ずっと気になってはいましたけど、あの人は…その、大丈夫なんでしょうか?挨拶したときも目が虚ろで怖かったのですが…」
「今はちょっと色々あっておかしくなってるけど本当は私より3倍は仕事ができるわ、なのでキャメリアさん、貴女にはあのミーナを正常な状態に戻すことを先輩として命じます」
「それはギルドの仕事なんですか!?」
「そうよ」
光の女神であるアイシャ様の加護を持っている貴女ならきっとミーナの心も癒してくれると信じてるわ。
「ニーアさんっ!ミーナさんに話しかけたら急にコルコルコルコル…って言い始めて、どうしたらいいんですか!?」
「大丈夫、慣れるわその内」
「ええええええっ!?」
今の私にできるのは、ただドーナツを食べることだけなのよ…
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