クリスマスイブにバイトしてたら彼女ができた

三笹

本編(サキ)

ふぁいあー(クビ)


 寒い日だった。

 太陽は寝ぼけたような顔をして、水色を薄く伸ばした空に溶け込み、寒風は街路に落ちた枯れ葉をからりからりと転がして弄んでいるような、そんな冬の寒い日のことだった。


「松葉下さん。申し訳ないけど来月から来なくていいから」


 いつものようにコピー機で週次会議の配布資料を印刷していると、マグカップを手に持った部長からそう言われた。

 作り物の表情に申し訳なさを付け足して、部長は私の顔色を観察している。


「はあ……」


 ウィーン、ウィーン。

 コピー機が空気を読むこともせず、苦しそうに紙を吐き出し続ける。

 不必要に明るいオフィスビルの中、せわしなく人々が立ち働いている。いつもの平日の昼下がり、私の中には来るものが来たかという諦めにも似た気持ちだけがあった。


「そういうことだから、よろしくね」


 顔色を変えない私に満足したのか、部長はさっと身を翻すと自分のデスクに戻っていった。


 ガコッ、ヴー。

 コピー機が不愛想な音を立てながら仕事は終わったと言わんばかりに休止状態に入る。

 淹れ立てのコーヒーの香ばしい匂いが鼻を掠めたが、部長が手ずから淹れたものだと思うと体内に入れるのが嫌になる。


 仕方がない。


 自分に言い聞かせるように小声でつぶやくと、私は仕事をやり切ったコピー機をひと撫でしてから、乱雑に吐き出されていた資料の端をきれいに整えた。


 売上高 前年比——


 ちらりと見えた数字にため息をつく。


 雇用の調整弁。

 派遣という雇用形態がそう揶揄されているのは知っている。

 それもすべて知った上で今の仕事を選んだのだから、今の状況を招いたのは私自身ということになる。


 私はコーヒーの香りを吸い込まないように止めていた息を吐き出し、空きスペースに移動した。机の上に残った僅かなゴミを払ってから、印刷された資料を一部ずつまとめて縦横交互に丁寧に重ねていく。


 黙々と作業をしていると、ふっとかつての出来事が頭の中によみがえってくる。



 ——松葉下さん。ここ、見切れてるのどうしてわかんないかな?



 パチン、パチン。

 きっちりと四隅を揃えてホチキスで留めていく。



 ——松葉下さん!この資料全然作れてないじゃない!今日の会議で使うのにどうするの!



 できた資料をよれがないようにきれいに重ねて両手で抱えると、私は依頼者である課長のところへと足を向けた。


 過去の出来事のはずなのに、いつまでたっても色褪せない映像が、ぐるぐると頭の中を繰り返し繰り返し、巡っていた。

 暗く沈みそうになる気持ちを無理やり押し上げて、ざわざわとした喧騒の中を目立たないように静かに渡っていく。


 いつまでも振り切れないでいる亡霊を背負って、昨日と同じ今日を繰り返す。

 そうして埃のように降り積もっていく澱が、いつしか私を呑み込んでしまうのだろうか。


 そんなくだらないことを考えてしまう自分に自嘲しつつ、モニターにかじりついている課長の机にどさりと資料を置く。お礼の一言すらかけられない。自身のデスクに戻ると、残された仕事のリストを頭の中で思い浮かべる。


 めんどうくさいな。


 いつもなら滑らかに動いてくれる頭が、ここぞとばかりに怠惰を貪ろうとする。


 いいじゃないか今日くらい。

 どうせ辞めさせられるのだから、構いやしない。


 そうした囁きが聞こえてくるようだった。

 私はこの仕事を始めてから初めて、安っぽいオフィスチェアの背もたれにもたれてみた。

 慣れない動作で天井を見上げると、うっすらとついた汚れを何ともなしに眺める。


 胸の中にあった僅かばかりの仕事への熱が、完全に冷え切ってしまっているのが分かった。

 目を閉じて、同僚と呼んでいた人たちが大なり小なりと立てる物音に耳を澄ます。


 世界は今日も動いている。

 私だけが一人、ぽつんと取り残されたような気分だった。


「仕事、探さなきゃ……」


 そう誰にも聞き咎められることのない声でつぶやくも、どうにも体が重くて仕方がなかった。

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