第14話 過去に囚われた転生者二人の本心

 アネヤコウジ武道学館生徒会役員室では一八が書類の山を前に深い溜め息をついていた。

「奥田会長、今年度の部活動に関する予算配分の草案を真っ先にお願いします。予定を立てられないとの苦情が殺到していますので……」

「うむ……」

 新年度とあって、すべきことが山積していた。春休みに放置していたツケである模様だ。確認書類は膨大な数であり、何から手をつけて良いのかまるで分からない。


 長い息を吐く一八。ふと校庭が騒がしいことに気付く。

「ん? 外が騒々しいな……」

 副会長の追い込みを避けるようにして、一八は窓の外に視線をやる。

 そこには人集りが出来ていた。よく目を凝らして見ると集団は何かを取り囲んでいる。

「また、あいつかよ!?」

 長い黒髪を振り乱し、大立ち回りを繰り広げる女子高生の姿がそこにあった。

 それは確定事項だ。一八の知る限り他校へ侵入した上に暴れ回る女子高生など一人しか存在しない。


 流石に見て見ぬふりも出来ず、副会長に玲奈を連れてくるよう指示を出す。恐らく要件は昨日と変わらないだろうが、一八は気晴らしも兼ねて話を聞くつもりだ。

 しばらくして副会長の声と共に軽いノックがあった。今回は時間を要せず連行できたらしい。昨日のように気を揉むことはなかった。流石は副会長と感心しながら一八が入室を許可する。

 ガチャリと扉が開き肩で風を切るように堂々と入室したのは見慣れた幼馴染み。一見したところ玲奈に怪我をした様子はない。とどのつまり、またしても彼女はアネヤコウジ武道学館生を叩きのめしたようだ。

「よう、玲奈……。またもやウチのもんが迷惑かけたな……」

「まったくだ! 血の気が多いにもほどがあるぞ!」

 一八にも状況が理解できた。玲奈から喧嘩を売るとは思えない。彼女はただ買っただけだ。切っ掛けはアネヤコウジ武道学館生であるのは明らかである。


「私は生徒会の伝言を頼まれただけなのだ。喧嘩をするつもりはなかったんだぞ? 貴様の兵隊は戦闘狂としか思えん……」

 アネヤコウジ武道学館は完全なる武闘派集団だ。進学先がない者の受け皿であり、荒くれ者の巣窟である。その学力ゆえに生徒は大部分が選択の余地なく共和国軍守護兵団へと入るしかなく、一般兵として入団しても問題ばかり起こしているようだ。

「俺としては平和的に過ごしたいんだがな……」

「ああ? 貴様の躾がなってないからだろうが?」

 溜め息混じりに漏らした台詞を玲奈は聞き逃さなかった。全てはリーダーの責任と言わんばかり。オークキングであった頃はそれこそ武力に訴えるだけでよかったものの、人族に転生した一八は力だけで抑え込もうとしていない。人間関係というものを少なからず考慮していた。

「すまんな。奴らにはよく言い聞かせておく。ところで玲奈、今日の要件は何だ? 用があってきたのだろう?」

 取り繕うこともなく一八が尋ねた。この手の話は揉める元なのだ。素早く切り替えていく方が賢明である。


「うむ、要件は両校の交流についてだ。理事会から何かしらの交流方法を考えろと通達があっただろう? そこで我々は文化祭を共同開催するという案を用意した!」

 話を引き摺ることなく笑顔で答える玲奈。かといって彼女の反応は一八の予想通りだ。どんな嫌味を言われたとして次の瞬間には切り替えてくれる。一八が突っかからない限り、普通の隣人として彼女は接してくれるのだ。

「文化祭? お前も知っていると思うが、俺たちに格闘以外を求めるのは間違っているぞ? 文化祭なんて名前だけだ。実際は何の展示もないし、出し物だってない。そもそも休みの日にまで学校へ来る生徒なんて役割を押し付けられた者だけだ……」

 玲奈たちカラスマ女子学園の提案は議題にかけられることなく一蹴されてしまう。

「まったく豚小屋に相応しい畜生っぷりだな? 漫研とかアニメ研とかあるだろう? せっかくチキュウ世界にはテレビという魔道映写機があるのだ。もっと楽しめよ?」

「お前の趣味で考えるな。それこそカラスマ女子学園とウチは高校という括りしか同じじゃねぇ。言葉を交わすより殴り合うような生徒しかいねぇんだ……」

 口にするたび落ち込んでしまう。一八は人族社会に適合しそこねたことを今更ながらに痛感している。他人の振り見て我が振り直せとはこのことだ。公立の中学では感じなかったけれど、同じような輩に囲まれた一八はようやく間違いに気付いていた。


「じゃあ、何だったらできる? 学園には他に案がないのだぞ?」

 玲奈の質問には頭を抱える。武道学館生はどのようなイベントだろうが面倒くさがる傾向にあるのだ。その点においてはオークよりも扱い辛かった。

「奥田会長、体育祭ならばどうでしょう?」

 そんな折り、副会長の滝井が進言する。武道学館唯一の良心である彼は生徒たちが興味を持つだろう提案をしていた。

「そうか、体育祭ならば……」

 たった一つ興味を示すイベントがあった。毎年のこと大荒れとなるのだが、体育祭だけは盛り上がりを見せる。仮に提案するとすれば体育祭しかないように思う。

「玲奈、カラスマ女子には悪いが、俺たちじゃ文化祭での交流などできん。俺たちの案は体育祭だ。成功させたいのなら俺たちに合わせてくれ」

 一八はアネヤコウジ武道学館としての意見を口にする。共同開催はどのようなイベントであろうと可能だが、成功させるという意味合いならば体育祭しかないと。


「むぅ、確かに貴様の兵隊では文化的な活動など不可能だろう。武道学館の提案は持ち帰らせてもらう。私の一存では決められんからな」

「そうしてくれ。できれば面倒ごとは避けるように。ただでさえ俺は生徒会長としての仕事が山積している……」

「しったことか。せいぜいお山の大将を気取っているが良い……」

 言って玲奈は手を挙げて去って行く。雑談すらなくそれはもうあっさりと。

 一八は少しばかり寂しい気持ちになる。やり直しの人生を上手く生きる玲奈と失敗した自分自身の対比。対称的とまで思える人生と同じように、部屋に残る自分と出ていく玲奈が重なって見えていた。


「待て、玲奈!」

 思わず声をかけてしまう。今までにも幾度となくあった場面だというのに、一八は置いて行かれまいと彼女を呼び止める。

「なんだ? まだ用事があるのか?」

 クルリと振り返る玲奈に一八は笑みを見せた。武道学館としての用事などなく、込み入った話があるわけでもない。しかし、呼び止められたことが一八には大きい。

 かつて私立中学への進学を希望した玲奈を不思議そうに眺めているだけだった一八。思えばあの頃が転機であった。彼女を見習ってさえいればと。武術と同じように勉強も頑張っていたとしたら今頃は同じ舞台に立っていたかもしれない。


「体育祭について話し合おう。ラーメンでも食いながら……」

 玲奈を惹き付ける話を付け加えた。大食漢である彼女なら必ず食い付くはずと。しかしながら、一八の企みは副会長滝井によって阻まれてしまう。

「会長は書類を片付けてください。特に部費の割り振りを……」

 真面目すぎる滝井は頼りになるものの、こういうとき融通が利かない。けれど、一八は既に決めている。玲奈に人間としての生き方を聞こうと。

「滝井に一任する。俺は計算が苦手だからな。それに合同体育祭について話を詰めなければならん。責任は全て俺が持つから頼む」

 一瞬驚く滝井であるが、思い直してもいた。事あるごとに各部活から文句を言われているのだ。責任を持つとの話は彼にとって悪い話ではない。

「まあ分かりました。けれど、明日はいつもより早く来てください。最終的な承認をしてもらいますから……」

 それで良いと一八。だが、話はまだ完結していない。納得した滝井ではなく、玲奈が口を挟んだからだ。


「おい一八、私はまだ同意していないぞ? 何の因果で貴様と飯を食わねばならんのだ?」

 難色を示すような玲奈であるが一八は心得ている。曲がりなりにも十七年見てきたのだ。彼女の扱いは滝井を納得させるよりも簡単だった。

「奢ってやる。何でも食って良いぞ?」

「よし決定だ! さあ行くぞ、一八!」

 一転して笑顔を見せる玲奈に滝井が吹き出している。奢りだと聞いただけで即決する彼女が子供っぽく感じられ、更には可愛らしいと思う。

「滝井、あとはよろしくな。明日は七時半にここへ来る……」

「そうしてください。お土産の一つくらいあると嬉しいのですがね?」

 オークキングであった頃には考えられない返答があった。部下たちは命令に二つ返事であり、嫌味を返すものなどいなかったのだ。


「ああ、期待しろ。駅前のドーナツを買ってくる……」

 キョウト市は首都オオサカに継ぐ共和国第二の都市。天軍との戦線に近いエリアである。かといって街はまだ平穏を保っていた。公的な交通網も機能しており、市民はまだ日常を続けられている。

 滝井の同意を得た一八は玲奈を引き連れて校舎を出て行く。しかし、そこで予定外のことが起きてしまう。

 校庭にいた大勢の生徒たちが二人を取り囲んでいたのだ。さりとて喧嘩というわけではない。玲奈が歩き出すや群衆は自然と割れていく。

「一八、貴様はどれだけ恐れられているんだ?」

「馬鹿か? お前にビビってんだよ……」

 確かに一八は怖がられていたけれど同時に尊敬もされていたし、あからさまに逃げていく生徒などいない。怒らせない限りは問題ないとの認識である。


「そうかそうか! 豚共も学ぶ知能があったようだな!」

 ご満悦の玲奈。綺麗に割れた人垣の真ん中を堂々と歩く。

 一方で一八はやらかしに気付いていた。男子校であるアネヤコウジ武道学館において女子と下校するなんて者は一人としていないのだ。これだけ大勢の生徒に目撃されては言い訳できない。面倒ごとに発展する未来が容易に想像できた。

 まあしかし、ここは開き直るしかない。表向きは生徒会長としての仕事なのだ。一八は玲奈に習って堂々と歩いて行く。


 キョウト市は戦地に近いことから街全体が巨大な壁に囲まれている。山脈を挟んだ北側は天軍により陥落した元トウカイ王国だ。国を隔てるタテヤマ連峰があったおかげで、流石の天軍も攻めあぐねている。再三に亘って大軍を送り込んでいたものの、その兵は疲弊しておりキンキ共和国は何とか進軍を退けていた。

 現状ではまだ前線が持ち堪えられる状況であって、隣国であるカントウ連合国とを結ぶ高速魔道列車もまだ運行中である。


 学校をあとにした一八と玲奈はキョウト中央駅に程近い夕暮亭というラーメン屋に来ていた。

 昼時は行列必至の名店であるけれど、中途半端な時間ということもあり二人は直ぐさま席へと案内されている。

「して一八よ、何でも頼んで良いというのは本当だろうな? 奢りというのに間違いはないな?」

 凄むような玲奈。奢りというだけでついてきた彼女は今一度確認している。どうやら一円も出すつもりはないようだ。

「くどい。俺は師範代としてアルバイトしているからな。何でも食っていいぞ」

「うむ、良い度胸だ! 三時のおやつ代わりにいただくとしよう!」

 おい店主と玲奈の大きな声が響く。メニューを片手にラーメン屋の主人を呼んだ。

「この超特盛りスタミナチャーシュー麺定食と辛ウマ鶏南蛮定食をもらおうか!」

「おい玲奈、俺の分まで頼むんじゃねぇ! 俺には食いたいメニューがあるんだ!」

 勝手に注文してしまう玲奈を慌てて制止する。だが、玲奈は首を大きく横に振っていた。


「両方とも私のだっ!」

「食い過ぎだろ!?」

 確か三時のおやつと聞いた。けれど、玲奈は定食を二人前も食べてしまうらしい。昔から大食いであったけれど、女子高生らしからぬ注文には流石の一八も呆れている。

「じゃあ俺は豚カツラーメンメガ盛り野菜増し増しの増しとライスを特大で……」

 一八は予め決めていたメニューを注文。通常であれば店主も驚くメガ盛りの注文であったが、玲奈のあとであったから主人は頷くだけである。


「豚カツラーメンだと!? 正気か一八? 共食い……。いや、完全に同族殺しじゃないか?」

 玲奈の反応に咽せる一八。口に含んだ水が器官へと入ってしまったようである。

「今は人族だっつーの。それにオークは同族であっても空腹次第で迷わず食うからな!」

「それは恐ろしいな。よく考えれば豚骨ラーメンであるしチャーシューも豚だ。加えて豚カツまでトッピングしてしまうなんて……。貴様は外道にもほどがある。それは貴様の元両親かもしれないというのに……」

「やめろ! お前の思考が怖いわ! これから豚が食えなくなったらどうしてくれるんだよ?」

 注文をしくったと一八は思った。かといって豚骨ラーメン店であるから、この遣り取りは避けられなかったはずだ。

「まあ命に感謝をして食らうことだな!」

「重すぎるわっ!」

 このあとは少しばかりの沈黙。けれど、それは一八が望んでいたときだ。食事が配膳されるまでの間、一八は取り留めのない話を始めている。


「なあ玲奈、お前は女子高生らしくないけれど、チキュウ世界に馴染んでいると思う。お前から見て俺はどうだ? 俺はちゃんと人間をやれているか?」

 まずはそこからだ。玲奈から見て人族でないのなら、一八はそこから始めるべき。人族として振る舞えるよう生活を変えていくしかない。

「はぁ? 何を言っているんだ? 貴様は間違いなく人族だ……」

 茶化すことも皮肉ることもなく、まともな返答であった。しかし、一八が望んでいるのは見た目の話ではない。

「いや見た目の話じゃねぇんだ。俺はまだオークキングの名残を残しているんじゃないかと思ってな。考え方とか行動がさ……」

 是非とも知りたいと思う。玲奈に嫌われているのは明らかであるが、このような話は記憶を引き継ぐ玲奈にしか聞けない。


「馬鹿を言うな。もしも貴様がオークキング的な要素を残していたとしたら、貴様はこの場所にいない。私の向かいでラーメンを注文するはずがないんだ。ここでご飯を食べることこそ貴様が人族である証し……」

 よく分からない話である。十七年も隣人であったのだ。一緒に食事を取る機会は過去にもあったし、今さらそれが証拠だと言われても一八にはピンとこなかった。


「何のこと言ってんだよ?」

「貴様こそ何を言っているんだ? 目の前にいる一八は決してオークキングなどではない。何が異なろうとも、それだけは確定している。何しろ私は……」

 玲奈が続けた。明確な理由が彼女にはあるらしい。


「私はオークキングに出会わないからだ――――」


 ゴクリと息を呑む一八。そういえばそういう話であった。

 女神への願い事。騎士レイナは今世でオークキングに出会わないよう希望したのだ。女神マナリスが願い事を叶えたのだとしたら、一八がオークキングであるはずがない。玲奈が出会うはずはなかった。

「私もあの女神殿に一杯食わされたのだ。私は貴様のことを話していたというのに、女神殿は確認にオークキングと口にしていた。彼女が言うオークキングは貴様を指定していない。だからこそ人族に転生した一八はここにいる。貴様は間違いなく人族だよ……」

 溜め息混じりに話す玲奈に唖然とする一八。ずっと玲奈の願いだけ叶っていない理由が分からなかったが、今になって一八は知らされている。


「玲奈はいつ気付いたんだ?」

「ずっと前から知っていたよ。惚けていたのは悔しかったからだ。貴様のハンサム具合と同レベルで謀られていただなんてな……」

 食えない女神殿だと玲奈は漏らす。ずっと黙っていたのは一八と同じ括りになるのを嫌がった結果であるという。


「なら俺は人族なんだな? 俺はちゃんと人間をやれているんだな?」

 しつこいと感じるほど一八はこだわっていた。玲奈にその原因は分からなかったけれど、心境の変化が起きたことくらいは理解している。

「今までに間違えられたか? ゴリラならばともかく街中にオークがいると通報されたことがあるか? 貴様は歴とした人族だよ。疑う必要はない。もう邪悪な魔物ではないのだからな」

 本当に意外だった。前世の因縁を考えれば、こうやって諭してもらえる立場ではない。だが、玲奈は隣人として接するがまま一八の問いに答えている。

「玲奈もそう思っているか……?」

 聞かずにはいられない。出会うたびに嫌そうな顔をする彼女がどう考えているのか。記憶を残す彼女が今何を思っているのかを。


「あのオークキングは今も許せない。だが、貴様は同一でありながら異なる存在。だから岸野玲奈の人生は葛藤の日々だった。ベルナルドの災厄とまで呼ばれたオークキングと奥田一八を重ねて見るべきかどうかと……」

 玲奈の話は一八にも理解できた。一八はオークたちを率いてドワーフの国を滅ぼし、人族の国もまた壊滅状態に追い込んだのだ。あのオークキングと同一視するならば隣人など演じられないだろう。

「貴様が転生者だと知ったあとは拒絶するしかなかった。だからこそ私は公立の中学へと進まず私立を選択したのだ。けれど、隣人として接する一八はその背景にある怪物を徐々に消し去っていった。貴様が人間味を感じさせるたびに……」

 玲奈の困惑はよく分かった。一八は女神への願い事を消化してまで会いたくなかった相手だ。その自分が隣人だなんて受け入れられなかったことだろう。


「今も明確な答えは見つかっていない。だが、実をいうと私は解答に行き着いてもいる。要はそれを認めるかどうか。ここ数年はずっと迷っているだけだ……。私自身だってレイナ・ロゼニアではないのは明らかであるというのに……」

 玲奈は一定の結論を得ているらしい。しかし、前世の記憶が認めることを許さない。世界も存在も過去とは違うと分かっていても。


「まあ一八は悩む必要などない。前世を考えると貴様は十分に人間をやれている。力だけでねじ伏せていたあの頃とは何もかもが違う……」

 十七年という期間を経ても玲奈はまだ過去に囚われている。ただ彼女は十七年間を通して一八を見てきた。彼への評価は年を重ねるごとに少しずつ改善している。

「そうか……。お前にしか評価できないと考えていたんだ。今日はすまなかったな……」

 言って一八は配膳されたラーメンを啜り、豪快に白米を掻き込んだ。照れ隠しなのか、どんぶりで玲奈の視線を遮っている。

「そういうところだよ、一八。謝るなんてオークキングには無理だ。どれだけ自身に非があろうとも、あの頃の貴様ならば謝罪など口にしない。私が一八に感じる人間味はそういう態度だ……」

 玲奈の話にどんぶりと箸を置く。どうやら自分が考えるよりも玲奈はよく見ているのだと分かった。最初は警戒していたからであろうが、一八を見る目は年々鋭さを失っていたことだろう。


「女神の加護さえなければな……。前世の記憶さえなかったのなら、恐らく俺たちは仲の良い幼馴染みとしていられたはず……。だから俺は割とあの女神を恨んでいる……」

 ふと一八が漏らした。女神マナリスの詫びとして記憶を引き継いだこと。隣人である玲奈とギクシャクしてしまうのは全て彼女のせいなのだと。


 六歳の春まで二人は普通に幼馴染みであった。ハンディデバイスによってお互いのスキル『女神の加護』を確認するまでは何の問題もなかったのだ。互いが誰であるのかを知った二人は同じ距離感でいられなくなってしまった。

「恐らくそれも女神殿に謀られたのだろう。天界では喧嘩ばかりだったからな。隣人への転生は私にとって明確な罰であり、貴様にとっては救済だったのだと思う」

 一八とは異なる見解を玲奈が口にした。

 女神の加護が何の役に立つのか不明である。加護というからには恩恵が少なからずあるはずだが、玲奈には互いを認識させるためとしか考えられなかった。

 人族の生き方を一八が学べるように。一方で立場的な生き方があることを間接的に玲奈が学べるようにと。


「それで一八、貴様はどう生きるつもりだ? 私たちだけは女神殿の考えを知っている。彼女は生きとし生けるもの全ての味方だ。オークの軍勢も彼女にとっては我が子同然だったはず。つまり天軍がチキュウ世界を制圧し、人族が滅びることになろうとも彼女は気にしない。どれだけ我らが祈ろうとも人族に荷担することなどないだろう」

 玲奈はチキュウ世界の未来について語り始めた。同じ転生者であるからこそ。女神の意志を知る二人は一定の未来について予測できた。

「それな……。トウカイ王国が簡単に負けちまうだなんて、共和国の誰も予想していなかっただろう。王国が天軍を抑え込むものだと考えていたはず」

 海を隔てた北の大地にて天主が建国をして十数年。女神マナリスの話とは異なっていたものの、人族が窮地に立つのは同じだった。マナリスが語った時代はまさに現状であって、二人の人生は天主が建国する以前の時間帯から始まっている。


「思えば準備期間であったのかもしれん。それこそが加護なのかもな。私はそれなりに鍛錬してきたつもりだが、一八がこれからどう生きるのかを聞いておきたい。私はこのチキュウ世界を気に入っている。たとえ天主が役割を演じているだけであっても、私は人族として侵略を許さない。今度こそ私は全てを守りたいのだ……」

 一八には耳が痛い話であった。玲奈の前世を狂わせた当人であるのだから。

 天界にて女神マナリスはオークキングを批判しなかったけれど、立場が逆になった今は玲奈が感じただろう脅威を天軍に覚える。世界が変わろうとも情勢は同じだ。真っ先に滅亡したドワーフたちがトウカイ王国であり、キンキ共和国は次なる獲物となった人族に当て嵌まる。


「玲奈は女神の話を真に受けていたのか? お前はこの先にある危機とやらを信じてんのかよ?」

「女神殿は確かに言ったのだ。二十年以内に危機が訪れると。だからこそ私は天界で語った通り全てにおいて努力した。結果的に上手く準備できただけで、女神殿に諭されていなければ、この度も私は戦えなかっただろう」

 玲奈は騎士となるべく準備ができている。その事実は一八を悩ませるだけだ。もしも幼少期から天軍の侵攻について考えていたとすれば、今よりもずっと選択肢が増えていたはずである。


「雑兵になるくらいなら道場を継げと俺は言われてる。どれだけやる気を出しても現状で俺が騎士になるのは不可能だ。馬鹿だし剣術なんてしたこともねぇ。つまり俺の未来は一つしかない……」

 小さな声で返される。一八自身も現状を憂えていたし悔やんでもいた。一応は受験を頑張ってみようと考えていたけれど、何も行動していないのだ。子供が未来に期待するように妄想を膨らませただけである。


「まあ両親ならそういうだろう。私も同じだ。騎士になれないのなら道場を継げと言われた。よって私は絶対に騎士学校へと入らねばならない」

 正直に強いと一八は感じた。玲奈は十分に狙える立場であったけれど、仮に1%でも可能性があるのなら彼女は諦めないだろう。前世でも彼女は勇敢だった。災厄と呼ばれたオークキングに対して彼女は一人で立ち向かったのだから。


「オークキングの記憶を持つ貴様なら戦力になると私は考えている。現状の一般兵は就職先を選べない者ばかりだ。想像するにトウカイ王国も同じような構成だったはず。主力が失われるや、なし崩し的に崩壊してしまったのだろう」

 意外にも玲奈はオークキングの名を出し、加えて彼女は助力を求めるような話をした。ラーメン店に不相応な話を切り出したことは、それだけ彼女がチキュウ世界を危惧しているからに違いない。

「一八、人は往々にして大事なことに気付けない。切羽詰まるまで分かろうともしないのだ。だから貴様が後悔したとして普通のこと。問題は気付いたあとどうするかだ。気後れして尻込みするのか、或いは巨大な壁であろうと挑むのか」

 まるで選択を迫っているかのよう。皮肉も冗談も口にすることなく玲奈は問いかけている。


「生き方を決めるのは貴様だ――――」

 彼女の話は一八が後悔していた内容に他ならない。気付くのが遅すぎたと、これまでの生き方を悔やんでいた。しかし、玲奈はこれから先の問題であるかのように語る。

「俺の生き方……?」

「女神殿の思惑通りにするのは癪だが、背に腹はかえられん。前世が圧倒的強者であり、人族となっても貴様の強さは変わらない。この世界を守るため一八には戦って欲しいと思っている……」

 予想された指南的な話ではなく、ただの希望が伝えられた。戦いとはすなわち天軍との争い。女神の話を聞いた二人だけが知る未来だ。


「一八、貴様は前世のように生きろ。怖いもの知らずで突き進めば良い。それとも飼い慣らされた家畜は縄張り争いすらできんのか?」

 最後にはハッパをかけられている。いつも通りに過去の話を持ち出し、一八を腐すように言った。

「簡単に言うな。俺だって今の生活が気に入ってる。オカンの説教でさえも俺の大切な日常なんだ。だから俺は両親を裏切れねぇ……」

 一八は首を振る。出来の悪い自分を育ててくれた恩。もしもオーク社会に学力が必要であれば一八は殺されるか奴隷的な扱いを受けていただろう。人族の家族であれば当たり前であることも一八にとっては一つ一つが感謝すべきことであった。


「まあ好きにするがいいさ。私は希望を伝えただけ。先ほども言ったが、一八の人生は貴様自身が決めることだ……」

 言って玲奈はラーメンに続いて鶏南蛮定食に手をつける。黙々と食べ続ける彼女はもう一八に興味を失ったかのようだ。

 しばらくは無言で食事をする。だが、次の瞬間、


『緊急警報。市街地に向けてガーゴイル二体が飛来中。外出は控えてください。予想到達地点はキョウト中央駅付近。各シェルターは十分後に閉鎖します。急いで避難してください』


 サイレンが鳴り響き、緊急避難指示が発動していた。

 ガーゴイルは石像のような魔物。防御力が高く魔法も効きづらい。凶悪な強さではなかったが、共和国軍守護兵団にとっても厄介な相手である。

「いくぞ、一八!」

 即座に玲奈が立ち上がった。しかしながら、避難しようとするような表情ではない。加えて彼女は竹刀を手に握っていた。

「おい玲奈、お前まさか!?」

「目と鼻の先なんだぞ? 守護兵団を待っている時間が惜しい。被害が出る前に追い払うぞ!」

 勇ましいというより愚かにも感じる。玲奈だって守られるべき市民なのだ。鉄刀であればまだしも、生憎と彼女は竹刀しか持っていないというのに。


「武器が竹刀だなんて無茶だ! 考え直せよ!?」

「怖じ気付いたのなら隠れているがいいさ。竹刀であろうと魔力を流せば硬度が得られる。貴様が逃げようとも私は戦うからな!」

 店主に食事代を支払い玲奈が店を飛び出していく。奢りだからとついてきた玲奈だが、先に店を出るからか自分の支払いを終えていた。


 一人残された一八。どうすべきなのか考えている。これまでの生き方と同じで玲奈は正反対の行動を取った。

 まだ高校生であって玲奈に戦う義務はない。だというのに彼女は考えもなしに飛び出していくのだ。無謀としか思えない戦闘を始めようと。


 一八には玲奈が何を考えているのか少しも分からなかった……。

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