第16話 ガーゴイルとの戦い

 玲奈は警報にあったキョウト中央駅へと到着していた。青空の向こう側。二つの影が見える。

「ゲームであれば良かったのだがな……」

 チキュウ世界に生まれ落ちてから魔物とは戦っていない。彼女の地元であるキョウト市は高い外壁で覆われており、飛来型の魔物しか現れなかったからだ。

 趣味の一つであるゲームであれば何度も戦っていたけれど、これより始まるのは生身での実戦に他ならない。


「竹刀が武器とか高難度すぎる……」

 一八も危惧していたように武器は頼りない。これには溜め息しか出ないけれど、それでも玲奈は戦うと決めたのだ。

 既に駅前にいた人たちは避難を終えている。静まり返った繁華街。玲奈は道路の真ん中に立ちガーゴイルの襲来を待つ。


「狙いは龍穴に立つ魔道塔だろう……」

 キョウト市には幾つもの龍脈が流れ込んでいる。その中心である龍穴には魔素を吸い上げるための魔道塔が立っていた。全ての魔道具は魔素エネルギーを利用しており、魔道塔が破壊されてしまえば都市機能が失われてしまう。チキュウ世界の文明度を引き上げたのは魔道塔に違いないけれど、高濃度の魔素を求める魔物を引き寄せるという難点もあった。


 玲奈の瞳に映るガーゴイルの影が徐々に大きくなっていく。

「さあ、かかってこい! ガーゴイル!」

 飛来した二頭のガーゴイルは真っ直ぐに玲奈へと向かってきた。魔物の本能なのか或いは邪魔者を先に排除しようというのか、好戦的な声を上げながら降下してくる。

「砕け散れぇぇつ!」

 竹刀に魔力を乗せ先に玲奈が斬り掛かった。だが、竹刀を叩き付けた感触は軽い。魔力を流していたけれど、ダメージが入ったとは少しも思えなかった。


「この石頭めっ!」

 迫る二頭を交互に叩き付けるもガーゴイルは怯むことすらしない。元が石像である彼らにとって竹刀での攻撃など撫でられているようなものである。

 瞬く間に二頭は玲奈を追い込んでいく。気付けば背中には壁があり、後退するという選択肢はなくなっていた。

「クソッ、一匹ならまだしも……」

 玲奈はより強い魔力を竹刀へと流した。ただし、それは悪手である。硬度を高めることによってダメージは入るかもしれないが、その硬度に竹刀が耐えられるはずもなかったのだ。


「覚悟しろ! ガーゴイル!」

 このまま二頭を相手にするのは困難だ。従って玲奈はどちらか一方を始末しようとした。武器を失うことは彼女も分かっていたけれど、それが最善策だと判断したらしい。

「砕け散れぇえええっ!」

 岩をも砕く強烈な一撃がガーゴイルの頭部にヒットした。

 玲奈が叫んだままガーゴイルは破裂したように砕けている。だが、懸念されたように竹刀もまた同じように粉々となってしまう。


 一頭が倒されたというのに残るガーゴイルは好戦的なままだ。斬り付けた勢いのまま膝をつく玲奈に向け鋭い爪を振り下ろした。

 転がりながら回避を試みたものの、玲奈は左足にガーゴイルの攻撃を受けてしまう。

「ぐあぁぁっ!」

 幸いにも致命傷は避けられたけれど、かすっただけであるというのに皮膚が避け、傷口からは血が噴き出している。

「ライトキュア!」

 即座に簡易的な回復魔法にて止血。それは前世と異なるところだ。幼い頃から修練を積んだ玲奈は簡易回復魔法だけでなく初級回復魔法まで習得している。

「骨まで砕けていなかったのは幸運だったが……」

 熟練度が足りない初級回復魔法キュアは魔力消費が激しい。よって玲奈は傷口を塞ぐだけのライトキュアを選択していた。


 ガーゴイルが両手を広げて歩み寄ってくる。逃げ場を失った玲奈を更に角へと追い込むかのよう。ジワリジワリと近付いていた。

「こんなところで……」

 守護兵団の到着はまだのようだ。恐らくは市外にも魔物が現れたのだろう。到着に十分以上もかかっている現状は察するに容易い。


 完全に後がなくなっていた。既に武器はなく逃げ道も塞がれている。攻撃魔法は初級であれば幾つか習得していたけれど、魔法耐性のあるガーゴイルに効果があるとは思えない。

「どうすればいい……?」

 どう考えても回避不可能である。ガーゴイルの脇を抜けようにも大きな羽があり、玲奈は後方の様子さえ見ることができないのだ。あまつさえ彼女は膝をついたままであった。


 ガーゴイルが大きく右腕を振り上げる。鋭い爪が振り下ろされてしまえば、今度こそ玲奈は八つ裂きとなるだろう。武器も防具もない彼女はただそのときを待つしかなかった。

「人の一生とは儚いものだな……」

 死を覚悟するのは二度目だ。岸野玲奈として歩んだ短い人生もまた終わりを迎えようとしていた。

 意図せず訪れたやり直しの人生。ガーゴイルの腕が振り下ろされるまでの間、短すぎるそれを玲奈は脳裏に投影していた。


 ところが、突として回想を停止する。予想すらしない事象に玲奈は対応しきれない。

「なっ!?」

 思わず声を上げてしまう。なぜなら玲奈の眼前に大きな影が割り込んだのだ。彼女に背を向けて立つそれは、魔物などではなく明らかに人族であった。

「一八……?」

 顔は確認できない。だが、見紛うはずもなかった。十八年間、毎日見ていた背中。凡そ高校生とは思えない大男は彼以外にあり得ない。

 ガーゴイルの腕を掴む男は間違いなく一八であった。


「悪ぃな、遅くなった……」

 信じられない光景だった。一八は右手でガーゴイルの羽を掴み、左手一本で振り下ろされたガーゴイルの攻撃を防いでいる。

 触れただけで皮膚が裂ける攻撃であったはず。なのに一八は平然とガーゴイルの腕を掴んでいる。

「クソがっ! 力比べなら負けねぇんだよ!」

 言って一八はガーゴイルを無理矢理に押し倒す。飛来する魔物ではワイバーンよりも重量があったというのに、彼は事もなげに突き飛ばしてしまった。


「大丈夫か、玲奈……」

「あ、ああ……。相変わらず馬鹿力だな……」

 一八は玲奈の手を取り彼女を立ち上がらせた。見たところ竹刀を失った玲奈はもう戦えそうにない。柔術使いである一八が何とかせねばならない状況であった。


「一八、まあそのなんだ……」

 若干、気まずい様子の玲奈。少しばかり視線を外してポツリと口にする。

「助かった。ありがとう……」

 思いがけぬ感謝の言葉に一八は驚いていた。しかしながら、今は雑談するときではない。街に飛来したガーゴイルの対処が最優先事項である。

「一八、貴様アレを倒せるか?」

 玲奈が聞く。武器を失った自身はもう戦えない。けれど、逃げようとは思わなかった。自分たちが逃げ去れば間違いなく魔道塔が破壊されてしまうからだ。


「無茶言うな。俺はお前を助けに来ただけだ。魔物の討伐なんか予定してねぇよ……」

 一八の返答に玲奈はムッと口を尖らせる。戦おうともしない一八に不満げな様子。ところが、次の瞬間には玲奈の表情が一変した。続けられた一八の言葉に彼女は笑みを浮かべている。


「俺が戦うのは守護兵団か来るまでだ……」

 一八は撤退を口にしなかった。先ほどまでの臆病な彼はもういない。彼は素手でガーゴイルの相手をするという。守護兵団が到着するまで戦うのだと口にした。

「それでこそ私を圧倒したオークキングだ! 私も陽動くらいならできるぞ!」

「昔の話をすんじゃねぇよ。今は隣に住む普通の幼馴染みだ……」

 気の利いた返しに玲奈は笑みを大きくする。転生前には思いもしなかったことが起きようとしていた。まさかあのオークキングと共闘するだなんて……。


「私がガーゴイルの注意を引く。一八は隙を見て捕まえろ。格闘は得意分野だろ? 共闘するからには負けは許さん。敵前逃亡も絶対に許さんからな!」

「簡単に言いやがる……。まあいい。スピードは厄介だと思っていた。お前が囮になってくれるのなら、必ずぶん投げてやんよ……」

「了解した。今度こそ、でくの坊ではないところを見せてくれよ?」

 言って玲奈が走り出した。まだ足に痛みを覚えていたけれど、彼女は全力疾走にてガーゴイルへと向かっていく。


 一方で一八もまたガーゴイルの死角へと走り込んでいた。横目で玲奈を見ている。躊躇うことなく魔物へと接近する幼馴染みには呆れるしかない。

「俺もやるっきゃねぇな……」

 一八は拳に力を入れた。手のひらに魔力の循環を感じている。これでも彼は奥田魔道柔術道場の師範代。門下生であれば手加減もするけれど、魔物相手なら手加減無用である。


 元々オークへの転生が決まっていたからか、或いはオークキングの名残なのか。今まで力比べで負けたことなどない。先ほどは突き飛ばしただけであるけれど、自分であればガーゴイルを投げ飛ばすことができると思う。

 程なく玲奈がガーゴイルに取り付く。ガーゴイルもまた武器を失った玲奈を警戒していないようで、逃げることなく彼女と向かい合った。

 ところが、ガーゴイルは過度に一八を意識しているようだ。先ほど一八の力量を察したのか、近付くたびに空を飛んで距離を取ってしまう。

「一八、もっと早く動けんのか!?」

 終いには玲奈の怒号が飛ぶ。一八とて全力で動いていたものの、流石に空を飛ばれてはどうしようもない。


「るせぇ! ちったぁ動きを止めてみせろ!」

 苛立った一八が言い返す。自身が取り付けないのは玲奈のせいであると。

 全ては売り言葉に買い言葉であったはず。だから一八には予想できなかったのだ。まさか玲奈が真に受けてしまうなんてことは……。

「一八、これで文句は言うなよ!?」

 なんと玲奈はガーゴイルと取っ組み合ってしまう。華奢な彼女など数秒も持ち堪えられないだろうに。

「ちょ、マジか!?」

 一八は突進するしかなくなっていた。死角から接近したり隙を突いたりという作戦は既に選択肢から外れている。真っ向勝負しないことには玲奈の身が危ない。


「クソがっ!」

 肩口を突き出すようにして体当たりをかます。二メートルを超す一八であったけれど、流石に石像の魔物。少しばかりよろめいただけで持ち堪えていた。

「玲奈を離しやがれ!」

 取り付いた一八は羽を掴むや、力任せにガーゴイルを担いだ。かつてこれ程までに重たいものを持った経験はない。しかし、ガーゴイルが玲奈に危害を加える前に何とかせねばならなかった。

「おい一八! 私は掴まれたままなんだぞ!?」

 玲奈ごとガーゴイルを肩に乗せた。血管が破裂しそうなほど力む一八。このまま叩き付けられたら楽なのだが、生憎と玲奈はガーゴイルに掴まれたままだ。どうにかして玲奈とガーゴイルを引き離さなくてはならない。

「クッソ重ぇな! 吹き飛べぇぇえええっ!」

 一八は無理矢理にぶん投げた。それも真上に近いところ。ただし即座に羽を掴み、ガーゴイルだけは逃がさない。

「わああぁああぁあ!」

 流石にガーゴイルも手を離し、玲奈だけが飛ばされていく。けれど、一歩遅れてガーゴイルも同じ軌跡を描いた。なぜなら一八が掴んだ羽は根元からもげている。投げつけられた威力は片翼だけで受け止めきれる力ではなかったらしい。


「玲奈っ!」

 ひとまずガーゴイルを放置し一八は駆け出した。最初から玲奈を受け止める予定だ。できる限り真上に投げたつもりだが、それでもやはり彼女は前方へと飛ばされている。

「届けぇぇえええ!」

 一八は両手を突き出し頭から飛び込んでいた。そもそも彼は玲奈を助けに来たのだ。だからこそ彼女が怪我を負うなんてあってはならないのだと。

「うおう!?」

 飛び込んだ一八の腕の中。玲奈は抱き留められている。勢いで転がりはしたものの、太い腕に抱きかかえられた玲奈はかすり傷すら負っていない。


「おい、早くおろせ! 私は怪我をしていない!」

 恥ずかしがる玲奈が少しだけ面白かった。普段の仕返しにからかってやりたいと考えるけれど、一八は言われた通りに玲奈を下ろし、再びガーゴイルに視線を合わせている。

「もう飛べねぇはず。次は頭から叩き付けてやる……」

 自信が芽生えたのか一八はまだ戦うつもりだった。彼はただ時間稼ぎをしていただけだというのに。

 少し驚いた表情を見せる玲奈だが、元よりその話は彼女の希望通りである。

「貴様ならできる! さっさと息の根を止めろ!」

 羽を失ったガーゴイルは怯えているかのよう。歩み寄る一八に震えながら小さく声を上げている。まるで助けてくれと願っているかのように。


 その光景はかつての記憶にあるままだ。遠い昔の記憶。オークキングだった一八は何度もその表情を見ていた。恐怖に震える身体。許しを乞う情けない表情を……。

「今さら命乞いとかざまぁねぇな!」

 問答無用と一八はガーゴイルを担ぎ上げた。頭よりも高く持ち上げ逆さまにしている。


「石人形が動くんじゃねぇぇよ!!」

 全体重を乗せ、頭から地面に叩き付けた。確実に仕留めるつもりで。もう二度と動き出すことがないようにと。

 あまりの威力にガーゴイルは地面へと突き刺さり、石畳が派手に飛散する。

 完全に息絶えたはず。一八が叫んだままにガーゴイルは道路の真ん中に立つ石像のようになってしまう。


 逆さまに突き刺さったガーゴイルはもうピクリともしなかった。既に生気は失われて魔物であった頃の面影はなくなっている。

「やった……」

 荒い息を吐く一八はようやく魔物を倒したのだと実感している。前世では片腕で片付ける雑魚であったというのに、その充実感はまるで魔王でも倒したかのようだ。


「一八、やったな! 言っておくが私も一匹倒したのだぞ? だから私は負けていない!」

 妙な負けん気を出す玲奈に一八は笑みを浮かべている。魔物相手でも戦えるという事実。まさかそんなことに気付かされるだなんて学校を出る前の一八には到底思いつかなかった。

「玲奈もやったな。俺たちは魔物を倒したんだ……」

 口にすると身体の芯から震えるような感覚があった。かといって恐怖心が蘇ったわけではない。一八は得も言われぬ高揚感に身体を震わせていた。

 明確になりつつある。自身が進むべき道が照らし出された瞬間であった。


 二人して喜び合っていたところ、急にサイレン音が響き渡る。どうやら今頃になって守護兵団が到着したらしい。

 エアパレットと呼ばれる魔道具に乗って現れたのは女性だった。しかも彼女は一人きりである。

「君たち、少し良いか? そこにある石像はガーゴイルの成れの果てか?」

 女性が問う。見たところ彼女は士官であるようだ。胸に並ぶ勲章の数々は彼女がそれだけの功績を残した証しである。


「ご苦労様です。近くにいたもので対処させて頂きました。浅村大尉……」

 玲奈が頭を下げて言った。どうやら玲奈は彼女が誰であるのか知っているようだ。騎士を目指す彼女であるから上官となる者たちは頭に入っている様子。

「玲奈、誰だよ?」

 一八が耳打ちするように聞いた。騎士に全く興味を持っていなかった彼は、たとえ有名人が現れたとしても分からなかったはずだ。

「彼女は浅村ヒカリ大尉だ。貴様はそんなことも知らんのか?」

 浅村ヒカリは騎士学校を首席卒業したのち、いきなり少尉として配備された強者である。通常は准尉級でのスタートとなるのだが、並外れた能力を買われて新卒早々に小隊長となっていた。


「ふーむ、どうやらガーゴイル共はついてなかったらしい。高濃度魔素を本能的に求めたのだろうが石像に戻されてしまうとはな……」

 フハハと笑い声を上げるヒカリ。徒労に終わった討伐であるが、彼女は喜んでいるようだ。

「それで諸君、私は一般人が魔物と戦うのはあまり良いことだと思わない。けれど、怪我もなく討伐できたのなら不問としよう。また魔道塔を守ってくれたことには感謝しかない。何か望みはあるか?」

 意外な話になる。どうしてか浅村ヒカリは魔物被害を防いだ二人の希望を聞く。どこまで権限があるのか不明だが、彼女は希望の条件すらつけていない。


「それだったら俺を騎士学校に入れてくれ!」

 即座に一八は望みを口にする。士官である彼女なら可能なのではないかと。学力が問題となっていた彼は駄目元で希望を伝えた。


 流石にヒカリは苦い顔をする。やはり騎士学校へねじ込むだけの力は持ち合わせていないようだ。

「騎士学校に入りたいのなら努力したまえ。門戸は常に開かれているからな。受験は助けてやれないが、詫びとして少しばかり稽古をつけてやろう……」

 望みは却下されたものの、浅村ヒカリはそんなことを言う。現役の士官である彼女の稽古ならば良い経験になるだろうと。

「稽古? 俺にとっての問題は学力なんだよ!」

「おい一八、失礼だろう!?」

 慌てて玲奈が制止するも一八は首を振る。彼は躊躇うことなく浅村ヒカリに言い放つ。


「俺は魔導柔術の全国覇者だぞ?」

 誰よりも強いのだと言いたげだ。実技試験は剣術となるのだが、柔術であれば誰にも負けないという自負がある。

「君のことは知っているよ。全中から高校インターハイまで無敗。アネヤコウジ武道学館の奥田一八だろう?」

 意外なことに浅村ヒカリは一八のことを知っていた。名乗った覚えはなく間違いなく初対面であったというのに。


「それに後ろの彼女は岸野玲奈だな? まったく面白い組み合わせだ……」

 二人は揃って驚いていた。高校でも活躍している一八ならばともかく、高校になってからは試合に出ていない玲奈のことまで浅村ヒカリは知っているらしい。

「どうして俺たちのこと知ってんだよ?」

 一八が聞く。なぜに一介の高校生を知っているのか。兵団の士官が知っている理由が分からない。

「私も柔術を嗜むのでな。学生の大会はチェックしている。岸野玲奈については妹のおかげ。妹は私が観戦した全中の決勝戦で岸野玲奈と戦ったのだ……」

 あっと声を上げたのは玲奈だ。そう言えば決勝の相手は浅村という名字であった。しかしながら、それ以上のことは知らないし、浅村ヒカリの妹だなんて考えもしないことだ。


「君たちを知っていたからこそ疑わなかった。ガーゴイルの成れの果てである破壊された石像。その傍らにいたのが君たちであれば、結果は簡単に予想できたよ……」

 ヒカリは二人を知っていたから簡単な事実確認しかしなかったという。二人がガーゴイルを討伐したという予想に確信を持っていたのだと。

「じゃあ、俺を奥田一八と知って稽古だとかぬかしてやがんのか?」

「おい、一八!?」

 魔物との戦いに怯えていた一八だが、柔術であれば話は別だ。無敗という戦績は少なからず彼にプライドを与えている。


「当たり前だろう? 弱者が強者の胸を借りる。至って自然なことだと思うが?」

 煽るような台詞が返されていた。流石に一八は苛立っている。剣術ならばともかく、稽古が柔術であるのなら負けるはずがない。彼にも王者としての矜持があるのだ。たとえそれが守護兵団の士官であろうと、柔術の試合であれば一八は勝てると思った。


「じゃあ稽古してくれや。強者であるあんたの実力を見せてくれ……」

 口調は穏やかであったけれど、込み上げる怒りにその声は震えていた。前世を含めてここまで馬鹿にされたことは一度だってない。一八は絶対に地面へ叩き付けてやるのだと決めた。

「ぶつくさ言うな。さっさとかかってこい!」

 尚も挑発する浅村ヒカリに一八が駆け出した。両手を挙げて突進する一八はまるで大木のよう。素人目にも体格差は一目瞭然であった。

 しかし、刹那に一八は地面へと寝転がっていた。組み手が始まる前に想像した浅村ヒカリの姿を自分自身が体現している。


「何が……起こった?」

 ダメージは少しもない。けれど、それは明確に一八の負けであった。背中から地面に叩き付けられたのだ。試合であればここで終了となる場面に違いない。

「どうした? もう終わりか?」

「クソッ!」

 直ぐさま立ち上がり、再び彼女の奥襟を取りに行く。今度はガッチリとその手に掴んだ。もう絶対にこの手は外さない。一八はそのまま彼女を担ぎ上げようとする。

 ところが、気付けばまたも一八の視界は空を映していた。どうにも不可解だ。確実に有利な体勢であったはず。けれど、どうしてか一八は再び投げられている。


「ここまでは力だけで勝ち上がれたのかもしれない。だがな、世界は広いのだ。少なからず君よりも力が強い人間はいるし、君より技術を磨いた者に至ってはごまんといるだろう」

 さあ立ち上がれとヒカリが急かす。一八にとって本当に屈辱だった。いつもなら投げた相手を見下ろしている。だが、今は二度に亘って見下ろされているのだ。

「ちくしょう!」

 再び立ち上がるも結果は同じだった。全力で投げているにもかかわらず、逆に一八が地面へと伏している。


「なんでだよ!?」

 思わず一八は声を上げた。苛立ちを自分自身にぶつけるかのように。

「君は私よりもずっと力が強い。だが、それだけだ。技術は比較対象にもならん。君が力を使えば使うほど私は容易に投げられる……」

 決して質問ではなかったのだが、浅村ヒカリは彼の疑問に答えている。力しかない一八の攻撃など取るに足りぬものであると。


「君は受け流す技術を磨くべきだ。柔と剛が備わって始めて一流となれる。幸いにも剛の部分は十分だ。体格が劣る者からすれば嫉妬さえ覚えるほどに……」

 フォロー的な話が続けられた。しかし、裏を返せば力だけ。一八は改めて自身の未熟さを知らされている。


 ここで浅村ヒカリのハンディデバイスが音を立てた。どうやら通話であるらしい。一八を右手で制してから彼女はデバイスを操作する。

「浅村だ。どうした?」

『大尉、中央ブロックの魔物被害はどうなったのでしょうか?』

 通話相手は彼女の部下であった。単騎で討伐に向かったヒカリを心配しているようだ。


「問題ない。私が駆けつけたときには解決していた」

『どういうことです? ガーゴイルは魔道塔に向かっていたのではないのでしょうか?』

「いや、ガーゴイルが去って行ったという意味じゃない。勇敢なる一般市民が対処してくれた。つまりは無駄足だったということだ……」

 報告はあとでするとヒカリは言う。どうにも部下の女性は理解しきれていないようだが、面倒に感じたのか彼女は通話での報告を止めた。

「それで優子、ワーウルフの方は片付いたのか?」

 ここで話が転換していく。恐らくそれは彼女たちがガーゴイルの対処に遅れた原因だ。ワーウルフという群れを成す魔物の掃討が別の任務としてあったのだろう。

『それが群れを束ねていたのがクリスタルウルフでして、一般兵では太刀打ちできません。被害が拡大しております……』

 ワーウルフは群れを成すため危険度はCランクである。だが、クリスタルウルフはウルフ系の最上位種種。単体でもAランクの危険度であった。


「直ぐに向かう。何とか持ち堪えろ……」

 言って浅村ヒカリは通話を切る。と同時に地面に寝転がったままの一八に視線を合わせた。

「少年、悪いが稽古はここまでだ。私は共和国の平穏を守る者。魔物の駆逐が最優先だ」

 ヒカリはハンディデバイスを操作しエアパレットを取り出す。

 それは風魔法が付与された魔道具であり、一般的に出回っているエアボードとは一線を画する。魔道車並のスピードで飛ぶことができる守護兵団の必須アイテムであった。


「岸野玲奈に奥田一八。少しばかり楽しめた。君たちが精進を重ねることを期待している」

 軽く手を挙げてヒカリが飛び去っていく。キョウトエリアの区隊長でもある浅村ヒカリは如何なる魔物被害も許さぬつもりだ。もの凄いスピードで視界から消えていった。


 取り残された玲奈と一八。しばらくの間、二人は呆然と固まったままだ。

「おい玲奈、あいつは転生者か?」

 寝転がったまま一八が聞いた。その解答は自分自身も分かっていたというのに。

「いいや、彼女は加護を持っていなかった……」

 シンプルな返答であった。玲奈もまた度肝を抜かれている。今まで一八が投げ勝った試合は数多く見ていたけれど、あの巨体が宙を舞う姿など一度だって見ていない。こうも易々と投げつけられるなど理解の範疇を超えている。


「玲奈……」

 再び一八が口を開いた。焦点の合わぬ目で空を見る彼。その声にはもう怒気など含まれていない。

「俺は強くなりたい――――」

 長い沈黙のあと告げられたのは心からの感情である。二代に亘って強者であったはずが、現状の一八は投げ飛ばされるだけの弱者であった。

「あの女を絶対に投げ飛ばしてやる……」

 本能的な決意が続く。強さしかない一八は負けられなかった。強さを失えば何も残らない。それこそ何の価値もなくなってしまう。


 玲奈は考えさせられていた。ここまで一八の鼻っ柱を折れる者の存在。武器を使えど自分には無理だった。彼女もまた自身の矮小さを間接的に知らされている。

「やはり私は騎士学校に入るしかないな……」

 結論は何も変わらない。目標であったそれが明確な目的への過程となっただけだ。

 玲奈もまた浅村ヒカリに勝ちたいと思う。どう考えても別次元にいるのだが、己の限界が人類の到達点でありたいと願う玲奈は彼女を超えていかねばならなかった。


「貴様はどうする?」

 ここで玲奈が聞く。無様にも地面と背中合わせの一八に。また彼女が知る一八であれば返答は一つしかない。

 ニッとした笑みを浮かべるのは一八だ。背中を押すような問いかけは期待通り。自身もまた進むべき道を明確に定めている。

「俺も行くぜ。長い人生だ。遅すぎることなんてねぇよ。勉強だってやるかやらないかだ。できるできないで切り捨てちゃなんねぇよな……」

 ずっと気付くのが遅すぎたと思っていた。けれど、それは言い訳である。体裁を整えるだけの言葉。試験まで一年近くあるのだから今は可能性を否定したくない。


「ならば共に高見を目指すとしよう。鍛錬が足りない。私は現実を知らされたよ……」

 玲奈の話は普段の彼女とまるで異なっている。まるで同志であるかのように語る彼女はとても新鮮だった。

 一八は頷きを返している。ようやく隣人になれたような気がしていた。前世のしがらみが少しばかり解け、本来あるべき状態に修正されつつあると思う。

 決意が一層固くなった。一八は自信満々に返答している。


 俺は騎士になってやる――――と。

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