episode7 第7話
不満轟々の俺に、「働かざる者食うべからずよ」と、オヤジに追い出されトボトボと歩く。
「はあ~」
盛大なため息と、
「…………」
その数歩後ろを黙って歩いているナナコを引き連れて。
個人的には単独行動の俺だが、任された仕事を放り出すほど無責任な人間になった覚えもない。
仕方がないので、徒歩で猫の集会所を目指す。猫の集会所とは、近くの公園にある迷い猫が集まるスペースで、この近くの野良猫連中の根城になっている。
捜している猫をそこで目撃したと言う人がいたので、その周辺にいることは確かなはずだ。
公園内に入り、「チチチ」と、唇を尖らせて猫たちを呼んでみる。
餌やりのおばちゃんが野良猫を集める時にやっていたのと同じようにやっているのだが、どうも俺がやっても効果はないようだ。
何となくその辺に猫がいるような気配は感じるのだが、悲しいかな、猫たちは姿を見せてはくれない。
気配はすれど姿は見えず、ほんにあなたは屁のような……。
「う~ん」と腕組みで頭を捻る。
餌で釣ろうと色々と買いこんできたが、姿を現してくれなければ意味がない。餌をその辺にばら撒いて猫が現れるのを待ってもいいのだが、その作戦だとおそらく近づいた途端、逃げられて餌だけ持って行かれるという最悪のパターンになりかねない。
どうやら、俺は猫たちに警戒されているらしい。動物には本能的に、良い人間と悪い人間を瞬時に見分けることが出来ると言うことを聞いた記憶がある。猫から見れば、ひねくれ者の俺なんかは多分後者の方にカテゴライズされているのだろう。
まっ、自分で言ってりゃ世話ないか……。
はあ~とため息を吐きながら、ストレッチの要領で首を捻ってナナコの方を見てみると、大人しくベンチに腰掛けていた。
それにしても落ち着いた女の子だ。
オヤジが、勝手に家族なんて言ってたが、一体、こいつは何者なんだ?
派手さはないが、どこか人を引き付ける容姿の少女。昨日からほとんど喋っていないので、どうにも得体のしれなさは拭えない。
服装は、特に何の変哲もない白いシャツに、紺色のプリーツスカート姿だ。しかし、近くで見るとやっぱり服の汚れが目立つな。代えがないので、わざと洗濯しなかったのかもしれないが、さすがに可哀想に思えてしまう。
何となく、家なき子を思わせる。
そう言えば、昔見た名作劇場だからなんだかの主人公が、何かペットを連れていたのを思い出す。
そうだ――!
天使のような悪魔のひらめき。
俺じゃ駄目でもこの子なら……。
「ちょっと、ここに座っていてくれるか?」とナナコを呼び寄せる。そして、皮を剥いた魚肉ソーセージを持たせて、撒き餌のように辺りに猫缶を配置する。
準備を終え、俺はそそくさとその場を後にして、かなり離れた場所から観察する。
双眼鏡を通して映る少女は、本当に人形のようで死んだように動かない。
この年頃の子供って、もっと沢山のものに興味があって、キョロキョロとせわしないような印象なのだが、この子に関してはまるでその気はない。親なんかから言わせると、大人しい良い子なんだろうが、俺からすれば逆にこの子は本当に大丈夫なのかと不安になってしまう。
そんなことをあれこれと考えていると、視界の端にわずかに動くものが見えた。
「おっ!」
思った通りだ。
草むらがわずかに揺らぎ、警戒を解いた猫が近づいてくる。
一匹、二匹、三匹。ナナコへと距離を詰める。
二匹はナナコの側の猫缶に、もう一匹の上品そうな白猫は、身軽にジャンプするとナナコの膝に乗って魚肉ソーセージをペロペロと舐める。
「ターゲット確認っと」
目当ての猫は、何も知らずにソーセージに夢中になっている。
いきなり目標が見つかるとはな。ここまで上手くいくとは思わなかった。
俺はなるべく気配を殺してナナコへと近づく。その気配に気付いて二匹がその場を後にした。だが、目的の猫――エリザベスは、きちんと少女の膝の上で丸くなっていた。
しめしめ。
この隙に捕まえてケージに入れようとも思ったが、ナナコが興味深そうにエリザベスを見つめていた。だからと言うわけではないが、何となくそのまま捕まえてしまうのも躊躇われたのでそのままにしておく。せっかくの機会なので、この子とコミュニケーションを取っておくのもいいだろう。
エリザベスは、その場所が気にいったのか、幸せそうに目を細めている。これなら、当分こいつがどこかへ行く心配もないだろう。
俺はナナコから少し離れた所に腰を下ろした。
と、ナナコは、少し首をかしげるとこちらへ振り向くと、
「この子。グルグルいってる。どうしたんだ? お腹でも痛いのか?」
白い指が、少し汚れている白毛をなでる。
「いや、そうじゃないよ」
ナナコは、首を俺の方に向けて続きを待つ。
「猫がそういう風になるのは、安心してるって言うか、甘えてるって言ったらいいのかな?」
上手い表現が思い浮かばない。
「よく分からないわ」
ナナコは、首をかしげて、膝もとへと視線を戻す。
「何って言うかさ。とにかく、お前のことを好きってことさ」
「好き? 何故? 私は何もしていないのに、何故、好きになる?」
「俺がそんなこと知るかよ。そんなのは、自分で考えろ」
俺はそっぽを向いて答える。
ナナコはその答えに満足したわけじゃないだろうが、それ以上何も訊いてはこなかった。
何となく自己嫌悪を感じてしまう。
単なるガキの質問だと、適当に答えてしまったが、猫から嫌われている俺が何故、エリザベスがこんな風にナナコに懐くのかなんて分かるはずもない。
仕方ないな……。
俺はポケットに忍ばせていた猫じゃらしを取り出して、エリザベスの前で揺らす。と、エリザベスは耳を立てて、大きなあくびをした。それから、ナナコの膝上から飛び降りて、猫じゃらしに釘付けになった。
尻を振って狙いを定めるエリザベス。徐々に近づく猫じゃらし。まだ手の届く範囲ではないが、痺れを切らしてエリザベスは飛びつく。気配を察して俺は、サッと猫じゃらしを引いてそれをかわす。
ホント、猫ってのは単純でいいな。自然と顔がほころぶ。
「ほら、お前もやってみろ」
ナナコは、猫じゃらしを受け取ると、俺がやって見せたように猫じゃらしを左右に動かした。だが、どうも動きがバカ正直過ぎて、エリザベスはすぐに猫じゃらしを捕まえてしまう。
よく言えば素直。悪く言えば単純な奴だ。
ナナコの動きがあまりにも単調で猫の方も飽きそうだったので、俺はエリザベスを抱き上げケージへと押し込んだ。
「何はともあれ、捕獲完了だな」
グッジョブと、親指を立ててみせる。
「それじゃ、飼い主の所へこいつを届けにいきますか」
「飼い主……?」
ナナコは、状況が理解出来ていないのか小首をかしげた。
依頼者宅への道すがら、ナナコは俺の方をチラチラ見ていた。何か言いたいことでもあるのかとも思ったが、そんなこともなく目的地へ到着した。
「ちょっと待ってろよ」
玄関口のインターホンを押す。
インターホンの音に紛れ、背後でガチャリと何かが開く音がする。
振り返ると、ナナコがケージから猫を逃がそうとしていた。
「ちょちょちょっ、何してんの?」
慌ててケージの扉を閉める。
「だって、かわいそうだから」
「何で? 逃がす方が可哀想だろ。こいつに、また野良猫をやれって言うのか?」
「そう」
うなずくナナコ。
「いやいや、こいつには向いてないって」
「何故そんなことが分かる?」
「だって、野良猫って大変だぜ。他の野良猫とテリトリー争いだったり、ゴミを漁って自分の食いぶちを確保したりさ」
「だけど、自由だ」
「そうかもしれないけど、野良猫なんかよりも、飼い猫の方が断然幸せだって。何て言っても、衣食住の心配がないんだからな。それに、こいつを逃がしたら飼い主が悲しむだろ」
まあ、“衣”については正直いらないだろうが、どちらにしろ、さっきの公園での様子を見る限り、この猫に野良は向いていないと思う。
「飼い主のことなんて知らないわ……。この子はモノじゃない。幸せならなんで、この子は逃げ出したの?」
「え? 何でって、それは……」
なんでだろう?
頭を捻ってみても、俺は猫ではないので分かるはずもない。と、
「もしもーし」
フィルターがかった声が門の方から聞こえてくる。
依頼者のことをすっかり忘れていた。俺は急いでインターホンに向かって返事をする。
「とにかくだ。依頼者からこいつを連れ戻せと依頼されたんだ。俺はその仕事を真っ当するだけだ」
エリザベスの入ったケージを手に、
「心配だったら、一緒に来るか?」
ナナコへと確認するも、特に何の反応もなかったので、「それじゃ、そこで待ってろ」と、俺は一人、屋敷へと入っていた。
「本当に、ありがとうございます」
お上品な服に身を包んだマダムが、甲斐甲斐しく頭を下げる。
「ちょっと目を離した隙に、たまたま窓が開いていましてね。でも、見つけて頂いて、本当にありがとうございます」
「は、はあ」
手を合わせて仏様でも拝むようにしている依頼者へと覇気のない返事をする。
明るく妙に馴れ馴れしい。正直、俺の苦手なタイプだ。
俺はどうにも騒がしいのは好きではない。ナナコほどではないが、他人と積極的に関わるよりも一人でいる方のほうが好きだ。こんな探偵なんてやっていなければ、もっと地味で他人とあまり話さないような仕事を選んでいただろうと思う。
テーブルの上には、高級そうなクッキーが並び、英国御用達の紅茶でもてなされる。
エリザベスは依頼者の膝上で、ここが自分の居場所だとでも言わんばかりにくつろいでいる。早速、豪華な衣装に着替えさせられている。ナナコは否定するかもしれないが、俺はやっぱり、こいつには野良猫よりもこっちの方が似合っていると思う。
そのエリザベスを撫でながら、依頼者は、昨年主人が亡くなってこの猫を飼ったとか何やら話していたが、あまり頭の中には入ってこなかった。
そんなどうでもいい話が、三十分ほど続いた後、
「あの、そろそろお暇しようと思うので、そのご依頼の報酬の方を……」
痺れを切らした俺は、マダムを促す。
「あら、嫌だわ」
マダムは大きく開いた口を手のひらで隠す。
「年をとると話が長くて、ごめんなさいね。今、お持ちしますわね」と言いながらも、「ちなみに、こういうのって、おいくらくらいお渡しすればいいのかしら?」とお茶目に訊いてくるマダム。
「私の口からいくらとは……」
オヤジに教えられた通りの対応で返す。とはいえ、あまり高額になっても困るので、「依頼を受けた時に差し上げたチラシを参考にして頂ければ」と付け加える。
俺はコンビニ探偵として依頼を受けている事もあり、依頼料は特に難易度が高くない限り一日五千円~で手をうっている。まあ、猫捜しの場合だと、日数に応じて正比例に増えていくというわけではないので、二三日かかって、一万円も貰えれば御の字だ。
「本当に、ありがとうございました」
何度も聞く台詞だなと思いながら、『御礼』と書かれた白い封筒を受け取る。
軽い。そして、薄い。
一万円か。
中身を見ずともその価値が分かる。まあ、順当な所だろう。
「それじゃあ、また、何かありましたら」
別れの挨拶をして屋敷を出る。
と、屋敷の門の向こう、すっかり失念していた存在が、空を見上げていた。
少女の背丈の二倍はある鉄格子の向こうで、どこか悲しげな表情で天を仰いでいる。その儚げな姿は、牢屋に囚われたお姫様のようだった。
遠目なので表情まではうかがい知ることは出来ないが、その雰囲気は憂いに満ち、小さな別れに胸を痛めているようにも見えた。
大人にとっては何気ない別れでも、子供にとってはとてつもなく大きなものだったのかもしれない。まして、こいつは何も知らずに猫を捕まえるおとり役にされたのだ。傷ついていないはずがない。
少女の無垢な心を利用したみたいで申し訳なく思えた。
「おい」
思わず、声をかける。が、少女はこちらへと振り返ることはなかった。なので、こちらから近寄る。
「悪い。遅くなった」
ようやくナナコは振り返る。
「あの猫のこと考えてたなら安心しろって。依頼者と話したけど、別に悪そうな人じゃなかったし、心配いらないって。あいつも今頃は美味いものでも食べて、フカフカのベッドで寝てるんじゃないか」
上着のポケットから、マダムから貰った高級クッキーを取り出してナナコに無理やり握らせる。
ナナコはクッキーを見つめた後、ゆっくりと俺の顔を見つめる。そこで俺は、ナナコの頬を伝う透明な雫に気が付いた。
「お前……」
雫へと手を伸ばす。
ナナコは俺を見つめたまま固まったままだ。そして、俺の指がその白い肌に触れようとした瞬間――。
ポタリ――。
「つめたっ」
頭頂部に感じる冷たい液体が俺の頭を醒まさせる。
俺はナナコがしていたように、空を見上げた。そこには、今にも泣き出しそうな曇り空、というよりも、分厚く黒い雨雲が広がっていた。
「雨……降る……」
いや、もう降ってるから。
そうだよな。そんなわけないよな。こいつが泣くなんてあり得ないよな……。
暗い雰囲気も、太陽が隠れたせいでそう感じただけさ。
俺も雨と涙を見間違えるなんて、少し感傷的になりすぎていたのかもしれない。
「…………」
もう一度、天を仰ぐ。
ポツ――。
頬に冷たいものを感じる。
ポツ――。ポツ――。
一人で活動していた時には感じることのなかった感覚。何となく自分が自分じゃなくなっていくような錯覚。
ポツ――。ポツ――。ポツ――。
雨足が徐々に激しくなり、アスファルトの染みを大きくしていた。
――くそっ。
小さく呟くと、俺はそれから逃げるように走った。
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