第101話 ロークアットの変化
アーシェの無事を確認し、城下町センフィスを彷徨いていた諒太。何の目的もなく、露店を見て回るだけ。牧歌的ともいえる街の雰囲気は諒太に平和を実感させていた。
『リョウ様、おはようございます! 今日はお早いのですね?』
センフィスの大通りを歩いていると呼びかけがあった。だが、それは脳裏に響く声であり、直接話しかけられたわけではない。
誓いのチョーカーを介して心の内に話しかけたのはロークアット姫殿下である。
『ロークアット、おはよう。今日は休みにしようと思ってな。散歩がてらに来ただけだよ』
人族とエルフが友好的な関係に戻った今ならば、ロークアットも元に戻っているはずだ。
全てが諒太の計画通り。きっと色々なことが精算されていることだろう。
『でしたら、わたくしとエクシアーノを散策しませんか?』
ロークアットからデートのお誘い。今日はゆっくりするつもりなので悪くない提案である。
聖都エクシアーノは夏美が騒動を起こして以来だ。まともに観光したことはない。先日もそそくさと退散するしかなかったのだから。
『じゃあ、今から行くよ。ロークアットの部屋でいいか?』
『あら? わたくしの部屋をご存じで?』
思わず口を滑らせてしまう。そういえば異なる世界線にて、ロークアットの部屋を知ったのだ。よってこの世界線のロークアットが疑問に感じるのは当然である。
取り繕うように貴賓室の間違いだと話し、一応は納得してもらう。夜中に何度も転移したなんて話は説明のしようがない。
諒太が転移するとロークアットは既に貴賓室で待っていた。元々、諒太を呼ぶつもりだったのか、或いは始めからここにいたのだろう。
「やあ、ロークアット。今日は良い天気だね?」
「はい! 絶好のお散歩日和ですね!」
二人して城を出る。もう諒太を捕まえようとする兵の姿はない。ここでも諒太は世界線の移行を実感できていた。
城門を出て少し歩くと、見慣れた銅像を発見。ここはスバウメシア聖王国であるというのに、どうしてかあの残念な銅像を諒太は見つけている。
「勇者ナツ像……?」
以前通ったときには城門前に銅像なんてなかったはず。確かに勇者ナツはスバウメシア聖王国に移籍していたけれど、彼女の銅像はアクラスフィア王国にあったのだ。
「ナツ様は和平の使者ですから。かつてアクラスフィア王国と険悪な関係にあったとき、彼女は戦争の無意味さを説いたと伝わっております。幼かったわたくしは覚えていないのですが、向かい合う両軍の間に入り彼女は力説されたそうです。実際に交戦が始まってもナツ様は剣を振るわず盾を使っただけ。交戦の中心にいながら、どちらの兵も殺めなかったという伝説が残っていますね」
今の今まで世界線が戻ったと考えていたけれど、どうやらそれは違ったらしい。
アクラスフィア王国では以前のままのように感じたが、この今は恐らく新しい世界線である。スバウメシア聖王国の歴史は昨日のイベント後に改変されたようだ。
「相変わらず間抜け顔なんだな……」
「うーん、そうでしょうかね。実際のナツ様は可愛らしい感じですけれど……」
以前の世界線に似た新しい世界線。多くを引き継いでいたけれど、明らかに異なる未来である。多くの選択から辿り着いた現実に他ならない。
この銅像の姿も納得できるものだ。なぜならスバウメシア聖王国にある勇者ナツ像は剣を装備していない。間違いなくそれは諒太たちが導いた未来だ。銅像となった勇者ナツは天高く誇らしげにブレイブシールドを掲げていた。
「まだご健在だったなんて本当に驚きました。先日お会いした夜には興奮して眠れなかったほどです」
世界がどう解釈したのか分からないけれど、移籍前の話をロークアットは覚えていた。夏美が面倒な騒ぎを起こしたものだから、世界線に固定されてしまったのかもしれない。
「やっぱ、平和が一番だな?」
「その通りです。人と人とが傷つけ合うなんて無駄なことですから……」
ロークアットの話はやはり世界線の移行を感じさせた。彼女は覚えていないのだ。戦争前夜の話を。諒太たちが世界平和に向けて婚約しようとしていたことまで。
『わたくしはこの景色をずっと覚えていますから――――』
ふと思い出してしまう。沈みゆく夕陽を眺めながら彼女が言ったこと。世界線の移行に感付いたロークアットが漏らした話を。
同じロークアットであるというのに、二人は異なる記憶を持っている。
双方を覚えていられるのは諒太だけだ。その事実は少しばかり残念であり、安心もする。現実が如何に儚いものであるのかを今さらながらに知らされていた。
「ああそうだ。これを返しておくよ……」
アイテムボックスから取り出したのはシルクのスカーフである。ロークアットの名が刺繍された変装用のスカーフ。返しそびれたそれを諒太は今になって返却している。後に生まれるだろう疑問など気にすることなく。
「これは確かにわたくしのスカーフ。いつお貸ししたのでしょうかね?」
知らないのは当たり前である。それは諒太だけが知る世界の話なのだ。
記憶を忘れたくないと話していたロークアットにスカーフを返すこと。あのロークアットに報いることはそれくらいしかなかった。ウォーロックへと旅をした記憶が蘇るはずもないけれど、諒太はあの思い出と共にスカーフを返却している。
「記憶にありませんが、何処かでお渡ししたのでしょうね。どうもわたくしは忘れっぽいようです……」
忘れたのではなく知らないだけ。それは彼女が知る必要のない話だ。戦争をして瀕死になった記憶など忘れた方がいい。あの世界は美しい思い出ばかりではなかったのだから。
二人はエクシアーノの散策を続ける。大通りで買い食いをしつつ、色々な出店を見て回った。失った思い出の代わりになるかもしれないと思って。
「ああ、リョウ様。少しお伺いしたいことがあったのですけど……」
ここでロークアットが妙な話をする。改まって一体何の話であろう。改変を受けたロークアットがこの世界線に疑問を持つとは考えられないことであったというのに。
「お金をお貸ししていたでしょうか?――――」
思わぬ話に絶句する諒太。間違いなくロークアットにお金を借りたけれど、それは別の世界線である。このロークアットから借りた覚えはない。
「ど、どうしてそんなことを……?」
借金だけを覚えているはずがない。踏み倒す予定の借金である。惚けておけばやり過ごせるはずだ。
「いえ、わたくしも記憶にないのですけれど……」
過度に動揺していた諒太だが、続けられた話に安堵する。ただの思い違い。スカーフを返したことによって記憶が混濁しているのかもしれない。
「どうしてかステータスに債務者リョウとあるのです……」
ところが、ロークアットは具体的な話を始めている。債務者が諒太であるという証拠がステータスに残っているという。
諒太は恐る恐る自身のステータスを確認する。
【借金】3,000,000ナール
【債権者】ロークアット・スバウメシア
ゴクリと唾を呑んだ。どうして借金だけが残っているのか疑問である。しかもご丁寧に二回分が丸ごと全部。一応は百万ナールが手元に残っていたけれど、とてもじゃないけれど返せる金額ではない。
「俺は改変の影響を受けない……?」
そういえば諒太だけは改変の影響下にない。フレアにもらったアクラスフィア王国史も変化がなかったのだ。記憶だって全ての改変を理解できるし、諒太だけは最初から何も変化していない。
「マズったな……」
ロークアットに記憶はなくとも、諒太のステータスには借金が残っている。その矛盾を解消するため、世界はロークアットのステータスにも債権を記した。彼女は諒太の計画通りに忘れていたというのに。
「わたしくとしては別に返済頂かなくても構わないのですけれど、生憎とステータスに記録されておりますので……」
ロークアット曰く、借金は残高に対して月に二回、5%の利子が強制的にパーソナルカードから引き落とされるらしい。
「利子だけで十五万ナールじゃないか!?」
「ええ、流石に厳しい額かと思うのですが、こればかりはセイクリッド神がお決めになられたことですので……」
どうしようもできませんとロークアット。世界が定めたシステムは絶対であるという。
この先、諒太は利子を返すためだけに金策しなければならないようである。
セイクリッド神が期待する勇者業は皮肉にもセイクリッド神が定めた理によって頓挫しかねない状況となってしまう。
「もし利子を返せなかったらどうなるんだ?」
「誠に申し上げにくいのですが、罪人か奴隷となります……」
最悪である。もう罪人はこりごりだし、奴隷なんて受け入れられない。それこそ世界を救うどころではなくなってしまう。
「とりあえず百万ナールを返しておくよ……」
「はい、確かに。あと二百万頑張ってくださいね? ですが、もし奴隷として競売にかけられたとしてもご安心ください。わたくしが王女の威信にかけて落札しますので……」
満面の笑みを見せるロークアットに戦慄する。世界線が異なれば婚約者であったはずが、諒太は彼女の奴隷となるのかもしれない。
「ちなみに最初の利子の徴収は一週間後です……」
「えええ!? 俺はもう二万ナールしかないぞ!?」
百万を返済したから、利子は十万である。正直にレベリングどころではなくなった。これより諒太は金策に奔走しなければならない。
「あれ?」
ここで諒太は閃いていた。最初の150万ナールは確かフェアリーティアをもらった分である。だとしたらフェアリーティアのイベントを発生させるだけで150万ナールが返済できるのではないかと。最低一個はもらえるというあの残念イベントであれば……。
『婿殿! 残念じゃが、フェアリーティアを意図的に授与できるのは一回までと決まっておる! 世界の理じゃからな!』
不意に声が届く。何やら聞き覚えのある声である。またも心に響く声は次第に大きくなり、手の甲が輝き始めていた。
「じゃじゃぁぁん! 婿殿が来てくれんので会いに来てやったぞ!」
またも声を失う諒太。現れたのが妖精女王リナンシーであるのは分かっていたけれど、この世界線においては彼女との邂逅イベントを終わらせていないはず。
「は、はじめまして……」
フラグを消去するように会話を始める。だが、無駄なことであった。異なる世界線での出来事であったというのに、手の甲に刻まれた妖精女王の加護はこの世界線でも有効であるらしい。
「ういやつ! 先日以来じゃのぉ! 婿殿は本当に可愛いのじゃ!」
せっかく世界線が変わったというのに面倒なものだけそのままだ。しかもフェアリーティアは入手済みになっていると言うし、厄介ごとだけが残った気がしている。
「リョウ様、これは一体!? リナンシー様ですか!?」
流石にロークアットも仰天している。手から妖精が飛び出すだなんて思いもしないことだろう。しかもそれが妖精を統べる女王であれば……。
「かっかっか! ロークアットよ、久しぶりじゃの! 妾はリョウに加護を与えたのじゃ! よって横恋慕は許さぬ!」
どうにも困惑し、ロークアットは諒太と視線を合わせた。説明を求められても困るというのに。好感度を上げようとしたら過剰に懐かれてしまっただけである。
「残念妖精の話は気にしないでくれ。別に何の約束もしていない」
「婿殿、酷いじゃないか!? 妾は其方の魂まで喰らうつもりなのじゃぞ? ネットリネバネバの加護を受けておるだろう!?」
加護には助けられたこともある。だが、彼女がいなくとも別に問題なかったはずだ。役立ったといえるのは戦争を諌めた場面くらいである。
「リョウ様、リナンシー様の加護を受けられたのですか!? 未だかつて聞いたことがありませんけれど!?」
「別に大したものじゃない。魔力供給してくれるだけだよ」
「加護によりステータスアップもあるはずですよ! リナンシー様に認められるなんてエルフでもないことです!」
ステータスは詳しく確認していない。よって上がったのかどうか不明だ。でもロークアットが嘘をいうはずがないし、きっと諒太はその恩恵を受けているのだろう。かといって粘着されることを考えると差し引きゼロかマイナスである。
新たな世界線。期待したままにアーシェは戻っていたけれど、騒がしい残念妖精と膨大な借金が引き継がれていた。
どうしたものかと悩んでいると、ふと脳裏に着信音が届く。それは例によって例のごとく諒太唯一のフレンドである。まるで騒々しいこの状況を嗅ぎつけたかのようなタイミングでの着信であった……。
【着信 九重夏美――――】
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