第2話 引き籠り、決起する
引き籠りのクソオタク、カインとその天使サリエルが立ち上げた『天使様のおみあしチャンネル』は【天使様の生足晒しまくりチャンネル】と豪語するだけあってなかなかのチャンネル登録者数を獲得することに成功した。
無論、えっちが過ぎる配信は運営の目に止まるとアカウント停止処分となるが、その辺は当然対応済み。適度な刺激でこれ以上――いや、次が見たくなる「見えそうで見えない」を突き詰めたカメラワーク。日に日に増える登録者数と向上するカメラの腕、そして天使の嬉しそうな顔にまんざらでもない日常を送っていた。
――のも束の間。
その日常をぶち壊す朝がやってきた。
「カイン! 出て来い! 授業に出ろ!」
ダァン! と無遠慮に叩かれる扉。やばい。先生だ。
しかもこの威圧的な声は、引き籠るカインの身を案じて毎日のように声をかけてくる優しいお節介、ピエール先生のものではない。
新任のくせに異常に強い力を持つと噂されている副担任、リヒト先生。
彼はクールな見た目通り生徒の主体性を重んじ、必要以上に生徒に干渉しないというのが偵察に出ていたサリエルの所見だが、それがまさか、直々に引きずり出しに来るなんて。
もたもたしていると鍵がバキリと壊されて扉が開け放たれる。ゴミを見るような目で自分を見下ろしているのは、少し長めな黒髪の教師――
「ピエールめ。世話を焼いてやっているのは知っていたが、まさか毎日構っていたとは。呆れたお人好しだ」
「その善意をよくも無駄にしてくれたな」と、凍てついた目が語っていた。
「授業に出てもらうぞカイン。他の生徒たちがお前を気にかけ集中できないようだから。お前の意思に関係なくとも連れて行く。だが、一応だ。部屋から出る気がない理由を聞かせてもらおうか?」
高圧的な目。だがこの程度の圧、
でも、だからって素直に言うことを聞けるカインでもない。だって決めたのだ。これからはもう頑張らないって。いや、頑張るのは配信だけにしようって。
カインは飄々と構え、答える。
「『なんで?』も何も。天使様を召喚した時点でボクは勝ち組確定ですから。授業に出る必要もなければ部屋から出る必要もありません。それじゃあ――」
再び布団に籠ろうとすると、リヒトはカインを強引に床にひっくり返して金の腕輪をかざす。
カインはその輝きと紋様に我が目を疑った。なにせその腕輪から発せられる魔力と魔法構成式は、強力な『神縛りの術式』――言葉ひとつで大いなる存在すら屈服させ得る代物だったのだ。
邪眼を持っているからこそ見える――否、見えてしまう魔法の構成式。カラクリが本物であることを見抜けるカインだからこそ、その恐ろしさに身震いする。
(どうしてこんな底辺学校の教師がこんな代物を――!)
すると、リヒトが何事か唱え、腕輪から伸びた鎖がサリエルの手首を手錠のように拘束した。
「なに、これ……取れない……! マスター、助けて……!」
苦悶の表情を浮かべるサリエルを前に、カインには成す術がなかった。
痛がっている。可哀想だ。なんとかしてあげたい。でも、自分には何もない……!
「どうした、引き千切らないのか? 天使様は万能で、優秀で、お前は勝ち組なんだろう?」
嘲笑を浮かべるリヒトの言う通り、そう思っていた自分が浅はかだと気づく。
サリエルは自分に救いを与えてくれた。もうあの実家に戻らなくても自分だけで生きていける可能性を与えてくれたのだ。
一緒に動画配信をしよう。
あれが着たい、これが楽しい。
『ねぇマスター? この
カインにとってはありふれた地上のもの。それらに胸を膨らませる彼女の隣にいるのは楽しかった。思えば、あんなに心穏やかだった日々はいつぶりだろうか。
家の使命など何も知らず、お姉ちゃんと庭先で召喚陣の落書きをして遊んでいた頃以来かもしれない……
それが、彼女の危機を目の前にして自分には何もできないなんて――
カインは段ボール開封用に所持していたサバイバルナイフを手に立ち上がる。
「拘束を解け。そっちがその気なら――ボクは本気だぞ」
決意に満ちた眼差しに、リヒトはほぅ、と感心したように息を吐いた。
しかしカインが意を決して掴みかかると同時にその攻撃をひらりと躱し、いともたやすく床に押さえつける。
「ぐ……!」
やはり、自分の力ではリヒトに敵わない……!
だが、何を思ったか次の瞬間。リヒトはふたりの拘束を解いた。
そして――
「強くなれ、カイン。今わの際に、無念と後悔を抱かずに済むように。その為にはまず授業に出ることだ」
何を、知った口ぶりで――
自分のことも、実家のことも。何も知らない教師のくせに。
だが、先程までと一変して、リヒトはカインを見守るような穏やかな笑みを浮かべていた。
天使を守ろうと自ら立ち上がった彼を見直し、賞賛しようという眼差し。それが、カインには痛いほどわかる。だって、両親は一度だってカインのしたことをこんな風に評価してくれたことはなかったから。
これは、幼いカインが欲しくて欲しくて堪らなかった眼差しだ……
「わかりましたよ……授業、受ければいいんでしょう?」
視線を逸らして呟くと、リヒトは満足そうに頷いて去っていった。
再びふたりになった部屋で、サリエルは自身とカインに治癒の魔法をかける。
そっと手を取り、捻られて痛めた手首に包帯を巻いて優しくさする。その優しさが、今のカインには辛かった。
「ごめん、サリー。ボクは、キミの危機に何もできなかった……」
謝ると、サリエルは思いのほか嬉しそうに胸中を語る。
「どうしましょう。私、少し思い違いをしていたみたい。マスター、案外男らしいところがあるんですね?」
召喚獣は、誰もが己の『願い』を抱いて人間の呼びかけに応え契約をする。
サリエルの願いは『絶対の肯定』――自身の存在とその意義を何があっても肯定してくれる存在だ。
サリエルは死を司る天使であり、邪眼を持つ天使だった。裁定者として、ときに罪を犯した同胞を屠り、堕天させ、その邪眼は命すら奪うこともある。だからいつも、嫌われ者だった。
天界に居場所がないと諦めた彼女は同じ邪眼持ちという数奇な寄る辺に従い、カインの呼びかけに応じ、故郷を捨てて人間の世界に降りてきたのだ。
だから、嬉しかった。
『マスターは、私がいないとダメ……ですか?』
天使との出会いに両手を上げて喜び、恥も外聞なく必要としてくれる彼こそが、サリエルには必要だったのだ。
どんなにダメ人間でもいい。いや、いっそとことんダメであってくれた方がいい。その方が、もっと自分を必要としてくれる。
そう思っていた彼が、まさか自分のために身を挺して教師に掴みかかるなんて。
「マスター。助けてくれてありがとう。私、あなたに恩返しがしたいです」
「恩返しだなんて、そんな……」
自分は大したことなどしていない。キレ散らかして、教師に殴りかかっただけだ。
それもすぐに鎮圧されて、ふんじばられた。
でも、サリエルはそのことが何よりも嬉しかったらしい。
そんな彼女は、提案する。
「ねぇ、マスター。この学校にいるんでしょう? あなたのお姉ちゃんが」
「――え?」
思わず、耳を疑った。
「どうして、それを……」
「わかりますよ。だって私はあなたの天使ですから。同じ血を持つ者の気配くらい。それに、本当は晴れて実家と無縁となれたことを報せたい……あなたがそう思っていることも」
「別に、ボクはそんなんじゃ……」
「じゃあ何故、悪魔召喚士の家系であることを疎ましく思っているあなたが、わざわざ召喚学校に来たのです?」
「そりゃあ、そんな家系なんだ、他に行くとこなんて無いさ……」
自嘲気味に呟くカインの手を、天使はそっと手に取って。
「嘘です。私の目を見て言ってください。本当は姉を追いかけてこの学校に来たのでしょう? でも、彼女の傍にいる召喚獣はとても強力な悪魔ですね? それが怖くて近づけない」
サリエルは、決意を込めて手をぎゅうっと握りしめた。
「お姉ちゃんと仲直りしましょう。私が、あなたの力になりますから」
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