第172話 天軍

 北の大地と呼ばれる不毛の地。そこには天軍の本拠地がある。

 巨大な島の最南端に天軍はゴリョウカクという星形要塞都市を築き、少ないながらも全軍を指揮していた。


「アザエル陛下、どうやら南方侵攻軍が全滅したようです」

 アザエル・ファラ・エノクという男。漆黒の羽を持つ彼こそが天軍を束ねる王である。人族に伝わる話では千年も前から、その存在が確認されているらしい。


「ラファエル、極進化させた豚共が斬られたというのか?」

 アザエルと話をするのは四天将の一角であるラファエルであった。


 基本的に四天将により南大陸の制圧は立案されている。その中でラファエルは総司令という役割を担っていた。


「一旦は拠点を奪ったらしいのですが、どうやらウリエルが引き上げた直後に攻撃を受けた模様です。使役の術が解けたのを確認しております」

 ラファエルの報告にアザエルは不満げな様子。人工的な進化が確立し、大幅に軍勢の戦力が向上したとの報告を受けていたからである。


「責任者を罰せよ。ウリエルは降格処分とする……」

「ご、ご再考ください! 必ずやウリエルは汚名返上の働きをいたしますから!」

 ラファエルが訴えるも、アザエルには届かない。かなりの戦力を投入した侵攻なのだ。責任者に罰を与えねば全軍の士気にもかかわるだろう。


「蠱術による進化は時間がかかりすぎる。効率が悪いだけでなく、簡単に斬られてしまうとは情けない。全てはウリエルの責任だ……」

 蠱術とはネームドモンスターを作り出した技法である。巨大な穴の中に幾万というオークを放り込み、ネームドに進化するまでオークだけを投入する。餌が存在しなければ、オークは自然と争い、共食いを始めるからだ。それをネームドが出現するまで続けるという進化促進術であった。


 ただオークを用意するのも簡単ではなく、オークは雌が存在しないため、多種族の雌を大量に用意せねばならない。またそれらを餓死させない食糧も必要となってしまう。


「あの二体は間違いなく強者でありました。ウリエルの試算は正しかったはず」

 何とかウリエルを助けようとするラファエルであったけれど、罰を決めたアザエルの話を覆すには至らない。


「ラファエル、以降は貴様が編成の指揮を執れ。我らは南大陸を蹂躙し、種として存続せねばならん」

 天主は種として確立したものの、総勢三百を下回る数しかいない。

 生存する大半が悪魔と人族の混血であり、第一世代である。

 第二世代の寿命は平均して五百年と短く、第一世代と比べて極端に生殖能力が低下している。加えて第一世代も誕生から千年が経過し、自然と生殖能力を失っていた。


 最後に新生児が産まれたのは三百年も前の話だ。現存する第一世代の天主が死滅すると種は滅びるだろうと考えられている。


「問題ありません。極進化済みである最後のエンペラーが東方へと侵攻中です。よもやヒダ山脈を越えて攻め入るとは考えていないことでしょう。近い内に山脈を越えてコウフを陥落。そののちにトウキョウへと進軍する予定です」

 どうやら天軍は進化させた軍勢によって共和国だけでなくカントウ連合国へも侵攻する準備をしていたらしい。


「もう二度と失態を犯すな? 幾らでも増える豚とはいえ、極進化には十年もかかっているのだ。最後の豚まで失うなどあってはならん……」

「ガブリエルめが担当しております。底知れぬ力を持つ共和国とは異なり、連合には纏まりがありません。所詮は小国の集まりです」

 ならば良いとアザエル。目的は共和国の制圧ではなく南大陸の全てだ。従って攻め入る順番に文句はない。


「必ずや成功させろ。我ら天主こそが地上の支配者なのだ……」

「承知しております。全てはグリモアにあるがままです」

 言ってラファエルは一冊の古文書を取り出している。


 人族に対する天主の侵攻は別に愉悦を覚えるためではない。彼らにも確固たる目的があった。


 古文書の名はグリモア。ラファエルが解読したという古文書には天主誕生の秘密が記されていたらしい。


「研究の末に導いた結論は一つ。魔界門を開くには人族の魂が必須であります。輪廻に還すことなく、魔界門の養分としなければなりません」

 グリモアは原初の悪魔が残したものだ。それによると、突如として開いた魔界門から彼はやって来たらしい。やがて悪魔は人族と交配し、天主を生み出したという。


 原初の悪魔は魔界門が閉じ始めるや、二百人の子をチキュウ世界に残して魔界へと帰っていった。その子らは交配をし、一時は千人を超す人数にまで膨らんだけれど、時を経るにつれてその数を減らしている。


「原初の悪魔を呼び出し、新たな天主を産み出さねば我らに先はありません。代を重ねるごとに希薄になる魔界因子。元が悪魔の眷属である我々は因子を失うほどに存在が薄くなってしまうのですから……」

 ラファエルによると天軍の復興には悪魔の召喚が不可欠だという。再び悪魔と人族を交配させ、第一世代を産み出すこと。さすれば生殖能力を有した同胞によって種が保存されるのだと。


 また悪魔を召喚するには世界を隔絶する魔界門を開く必要があった。加えてそれを開くには人族の魂が必要であると、ラファエルはグリモアから読み取っている。


「まだ足りません。更なる魂を魔界門は欲しているはず。南大陸を制圧し終えたなら十分かと推測します。あとは悪魔をこの地へと呼び寄せるのみ。それ以外に我ら天主が存続する道はないのですから……」

 天軍が進む未来に共存などあり得なかった。彼らは滅亡回避のためだけに戦争を始めている。一刻も早く魔界門を開くために。


 固有種として存続する目的において他種族の滅亡など考慮されるはずがなかった……。

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