雨傘

@yayuS

雨傘

「前から思ってたけど、ひろしってさ、なんでいつも折り畳み傘なの?」


 学校からの帰り道。

 唐突に彼女――天音あまねは僕に聞いた。

 その日は朝から雨が振っていた。大抵の人は通学時、雨が振っていれば普通の傘を使うだろう。

 確かにその通りだけど……。

 僕は小さく広がる傘を見て言う。


「だって、いつでも持ち運べて便利だし、誰かに盗まれる心配もないから」


「もう。盗まれる心配までしてるの。可愛いなー。まあ、そんな性格の寛が好きなんだけどね」


 彼女はそう言って笑う。

 天音とは付き合って三か月。

 僕みたいな地味で心配性な男の話でもケラケラと笑う。僕はそんな彼女が好きだった。

 だから、守りたいと思った。一緒に居たいと思った。

 自分の思いを確認する僕に彼女は言う。


「でも、その傘だと相々傘が出来ません。なので、これから傘を買いに行きたいと思います!」





 彼女のバイト先に向かうと、楽しそうに男の人と話している彼女がいた。

 バイト先の先輩だろうか?

 少し不良っぽいけど格好いい。身長も高いし、服の上からでも鍛えているのが分かる。金色の派手な髪にも負けない整った顔立ち。

 二人はどこかお似合いに思えた。


「あ、来た来た! ごめんね、ひろし。迎えに来て貰っちゃって」


「ううん。僕も丁度帰り道だから……」


 彼女はお喋りをしていたバイト仲間に手を振って当たり前のように僕の隣に並ぶ。

 楽しい時間を邪魔されたからだろう。

 少し切れ長の目で僕を睨む。そっと、目を逸らして背を向けた。我ながら――情けない。 

 僕の逃避に気付かなかったのか、天音が「えい!」と、僕の傘に飛び込んできた。


「ふっふっふ。こうして大学生になった今も、この傘を大事に使ってくれるの嬉しいな」


「そりゃそうだよ。だって、これが天音から初めて貰ったプレゼントだから」


 高校時代。

 唐突に傘を買いに行ったあの日のことを今でも覚えている。

 お洒落な雑貨屋。

 傘よりも天音が見たい文具や髪留めを見る時間の方が長かったっけ。でも、そんな時間も幸せだった。

 天音が買ってくれたこの傘は折りたためて、大きさも十分だった。

 二人並んでも雨に濡れない。

 露先つゆさきから流れる雨粒を見つめ彼女は言った。


「ふふふ。寛は私の傘だね」


「へ? なんで、どうしたの、急に?」


「雨粒を嫌なこととするじゃない? ほら、雨粒いやなことから、手を広げて私を守ってくれてるでしょ? 帰りがけに迎えに来てくれて、凄い助かっちゃったもん!」


「そう……かな?」


「そうだよ! それに、もし、出かけてなくても、寛は私を迎えに来てくれるって知ってるもん!」

 

 僕は少し照れ臭くなって傘の布を見つめる。

 男にしては少し派手な模様をした傘も――どこか好きになれた気がした。





「あ、ごめん。ちょっと体調悪いから、買い物行ってきてくれない?」


 社会人になり、僕と天音は同棲を初めた。バタバタと忙しい一か月が過ぎたある日のこと。

 いつも残業が多い彼女が、珍しく定時で帰ってきた。

 大きな案件を任されたと言っていたのに珍しい……。家に帰るなり彼女は布団に倒れ込んだ。

 相当、疲れているようだ。


「大丈夫……?」


「うん。ただ、すこしお腹が空いたかな……。なにか食べるモノあるかな?」


「あ、ごめん。まだ、なにも準備してなくて……。今日も帰りが遅くなると思ったから……」


 我が家では家事は基本、僕がやることになっている。それは彼女の方が仕事に前向きなこと。また、コミュニケーション能力が低い僕は将来期待できないし、家で料理を作ってる方が好きだ。

 二人で話し合った結果、意見が合致しそうなった。


 けど、早く帰るなら連絡が欲しかったな……。


「そうだよね。ごめんね。本当は自分で買ってくるつもりだったんだけど、そんな余裕もなくて……。もし、ご飯に時間が掛かるなら、何か買ってきてくれる?」


「うん。分かったよ」


 急いで上着を羽織って外に出る。僕が仕事帰りの時は雨は振っていなかったのに、土砂降りになっていた。ゲリラ豪雨だ。


「……よし、行こう!」


 僕たちは車は持ってない。だから、歩きで行くしかない。

 玄関の脇に置かれた傘を手に取りアパートを出た。

 傘を開くと骨組みが少し錆びていた。それに撥水はっすいも悪くなっているのか、雨を吸って重くなる。

 それだけ、月日が過ぎていた。

 それだけ、天音と一緒にいた。


「そうだ……」


 一番近くのスーパーに着いたところで、天音が何を食べたいか聞いてないことに気付いた。

 スマホを取り出して、連絡を取る。

 まだ、起きてればいいんだけど……。


『なに食べたいかな?』


 僕の心配は杞憂で直ぐに返事が帰ってきた。

 ポン、ポン、と可愛い音を立てて次々と天音が食べたいモノが送られてきた。


『アイス』

『コーンスープ』

『牛乳』

『キュウリ』

『たくわん』

『そーめん』


 統一感のない希望に、僕は一人笑ってしまった。

 目当ての食料を購入した僕は、小走りでアパートに戻った。

 寝室でまどろんでいた天音に聞く。


「買ってきたけど……後で食べる?」

「ううん。お腹空いたから今食べる」


 白いビニール袋から取り出していく。

 露になった食料を見て、天音の目が細く、呆れたように視線を僕に向けた。「はぁ」と大きなため息と共に言う。


「私、コーンスープは粒がある方が好きって――知ってるよね?」


 どうやら、僕が買ってきたコーンスープが気に入らなかったようだ。

 僕が買ってきたのは粉末タイプのコーンスープ。

 粒は入っていない。

 

「そうだったけ……? ごめん」


 知ってるよね?

 なんて聞かれても、そもそも、コーンスープを体調不良の時に飲みたくなること自体が初めてだった気がするし、日頃から飲んでるところをあまり見たことがなかった。


「私は粒ありがいい。だから、お願い。もう一度買ってきてくれないかな?」


「う、うん」


 僕は土砂降りの中、もう一度傘を開いた。

 当然、行く時よりも傘は重くなっていた。





 台風の日だった。

 そんな日にも関わらずに彼女は、友人と遊びに行くと出かけていった。雨風が強いから辞めとけば? と、止めたんだけど、「タクシー使うから平気」と、笑顔で玄関を出た。

 夕方に帰ると言っていたのに、帰ってきたのは夜中だった。


「ただいまー」


「おかえり。遅くて心配したよ……大丈夫だった?」


「うん。ちょっと、盛り上がっちゃて」


「あ、凄い濡れてるじゃない。傘、持ってかなかったの?」


 玄関に立つ彼女は髪の根元から毛先まで雨に濡れていた。来ていた服も水に濡れて色が濃くなっている。

 洗面所からタオルを取り出して、髪を拭く。

 気持ちよさそうに顔を綻ばせながら、彼女は言った。


「ごめーん。傘、壊しちゃった」


「え……?」


 彼女が手にしていたのは、高校時代、僕にプレゼントしてくれた傘だった。

 強風に煽られたのだろう。

 骨はあちこちに曲がり、布から突き出していた。

 これでは、もう、傘とは呼べない。

 雨粒から――天音を守れない。


「でも、これも古いから丁度いいよね。捨てておいてね」


 彼女はそう言って傘を床に放り投げた。

 当然だ。

 使えなくなった傘は必要ないんだから。


「そ、そうだね……」


 身体が乾いた天音は、家の中に入った。リビングに足を踏み入れた途端、唐突に「クン、クン」と鼻を引くつかせる。


「この家……なんか、くさい」


「あ、ごめん。最近、天気悪いけど、洗濯溜まってたから」


 現在、通過している台風の速度は遅く、ここ3日間ほどずっと雨が続いている。

 流石に溜まった洗濯を片付けないとと、天音を見送ってすぐに、作業に勤しんだ。けど――乾ききらなかった為に、半渇きの匂いが部屋に充満していた。


「私、部屋干しの匂い嫌いなの知ってるよね?」


「それは……うん。でも、洗わないと……」


「だったら、コインランドリーでも言ってくればいいじゃない」


「この台風の中で?」


「私も行けたし平気だよ」


 そう言うと彼女は部屋に干してあった洗濯ものを乱雑に掴むと、もう一度洗う様にカゴの中に放った。

 その乱雑な動作に――心が折れてしまった。

 折れて、砕けて、破れて捨てられた派手な傘と同じで――。

 

「僕たち――別れようか」


 僕は自分でも気づかない内に、心の声を漏らした。


「へ? なんで!」


 一度、壁が崩壊してしまえば、流れ出るのは簡単で、塞き止められていた思いが流れ出る。


「昔、天音は僕に言ってくれた。あの傘は僕だって。雨粒いやなことから私を守る傘だって」


 彼女は僕の言葉に首を傾げた。

 日常の些細な会話。

 きっと覚えていないんだろう。


「僕はそう言って貰えたのが嬉しかった。だから、日々、君を守りたくて頑張ってきた。でも、今の僕はその傘と同じで――もう使えないんだよ」


 僕はもう、君を守れる自信がない。


「なんで! 私がわがまま沢山言ったから? でも、いつも寛は笑ってくれたじゃない」


「うん。僕はそのわがままが凄い嬉しかった。僕の下で笑ってる君を見るのが凄い好きだった」


 でも。

 でもね。

 もう、僕の心はボロボロなんだよ。

 骨は錆びで自分の体が嘘のように重い。

 このままずっと、昔みたいに君を守ってあげられない。

 君の天真爛漫さに、僕が耐えられなかった。

 ただ、それだけ。

 だから、言いたい言葉は一つだけ。


「街を歩く色鮮やかな傘に目移りしないで、僕を使い続けてくれて――」


 ありがとう。

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