第11節 出逢うべき力


 アレンが横たわり目を閉じると、瞼の上に再びクラーラの手が添えられた。

 アレンはいつも周囲に巡らせている警戒を解き、その声に集中する。


「――これからあなたに習得していただく『技術』は、本来は世界に溶け込むための『隠密の術』です。わたくしはその技を『速度』に応用しているだけ。でも世界に溶け込めば、人は光のように『速く』なれるのよ」

「……光のように速く」

 アレンは集中しながらクラーラの言葉を繰り返す。

 騎士俱楽部や先程までの打ち合いで、アレンがその瞳で捉えることができなかったクラーラの圧倒的速度の秘密がそこにあるのだ。

「あなたにはこれから『世界』という海に溶け込んでいただきます。まずは自身の身体を『世界の海に沈める』、そんな想像をしてみて」

 アレンはぎゅっと瞼に力を入れて、崖から飛び込むような想像イメージで、意識の海に自身の身体を投げ入れた。

 激しい水飛沫と共に深く沈み込み、そして再び浮き上がる。

 そしてアレンはアレンの中にある海を漂う。

 その海の表層には、優しくも眩い光が飛んでいた。たぶんあの光は、クラーラの意識の断片だ。

「……上手ですわ。では、ここからはわたくしが先導いたしますわ」

 クラーラはアレンの目を覆っているのと反対の手でアレンの右手を握る。

「想像してみて。自分の身体が薄まって、拡がって、世界という器に入った水に溶け込んでいくわ」

「溶け込む……」

 アレンは自分の身体が、細かい粒子になった想像をする。

「自分という存在の殻をすり抜けて、その外郭がもっと外側にあると信じ込ませるの」

 自分という存在を形作る薄い膜のようなものが透明になって拡がり伸びていく。

 そして膜に包まれていた光る粒がそこからふわりと揺れて拡がっていく。

「そう。それをどんどん大きく拡げてみて。まずはこの絨毯の上、そして次にこの訓練場、そしてこの学院、サンクチュアーリオの街、そしてこのウィンデルベルグ島全体へ広がるように」


 アレンの脳裏には、クラーラが口にする場所が俯瞰の映像で流れてくる。見たことがないはずの映像なのに、やけに現実的に頭に浮かんでくる。

 これがクラーラの『想像』だろうか。

「そして島の外の広い海を越えて、その先の島々と大陸まで一気に広げていくわ」

 アレンの身体は水のように広い海に滲んでいき、互いに満たし満たされていく。

「そして最後にこの星――この世界まで拡げてみて」


 クラーラが意識の中で先導すると、アレンの意識と肉体は急速に拡散していく。

 途端に身体が軽くなり、自分がまるで霧のように際限なく大地と大海原に拡がっていく気がした。


「あなたは世界で、世界はあなた」

 ――この世界に自分という存在が当たり前のように溶け込んでいく。

 これはアレンが知らない感覚だ。

「感じて。あなたはこの世界のひとかけら。あなたは世界を形作るものだけど、世界もまたあなたを形作るもの」

「俺は世界のひとかけら……」

 アレンが呟くと、クラーラはそっとアレンから手を離した。

 身体が粒子に溶け、肉体という外郭が薄くなって、空間に漂う。自分の意識がその光の粒一つ一つに宿っている感覚がそこには在った。


 そして、クラーラの指が完全に離れるとともに、それはふわりと弾けた――


「アレンさん。ゆっくり目を開けて」

 アレンの意識が再び旧訓練場に戻ってくる。

 アレンは気が付いた。

 自分の頬に温かいものが伝ったのを。自分の瞳から静かに涙が零れるのを感じる。


 ――何も悲しくないのに、なぜ涙が零れるのだろうか。悲しいのでなければ、これは感動の涙なのだろうか。

 ――俺は、一体何に感動したのだろうか。


 アレンは前髪で顔を隠すように、静かに涙を拭いながら起き上がる。


「気分は悪くなったりしていないかしら」

 クラーラは起き上がるアレンのか顔を覗き込んで言った。

「……はい。大丈夫です。むしろ心地良いくらいでした」

 クラーラはアレンの涙に気付いているだろうに、それに触れないでくれていた。だからアレンは不調はないことを主張するように笑顔で答える。

 クラーラはそれに笑顔で応えると、アレンの手をじっと見つめた。そして確かめるように自身の手を握っては開いてみせる。

「……なんですか、クラーラ先輩」

「――ねえアレンさん。あなたの魔力の器って、もしかして小さいのではなくて、魔力が定着しづらいようなことってないかしら」

 クラーラは首を傾げ、考え込むような顔で言う。

 クラーラはアレンの体質を的確に言い当てていた。

「ええ。器自体は魔法使いと同じくらいの大きさらしいですが、魔力が定着しづらいと国の魔法使いに言われたことがあります。アストルム老師せんせいも同じ見解でした」

「そう。……実は本当にただの憶測だったのだけれど、そういうこともあるのね。私はてっきり、あなたは、魔力の器が小さいものだとずっと勘違いしていましたわ。ですが、これは思わぬ収穫ですわね」

 クラーラは不敵に笑った。

「えっと……ただの弱点だと思うのですが」

「そんなことはなくてよ。大体の人間は、器の中の魔力が邪魔してしまってこの技の習得が難しいのよ。だけどあなたの器は、少ない魔力で飽和している状態――少ない食事で満腹だと勘違いしている。あなたの体内はそのせいで常に魔力とマナが薄い状態にある。でもだからこそ、この技とあなたはとても相性が良いのよ」

 アレンはクラーラの言葉に疑問を感じ、それをそのまま投げ掛けた。

「体内の魔力とマナが薄いと、どうしてこの技との相性が良いんですか」

 クラーラは「言い質問ね」と教師のように言い、それに答えてくれる。

「人間という存在は私たちが居るこの空間よりも、魔力濃度が高いのよ。それを強制的に薄めて世界と同じか近い濃度まで落とすのは、かなり制御が難しいの」

 クラーラはまるで周囲の空気を円を描いて掬うような仕草をする。

「つまり、俺の肉体は元々普通の人よりこの空間の魔力濃度に近いおかげで、その制御の難易度が低くて、世界に溶け込みやすいということでしょうか」

「ええ、その通りですわ。大多数の人間の肉体を流れる魔力を『マヌカハニー入りのミルクティー』だと例えるのなら、あなたは『ストレートティー』ね。どちらが水と近いかは言わなくても分かるでしょう」

 アレンはその紅茶たちを思い浮かべる。

「それにアレンさんは、周囲の状況や気配の察知が元々身に付いていますわよね。あなたはいつも周りを警戒していて、とても気配に敏感。その周囲を把握する能力はこの技にとってはとても大事な技術なの」

 それはアレンの身体に染み付いている、意識しないと逆に止められない『習慣』だ。 

「それは、あなたがこれまでの人生を必死で歩んできた証。あなたの誇るべき能力ですわ」

「……なんだかさっきから褒められているみたいで照れますね」

「あら、素直に受け取って頂戴。褒めていますのよ。アレンさんの魔力はとても澄んでいるし、それも珍しいことですわよ」

「クラーラ先輩はおだて上手ですね」

「アレンさんって時々捻くれているところがあるわよね」

「クラーラ先輩にはなぜかそういうところばかり見られている気がしますね」

「ふふっ。そうかもしれないわね」

 クラーラは口元に手を当てて、目元を崩して笑っていた。


「――それでは休憩はこのくらいにして、次は世界を『移動』する練習に移りますわよ」





    ◇ ◇ ◇




 

 アレンはクラーラの教えを反芻する。


 庭園図書館中に拡げた、いくつもの自分の欠片を意識する。そして次なる目的の書架近くに漂っている自分の欠片に、残りの欠片たちが『収束』するように『移動』した。


「クラーラ先輩と比べたら、俺の技術なんて足元にも及ばないけど」

 アレンが呟く後ろで、牡丹の花弁がひらりと散る。

 クラーラはもっと広く薄く自身の欠片である光の粒を周囲に広げて見せてくれた。

 砂粒よりも小さなその粒と、アレンが今現在作れる掌程の大きさの欠片では、精度も移動範囲も速度も段違いだ。


「でも、この研究戦でだいぶ感覚は掴めた気がするな」

 そう呟いた時。アレンは初めて世界に溶け込んだあの時、自分が涙した理由に気が付いた。


 ――そうか。俺は自分が出逢うべき力に出逢えたことに感動したんだ。





    ◇ ◇ ◇





「アレンは回数を重ねるごとに徐々に速度を上げていっているな。大したものだな」

「いいえ、彼の可能性はあんなものではありませんわよ。それに、あんな風にいちいち時間がかかっているようでは騎士戦では戦えませんわ」

 クラーラは先程からアレンの映像から目を離さないシンを見て、自慢するように「まだまだ」だと主張する。

 クラーラもあの技を隠したりしない。あれはもう『アレンの力』だ。


 あの力は追求すればする程に奥が深まっていく。もしかしたら、あの魔法でも魔術でもない技の、クラーラも知らない可能性を彼が見出すかもしれない。


「アレンは研究戦であの技の練習をしているのですか」

 次に探りを入れてきたのはケイティだ。

「そうですわ。あの子はあれでいて、人に見られることに慣れていないのよ。研究戦と魔術戦で使えるところがあれば使って、集中しづらい環境でも使えるよう練習しなさいと申し付けていますのよ」

 シンやケイティがアレンのことを気にするのは当然だ。騎士棟の一番の不確定要素は、一番能力が低く、一番可能性を秘めたアレンだ。

 クラーラですらそれを測りきれていない。


 ――アレンさんの成長は団体戦の結果を左右するわ。

 クラーラと違い、もしかすれば彼らはこの研究戦が始まるまでアレンの実力など気にも留めていなかった可能性もあるけれど。

 ――存分に警戒しなさい。

 クラーラが密かににんまりと笑うと、シンがいぶかしげに尋ねる。


「彼には随分と口出しするんだな。ランスのときとは随分と教育方針が違うじゃないか」

「あの二人は全然タイプが違いますもの。ランスは沢山のものを持っている天才よ。だけどアレンは違いますわ。あの子が持っているものは、あまりにも少なすぎる」


 ――だからその少ないものを一つ一つ大事に大きく育ててあげなくてはいけない。

 それは、ここにいるシンとケイティには言うまでもないことだ。


「そうか」

「そう」

 ケイティとシンはクラーラに返事すると、再び黙って魔水晶の映像を追い始めた。そろそろ勝者が出てくる頃合いだ。


 クラーラは空を見上げる。

 風が強く吹いていた。

 ――まだその力は弱くて未熟だけれど、彼はいずれこの学院を。いいえ、もしかしたら世界を変えるかもしれませんわ。


 白い雲を押し流す風は変化を主張していた。


 ――魔法が使えないという弱みが強みになるなんて、世界がひっくり返るでしょうね。





    ◇ ◇ ◇






 百二十分が過ぎたことを告げる鐘が鳴る。

 鐘が鳴る前に試験を終えた学生も僅かにはいたが、殆どは終了しないまま強制的に月白競技場ホワイト・フィールドに引き戻されている。 

 アレンとアイリスを含めた一年生四十六名の試験が終わる。


 アレンたちは、先輩たちがそうしていたように階段舞台の前に整列していた。


「それではこれより、第一学年個人戦――研究棟種目の試験結果を発表いたします」


「特別点が追加される第一位から第十位までの学生の名前と得点を読み上げます」

「第一位。研究棟所属のの雛姫・榊・ジェダイト君。試験点百に特別点十を加え、得点は百十点」


「第二位は研究棟所属のセレーナ・トーン・ブルーレース君。試験点百に特別点九を加え、得点は百九点」


「第三位は魔術棟所属のカトレア・サン・ディルフィニウム君。試験点九十八に特別点八を加え、得点は百六点」


「第四位は研究棟所属のルカ・シーカー君。試験点九十六に特別点七を加え、得点は百三点」


「第五位は魔術棟所属のアイリス・ロードナイト君。試験点九十四に特別点六を加え、得点は百点」


「第六位は騎士棟所属のレオナルド・ブラウン君。試験点九十二に特別点五を加え、得点は九十七点」


「第七位は騎士棟所属のマリウス・ミケランジェリ・オットー。試験点八十八点に特別点四を加え、得点は九十二点――」


 風鈴は七十六点で十七位。

 フランは八十点で十三位。

 アレンは八十二点で十二位だった。


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