第2話 ヒーロー


 ある日の放課後。

 クラスの愛しき子供たちと別れを告げて、明日の授業で使うプリントの用意なども済ませて、さぁ帰ろうか、と身支度みじたくをしていた時のことだ。


 先輩教師の田中先生うっかりハゲに呼び止められた。


「佐々木先生、近頃不良集団が中高生をカツアゲする事案が増えているみたいですよ」


 ああ、佐々木というのは私の名前だ。

 面白みもない名前だから別に覚えなくても良いよ。

 それより、カツアゲか。

 お小遣いの少ない小学生を狙うことはないと思うけど、因縁をつけてくる小者こものはいるかもしれないわね。


「分かりました。そいつらを見つけてシメあげればいいんですね?」

「違うよ!? 児童が危ないからできる限り見回りしてねってお話だよ!? シメあげちゃだめですからね!!」


 まったく、冗談の通じないハゲだ。

 とはいえ、児童の危機を見過ごすなど論外だ。

 私の癒しを奪うというのなら命を賭けろよ。


「分かりましたよ。児童を大切に思う気持ちは私も同じです。夜まで町中練り歩いてきますよ」

「それは好きにしたらいいけど、佐々木先生もしっかり休むようにね? まだまだ若いとはいえ、身体からだは大切にね。無理をしちゃダメだよ?」


 思い返せばこのハゲに迷惑をかけられたことは数知れない……。


 算数の問題プリントに間違えて数学の問題を出して時にはプリントの回収と新たな算数の問題作りを手伝わされ……。


 風邪で休んだ日の授業を代行してもらった時には、続きじゃなくて一個飛ばした授業をしたばかりに、翌日以降は休んだ日の前日まで進んでいたところから遅れを取り戻すように駆け足気味の授業速度にせざるを得なかった。

 おまけに、それでは子供たちも当然ついていけないので、足りない分は解説付きで分かりやすくした問題プリントを宿題に出して埋め合わせることになった。


 こんな感じでいつもうっかりで私に迷惑を掛けまくるハゲ。

 だけどそのクセに、人一倍優しい心を持ってるから憎むに憎めないのよね。

 ただ、他人の心配をするより自分の心配をしろとだけ、心の内で溢しておくとしよう。


「無理はしませんよ。それじゃ、ハ……田中先生さようなら」

「ねぇ今ハゲって言おうとした? ハゲって——」


 一々うるさいハゲは扉を閉めてシャットアウトし、学校を後にした私は夕陽に染まる街へと繰り出した。



    ◇



 夕暮れの街並みを眺めながら練り歩いていると、意外と多くの児童がいたので見かけるたびに早く帰宅するように告げておいた。

 ただ告げるだけじゃ無視してそのまま遊ぶんじゃ? と思ったそこの君、私の人望を舐めるな。

 

 どこぞのハゲなら舐められてる(優しい先生なので一応人望はある)ので、無視されることは想像にかたくない。

 私なら絶対無視する。

 だけど、私の言うことが確かなのを彼らは身に染みて思い知っているのだ。


 あれはクラスで山へ遠足に出かけた時だ。

 崖側で遊んでいたフランくんに“危ないからもっと広くて安全なところで遊びなさい”と声を掛けた。

 その頃はまだ信用が足りなかったのか、フランくんは友達と共に私の言葉を無視して遊び続けた。


 すると、案の定足を滑らして崖下へまっしぐら。

 ……と、なることを児童を愛する私が見過ごす訳もなく、崖を駆け降りて落下するフランくんを受け止め、崖から突き出していた枝に捕まることでなんとか事なきを得た。

 昔から運動神経が良かったからな。

 この程度はなんてことない。


『うわぁぁぁあああん。ごべんな゛ざい! ごべんだざぁぁああい!!!!』


 腕の中で泣き喚くフランくんを優しく抱きしめると、枝に捕まる腕に力を込めて、振り子の要領で反動をつける。

 そして、その勢いを利用して一息で崖の上へと舞い戻った。


 平地に戻ってもいまだに泣き喚くフランくんを抱き締めて、安心させるように背中をポンポンとゆっくりと優しく撫でる。


『よしよし、もう大丈夫だからな。……でも、これで分かったろ? 危ないから私の言葉だけはしっかり聴くようにな?』

『う゛ん! ごべんだざい、せんぜい』

「良いよ。だけどな、こういう時は謝るんじゃなくてお礼を言ってあげる方が相手は嬉しいもんだぞ?」


 私がそう言うと、私の胸を濡らしていたフランくんは顔をあげて、涙で濡れた瞳を細めて、輝くような笑顔を浮かべる。


『ありがとう! せんせい!』

『……!! ふふ、よくできました』


 そう言って、私はフランくんの柔らかな髪をくように撫でるのだった。


 今思えば、その笑顔がきっかけで彼が私の推しになったんだよなぁ。

 あれ以来、彼と面と向かうたびにときめいて鼻血が出てしまうのは少々困り物だけど。


「……い、……ぇじゃねぇ……。……」

「……なさ……。……とし……」


 考え事をしながらも巡回を続けていた私の耳に微かな声が届いた。

 だが、周囲を見渡しても声の主の姿は見えない。


「そうだ、こういう時こそ使えるんじゃない? 感度三〇〇〇倍の魔法!」


 何もえっちなことに使うだけの魔法ではない。

 感度ということは、聴力の感度を上げることだってできるのではないか? と私は考えたのだ。


 そして、その考えは正しかった。


「今日の夕飯は何にしようかしらぁ」

「やった! SSR当たった!」

「クッソまたすり抜けかよ! ぬあああああ!!」

「ガチャ回すのぉ! ガチャ、ガチャぁぁぁあああああああああああ!!」

「あのクソ上司。肥溜めに叩き込んでやりてぇぜ」

「タラリララーッタリラッタリリッラッスティ♪」

「おいおい、肩痛めちまったよええ?」

「俺たちを舐め腐ってんのか?」

「サンドバックにしちまおうぜ」

「いいな! どうせ金持ってねぇだろうし、ストレス発散ぐらいにしか使えねぇだろ」

「や、やめてよぉ」

「風香ちゃん、逃げて! ぼくが時間を稼ぐから誰か助けを呼んできて!」


 クッソ耳が痛ぇぇぇえええええ!!!!

 町中の声が聞こえてきて頭パンク寸前だっての!

 使えない魔法だなホントに!!


 でも、見つけた。



    ◇



 始まりは風香ふうかちゃんが怖いお兄さんたちにぶつかってしまったことだった。

 すぐに謝ったっていうのに、怖いお兄さんたちは許してくれなくて、どんどん怖い雰囲気を強めていった。


「風香ちゃん、逃げて! ぼくが時間を稼ぐから誰か助けを呼んできて!」


 背後に庇ったクラスの女の子——風香ちゃん——に逃げて誰か助けを呼んできて欲しいと頼んだものの、どうやら怖くて動けなくなってしまったらしい。

 その気持ちは分かる。

 ぼくだって怖い。

 今も足が震えて、声も震えてるのが分かる。

 

 だけど、動かなくちゃいけないんだ。

 人通りの少ない道。

 ここには頼りになる大人はいない。

 いつも助けてくれる先生はいない。


 だから、ぼくが頑張らなくちゃいけないんだ。

 ぼくは男の子だから、風香ちゃんを護るんだ!!


「へっへっへ、んだぁ? 一丁前に護ろうってか?」

「ヒヒヒヒヒ! おいおい震えてるぜ? なっさけねぇナイト様だなぁ?」

「ダセェダセェ!! こりゃお姫様も不安でいっぱいだぁ! ギャハハハハハハハ!!!」


 そんなこと分かってる。

 ケンカなんかしたこともないぼくが、この人たちに勝てる訳がない。

 護る力だってなければ、逃げるだけの力もない。

 だから、風香ちゃんだって不安で仕方がないんだ。

 

 分かってるよ。

 ぼくはヒーローにはなれない。

 自分の身勝手で大切な人を危険な目に遭わせてしまったぼくに、ヒーローになる資格なんてない。


 それでも……。


「それでも! ぼくはここで立ち上がらなくちゃいけないんだ!! 情けなくたって、震えてたって!! 怖くて泣いてる女の子を背に庇えなくて何が男だ!!!!」


 その言葉が気にくわなかったのか、お兄さんたちは笑みを消した。


「お前、生意気だわ。サンドバックくんには蹴りをプレゼントォ!!」


 ぼくのあごめがけて蹴りが迫る。

 でも、ぼくの身体は震えて、動いてくれなくて。

 ぼくはただ、目をつぶって痛みを待つしかできなかった。


「ねぇ、君何してるの?」


 痛みはいつまで経ってもこなかった。

 代わりに、心の底で待ち望んでいた、だけど、ここにいるはずのない女性の声が聞こえた。


 つぶっていた目を開けると、目の前には怖いお兄さんの蹴りを足で踏みつけて抑える先生の姿があった。


「せん……せい……!!」

「よく頑張った。私が駆けつけるまで風香ちゃんを護ってくれてありがとう。さっきの啖呵、カッコよかったよ。フランくん!」


 今まで感じていた不安も、恐怖も、全部吹き飛んでしまった。

 先生がいる。

 それだけで、安心感に包み込まれる。

 なにより、ぼくにとっての最高のヒーローに認めてもらえた。

 

 その事実が、涙が溢れるほどに嬉しかったんだ。

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