第17話 明確な目標

 翌日は良く晴れていた。一八は決意のままに早起きし、朝稽古の前に机へと座っていた。

 一年生の教科書を引っ張りだし、基礎から学ぼうとしている。

「俺はどれだけ怠けていたんだ……」

 ろくに勉強してこなかったこと。悔やんでも仕方なかったけれど、後悔せずにはいられない。普通に勉強していたら分かることでも一八にとっては難問となってしまう。


 それでも教科書を読んではノートに書き写す。勉強のやり方など分からなかったから、書き出してそのまま覚えようとしていた。

「クソ……、脳みそはオークのままなんじゃないか?」

 女神の加護とやらを疑ってしまう。厳密にそれが何の足しになっているのか理解できないままだ。誤死させられた詫びであるのは確かだが、武術においても勉学においてもそれは効果を発揮しているとは思えない。


 気付けば登校の時間となっていた。あろうことか日課である朝稽古をサボっている。やるべきことは全てしようと考えていたけれど、一八は時間が限られていることを改めて理解させられていた。

「時間がねぇな……」

 こんなにも焦った経験は初めてだ。騎士学校の入学試験まで一年もない。どれだけ睡眠を削ろうとも一八に残された時間はそれだけしかなかった。


「せめて授業を寝て過ごさなければ良かった……」

 高すぎる目標は往々にして絶望しか与えない。無駄であると考えてしまうのだ。しかし、一八は気後れするような思考を飲み込み、一秒を惜しむかのように努力しようと思う。

「やるって決めた。結果を先に考えちゃ駄目だ。時間がない俺は少しも無駄にできないだけ。絶対にできるはず……」

 自身を鼓舞し、心を落ち着かせた。直ぐさま学校に行く準備をして食卓へと向かう。

「一八、今日はどうしたの? まさか体調不良だなんて人間らしいことはないはずだけど?」

 母である清美は一八を人族とは認めないような発言をする。流石に冗談であるはずだが、一八はムッと口を尖らせていた。

「勉強してたんだよ。朝の三時から。ちなみに夜も十二時まで勉強してた……」

「ちょっと熱があるんじゃない!?」

 清美が慌てて体温計を取りに走る。勉強をしているところなど十七年で一度も見ていないのだ。高熱にうなされているとしか思えなかったらしい。


「俺は正常だっつーの! 早く飯をよそってくれ……」

 一八は眠気を食欲で満たすという手段に出た。通常であれば満腹感は眠気を増幅させるだけだが、必要以上に掻き込んで脳を起こしてやろうとしている。

「一八よ、一体どうした? お前が勉強などしても無駄なことだぞ? 何しろ我が奥田家は馬鹿の血筋。仙人になりたいと爺さんが山ごもりをするような底抜けの馬鹿が輩出される家柄だぞ?」

 身も蓋もない話である。昨日までであれば笑い話だが、今となっては呪いのようにも感じる。馬鹿の家系と片付けられない決意を一八はしていたから。

「うるせぇ。俺は目指すことにしたんだ……」

 もう絶対に選択を間違えない。今やらなければ必ず後悔すると一八は分かっていた。


「俺は騎士になる――――」

 改めて言葉にするとその目標の高さを再確認できた。三六も清美も目が点になっていたのだ。目標にすらできないことを二人は分かっていた。

「あんたには無理でしょ!?」

「そうだぞ一八。馬鹿は馬鹿なりの生き方を選ぶべきだ……」

 二人の意見には首を振る。簡単に説き伏せられる一八はもういない。

「馬鹿の家系は俺が終わらせる。幸いにも生徒会長なんだ。少しくらいは評価してもらえるだろうし、俺は人並みの学力さえ手に入れたら実技で合格できる」

 一八も一応は考えている。学校のレベルは最低に近いものであったけれど、彼は生徒会長に選ばれているのだ。騎士には部下を束ねる資質が求められているし、生徒会長を全うすれば少なからず評点に繋がるはず。


「しかしなぁ、馬鹿は死んでも治らんというのだぞ?」

 どうしても三六は認めようとしない。けれど、清美は異なる見解を示した。

「お父さん、これは良いことだわ。この子がどこまでできるか分からないけれど、ヤル気を削ぐのは止めましょう。一八、男なら決意を実現させなさい。過程じゃなく結果で。努力はしたと自己満足に浸るのだけは止めなさいよね」

 清美は結果だけが全てだと語る。過程に評価は与えられないのだと。まるで逃げ道を塞ぐような彼女の話であるが、一八は真摯に受け止めていた。


「決まってんだろ? ぶん投げたい奴ができたんだ。けど、それは雑兵じゃ無理。同じ位置に立って俺はあの女を見下ろしてやりてぇ……」

 一八の話は二人にとって意外なものだった。内容から推察できるのは一八が負けたという話である。

「一八、お前まさか女に負けたとかいうつもりか?」

 三六が聞く。一八が負けただけでなく、女性に土をつけられるなんて考えられない。奥田家に受け継がれているのは馬鹿だけではなく、圧倒的な力もあったのだから。


「そのまさかだよ。浅村って女だ。守護兵団の大尉らしい」

 その名は二人もよく知っていた。前線に近いキョウト市が平穏を保っていられるのは彼女のおかげだといっても過言ではない。ニュースに見る魔物討伐の話題には必ず浅村という名がでてきたのだ。

「力だけでは勝てないと言っていた。また結果はその通りになった。俺は更なる努力をしてあの女に勝つ。だからこそ勉強が必要になったんだ……」

 気の迷いでも冗談でもないと二人は理解した。負けず嫌いは昔からだが、どのような力量差があろうと一八は向かっていく。幼き日の思い出が二人に蘇っていた。


「一八よ、二度の敗北は許さん。奥田家は武道の名門。必ずや勝利せよ。この一年は師範代としての任を解く。十分な準備を済ませるのだ……」

 ようやく三六も同意している。相手が相手なのだ。既に一八は自分を分析していたし、根幹にあるものが戦いに勝つという目的であれば三六が否定することはない。

「ああ、任せろ。俺は人族最強を目指す。全ての雑兵を纏め上げるキングになってやる」

 前世と同じ道を歩む。一八はオークキングだった頃を思い出していた。頂点から見る景色。あれ程に爽快なものなど存在しないのだと。


 食事を掻き込んだ一八は学校へと走って行く。眠気覚ましには丁度良いロードワークだ。

 目標を両親に伝え終えた一八の表情は心なし笑みが浮かんでいるかのようであった……。

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