episode11 第7話

「この依頼、受けました。コンビニ探偵、近藤武蔵が解決しましょう」

 差し出した手を両手で握り締めるイネコ。ついでに、長い舌で頬を舐められた。

「ありがとなのじゃ」

 どうやら感謝の証らしい。

「話しもまとまったことだし、ずっとこの姿のままでいることもないの」

 イネコはそう言うと、目を閉じ、深呼吸した。と、全身を覆っていた毛が引っ込み、人間のような地肌が姿を現した。

「こんなことも出来るのじゃ。まあ、どちらが本当の姿という訳ではないのじゃがな」

 可愛らしい耳と尻尾はそのままだが、それ以外の見た目はほぼヒトと同様になった。一見すると、20代の健康な女性といった感じだ。

 なんだ、そっちの方が話が早く済んだのに……。

「まずは、今提示できる情報は最大限で示しておいた方が良いと思ってな。それに、お主はこれから先、もっと信じられないものを目にする可能性だってあるのじゃからの」

「それはどういう意味です?」

「そんなものはワシにも分からん。私だって全部を知っている訳ではないのじゃぞ」

 意味深な笑みを浮かべるイネコ。

「怖いこと言いますね……」

「なんじゃ? 縮みあがったかの?」

 何がだよ?

「んなこたぁありませんよ。これまで信じられないことは沢山経験しましたからね。もはや何を見たって驚きませんよ」

「頼もしい返事じゃ」

 何がおかしいかったのかイネコは大口を開けて笑った。

 家族と離れ離れだというのに、どうしてこんな状況で笑えるのか?

 何と言うか、どこか掴みどころのない人だ。

 さっきまで風貌は野生の獣だったのに、話してみると実に気さくで敵意も全く感じない。その喋り口調からか、気のいいお婆さんと話しているような気になってくる。息子もいるし、イネコはいくつなのだろうか? たしか10年前の遺伝子組み換え生物の流行の時に生まれたって言ってたな。今の見た目だと二十歳くらいに見えるが、たしか犬は1、2年で人の成人相当の年齢になり、十数年で寿命を迎えると聞く。

 だとすれば、人間換算だと……。

 指折り数えていると――。

 パン! と、尻を尻尾ではたかれる。

「女性の年齢を詮索するではない」

 お尻をスリスリしながら、俺は素直に頭を下げた。

「どうして俺の考えていることが分かったんですか?」

「カン、じゃよ」

 動物の第六感? 野生の勘というやつか?

「女の勘、じゃ」

 また思考を読まれたのか?

「失礼しました」と言いつつも、イネコの顔をジーと見つめてしまう。何だか不思議な感じだ。野性的というよりも、むしろ母性を感じさせる女性的な顔をしている。

「俺、あなたとどこかで会ったことが?」

「なんじゃ? ナンパかの?」

 いやらしく目尻を下げるイネコ。俺はそれを即座に否定する。

「なぜかあなたを見ていると、ドキドキと顔が火照ってくるんです」

「ああ、そういうことか」

 今度は口角を上げて笑う。

「すまないねぇ。発情期に入ってからフェロモンが出っぱなしでの。お主、魅了されているのかもな?」

「魅了……?」

 何だか危険な響きだな。

「なぁ~に、心配することはない。お主を取って食おうとは思っていない。犬は一匹のオスとしか契りは結ばないのじゃ」

 そうなのか?

「今、嘘だと思うたろう」

 図星を見事に付かれて心臓が大きく跳ねた。

「匂いで分かるのさ。犬の鼻は嘘の『匂い』を嗅ぎ分ける。嗅覚は人間の数千倍じゃぞ。体調の変化、発汗で思考を読み取ることは難しくない」

 自慢げに鼻の頭をポンポンとタップする。

「じゃが安心せい。考えていることをそのまま読み取れるという訳ではない。その人が今、善意や悪意を抱いているとか、喜怒哀楽の感情が分かるだけじゃ」

 なるほど、そういうカラクリだったのか。

 と、逆にイネコから目を見つめられる。

「しかし、どうやらお主にはワシの魅了は効かないようじゃな」

「いえ、効いていると思いますが……」

 実際、イネコに見つめられるとドキドキしてしまう。

「そんなものはオスの本能が反応しているに過ぎない。魅了の本来の能力は他にあるのじゃ」

「本来の能力?」

「ワシはフェロモンに当てられた異性を意のままに操ることが出来るのじゃ」

 イネコの目が怪しく光る。

 俺は一歩後ずさる。

「案ずることはない。言ったじゃろ? お主には効いておらんと。そもそも操る気もない。それに、心にヨコシマなものを持っているものにしか効きはせんのじゃ。そなたは誠実な人間のようだな。あるいは、もう心に決めたおなごが、特定のつがいがいるのかの?」

 心に決めた女性か……。自分のこともままならないのに、そんなこと考えたこともなかったな。だけど、今まで自分が接した人で考えてみると……。

 一瞬、頭の中に浮かんだ人物を頭を振って追い払う。

「ん?」

 俺はそこで思い出す。頭に浮かんだ人物、待たせている奴のことを。

 腕時計は遅れると伝えた時間を大幅に過ぎている。

 スマホには着信はない。

 もしかして、一人で帰ってしまったのか?

 確認のため電話してみると、いつもの抑揚のない声で、『まだか?』と言われた。だから俺は、「すぐ行く」と答えて施設を後にした。



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