赤いむすめとたぬきのおとこ
ゆうり
第1話 こんちゃん
お湯を注いで、母と今日あったことを話しながら、5分待つ。
蓋を開けた途端に、ふわぁっと部屋中に広がる幸せな出汁の香り。
汁がよく絡むコシのある麺。
ズルズルっと勢いよく吸い上げると、口の中に広がる鰹節の豊かな風味。
恵美は、幼い頃、母と食べる赤いきつねが大好きだった。
仕事帰りにスーパーで、割引シールを貼られた総菜を選びながら、
恵美は、経理の仕事をしている。年末にかけてのこの時期はとくに忙しく、いつもは定時退社の仕事も、最近は残業続きだ。
まぁ、この時期が忙しいのは私にとっても何よりなのだけれど。むしろ、年末年始だって仕事したいくらいだ。
「年末年始の準備はお早めに!」というポップと共に、スーパーの得出しコーナーに山積みされてあるカップ麵たちを見て、胸の奥の方が重くなるのを感じ、すぐに目線を他の場所へと移した。
「こんちゃん!偶然だね!」
スーパーから出たところを、後ろから突然声をかけられて、恵美の肩が大きく跳ねる。
振り返らなくても、この声の主が誰かなんて一目瞭然だ。私のことを『こんちゃん』なんて呼び方をする人はあの人しかいない。
「お疲れ」
「お疲れ様です」
その声の主は、恵美の隣に並んで、にへらとした笑顔を向けてくる。出たな、たぬきおとこ、恵美は心の中でそう悪態をつく。
私を『こんちゃん』と呼ぶ男。私の4つ上だと言っていたから、29歳らしい。黒髪短髪で、スラッとした体躯。外回りで鍛えられたのだろう足や腕は、ほどよく筋肉がついている。それに加えて、端正な顔立ち。人懐っこい性格ということもあり、社内女性人気ナンバーワンだ。
清掃に来ているおばちゃんたちの間でも人気があるのはさすがに驚いた。
そんな人が何故私にかまうのだろうか。
「こんちゃんって呼び方やめてくださいってこの前言いませんでしたっけ」
声のトーンを数段落とし、いかにも嫌そうに言うが、気にしてないようで、「え~、かわいいのに」なんて飄々とした様子で言って来る。
かわいいなんて、私以外の女にどれほど言ってるんだか。チャラだぬきめ。
「そもそも、なんでこんちゃんなんですか」
「あれ?分からない?赤井ちゃんだから、『赤いきつね』!からの『こんちゃん』!」
手を狐にみたてて「こんこん」なんて言っている来栖廉。
よりによって、そこからとってきてたの。私の嫌いな……。
「こんちゃんさ、年末、」
「とにかく、もうこんちゃんって呼ばないでください。お疲れさまでした」
彼が何か言おうとしていたが、それを遮るように言い放ち、家まで続く道へと走った。
先程、スーパーで買い物したお惣菜が入った袋が揺れる。きっと、中身はぐしゃぐしゃだ。
冬の寒さがピリピリと体を突き刺した。
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