年越しには

幽宮影人

来年はきっと

 くぁあ、と大口を開けて空気をめいっぱい吸い込む。仕方ないだろう、だってもう日付が変わる30分前、もとい年が変わる直前なのだから。


「大きなあくびですね」


 ソファーに座るオイラの隣に腰掛け、メガネの奥でにっこりと目を弓形に細め、ふふふ、と上品に笑いながらそう言ってきたのは旗元美雪はたもとみせつことハタっち。普段から睡眠時間の少ないショートスリーパーな彼はまだまだ余裕そうだ。羨ましい。


「んぁ〜……眠い」


 続いてそう声を上げたのは、ソファーの前に設置されているコタツで寝そべっている健康優良児、有宮哲也ありみやてつや。今時の小学生でもありえないような時間に寝て、ご老人達がいそいそと起き上がる時間に目を覚ます彼はオイラよりも眠たそうだ。


「んふっ、アリーの顔めっちゃ不細工」


 眠気と闘う様は見ていてとても面白い。なにせ白目を剥きかけた半目に間抜けに開いた口、という形相なのだ。おまけに口端にはきらりと煌めくヨダレの跡。笑うなという方が無理がある。


「そ、そろそろ年越しのじゅ、準備する?」


 アリーと反対の面に座り込んでいる翻静瑠もどりしずるは、いつも通りちょっとどもりながらそう提案してきた。肩までコタツに入り込み頬を緩ませたシズはいつになく上機嫌で。その証拠に彼の頭のてっぺんでは一房の髪がゆらゆらと揺らめいている。アホ毛と呼ばれるそれは、彼よりも顕著に感情を表すようで、原理は分からないが彼の感情に伴って萎れたりピンと天を指す。シズとは小さいころからずっと一緒にいるが、未だに彼のアホ毛は謎である。


「そだねぇ。じゃあ各々『年越し』のアレ、取りに行こうぜ」


 シズの提案に乗っかかり他の2人にもそう催促する。アリーは「眠い」「コタツから出たくない」など駄々を捏ねていたが、彼の親友であるハタっちが無理やり引きずっていった。細身なハタっちのどこに筋骨隆々な大男を引きずる力があるのだろうか。


「ハタっちは怒らせない方が良さそう」


 誰もいなくなったリビングで、ひくりと頬をひきつらせながら呟く。筋骨隆々、ムキムキマッチョなアリーを、あぁも容易く引きずるのだ。標準体格のオイラなんてきっと……。嫌な想像にぶるりと身震いする。


「くわばらくわばら」


 なんて言いながら、オイラも『年越し』に不可欠な例のものを取りに自室へと向かった。


  *


「は? 美雪お前、あったまおかしいんじゃねぇの?」

「それはこちらのセリフですよ、哲」


 自室からリビングに戻って来ると、アリーとハタっちがダイニングの机を挟んでなにやら言い争っていた。


「え、え? ちょっとちょっと。どうしたの2人とも」


 このシェアハウスで一緒に生活して初めての年越し。春に越してきてから今まで2人の喧嘩なんて見たことなかった。だからこそ驚いたし、同時に珍しい光景なのではと好奇心が疼いた。好奇心は9つの命を持つ猫をも殺すというが、あいにくオイラは猫ではない。赴くままに2人へと近づいて行った。


「聞いてくれよ虎太郎こたろう! 美雪のやつ、年越しだってのに蕎麦じゃなくてうどん食うらしいぜ」


 そう言ってハタっち側の机上に置かれている「赤いきつね」と書かれたカップ麺、もとい「きつねうどん」を指さすアリー。


「はぁ? 年越しと言えばうどんに決まっとるやろ。蕎麦なんて、あんなボソボソしたもん年の締めくくりに食べる方がどうかしとる!」


 ハタっちもハタっちで、アリー側の机上に鎮座する「緑のたぬき」と印字されている「天そば」を怪訝そうに睨みながら憤慨しつつそう言った。


「待って? 喧嘩の理由ってそれ?」


 目の前でがみがみ言い合う2人を眺めながらぽつりと呟く。えぇ? まじで?

 某、里山お菓子の戦争のようだ。狐と狸、赤と緑。相容れない二つのモノ。


「ち、ちなみに僕は、年越しにはにゅう麺派かなぁ」


 おっと真打登場。現れたのは、ピンクを基調とした小ぶりなカップ麺を控えめに掲げたシズだ。


「はぁ?」


 小さな声で抗議するように告げられた言葉に、揃ってぐるんとシズの方へ顔を向けるアリーとハタっちの2人。ホラー映画のワンシーンに出てきそう。


「ひぇっ」


 シズはというと、鬼の形相と評するに相応しい2人の顔にぴゃっと肩を跳ねさせたが、それでも気丈に「年越しにゅう麺」を推していった。

 ぎゃんぎゃん騒ぐ3人の声をBGMに、決着がつくまでは大人しくしていよう、とリビングのコタツに入り1人ミカンを頬張る。にしてもシズがあそこまで饒舌になるなんて知らなかった。好きなものを語るときは比較的どもりも消えるが、あぁもすらすらと自信たっぷりに言葉を口にする様は見ていて気持ちがいい。

 知らなかったと言えばアリーとハタっちもだ。

 アリーはグルメ番組の食レポーターも舌を巻くのでは、と思うほど蕎麦について熱弁している。正直、聞いていてとても引き込まれるし、蕎麦もありだななんて思うくらいには食レポが上手い。

 ハタっちもうどんの良さについてひたすら語っているのだが、問題はその口調だ。普段は品行方正で優等生な彼は基本的に丁寧な口調で話す。しかし今の彼はどうか。ものの見事に普段の様子とは真逆である。地元の方言だろうか、ハタっちの声で紡がれる荒々しい口調とけんか腰の声は、普段の彼を知るオイラからするとギャップが凄い。


「虎太郎は蕎麦派だよな⁉」

「いや、うどん派やんな?」

「に、にゅう麺派、だよね?」


 ミカンうまぁ、とほくほくしていると3人からそう尋ねられた。テレビとオイラの視界の間に突然入り込んだ3人に、先程のシズみたく肩が跳ねる。驚きで口の中に放り込んだミカンが変なところに入りちょっと咽た。


「オイラ? んふふ、残念ながらオイラはコレ派なんだよなぁ」


 ごほごほと咳ばらいを数度してからすっと取り出したのは、青地に黄色い文字がプリントされたカップ麺。


「そ、それは!」

「『コーン塩バター味ラーメン』⁉」

「え、邪道中の邪道では?」

「酷くない?」


 3人そろってドン引きされた。美味しいのに。


「え~? 年越しにはやっぱコレでしょ」


 カップを左右に揺らしながら3人に抗議する。右に左に揺れる度、中に入っている乾物がカラカラと音を立てた。


「よろしい、なら戦争や」

「え」


 普段は眼鏡の奥で閉ざされている瞳をすっと開くハタっち。


「おう、受けて立つ!」

「ちょっ」


 コタツにバンッと手をつき吠えたてるアリー。


「僕だって、負けない!」

「わぁ~……」


 弱弱しくも勇ましく宣戦布告するシズ。

 こうして、きつねvsたぬきvsそうめんvsラーメンという、ポケットなモンスターのいる世界の主人公もびっくりな4つ巴の地獄交戦図が完成した。


 *


 4つ巴の戦いは熾烈を極めた。

 もちろん、白熱しすぎて決着などつくはずもなく、この戦いは次の年越しにと引き継がれることとなったのは言うまでもない。

 ちなみに今現在は4人揃って焼きそばを食している最中である。もう明け方の4時の出来事だ。


「焼きそば美味ぇわ~」


 通常よりも大きなサイズの焼きそばをオイラとシズ、アリーとハタっちの2組で分け合いながら夜明けを待つ。初日の出まであと2時間。それまでゆっくりと今までの年越しエピソードでも語り合おう。来年は5つ巴の戦いになるかもしれないからさ。

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