第2話 女騎士レイナ・ロゼニアとオークキングの邂逅

 ベルナルド世界にある荒れ果てた荒野。ここは人族とエルフの国を分かつ場所だ。二国の国境線に他ならない。

 降りしきる雨。嵐と呼ぶべき天候の中、街道を外れた荒野に幾つかの人影がある。


「レイナ団長、もうエミリ殿下とハル族長との密談は不可能です! 撤退致しましょう!」

「リコ、貴様は世界が滅びても構わないというのか?」

 かつてベルナルド世界には人族とエルフに加えドワーフの三種族がいた。しかし、突如として頭角を現したオークの軍勢によってドワーフは滅亡。残る人族とエルフも窮地に立たされている。


「今こそ人族とエルフは手を取り合うべき。そうしなければドワーフのように蹂躙されてしまうだろう」

「しかし、大木ほどある巨大なオークキングの目撃情報が入っています! 今は姫の安全が第一です!」

 リコという騎士は近衛騎士団長レイナに撤退を要求している。それはそのはず人族とエルフの密談はオーク軍に筒抜けであり、密談場所には大軍勢が送られていた。


「リコ、わたくしは構いません。密使として必ずやハル族長の協力を取り付けます。こんな今も前線で戦う兄上とは違って、わたくしにできることなど多くはないのですから」

「エミリ殿下、機会はまだきっと残されています! ご再考願います!」

 ドワーフたちが滅んでから人族は多方面からオークの侵攻を受けていた。だからこそ強力な魔法を操るエルフ軍との共闘を望んでいる。


 ベルナルド世界の原初三種族は長く対立していたため、突如として出現した新勢力に対応しきれない。手を取り合い共に戦えたのなら対処できたであろうに。

 近衛騎士団長レイナは一瞬悩んだものの、直ぐさま決断に至っている。


「リコ、とりあえずエミリ殿下を避難させろ。ハル族長には密使を送り、事情を説明するんだ。確かにここはもう長くもたん。会談については生き延びてからだ。幾ばくもなくオーク共がやってくるぞ」

「レイナ団長はどうするのです!? まさかしんがりを務められるおつもりですか!?」

「当たり前だ。私はエミリ殿下の騎士だぞ? 姫をお守りする責務が私にはある!」

 勇敢にもレイナはエミリ王女を避難させるために剣を取るという。相手はオークの大軍勢であったというのに。


「しかし、団長!?」

「うるさい! ならばあの一本杉の袂で半刻待て! 私が戻らなければそのまま撤退しろ」

 レイナには半刻ならば持ち堪える自信があった。女性ではあったが彼女は一騎当千の猛者である。下っ端のオークが群れたところで問題はなかった。

 コクリと頷くリコ。だが、直ぐさま撤退とはならない。王女殿下であるエミリが堪らずレイナに声をかけたからだ。


「レイナ、一人で大丈夫なのですか!?」

「問題ありません。エミリ殿下、早くお逃げください」

 主君だけは逃がさねばならない。レイナは騎士である使命を全うするつもりである。

 それはエミリも承知していた。忠義に厚い近衛騎士。何をいっても無駄であるのだと。


「レイナ、必ず勝って追いつきなさい! 貴方にはわたくしを守る使命があるはず。よってその任務を放棄し、失われるなど騎士として失格です。わたくしは最後まで貴方を待っていますから……」

「エミリ殿下、ご心配無用です。私は自力で脱出しますので、どうかお構いなく」

 こうしている間にもオークの進軍は続いていた。

 雨靄の向こう。もう直ぐそこまでオーク軍は接近している。


「うはは、女発見! 野郎共、お楽しみの時間だ!」


 軍勢の中に一際大きなオークがいた。通常のオークと比べて三倍近い。雨靄の中でも異彩を放つその姿は誰の目にも明らか。

「オークキング……」

 報告の通りに巨大な体躯。問わずともそれがオークキングだと分かった。


「如何にも俺様がオークキング! 人族の姫とエルフを同時に味わえると聞いて俺様が直々に出向いてやったぞ!」

 現れたのはオークキングであった。やはり人族とエルフの密談は筒抜けであったらしい。人族の姫君とエルフの族長とが会うことまで彼は知っていた。


「殿下、ここは私にお任せください。撤退を……」

「レイナ、必ず戻るのですよ!?」

 主君との別れのときだ。レイナは覚悟していた。

 雑兵ならまだしも災厄とも呼ばれるオークキングが相手では時間稼ぎくらいしかできそうにない。ドワーフたちがオークキングにより蹂躙されたことは人族にも知れ渡っていることであった。


「ほう、逃げずに向かってくるか? どうせ女は全て持ち帰る予定だ。まずは勇ましい女騎士を俺様が美味しくいただいてやろう!」

「ほざくな、畜生が! 豚バラ肉にしてやる!」

 雷雲が立ち籠め、横殴りの雨が振りしきる中で戦いが始まる。主君を守る近衛騎士団長とオーク軍のトップであるオークキング。激しい風雨も気にすることなく二つの影がぶつかり合っていた。


「いいぞォォ! お前は強者だ! まさか俺様の拳を剣で受け止める女が存在するとはな! 強い者は嫌いじゃねぇ! お前は必ず俺のモノにしてやる!」

「黙れオーク如きが! 私はエミリ殿下の忠実な騎士! 豚野郎なんぞには屈せぬ!」

 周囲には数多のオークが二人の戦いを見守っていた。全てはオークキングの命令である。女が逃げ出さないように。若しくは彼の獲物を誰かが横取りしないようにと。


「幾ら強者であろうとも人族であるお前がオークキングたる俺様に敵うはずがない! 身の程を思い知らせてやる!」

 レイナが幾ら剣技を繰り出そうともオークキングは平然としていた。それどころか両腕を突き出すような格好。剣技を恐れることなくレイナを捕まえようとしている。


 あまりにもパワー差があった。オークキングが格闘系であったのは幸運である。武器を手にしていたとすれば、レイナなど一撃で倒されていたはずで、目的であった時間稼ぎは不可能だったのだから。


「クッ……。豚風情がやるじゃないか?」

「早く楽になれ! お前も逃げた姫さんも俺様が美味しくいただいてやる!」

 オークキングは欲望の権化だ。真っ先に滅亡したドワーフの女は全員がオークに連れ去られ、慰みものとされている。全員がオークの子を身籠もったとの噂話はレイナも聞いていた。


「くそっ、どうして私がこんな豚に!」

 レイナは徐々に攻め手を失っていく。どれだけ斬り付けようともオークキングは臆することなく懐へと飛び込んでくるのだ。近衛兵団を指揮する立場にまでなったというのに、まるで価値がなかったと知らしめるように。

 生まれて初めて感じる恐怖。強大なオークキングに人族の女が敵う術などなかった。


「時間稼ぎはもう十分だろう……。リコならば賢明な判断をしているはず……」

 レイナはこの人生が終わるのだと悟った。ならばもう出し惜しみはしない。どうせジリ貧なのだ。余力を残して倒れるなど彼女の騎士道が許さない。

「オークよ、貴様の強さは認めよう! その力に敬意を表し、我が流派に伝わる秘奥義を見せてやる!」

「ふはは! ならば俺様はオーク流体術の神髄を見せてやろう!」

 ここが勝負所とレイナは家系に伝わる剣技を繰り出す。かまいたちの如く切り刻む攻撃は確実にオークキングを捕らえていた。だがしかし、オークキングは躊躇なく彼女に向かって突進している。


「一太刀が軽すぎるぞ、女騎士!」

 自らも奥義を決めようとするオークキング。勝敗は一瞬だった。刻みつけるような攻撃をほぼ受けきったオークキングはレイナの懐に潜り込み、彼女を袈裟懸けに担いだ。

「殺しはせん! この後はお楽しみが待っているからなぁ!!」


 オークキングは叫ぶように声を張るとレイナを肩口から地面に叩き付けた。

 破損したレイナの鎧と共に激しく水しぶきが飛散している。その威力は絶大であり、レイナは体力だけでなく精神力までそぎ落とされていた。地面に倒れ込む彼女は指先すら動かせなくなってしまう。


「もう動けまい! 全身の骨が砕けているはずだ!」

 オークキングが話すようにダメージは計り知れなかった。繰り出された体術は彼の全体重がかけられており、ぬかるみによるダメージの軽減など致命傷を免れただけにすぎない。


「クッ……、殺せっ……」

「駄目だ! お前には俺様の子を産んでもらわねばならん! これよりお前は【自主規制】して、【自主規制】されてしまうのだ! オーク軍を統べる俺様になぁ! さあ、泣き喚けよ!」

 降りしきる雨の中、オークは両手を拡げて天を掴むような格好である。仁王立ちの彼は勝利を疑っていない。


「ふはははははっ!」

 歓喜の叫びが轟いた刹那のこと、暗雲を裂いて空に閃光が走った。それは瞬きする間も許さず、ただ大地へと突き刺さる。


 地鳴りのごとき轟音が遅れて届き、風雨にもかかわらず炎が上がった。大地を揺らしたそれはこの嵐に相応しい強大な落雷である。


 またそれは無慈悲にも二人の影を焼き尽くしていた――――。

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