第3話 虚咳病 1
4月になった。
季節は初夏で、年間の平均気温が24度のアインザークの気温は、30度に達するのも、もう間もなくだろう。
ヘルネ市のあるガイウスは、海に面して斜面が広がり、そこに建物を連ねている。
日が昇るのは、斜面の向こうからなので、昼近くになると、一気に強い日差しが照りつけるようになる。そして、海からの風は湿気を含んでいて湿度が高い。
ただし、大抵は風が強いので、そこまで不快にはならない。
そして、海に陽が沈んでいくので、午後からの日照時間は長い。
ダンの家の隣の魔法道具屋は、一時学校でも近所でも話題になったが、結局誰も利用する者はいなかった。
まず、魔法道具屋というと、庶民には無縁な高価な物を扱う店である。
次に、店を訪れた客や、冒険者たちは、皆血相を変えて店から飛び出してきたからである。
気の毒なのは貴族の遣いで来た者で、店主の恐怖に耐えて交渉したが、上手く話がまとまらなかったようで、悲壮感漂わせる様子で帰って行く。
店主が店から出てくる事は滅多に無かった。
だが、道を歩けば、皆がギョッとして道を開ける。
食料などは、市長の遣いが定期的に届けている。
夕方になり、ダンはいつもの通りに売れ残ったパンをカゴに入れて近所に配りに行く。
最初に行くのはいつも隣の菓子屋「オードルジェ」だ。
ここはケーキやクッキーなどの菓子類を作って売っている。
見た目からも優しさと穏やかさがすぐに分かるマッシュ・メルツァーが主人で、妻のブランダとの2人で店を営んでいる。
まだ1歳になるジュリアの世話もあり大変そうだ。
しかし、ダンが「オードルジェ」に入ると、何やら慌ただしく奥さんのブランダが荷物をまとめているところだった。
「こ、こんばんは。どうしたんですか?」
ダンが尋ねると、ブランダが笑顔を向ける。その向こうから、ジュリアを抱いたマッシュも出てくる。
「ああ、ダン。いつもすまないね」
穏やかな笑顔を向ける。そんな主人に、妻のブランダは心配そうに視線を送る。
「あなた、本当に大丈夫?ちゃんと離乳食とか作れるの?」
褐色の肌で、元気なブランダは、大きな荷物も平然と持ち上げる。
「ああ。大丈夫だよ。それよりお前の方が心配だ」
穏やかな声で話しかける。
「・・・・・・・あたしはあなたもジュリアも心配よ」
そう言ってブランダはダンの方を見る。
「ダン。しばらくあたしいなくなるけど、ウチの人の事よろしく見てやってね」
そう言いながら、大きくなったお腹をさする。それでダンは察する。
「もうすぐなんですか?」
ブランダのお腹には、二人目の子どもがいる。かなり大きく張り出している。
「う~ん」
しかし、ブランダの表情は微妙である。
「もう少し先だとは思うんだけど、ちょっとジュリアがね・・・・・・」
言われてダンはジュリアを見る。ジュリアは父親に抱かれて、すやすや寝ている。
「ちょっとここ数日ジュリアが風邪っぽいから、うつったら大変だしね」
マッシュが人の良さそうな笑い声を上げる。
「本当に心配性なんだから。あたしより、あなた達の方が心配なのに・・・・・・」
ブランダがそう言うと、後ろ髪を引かれるように、店を出て行った。
「まあ、何かあったらご近所さんに助けて貰うさ。ダンもよろしく頼むよ」
「ああ、はい。何かあったら声を掛けて下さい」
ダンはそう言いながら、パンをマッシュに手渡して、次の店に向かった。
「なんで、市長は君の世話を焼くんだい?」
ダンは、夕方にパンのお裾分けで配る時、いつも最後にパインの魔法道具屋に立ち寄っていた。
ダンの質問に、パインは眉間にしわを寄せる。
「あいつうるさいから嫌いだ」
ダンは、パインの様子が面白い。笑いを堪えつつ尋ねる。
「何がうるさいんだい?」
「・・・・・・飯を作れとか、商売はこうしろとか、帳面を見せろとか」
市長がそんなに他人の世話を焼くとは意外だった。
身勝手で気弱で、それでいて自慢ばかりしているので、市民からは嫌われている。だから聞いてみたかった。
「顔と声も嫌いだ」
肩のアーマーから、クロヒョウのアイが出て来て、パインを慰めるように頬をなめる。ヒョウの舌は、肉をこそぎ落とせるくらいにザラ付いているそうだが、パインは全く動じない。
ダンは、パインの人柄について、誰にも話していない。
自分だけが特別に、パインと良好な関係を築きたかったからである。
その分、ほぼ毎日パインと会ってはおしゃべりをしていた。
まだ、パインが引っ越してきてからは2週間程度なので、あまり互いを知り合えてはいない。
いくつかの魔法道具を見せて貰ったりはしたが、それくらいである。
パインとの会話は、やはりうまくかみ合わない。為人(ひととなり)を知っていてさえ、ちゃんとやり取りできていないのだから、見た目に怯えた人であれば、尚の事、意思疎通は難しいだろう。
「食事は作らないの?」
パンはいつも食べているようなので、何も食べないという事はないだろう。
「作る」
パインはそう言うと、右奥の廊下に入っていく。
どうやら右奥の2階建ての建物が生活スペース、左奥の1階建てで、大きな煙突がある建物が作業スペースのようだ。
戻って来たパインの手には、小さな灰色の、四角い塊があった。
「これだ」
「なにそれ・・・・・・」
ダンはマジマジと眺める。ざらざらした、粉を固めたかのような物で、食べ物には見えない。大きさも、豆粒二つ分ほどしかない。
パインが説明してくれたが、やたらと難しい話をしているのか、関係ない事を話していたのか不明だが、要約すると、これ一粒で、1日分の栄養は取れて、腹も膨らむそうだ。
「・・・・・・で、それおいしいの?」
ダンが匂いを嗅ぎながら尋ねると、パインが首を振る。
確かにおいしそうな匂いも気配も全くしない。
「『おいしい』は難しい。どうしたら『おいしい』が作れるのかわからん」
パインの言葉に、ダンは呆然とする。
「パンはおいしい?」
味覚の問題かと思って尋ねる。
「パンはおいしい!」
喰い気味にパインが答える。それはそうだ。でなければ、パインが夕方にダンが来るのを心待ちにはしていない。
「・・・・・・それ、どうやって作ったの?」
四角いまずい栄養食品をパインに戻しながら尋ねる。まずいと知っては、なお食欲をそそられない。
「これは魔法道具だ」
「・・・・・・魔法道具を作るのと同じやり方で作ったの?」
ダンは興味を引かれる。魔法道具をどうやって作っているのか、見た事は無いし、聞いてみた事も無かったからだ。
だが、あんまりのんびりは出来ない。
「じゃあ、今度作っているところ見せて貰っても良いかなぁ?」
断られるだろうと思っていたが、パインはあっさり頷く。
「パンを貰っているからな」
なぜかパインは得意そうに胸を張る。
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