4.魔法じゃ治せない病気

「水の旋律・キュアヒール!!!!」


フローラルが手を前に差し出した辺りが緑色に輝く。それを見たクレストが叫ぶ。



「凄い凄い!! できたよ、それだ!!!」


「せ、先生!! できたよおお!!!」


フローラルがクレストに抱き着く。


(う、うぐはっ!! こ、この胸の感触、きめ細かい肌に、汗に混じった少女の香り。た、倒れそうだ……)



クレストは眩暈がするのを堪えてフローラルを離して言う。


「よ、良くやった。凄い上達だ」


「はい!」


実際フローラルの魔法の才能はかなりのものであった。

当初上手くいかなかった水精霊との接触も、自身が呼び寄せる風精霊を意識的に抑え込むことで次第に上手くいくようになった。

それ以降は彼女が持つ清らかな心を感じ取った精霊達が、彼女と同調するのに時間は掛からなかった。クレストが言う。



「キュアヒールと言えども一瞬ですべての異常状態を回復するのは不可能。例え治らなくても何度も何度も、毎日掛け続けること。できるか?」


「はい! 私頑張ります!!」


フローラルは目に涙を溜めてクレストへ感謝した。





「あなた、まだやってるのね」


急ぎ帰宅しようとしたフローラルの前に、クラスメイトのレイラが現れる。周りは既に暗い。今日レイラはひとりのようだ。


「わ、私は、魔法の練習を見て貰っていただけです……」


「ふんっ! おべっか女のくせに。あなたみたいな奴、私大嫌いなんだよ!!」


「そ、そんなこと……」


その言葉はフローラルを酷く傷つけた。

生まれも育ちも貧しいフローラルは、多くの貴族の生徒と上手くやれるかずっと心配していた。確かに入学早々先生に接触したのは他の生徒からすれば面白くないのかもしれない。ただ、


「私は先生に助けて貰っているんです。おべっかなんて……」


「うるさい! 気に入らないのよ、そう言うのも!!」



レイラはそう言うと魔法の詠唱を始める。フローラルが言う。


「学園内の魔法の行使は!!」


レイラが空中に魔文字を書く、そして言う。


「うるさい! 火の旋律・ファイヤ!!」


レイラの周りの空間から突然火の玉が現れ、フローラルに向かって飛んでくる。フローラルも無意識で詠唱を始める。


「水の旋律・プルウォーター!!」


高速で書かれる魔文字。書き終わると同時に発射される強い水鉄砲。



シュン!!


水はすぐに火の玉をかき消すと校舎の隅まで飛んで行った。


「な、何ですって……!?」


魔法が使える者が減って生きているこの世界で、火の魔法を水魔法で消すなどと言う高度な術は簡単にできるものではなかった。



「誰かいるのかーーー!?」


校舎の奥の方から音を聞きつけた警備員が走ってやって来る。


「くそっ!」


レイラはそれを見て逃げ出す。フローラルも見つからないようにその場を去った。





「まるでストーカーだよな……」


クレストはフローラルが弟に水魔法をかけると言った日の帰り、見つからぬように彼女の後をつけた。随分久しぶりに来た真っ黒いフード付きのコート。勇者レオン達と一緒に旅をしていた時と同じ型のものだ。周りからの視線を逸らし注目を集めにくくする効力がある。


(橋を渡るのか……)


クレストは中央地区と貧困地区とを隔てる大きな水路に掛かる橋に立った。


(いつも思うが、くだらない水路だ)


クレストはこの人々の格差の象徴である水路と橋があまり好きではなかった。

ひとりどんどんと歩くフローラルをつけるクレスト。そして街はずれの小さな平屋の家に入って行った。お世辞にも立派とは言えない家。クレストはフローラルの家の外壁にもたれかかって目を閉じた。



「ただいま」


家に帰ると両親がフローラルの帰りを迎えてくれた。

そして約束通り今日から弟の魔法での治療を開始すると伝える。不安がる両親にフローラルが答える。


「大丈夫。魔法の大先生からのお墨付きだから!」


と笑顔で答えた。



コンコン


いつも通りにフローラルが弟の部屋をノックし中に入る。

閉められたカーテン。薄暗い部屋。一見何ひとつ変わらない景色であったが、そこにいた風精霊達だけが彼女に対し明らかにいつもと違う反応をしていた。フローラルが弟に言う。


「お姉ちゃんね、何とか元気になって欲しいと思って治癒魔法を覚えたの。だから少しだけそこにじっとしていてね」


そう言って意識を集中させるフローラル。


(少ない……)


いつもは至る所に感じる水精霊が極端に少ないことに気付いた。いや少ないと言うよりは、圧倒的に風精霊が多いのである。

更に水精霊に呼び掛けるフローラル。するとベッドで布団にくるまっていた弟が少しだけ動きそして低い声で言った



「や、めろ……」


「!?」


明らかに弟は違う声。

その雰囲気、潰されそうな圧力。得体の知れないものを感じたフローラルの体が震え出す。


(だめ、ここで逃げちゃ。先生に習ったことを……)


それでも恐怖心に苛まれながらもフローラルは必死に水精霊に調和を求める。しかしすぐにその異変を感じた。



(なに、これ? 風? 強くて異様な風精霊!? まさか……)


フローラルは部屋の奥に現れた黒い風を纏った何か見て、体の震えが止まらなくなった。




(風の旋律・無風……)


クレストはフローラルの外壁にもたれて腕を組んだままで風魔法の詠唱を行った。




「あ、あれ……?」


フローラルは部屋の奥で蠢いていた風の何かが音もたてずに消えて行くのを感じる。




(無の旋律・精霊封印)


更にクレストは同じく頭の中で詠唱を行い、無風化させた邪悪な精霊を上空に飛ばし、そして封印を行った。



「消えた……?」


フローラルは完全に何か強烈な邪気を放っていた風精霊が消えてしまったことに気付いた。そして直ぐに意識を集中させ水精霊との会話を始める。そして空中に魔文字を書き、小さくつぶやいた。



「水の旋律・キュアヒール」


布団にくるまっている弟の体が緑色に包まれる。

動かない弟。しかしフローラルの心は満たされていた。


(先生、私頑張ったよ。これから弟が治るまでずっと頑張る。見ててね、先生)





クレストはコートのポケットに手を入れるとその場から歩き出した。


(よく頑張ったな、フローラル)


クレストは弟への魔法が一段落するのを確認して街へと向かった。そして一度立ち止まって振り返りフローラルの家を見つめる。



――魔法では心の病気は治せない


一番最初彼女にそう伝えようと思ったが、野暮なことは止めようと思った。何故ならいま彼女が持っている弟への想い。それこそが最高の治療薬になるはずだから。



奇麗な月が夜空に浮かんでいる。


「あーあ、また残業だよ。タイムカード押しちゃったから残業手当でないしなあ。まあ、ストーカーやってたなんて言えないけどな」


クレストはコートのフードを深くかぶると家に向かって歩いて行く。そしてある事を思い出してひとりつぶやいた。



「あ、そう言えば、明日また『封印の儀』じゃん。はあ、面倒臭ええ……、まあ特別給金出るからいいだが、疲れるんだよなあ、あれ」


クレストは明日行われる『魔界の門』での仕事を思うと気持ちが重くなった。

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