八百年生きた俺が十代の女に恋をするのはやはり罪ですか? 

松岡弓意

君の願い事、俺の願い事

第1話 年の差八百歳

 俺のチートは圧倒的な魔力量『だけ』だった。



 だから、一から言語を覚える必要があった。



 一応、言語が通じる人間が、一人だけいた。

 俺を呼び出したお姫様だ。



 しかし、俺の圧倒的な魔力量が災いして、死んだ。

 俺が殺した。



 地獄の始まりだった。

 生き残るために必要だとされる悪事の、全てをやったと言っていい。



 チートがもう一つあったことに気がついたのは、この世界に来て、数十年が過ぎてからだった。



 このチートは、前情報がなければ絶対に気づけず、時間を置いて、やっと誰でもわかるようになる、そんなチート。

 そして、気づいたところで、効力を得るにはやはり独力しかない。そんな、泥臭いチートだ。



 俺は、泉に映る自分の姿を見た時に、気がついた。



 自分が年を取っていないこと。

 自分の身体が、衰えを知らぬこと。



 勘違いかもしれない。

 そうじゃないことを願って、生きた。



 自分以外の全てがどうなってもいい。だから強さを。

 そんな黒い考えを胸に抱いて、一日一日を懸命に乗り越えた。



 それから数百年。



 俺は確かに強くなっていた。

 どれだけ悪に染まろうと『これだけは!』と胸に抱いていた倫理の全てを破壊して。



 今もそうなのかと言うと、そんなことはない。

 改心したんじゃない。



 終わったのだ。



 生前俺がやりたかったこと。

 全て果たした。

 全て得た。



 金も名誉も地位も女も。



 これ以上のものはない。

 もう十分だ。



 そう言い聞かせながら、生きた。

 


 本当は、全てを叶えたようで、何一つ叶えていないことを、俺は知っていた。

 そしてそれは、今の俺ならば、たやすく手に入ることも、俺にはわかっていた。

 


 だけど今更……。



 壮年という言葉でも、老齢という言葉でさえ、俺を形容するには遠すぎる。



 七百年生きている俺の隣に、誰が並べるって言うんだ――



 え?



 ジャリ。



 舗装された道。

 厚手の靴で擦るようにして、足を止めた。



 陽光が燦々と照りつけている。

 光を浴びた若草色の芝生は、まるで歌っているかのように煌めいていた。



 周囲に人はいない。

 ここは観光の街エルメルリアと、橋一本で繋がった孤島だからだ。



 まあそういった状況説明はさておいて。



 今、ものすごく、ものすごーく、不穏なものが見えた気がするのだが……。



 腰を折り曲げた。

 目の前には道に打ち付けられた看板。

 インクを転移しやすい羊皮紙に、南尾の文字で、ツラツラと綴られている内容。

 それは。



「交鳥暦四百三十五年。四月七日は木祭の日。会場。エルメルリア中央広場。露店出店。十七時頃予定」



 重要なのは初文。

 というかそれ以外はどうでもいい。マジで。



 俺がこの世界に来たのは、確か虹玉歴六百年前後。

 歴は千年前後で交鳥歴に変わったから、足すと、ひーふーみーよー



 顔を上げた。

 思わずポカンと、口が開く。



「マジ?」



 誰にともなく尋ねる。反応したのは鳥だけだった。見上げた先に広がる蒼空。鳥は羽根だけを残して消えていった。



「はぁ」



 残された羽根を弄りながら、ため息を零す。そりゃ零すよ。この前まで七百歳だったのに、今の俺は計算したところ八百歳。



「いつまで俺は、この世界で魔法使いを営まくちゃいかんのか」



 バシャリと水たまりを踏みつける。

 昨日は豪雨だった。

 そこいらに、汚れた水たまりができている。

 汚れた水たまりに、今の俺の姿が映っていた。



 灰を被ったように真っ白な頭を、ポニテにしている。

 地獄のような八百年をくぐり抜けたから、顔立ちに『生前の』弱々しさは微塵もなかった。

 襟首と手首に獅子の毛を結った、漆黒のコートに身を包み、下は黒のスラックス。

 黒の長手袋で指先まで覆い、指輪を五つ、左右に振り分けてはめていた。 



「ま、今更、日本に還りたいとも思わんが」



 独りごちにつぶやきながら、足を持ち上げる。

 今の俺の姿は、水たまりの波紋の中へと消えていった。



 ガタッ!! ガタガタガタッ!! ガタ!!



 突然背負っていた麻袋が暴れ出す。

 


 伝書だ。

 


 魔力を込めた水、闇水(あんすい)を転移させて、文章をやり取りする、まあこの世界でいうメールみたいなものかな。

 


 麻袋を下ろして、暴れる伝書を取り出した。伝書のベルトを外してページをめくる。

 


 内容は――



『こんにちわ。依頼を出させていただいた、ギルドフルーレの長、ティアラナ=ホフキンスです。あれから一週間が経ちましたが、いつ頃着きそうですか?』



 ――と、いうことのようだ。



 俺は背表紙に差していた羽ペンを抜き取り、指の上でクルクルと旋回させた。

 


 もう一方の手で、指を鳴らす。



 その音に呼応して、周囲の水たまりが一斉に噴き上がり、羽ペンの先に集約されていく。



 ペンを止めた。ペンの先には水の玉。

 


 これが魔力を込めた水、闇水(あんすい)だ。



 トーシロだと市販で買わなくちゃならない代物も、俺ぐらいの魔術師になれば、この通りよ。アッハッハ。



「つっても、もうついて――」

 


 キィ……。

 

 

「ふわ……あ~」



 丁度見ていた、二階建ての大きな建物から、一人の少女が現れた。

 


 長い黒髪を、シースルートップスの上に落としている。

 目を糸のように細くして、大福でも食べるように、口を大きく開けて、『うんっ』と持ち上げた腕から、白い脇を見せていた。



 下品な仕草。が、あどけない、と見えるのは、ひとえに、女が美人だからに他ならなかった。

 


「あ!!」



 女が俺に気がついて、慌てて脇を閉め、口元に手を添えた。頬には朱が注がれていた。

 


 女が駆けてくる。

 走ることすらしないってな顔立ちのわりに、動きが大胆だった。

 ポンポンと駆けて、俺の前で立ち止まる。やや腰を曲げて、わざわざ上目遣いに見上げてきた。高い腰丈。黄色のスカートから、細く長い足が伸びていた。

 あざとい、が、以下略。せっかくなので言い方を変えて続きを語るなら、可愛いは正義、ということなのである。

 


「こんにちわ」

「あーその、どうも……」


 

 頭を掻きながら、目を逸らした。

 


 伝書の内容から言うまでもないと思うのだが、偶然の出会いでは、もちろんない。

 

 俺がここに来たのは、魔導師協会に掲載されていた、依頼を引き受けたからだ。



 その契約内容がこれ。



 難易度=S級。

 依頼料=南尾統一銅貨二十五枚。

 内容=追って説明。

 場所=追って説明。

 依頼主=魔導師協会所属S4魔術師、ティアラナ=ホフキンス。

 


 契約書というにはあまりにも粗悪な内容なので、これだけ見ても何のこっちゃわからんだろう。



 簡単に言えば、生死は保証しませんよと書かれた依頼を、俺は子供の駄賃程度の値で引き受け、この女は、生死は保証しませんよと書いた依頼を、子供の駄賃程度の値で、魔導師協会に提出した。



 正直なところ、俺はいつ死んだっていいと思っている。

 しかし、わざわざ身投げしたいとは思わないし、火中の栗を死ぬまで拾おうなんて考えちゃいない。



 ならばどうして今回、こんな危ない橋をこんな給金で渡ろうと思ったのか。

 理由は一つ。


 

 興味があったからだ。

 


 S4という称号は、魔導師協会が与えるランクの中でも最高位。

 それをこの女は、若干十七歳、史上最年少で獲得したという。



 魔導師協会はどこも中抜きが酷いので、本当に腕のいい魔術師は登録しない、つまり世界で二十一人しかいないS4魔術師様は、腕がいいというよりただ世間知らずなだけ、という意見もあるが、それにしたってすごいことだ。



 だから、どんな女か見てみたいと思った。



 それを今、目の前にしたわけだが――



 なるほど。過信でも誤認でもない。



 確かに……天才だな。

 


 魔力量の高さは才能だった。魔力の高さは瞳の色でわかり、全部で十二階位ある。十二位がもっとも高く、ゼロ位がもっとも低い、というか、無である。

 


 ティアラナの瞳の色は紫暗。紫暗が表す魔力量は十一位。階位で言えば二番目に高い。

 


 しかし俺は、それだけでティアラナを天才だと決め付けたわけではない。

 


 この世界の魔力とは、死者の情念である死念と、自分の感情、思念が混じり合ったものを指す。

 この論理は、魔力=感情という式が成立することを意味し、その論理が成立するならば、魔力を纏(まと)う=感情をさらけ出す、という式もまた、成立するということになる。



 魔術師は、奇跡を起こせる術(すべ)と引き換えに、自分の心の声を、声高らかに吹聴しているのと同義。



 それらの法則、式をねじ伏せるのが、魔術師としての格、技量というものであるのだが、見せぬように積み重ねた技量を突破するのもまた技量。

 


 そして俺は八百年生きている。俺が積み重ねた技量は文字通り普通じゃない。しかし、こいつは――



 久しぶりに見たぜ。

 俺が、心を見ることができない魔術師を……。



「っ」



 息を詰まらせながら、上半身を下げた。目に集めていた魔力を解き、精神世界(アストラルサイド)から、現実世界に視線を戻す。

 


 向けられていたのは、伝書と羽ペンだった。いつの間にか落としていたようだ。羽ペンの先に集めた水が崩れ、地面に水たまりができていた。



 小首を傾げて、ティアラナが笑う。



「はい。どうぞ」

「あ、あぁ……その、どうも」



 頭をかきながら、それを受け取る。かいた手で、強引に頭を下げた。



「ふふふ」



 語尾に音符でもつけてそうな、耳朶をくすぐるような笑い声が、視界の外から響いてくる。余計に頭が上げられない。



「ねぇねぇ」

「うわっと!!」



 思わず飛びのいていた。ティアラナが膝を抱えて、真下から話しかけてきたからだ。そんな俺の挙動を見てか、またティアラナがクスクスと笑う。

 


 仕草一つとってみても可愛いが、スカートで膝を抱えられると、どうしてもそこが気になってしまう。

 


 俺は理性の網で本能を雁字搦めにし、強引に上向いた。

 


 ここならば、突然現れることはできまい。



「聞くまでもないと思うんだけど、一応聞かせてもらっていいかな? 君、お名前は?」

「えっと、俺の名前は緋勇(ひゆう)――」



 少し間が開いた。

 


 俺が言葉に詰まったからだ。

 


 ティアラナがキョトンと小首を傾げる。

 


 名前はと聞かれると、無性に、日本名を名乗りたくなる時がある。

 


 多分それは……。

 


 本当の自分を、知ってほしいと、思った時。

 


 嗤って、口を開いた。



「ビュウ。生死保証せず、S級難度の依頼を受けてきた、ビュウ=フェナリス」


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