第20話『健康診断-前編-』

 4月20日、火曜日。

 今日は健康診断の日。一日かけて梨本高校の全校生徒の健康診断を行う。そのため、今日は授業が実施されない。

 また、円滑に健康診断を進めるため、学年やクラスごとに時間差登校することになっている。俺のクラスは午前10時登校で、香奈のクラスは午前10時半登校。そのため、いつもと違って校門で香奈と会うことなく一人で登校した。

 そんな香奈は昨日までは元気だったけど、今朝になって、


『いざ当日になると、採血が不安になってきました』


 というメッセージが送られてきた。当日になると不安になるよなぁ。香奈の健康診断……正確に言えば、採血が終わるまではこういったメッセージがたくさん送られてくるかもしれない。俺なりに香奈を元気づけられればと思う。

 そういえば、俺の身近にはもう一人、採血を怖がっている生徒がいるんだよな。


「去年やったんだから今年はいいじゃないか……」


 そう。俺の親友の瀬谷颯太である。

 香奈と同じく、瀬谷は注射が苦手だ。去年は採血が怖いからと、採血後の俺が側にいる中でしてもらった。血を抜いている間に彼の顔色が悪くなっていき、採血後しばらくは俺が肩を貸したことを覚えている。


「2年も採血するのは確定なのか?」

「ああ。バスケ部の先輩が、2年のときも採血したって言ってた」

「そうなのか」

「颯ちゃんは注射が大の苦手だもんね。しかも、去年の健康診断で気分が悪くなったから怖いみたい。空岡君、今年も颯ちゃんのことをよろしくお願いします」

「ああ、分かったよ、栗林」


 健康診断は男女に分かれて受けるからな。健康診断の間は俺が瀬谷のことを気に掛けよう。


「なあ、莉子、空岡。1年のときに採血したんだから、2年になったら採血しなくてもいい気がするんだよ。俺達は高校生なんだし」

「まあ、颯ちゃんの言うことも分かるかな。あたしも採血しなくていいならしたくないし」

「瀬谷の気持ちも……分かる。ただ、俺達は高校生だけど、気付かない間に体の中で何かが起こっているかもしれない。発見が遅れたら、瀬谷の大好きなバスケをするのに影響出るだろうし。だから、定期的に血液を調べるのって大切なことじゃないか?」


 俺の両親も毎年1回は健康診断を受けており、その中で採血もしている。瀬谷の言うように、俺達は高校生だから1年のときに採血すれば、2年と3年では採血しなくてもいいのかもしれない。ただ、毎年4月の健康診断で血液検査をするに越したことはない。

 瀬谷は元気がなさそうな様子で、俺のことを見てくる。


「……空岡にそう言われると、採血しなきゃいけない気分になってきた。針刺されるのと血を抜かれるのが怖いけど」

「あたしも採血頑張ろうって思えてきたよ」

「栗林もか。いざとなったら、去年みたいに俺が瀬谷の体を支えるから」

「……ありがとな。そのときは頼むぜ」


 そう言う瀬谷の口角は僅かに上がった。この様子なら、去年よりは大丈夫そうかな。

 それから10分ほどで担任教師が教室にやってきて、朝礼が行われる。出欠を取り、健康診断の個人票が配られた。

 担任教師曰く、体操着に着替えて健康診断を受ける。全ての項目について受け、受付に個人票を渡したら制服に着替えて各自帰宅していいとのこと。その話を聞くと、午前中に健康診断があって良かったなと思う。

 女子達と別れ、俺は教室で体操着に着替え、瀬谷達と一緒に健康診断の受付へ。俺達よりも早く登校した生徒もいるため、校内には体操服やジャージ姿の生徒がいっぱいいる。

 受付を済ませ、俺は壁に貼られている順路の紙、教職員や健康診断センターの方達の指示に従って健康診断を受けていく。

 身長、体重、視力、聴力、内科……と各種項目を受ける中で、去年の健康診断もこんな感じだったと思い出す。ちなみに、身長や体重、視力など、数字に表れる項目については去年とさほど変わりなかった。聴力や内科検診でも異常はないと言われたので安心だ。

 健康診断を受ける中、香奈のクラスの登校時間である午前10時半が過ぎる。なので、香奈から、


『朝礼が終わって、これから健康診断です。健康診断中に先輩と会えるといいな』


 というメッセージが届いた。香奈の方もこれから健康診断か。


『俺も今、健康診断を受けてる。校舎内を廻るから、どこかで会えたらいいな』


 という返信を送った。そんな俺のメッセージはすぐに『既読』マークが付いた。

 もし俺と会えれば、せめても遠くからでも姿を見られれば、香奈も元気になると思う。

 その後も俺は健康診断を受けていき、ついに次は採血となった。『採血会場』の紙が貼られた教室の近くまでやって来る。


「あぁ、次は採血か……」


 採血の時間がもうすぐだと分かったのか、瀬谷の顔色が今朝よりも悪くなっている。去年の健康診断で採血を経験したからこそ怖いのだろう。

 クラスで固まって移動しているので、瀬谷はクラスの中で最後に並び、俺は彼の一つ前に並ぶ。

 それから数分ほどで俺と瀬谷も採血会場の教室の中に。教室の中では5、6人の看護師さん達が生徒の採血をしている。それもあって、


「次の方、どうぞ」

「はい。……じゃあ、瀬谷。行ってくる」

「お、おう。生きて帰ってこいよ」


 瀬谷はそう言って送り出してくれるが、採血で死んだ人がいるとは聞いたことがないな。父さんの会社の人で、採血後に気分が悪くなって倒れた人はいたそうだが。

 手を挙げた人の女性の看護師さんのところに行き、看護師さんと向かい合わせで座る。


「空岡遥翔さんですね。去年は採血した際、気分が悪くなったりしましたか?」

「採血中や直後にちょっとクラッとしたくらいで。それもすぐに治まりました」

「それなら大丈夫そうですね。では、右腕を出してください」


 看護師さんの言う通りに俺は右腕を出す。

 それにしても、この看護師さん……茶髪のショートヘアだし、可愛らしい顔立ちだから香奈に似ているな。

 学年や性別で、健康診断を受ける項目の順番が違うようだし、香奈はもう採血を受けているのだろうか。今のところ、そういったメッセージはないが。


「では、採血しますね」


 そう言われた直後、右腕の間接辺りにチクッとした痛みが。血を抜かれるし、注射の方は見ないようにしよう。

 血を抜かれているから、少しクラッとなる。去年と変わらない感覚だ。


「はい、終わりましたよ」

「ありがとうございます」


 一度、長く呼吸をして、椅子からゆっくり立ち上がる。その動きが良かったのか、立ち上がったときに特にふらつくことはなかった。

 さてと、瀬谷はどうなっているかな。


「せ、瀬谷さん。まずは落ち着きましょうか。深呼吸しましょう」


 そんな女性の声が聞こえてきた。まだ、瀬谷は採血されていないようだ。

 周りを見ると、端のスペースで椅子に座っている瀬谷の姿が見えた。顔はさらに青白くなっていて、体が小刻みに震えているが。

 俺は瀬谷の真後ろまで行き、彼の右肩に手をそっと乗せる。


「瀬谷。俺は採血終わったぞ。ちょっとチクッとするくらいで大丈夫だった」

「そ、そうか」

「よーし、まずは深呼吸だ。一緒に深呼吸しよう。さんはい」


 すー……はー……と瀬谷と一緒に深呼吸をする。

 瀬谷の顔を見ると、さっきよりは多少顔色が良くなってきたな。

 そういえば、俺を担当した看護師さんは香奈に似た雰囲気の方だった。瀬谷を担当してくれる看護師さんは――。


「瀬谷。こちらの看護師さんは髪の長さは違うけど、黒髪のワンサイドアップだから栗林と同じ髪型だぞ。綺麗な顔立ちも似ているな」

「……た、確かに」

「よし、瀬谷。看護師さんを見ながら、これから採血してくれるのは栗林だと思い込むんだ。そうすれば、少しは気持ちが楽になるだろう」

「そうだな」


 瀬谷は正面に座っている看護師さんを見ながら「莉子、莉子、莉子……」と呟いている。

 名前が『りこ』なのか、それともイケメンの瀬谷に見つめられているからなのかは分からないが、看護師さんは何だか嬉しそう。頬もほんのり赤くなっているし。


「……空岡。何だか看護師さんが莉子に見えてきた」

「よーし、いいぞ。……看護師さん。彼の採血をお願いします」

「は、はいっ! 右腕を出してください」


 看護師さんがそう言うと、瀬谷は素直に右腕を差し出す。


「では、採血を始めますね」

「は、はい」


 看護師さんは瀬谷の右腕に注射針を刺す。その瞬間、瀬谷は「あっ」と声を漏らす。

 瀬谷の右腕から、看護師さんの持つ注射に少しずつ血が入っていく。


「この感覚……去年の健康診断を思い出すな……」

「そうか。あと少しで終わるだろうから、頑張れ」

「……ああ」


 力なく返事をする瀬谷。そんな彼の顔色は再び青白くなっている。血を抜かれて気分が悪くなっているのだろう。

 それから程なくして、瀬谷の腕から注射の針が抜かれる。


「はーい、終わりました。頑張りましたね」

「……どうもです」


 小さな声で瀬谷がそう言うと、看護師さんは注射針を刺した部分に四角い絆創膏を貼る。これで瀬谷の採血も終了だ。


「瀬谷。肩を貸すから、ゆっくり立ち上がるんだ」

「……すまない」


 そう言うと、瀬谷は椅子からゆっくり立ち上がる。気分が悪いのか、立ち上がった瞬間に俺の方によろめく。これも去年と一緒だな。

 採血会場の教室に出ると、何人かのクラスメイトの友人達が俺達を待っていてくれた。

 彼らと一緒に俺達はゆっくりした足取りで順路を進んでいく。

 順路の先にあったのは、校舎の外にある複数のレントゲン車の列。健康診断の個人票を見る限り、これが俺達にとって最後と思われる。俺達は男子達が並ぶレントゲン車の列の一つに並んだ。

 日差しを浴びたり、外の新鮮な空気を吸ったりしたからか、瀬谷の表情も少しずつ良くなってきた。レントゲンの列はそれなりに長いし、俺達の番が来る頃には俺の肩を借りなくても大丈夫になりそうかな。


「遥翔せんぱーい! 瀬谷先輩もー」


 そんな香奈の元気な声が聞こえてきたので、女子達が並んでいる列を見てみると……こちらに手を振ってくる香奈の姿が見えた。香奈の後ろには星崎の姿もあって。

 俺が手を振ると、香奈は嬉しそうに大きく手を振り、星崎は軽く頭を下げた。2人の近くにいる女子生徒達もこちらを見ている。登校が30分遅い香奈のクラスと同じくらいのタイミングでレントゲンになるとは。向こうはレントゲンの順番が早いんだろうな。

 香奈と会えたのもそうだし、元気そうで良かった。

 ――プルルッ。

 体操着のポケットに入れてあるスマホが鳴る。

 さっそく確認すると、香奈からLIMEを通じて新着メッセージが届いていた。


『遥翔先輩に会えて嬉しいです! これで少しは採血頑張れそうです』


 やっぱり、採血はまだだったか。採血頑張れそう、という言葉を見て俺も嬉しい気持ちになる。


『そうか。採血頑張れよ。こっちは多分、レントゲンで終わると思う』

『そうですか。ところで、瀬谷先輩はどうして遥翔先輩の肩を貸してもらっているんですか?』


 そこは気になるよな。ただ、正直に話すと、香奈が不安がってしまうかもしれない。


『腹が減って体力があまりないんだと。午前中に受ける生徒は朝食を食べちゃいけないし』

『なるほどです。あたしも、普段より体力があまりない感じです』


 どうやら納得してくれたようだ。そのことにほっとする。

 香奈に話したように、午前中に健康診断を受ける生徒は朝食を抜き、水や緑茶といった糖分のない飲み物以外は、何も口にしてはいけない決まり。俺も普段と違って、体から力が抜けている感覚になっている。

 香奈と星崎の姿を確認してから15分くらいの間は、たまにメッセージをやり取りする。そして、香奈達の方が先に順番が来たようで、レントゲン車の中に入っていった。

 そこからさらに5分ほど経って、俺達の順番になり、レントゲンを撮影。予想通り、俺達はこれにて診断項目が全て終わり、健康診断が終了したのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る