水曜日の猫

音無かぶと

1

 チリリ、チリリ、鈴が鳴る。

 私の首元で揺れている。

 まるで私が誰かの所有物であるかのように。


 昔ながらの民家が連なる住宅街を私は歩いていた。

 屋根が朽ちかけた空き家を通り過ぎて、錆びた鉄くずが山のように積まれた民家を左に曲がる。

 薄汚れた団地の真ん中の、草で覆われた公園の脇を通り抜けると、見えてくるのはスーパーマーケットのある少し広い道路だ。

 肌を刺す冷たい空気に思わず身震いした私の前を、白い軽自動車が一台、猛スピードで駆けて行った。

 首の鈴がチリン、と鳴る。

 早く、早くあの人に会いたい。

 通りを渡れば、あの人の家はもうすぐだ。

 駆け足でスーパーを通り過ぎ、最初の細い道を右へ曲がる。

 赤いポストの大きな家を過ぎると、二階建ての古いアパートが見えた。

 門を抜け、アパートの裏手に回る。

 一階の角部屋の柵を乗り超えると、先客らしき三毛猫が驚いて逃げて行った。

 食べかけの猫缶が地面に取り残されている。

 「やあ、今日は早いね」

 冬だと言うのに開け放した掃き出し窓から、いつもの優しい声がした。

 ああ、あの人は今日も私を迎えてくれる。

 「入っていい?」

 と聞くと、マサトは「どうぞ」と答えて、床に這いつくばった上半身だけで私を部屋の中に招き入れた。

 腰から下は、オレンジ色のこたつ布団の中に隠れている。

 私のためにこたつ布団をめくってくれた手を無視して、私はマサトに擦り寄った。

 「ねえ、鈴を付けられたの。酷くない?これじゃまるで猫みたい」

 「仕方ないよ、君はネコだろ。来るときだっていつも窓からじゃないか」

 「マサトまで酷い」

 ぷ、とふくれて見せると、マサトはごめんごめん、と笑いながら私の首に手を回した。

 「取ってあげるよ。じっとして」

 マサトの温かい指先が、私の首筋に触れる。

 ゆるいウェーブのかかった前髪の隙間から見える、やさしいグレーの瞳が私を捕らえる。

 手のぬくもりがくすぐったい。

 ふふ、と笑うと、マサトは子どもを諭すように「ほら、じっとしてってば」と笑った。

 私の首から離れた鈴が、チリリ、と音を立ててこたつの上に置かれる。

 「持って帰る?」と聞かれたので

 「要らない」と答えた。

 そんなもの、もう興味はない。

 窓から吹き込む冷たい風に身を震わせて、私はこたつに潜り込んだ。

 「ほら、やっぱりネコだ」

 マサトが笑いながら窓を閉める。

 風が止んだこたつの中、寒さで縮んだ身体が少しずつほぐれて行った。

 こたつのトンネルを抜けて、あぐらをかいたマサトの足の上にもぞもぞと頭を出してみる。

 シャボンの香りがするスウェット越しにマサトのぬくもりを感じて、トクンと胸の音が鳴る。 

 「にゃあ」

 猫の鳴きまねをすると、マサトは笑って髪を撫でてくれた。

 「いい子だね」

 私は嬉しくなって、また「にゃあ」と鳴く。

 この時間が、世界で一番好き。

 毎週、水曜日。

 私が唯一「ご主人さま」から解放される日。

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