魚里蹴友

ビアスと賢治

 僕は、二人の作家が豚について書いたのを見た。アンブローズビアスと宮沢賢治である。




 本屋に行き、何を買おうかと立ち読みしながうろうろしていると、まず、『悪魔の辞典』を見つけた。適当に開くと、豚という見出し語が含まれるところだった。この後、結局買わなかったので内容は曖昧だが確か

 ―何でも食べるが、食欲は人間に劣る。なぜなら、豚を食べるのだけは躊躇うからだ。

 ということが書いてあった。さすが酸とニガヨモギ。豚のことを言って、人は人をナントカするということを間接的に話しているのだ。

 僕もこんな表現ができるようになろう。




 次は宮沢賢治だ。知っている人もいるかもしれない『フランドン農学校の豚』だが、新しいバージョンの『風の又三郎』に入っていた。これは買った。実際の目当てはヨルシカのブックカバーだったのだが、幸福に幸福が重なってくれた。幸福で宮沢賢治といえばあの言葉を思い出すのだが、今は関係ないのでその話をするのは我慢しよう。それにもっと良いタイミングがあるはずだ。

 豚はこの物語の中で死亡承諾書に判をおすことになるのだが、まるで承諾書の意味が無いような使い方をする。理不尽で残酷な運命は、命の価値を考えさせられた。

 豚や他の家畜にそのような扱いをするのならば、人間にも同じ仕打ちをしないといけない。しかしそうはできない。人間の死亡承諾書なんてあったら面白いだろうが、死ぬことを覚悟して毎日生きることになる。

 僕の中で、伊坂幸太郎氏が言っていたことに繋がった。

 殺人が法律で禁止されているのは殺されないため、という何かの作品の台詞に。




 二人とも約一世紀前の人なのに、今の僕が楽しめるのは、やはり尊敬する。




 そして、一番素晴らしい動物は豚なんじゃないかと思った。

 実際、僕は豚よりも頭が悪い。

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魚里蹴友 @swanK1729

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