その女優、探偵につき

華川とうふ

第1話 君がそんなにセックスしたかったなんて俺は知らなかったんだ

「ねえ、お願い。あなたの精子飲ませて…・・・」


 目の前で幼馴染のアイがとろりと潤ませた瞳をこちらに向けて、とんでもないことを言った。


 アイは卑猥なことを口にしても可愛い。

 ピンク色のリップクリームを塗った唇は摘み立ての花びらを二枚控えめに重ね合わせたように初々しい。

 可愛くて当然だ。それが、アイの仕事だから。

 小さな頃から子役として活躍して、高校生となった今はアイドルとして活動している。

 地下アイドルなんかじゃない。テレビに出続ける本物のアイドル。


 サラサラの長い髪は夜空の一番美しい部分を紡いだようだし、瞳の中には無数の星が散りばめられていた。


 生まれながらにして特別な彼女でも今の容姿を保つには並々ならない努力をしているのは小さなころから側にいた俺は知っている。


 そして、今の彼女にとって、恋愛もセックスも御法度だということを。

 もし、アイの望むようにセックスをすれば、きっと彼女は今ままで積み上げてきた仕事を全て失ってしまう――アイドルとしての彼女は死んでしまう。


 ずっと、大好きで大切な女の子の夢を脅かすなんてやってはいけない。

 俺は抱きついていたアイの方をそっとつかんで、彼女の瞳を見つめて首を振った。

 人生で初めてアイのことを拒んだ瞬間だった。


 アイは一瞬、もう一度こちらに抱きつこうとしたあと、はっとした顔をして、一歩後ずさってこう言った。


「ごめん、変なこといっちゃった……忘れて」


 いつもカメラに向けている天使のような完璧な笑顔でアイは微笑んだ。いつも通りのアイだった。

 世間が彼女に求める姿。

 完璧で美しくて、非の打ち所がない、純粋無垢な存在。

 みんなの憧れであり、太陽のように明るくみんなを照らす存在。


 彼女は本物のアイドル――偶像であった。


「分かった。大丈夫だから」


 驚きと焦りを隠しながら俺はそっと、彼女の肩にジャケットを掛け、家に送り届ける。いかにも芸能人が住んでいそうな高層階のマンションに。

 子供の頃は家は隣同士で、アイの実家は俺の家の隣にある。

 だけれど、ストーカー対策などを考えて、子役としてではなくアイドルとして売り出し始めたアイは事務所の勧めで実家をでたのだ。


 もし、あのとき彼女が一人暮らしを始めるのを止めていれば。

 もし、あのときアイをマンションに返さなければ。


 こんなことにならなかったかもしれない。


「ねえ、あなたの精子飲ませて?」


 今でも彼女のセリフが俺の脳内に響く。


 そう、アイは俺を求めた夜に死んだ。


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