仙人料理はやっ亭

岩田へいきち

仙人料理はやっ亭

「まもなく目的地周辺のはずですが……まあ、この辺です」


「ええ、なんだ、このナビ、マジか」


婚約者のみなみを助手席に乗せたゆうは思いもよらないナビの案内に思わず声をあげた。


「こんな山の中じゃナビも呆れちゃったんじゃない? この辺りにあるわよ。 探しましょ」


みなみは落ち着いて焦っている勇をいさめた。

二人はネットで見つけた仙人料理に気を引かれ、夜まで間もないこんな夕暮れ時にこんな山の奥までやって来たのだ。 仙人と言えば厳しい修行を重ね、限りなく神に近づいた人、 料理にも興味があったがそれよりも結婚前のこのふたりがそれぞれ持っている不安を相談したい、払拭したいという思いが合致したのだ。


勇は少し空き地になっている木がないスペースに車を駐め、みなみとふたり車を降りた。 他に車は駐まっておらず、少し砂利が敷かれているだけのスペースだった。既に辺りは薄暗く、垂れ下がった樹々の葉は色を失い、どことなく怖い感じさえあった。 奥の方に薄くぼんやりとした灯りが見え、よく見るとこの駐車スペースの脇には小川が流れ、奥へ向かう小道には小さな木造りの橋が架けられていた。


「あれじゃない。 行きましょ」


みなみがそれを見つけてそう言い、歩きだした。 勇もそれに遅れないように続いて橋を渡った。

橋を渡ると少し開けていて畑の中を小道が続いていた。奥には更に岩山が切り立っており、その根元から灯りがゆらめいていた。

三月も半ば過ぎてというのに冷え込んだこの岩山のふもとには薄っすらと霧がかかり始めているようだった。 


「さすが仙人が住む山だなあ。 雰囲気ある」


勇は先ほどの焦りのことは忘れてすっかり興奮状態に入っていたが、みなみは


「寒いわね。なんか温かいものとか食べるものあるのかしら」


と現実的だった。店の玄関までには大きな飛び石が三、四個並び、入り口の引き戸の前にはそれより小さめの石が二つ並行になっていた。 建屋は小さな木造の平屋で壁や柱は模様なのか古過ぎるのか虫が食べたような穴がたくさん空いていた。 店の側面には二、三人掛けられそうな長い腰掛けがあったが、誰かが最近掛けたような様子はなさそうで埃が積んでいるように見えた。 屋根は玄関側に傾斜していたが、とても黒く、暗くてどういう構造になっているかよく分からなかった。 その奥も更に黒く、真っ暗で大きな洞穴の中にこの店が立っているようにも見えた。入り口には藍色ののれんがかかっており左側から「は 」「やっ」「亭」と書いてあった。このたたずまいにありがちな右側からではなかった。


「凄い、雰囲気満点やね。きっとこの腰掛けに昼間は髪の白い仙人のおじいさんが座ってんだぜ」 


入り口の左端に置いてあった腰掛けを指差して勇がみなみに言った。


「分かった、分かったから早く入りましょ。寒っ」


みなみはそう言いながら玄関の戸を開けた。


「いらっしやいませ」 


予想に反してかん高い声が聞こえた。 勇たちは意表を突かれた感じになったがその声の言う通り中へ入って戸を閉めた。カウンターの奥に立ってニコニコしながらふたりを見ていたのは、髪が白いものの、思い描いていたようなボサボサの長い髪ではなく、短くきっちりした髪型のおじさんだった。 勇は思ったより若く見えるけどきっとこの人が仙人だろう。若いのに悟りを開いた仙人としては出来の良い人なんだろう。 食べ物屋だからきっちり髪を切ったんだなと親しみやすそうな仙人で良かった。相談にも乗ってくれそうだとかえって安心した。 一方、みなみは入って戸を閉めるなり


「あったかい」


と言ってそちらをとりあえず安心した。 カウンターには四つほど腰掛けが並んでいて手前には四人掛けのテーブルが一つとその他に二人掛けのテーブルがその先と右奥にあった。ふたりは


「どうぞ、どうぞおかけください」


と手で示されたカウンターの腰掛けに招かれるままに座った。 相談もしたかったのでふたりとも抵抗なくそこに落ち着いた。

店の主人がお茶を出しながら


「メニューは仙人料理コースしかありませんがよろしいですか? 料金は一五〇〇円になります」


と伝えると


「えっ、そんなに安いんですか? コースですよね?」


と勇はみなみと顔を見合わせながら尋ねた。 すると主人は


「たいしたもんないですからね。 仙人料理だし、1500円でも申し訳ないぐらいですよ」


と答えた。


「じや、仙人料理コース二人前でお願いします」


「分かりました。 しばらくお待ち下さいね。 手際悪いもんで」


主人は申し訳なさそうにそう言いながら奥へと消えた。


「仙人なのに手際悪いんだって」


 勇は小さな声でみなみに言った。 するとみなみは


「炭とか使って作るんじゃない?  ここガスとか電気とか来てるのかしら」


ともっともな疑問を勇に投げかけた。


「そっか、外で薪を燃やして炭を作ってるかもね」


「外じゃなくてその辺にもう炭が燃えてない?  ここすごくあったかいんだけど」


みなみには料理がいつ出てくるかよりもエアコンもないのに暖かいことが気になっていた。


「すみまっせん。 飲み物訊くの忘れてました。 何か要りますか?」


ふたりのひそひそ話に突然甲高い声が割って入った。


「ビール冷えてます?」 


みなみは冷静に電気が来ているかどうかも確かめようと好きなビールがあるかどうかを尋ねてみた。


「あ、ぼくは運転なんでこのお茶でいいです。 後でお代りももらえますよね。 このお茶美味しいです」 


勇は思ったままにそう答えた。


「瓶ビールで良ければ冷えてますよ。 お茶は山の水を使ってるから美味しいです。 もちろん何杯でもお代わりしてください。 だんだん薄くなりますが」 


主人は冗談も言いながらニコニコ、ニヤニヤして答えた。


「冷蔵庫あるんだ。 瓶ビールでいいです。 電気来てるんですね」


今度はみなみがわざと驚いてるふりをしながら尋ねた。


「来てるというか来てないんですけど、太陽光発電です」


「こんなに暗くなっても大丈夫なの? そう言えば外の灯り点いてましたね」


 みなみはもう料理のことよりもこちらに興味が移っていた。


「屋根の太陽光発電で昼間作った電気を蓄電池に貯めています。 お客さんもあまり来ないからだいたいいつも電気余ってますよ」


屋根が暗くてどうなっているかよく分からなかったのはパネルの色が黒かったせいのようである。


「エアコンつけてるんですね。 だからやけにあったかいなあと思っていました。 謎が解けました」 


みなみは安心したように納得したが主人は更に付け加えた。


「エアコンは付けていません。 ここあったかいんです。 裏が洞穴になっていて100メートルくらい奥があるからそこの気温は年中一定で、夏は涼しくて、冬は暖かく感じるんです。 天然のクーラーとセントラルヒーティングを備えた店と言ったところでしようか。 エアコンだと鼻がムズムズするんで」


主人は少し自慢してるように話した。


「仙人が鼻炎・・・・・・? エアコンは要らない。 なんか複雑だなあ」


勇がひとりごとのように呟いた。


「凄いですね、凄い。 じゃ冷えた瓶ビールお願いします」


みなみは感心しながら注文を繰り返して、ビールと仙人料理に備える体制に入った。 主人は奥に引っ込み、再びふたりのひそひそ話に戻った。


「仙人だけどなんか現代人っぽいというか、面白いね」


勇はみなみに同意を求めた。


「蓄電池まで備えて、自然のエアコンまで利用してるとは意外な仙人だったわね」


「ちゃんと神様に近いアドバイス聴けるかな?」 


勇は少し不安になっていた。


「そうね、現代、古代せっちゅうのアドバイスが聴けるかもね。 先ずは仙人料理を食べてみて判断しましょう」


 みなみはそう言って勇を再び落ち着かせた。


「お待たせしました。 ふきのとうの白ごま和えです。 あとビールですね」 


主人が小鉢と瓶ビール、コップを持ってやって来た。


「わあ、美味しそう。 これが仙人料理? 普通の料亭みたいじゃないですか。 勇もなんか飲んだら。 ノンアルでなんかありますか?」


「そうだね。 雰囲気出て来たね。 ジンジャエールとかありますか?」 


勇もつられてほんとにお茶じゃもったいないと主人に尋ねた。


「ありますよ、 あります。 今持ってきますね」 


と言うと主人はまた奥に引っ込んだ。


「全然手際悪くないじゃないね。 勇、今回は正解だったみたいね」


「うん、君の普通じゃ物足りない、尚且つ、味や雰囲気にうるさい要求に応えるのはいつもたいへんだけどね。 今のところ良かったかな。 では頂きましよう」


ふたりは共に両手を合わせていただきますと食べ始めた。


「お待たせ、ジンジャエールですね。乾杯に間に合いましたか?」


「そっか、乾杯、 そうだね・・・・・・ 乾杯」


みなみは既に口まで持ってこようとしていたコップを一旦口から離しただけでそのまま勇とグラスを合わせると一気にビールを飲み干した。


「あー、ビールは生でも瓶でも料理がうまいと美味しいね」 


みなみは勇が車の運転で飲めない時でもいつもさほど遠慮せずグイグイ飲んでいた。

間も無くしてまた主人が奥から現れ、


「お待たせしました。 沢蟹の素揚げです。 美味しいですよ。 仙人はよく食べるそうです」


「わあ、さすが仙人料理ですね。 でも、『そうです』?  ご主人仙人なんでしょ?」


「ああ、まあ、いや食べるという話を聞いています」 


みなみの質問にやや困ったように主人はそう答えた。 するとみなみは


「他にも仙人がいらっしゃるんですね」


と 納得したように沢蟹にガブリと食いついた。 そして既に一匹食べてしまっていた勇が


「何人ぐらい仙人の修行をしていた人が居たんですか?」


「いや、二人か三人かなあ。 最後はぼく一人になってました」


「やっぱり優秀だったんですね。 そうじゃないかと思ってました」 


勇は主人の言葉にうなずきながらみなみを見て相槌を打った。 そして主人は


「次はお造りになります」


と言いながらまた奥へと消えた。 すると勇とみなみはまたひそひそ話しに戻り


「やっぱり若いのに優秀な仙人だったんだな。良かったね。俺たちの結婚占ってもらおうぜ」 


「そうみたいね。 料理も美味しいし、あとで占ってもらいましよう。 神に限りなく近い人だしね。 ビールもう1本頼んでいい?」


みなみは頬をやや赤らめて応えた。


「お待たせしました。はやのお造りです」


突然、カウンターの下の方から白髪頭の主人が顔を出した。


「鮠って?」


とみなみが尋ねると主人は


「その辺の小川にたくさん泳いでいる魚です。 年中毎日釣れます。 そこにぶら下がっているハエトリ紙に着いたハエを餌にすると特にすぐ釣れますよ。  仙人は良く食べるそうです。 骨が硬いし、残ってるかもしれませんから気をつけて食べて下さい」


「『食べるそうです』って、ご主人も修行の時に食べてたんでしょ?」


「は、はい。 あまり食べちゃいけないんですけどね」


「ああ、仙人の修行中は、ほとんど食べなかったりするんですよね」


「まあ、味ぐらいはみますけどね」


「これどうやって食べるんですか?」


二人の話にしびれを切らした勇が割って入った。


「ああ、お醤油でもぽん酢でも、お好みでどうぞ。 薬味も入れて下さいね」


「わあ、美味しそう。 私ぽん酢でいってみるわ。 勇はお醤油ね」 


みなみはそう言うとさっそく食べだした。


「美味しい。 臭みも全然ないわ。 すごーい。 仙人は贅沢なのね」


「いや、仙人はこんな風にお造りで食べることはないと思いますが、 川の水は綺麗ですから臭みはないですね。 それぞれ三匹分使ってますからどうぞ召し上がり下さい。  次は焼き物。 そしてごはんと味噌汁になります。 味噌汁はもくず蟹の味噌汁になります。 これは珍しいですよ。 お二人とも蟹は大丈夫ですか? ああ、尋ねるタイミングが遅いですね。 もう沢蟹食べましたね。 では失礼して準備します」


 そう言い切ると主人は奥へとまた消えた。


「おお、料理も本格的になってきたわね。 モクズ蟹だって。 この辺で獲れるのかしら」


「うーん、沢蟹はここら辺で獲れるかもしれないけどもくず蟹はどうだろう?  もっと下流じゃないかな。 近くに有明海があるからその近くかなあ」


「勇は食べたことあるの?  私は食べた事ないわ。 怖そうな蟹だもんね」


「ぼくは食べたことあるけど味噌汁は初めてだよ。 蟹を潰して、こして作るらしいよ。 楽しみ。 本格的になってきたなあ。 仙人料理」


「潰すんだ。 いやー、可愛そう。 気持ち悪いかも」


「大丈夫だよ。 どんな味になるんだろうね。 蟹の味噌か本物の味噌かどうか分からなくなるかもね」


「仙人は蟹味噌で味噌汁にするのかもね」


「そうだね。主人に尋いてみよう」


そんな話を二人がもうひそひそではなく大きな声で話していると。


「お待たせしました。 鮠の塩焼きでございます。  お好みでぽん酢もお使い下さい」


「はやっ、全然待ってませんよ。 炭火で焼いていたんじゃないんですか? でも美味しそう」 


みなみは長手の四角い皿にのった二匹の鮠を見てそう主人に尋ねた。


「いいえ、炭火は高いし面倒くさいです。 最近はオープンレンジでとてもちょうど良く焼けるんですよ。 まあ、まあ、食べてみてください。 骨は硬いので気をつけてくださいね」


「うまっ、確かにちょうど良い焼き加減です。 これは美味いです」


勇は焼き魚にしては小さい鮠を側面からかぶりつきながら言った。 続いてみなみも「ほんとだ。 美味しい。 ちょうど良いですね、焼き加減。仙人様がオーブンレンジ使うとはね。 やっぱり微妙な方なんですね」


「仙人様? いや、そんなもんじゃないです」


「いや、レンジを使っても仙人なんでしょ?   仙人様じゃないと困るんです。 仙人様に相談しようとこんな山奥まで来たんですから」


みなみの思わぬ話に主人は少し困ったように


「相談?」


と訊き返した。


「ぼくたち、今年結婚する予定なんです。 それでこの結婚は正しいのか、お互いちょっと不安になっちゃって。 神様に限りなく近い仙人様の占いなら当たるんじゃないかと。 幸せになるか占って欲しいんです」


勇が付け加えた。


「結婚ですか。 それはおめでとうございます。 いいですね。 こんな美人さんと。でも仙人に相談するのはどうかな。 私は結婚してませんから。 同僚も結婚したのかどうだか」


「やっぱり仙人の修行中は女人も断ってるんですね。 さすがだわ。 仙人様占って下さい」


「いやー、修行中は忙しくてそんな暇ないし、だいいちモテませんから」


「仙人様、童貞なんですか? ずっと断ってるんですか? けっこう男前なのに。 しかも仙人様だし、白髪の具合もモテそうですよ」


「そんな失礼だよ、みなみ。 すみません。 みなみ、飲んじゃうとズカズカと他人のデリケートな部分まで上り込む癖があるんです」


「何言ってるのよ。あなたはグズグズ、グズグズ言ってるからチャンスをいつも逃すんじゃない」


みなみが対抗して言ってきた。


「分かりました。分かりました。もめないで下さい。仙人様じゃないですが占ってみましょう。 占います。 じゃ、この紙にお二人の名前と生年月日を書いてもらえますか。  ああ、少し大き目の字で。 老眼始まってますから」


と言って二人にメモ紙とボールペンを手渡した。


「やった。 ありがとうございます」


と言うと既に二匹とも食べてしまっていたみなみから名前を書き始めた。 そして勇も書き入れ、主人に渡した。


「はい。 みなみさんと勇さんですね。 生年月日は個人情報なんで占ったら直ぐに返しますね。 では奥で。 次はご飯と味噌汁です」


というと言うと主人はまた奥に消えた。


「良かったわね。 占ってもらえて。 せっかくこんな所まで来たんだもの。 料理も美味しいから占いも大丈夫よ」


「そうかな、料理は美味しいね。 質素な料理かと思ったらそうでもないし。 占いも期待出来るかもね。 辛い修行を重ねた人だろうからね。 頭も短いけど真っ白だし、あんなこと言ってたけど仙人様だよね、絶対。  能ある仙人は爪隠すってね」


「そうね。 手際悪いと言いながら全然悪くないもんね」 


二人はそんな事を話しながら占いにも期待を募らせた。


「お待たせしました。 雑穀ご飯とタラの芽の天ぷらと漬物。 モクズ蟹の味噌汁です。 これを召し上がっていらっしゃる間に占ってきますね」


「わあ、すごい。 タラの芽だ、初めて。モクズ蟹もこの辺で取れるんですか?」


「いいえ、ここら辺のスーパーに売ってあります」


「えっ、ス、スーパーに売ってあるんですね」


みなみは絶好調に盛り上がろうとしているところを撃ち落とされた気がした。


「あっ、タラの芽はこの山で採れますよ。  今年は暖かい方だから早めにとれました」 


主人はみなみをなんとか引き上げた。


「いただきます」 


「いただきます」 


ふたりは一斉に食べ始めた。 みなみは天ぷらから、そして勇は、味噌汁をまず飲んだ。


「わぁ、美味い。なんだ、この味は食べたことない味、コクがあって美味しい」 


「こっちも美味しい。 モクズ蟹の味噌汁、私も飲んでみよう」


そう言ってみなみは一度落とされた気持ちを持ち上げながら恐る恐る飲んだ。


「うん、美味しい。 コク有る。 さすがだわ、仙人様。 スーパーの蟹でこの味なんだもん」


「ああ、そう言わないでください。獲りに行く足も時間もないんですから。 裏山なら直ぐに行けますけどね」


「へえ、仙人様忙しいんだ。お店やってるもんね」


「いや、お店は予約が入った時だけです。 普段は会社に。 給料だけじゃ足りないもんでアルバイト的にここやっているんです」


「へえ、仙人様がサラリーマンねえ。 しかもアルバイトね。 やっぱり微妙さ残りますね」


勇もご飯と天ぷらを食べながら口を出した。


「仙人様は、やっぱりちょっと・・・・・・ 占ってきます」


 主人は照れながらまた奥へ逃げるように引っ込んだ。

しばらくして料理を食べ終わった二人は、

「ああ、美味しかったわね。 料理は成功ね。あとは占い。 楽しみ。 悪い予想が出たら別れましようね。 勇には良い人見つかるわよ。 諦めて。 私もまた見つけるから」


「ちょっと待ってくれよ。 そりゃないよ。 今日の料理は満足してくれたじゃないか」 


勇はすがるようにみなみを諭した。 それにみなみは 


「仕方ないわね。 諦めなさい。 それより、ここなんで『はやっ亭』って言うのかしら?」


 と言って話をはぐらかし勇をからかった。

またしばらくして主人がやや険しい顔をして現れた。 


「お待たせしました。 占ってまいりました。 発表しても良いですか?」


「ちよっ、ちょっと待って、 仙人様。 ここはなんで『はやっ亭』って言うんですか?」


みなみは先ほどの話題をいきなり口にした。


「ああ、はやっ亭ですね。 簡単です。 ぼくが『はやと』なんです。 勇さんと同じ勇気の勇と人を書いてはやと。この名前から知り合いがつけてくれました。はやっ亭なのに料理が遅いを売りにしてっと。でもやっぱり、そうは言われたくないので、必死に合理的に作ってます。 最初に手際悪いと言ったのもちょっとした心理作戦です。 どうでしたか、料理出てくるの遅いと感じましたか?」


「いや、全然。 ねえ、感じなかったわよね。 むしろ早すぎるぐらいだったわよね。 あー、私たちを引っ掛けたんですね。 さすが仙人様」


「いやいや、仙人様はちょっと。 では発表しますね」


「ちょっと待って。ちょっと待って下さい。仙人様は何の会社にお勤めなんですか?」


みなみが再び発表を遮って質問をした。


「仙人様と言われるのは、やっぱり・・・・・・ 有田焼きの会社です。 もう56歳ですから38年茶碗や湯呑み、マグカップなどを成形してます」


「成形って、あのロクロとかを回すやつですか? ああ、やっぱり仙人ぽい。 さすがですね。 高く売れるんでしょうね。 仙人様が造りあげた器は」


「いえいえ、そんなもんじゃないですよ。 ローラーマシンという機械も使いますし、一日どれだけ造れるかが勝負です。 昔は有田焼きと言えば高く売れたんですけどね。 今じゃ百円ショップでも売ってるし、苦労して造っている割には給料全然上がらないんですよ。 手ロクロも回せますけど、私たちみたいな名もない職人、工員の手ロクロ品なんて二束三文ですからね。 やっぱり数の世界です。 私たちがチビチビ数を稼いで造って、少し儲けたお金で窯元の主人が作品を出して有名になって、そこだけちょっと潤ってぼくらまでは回ってこない。 そんな状態がバブル弾けてからもう30年ずっと続いてます。給料だけじゃ食っていけないから嫁さんももらえない。 私みたいに50過ぎても嫁さんもらってない人がゴロゴロいますよ。 私の場合、給料だけのせいじゃないんですけどね。 もう定年近づいてきちゃうし、この『はやっ亭』を知り合いからも勧められて始めてみたところなんです。 自分で経営するようになって社長の苦労とかも分かるようになったんですけどね」


 主人はこのあたりの陶磁器関係の会社や工員さんたちの事情も含めて長々と答えた。


「仙人様、苦労してるんですね。 勇も一生独身してみたら」


「みなみ、それはないよ」


 二人のそんな会話に主人は思い出したように


「そうでした。 それでは発表します」


「ちょっと、ちょっと待って、仙人様は結局、結婚しないの? それで大丈夫なの?」


「そりゃ大丈夫じゃないですよ。 寂しですよ。 私の場合、女性を断とうと思って断っていたわけではないですからね。 いい話が有れば結婚したいです。 もう歳も歳ですが、やっぱり先ずは給料を考えると不安になるんですよね。 結婚していない50代はみんなそうだと思いすよ。 この『はやっ亭』がうまくいけばいいんですけどね。 どうですかね、上手くいきますかね?」


「とっても美味しかったし、きっと上手くいきますよ。 お嫁さん来てくれますよ」


みなみが自信たっぷりにそう答えると主人は 


「みなみさん、このはやっ亭に嫁に来ませんか? その呑みっぷりに惚れました」


と思わぬことを言いだした。


「えっ、まさか勇との結婚、上手くいかないの?」


みなみは勇との結婚が上手くいかない事を柔らかく伝えるために主人がそんな言いまわしをしたのだと思った。


「ええ、そうなんですか。本当なんですか?  ぼくとみなみは、上手くいかないんですか」


「いえいえ、みなみさんは美人だし、お酒、私と同じで好きそうだから言ってみただけです。 おふたりの結婚、きっと上手くいきますよ。 それは間違いないです」


「わあ、ありがとうございます、仙人様」 


主人の占いの答えに意外にもみなみが最初に声をあげた。 そして勇はほっとしてお茶を一口のんで

 「ありがとうございます、 仙人様」


とみなみと同じように最後に仙人様をつけてお礼を言った。


「いえいえ、でも仙人様は本当にやめて下さい。私はただ仙人料理の修行をしただけなんですから。 修行と言っても短い夏休みに有給休暇を加えてこの『はやっ亭』の為に一週間だけ京都の仙人料理屋さんで修行しただけですからね。 途中で投げだす人がいるぐらい辛い修行でしたが」


「ええ、仙人様は、仙人様じゃないんですか?  料理の仙人様になっただけ? じゃ私たちの結婚の占いはどうなるの? 只の料理人の勘だけ?」


「いえいえ、それだけは自信があります。 ネットの細木数子さんの六星占術、無料診断でさっき調べましたから」


 みなみは、そうだ、蟹味噌のことも尋ね忘れたと思ったがそれはどうでもいいなとニヤリと微笑んだ。        


終わり


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仙人料理はやっ亭 岩田へいきち @iwatahei

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