第6節 原石だからこそ


 研究棟と魔術棟のそれぞれが新人戦の作戦会議を行っているのと同時刻。

 騎士棟でもまた同様に、顔合わせと戦略立案をするため、十四名の団体戦参加者が集っていた。

「――それでは皆さま。騎士棟は今決めた通りの編成で戦う予定ですので、よろしくお願いいたしますね。今回も、わたくしたち騎士棟が勝利の花道を歩けるように精一杯頑張りましょう」


「「「はい!!!」」」


 騎士棟首席のクラーラは、自身を除いた十三名の返事を聞くと、にこりと満足気に微笑んだ。

 クラーラは彼らに先んじて、悠然と立ち上がり、円卓の部屋を出るためにその扉に手を掛ける。

 その扉を押し開く前に彼女はすぐには出て行かず、顔だけを円卓に振り向いてアレンを見つめて言った。  

「アレンさんはわたくしに付いて来てくださいませ」

 その表情はいつもの清廉で知的な笑顔だった。

「――え?」

「お返事は?」

 戸惑うアレンに向けられる、クラーラの笑顔のの奥は完全に捕食者の瞳だった。

「……はい」

 有無を言わせない捕食者の瞳だった。


 クラーラは絶対的な強者でいながらも、普段は穏やかで、皆を包み込むような雰囲気を纏っている。そんな彼女がある種の執念をその瞳に灯すことがあることを、ここにいる二年生と三年生の一部は知っている。

 しかし、彼ら騎士棟の精鋭ですら、その獰猛とも言える瞳を見るのは久しぶりだった。

 それはここにはいない彼女の相棒とも呼ばれる魔術棟のシン・クロウリーでも同じことだろう。

 そして彼らは彼女のその瞳に気付かされる。アレン・ロードナイトは、彼女がその瞳を向けるだけの価値がある人間だということを。

 この優し気に見える少年が、魔法がほとんど使えないという噂の少年が、ただ偶然に、奇をてらって補欠選手に選ばれただけに思われる少年が、決して侮るべき存在ではないということをその場にいる全員がその一瞬にして悟った。


 クラーラとアレンが部屋を出ていくと、室内には静かな波が広がっていく。「アレン・ロードナイトは、一体何者なんだ」と、そんな声が響く。

 騎士倶楽部でアレンと対戦する機会が多く、その実力――いや、その実力の伸び方を良く知っているレオナルド・ブラウンと二年生のランス・ニューマンだけは動揺することなく、にやりと不敵な笑顔を見せていた。

 元同級生であるレオナルドとランスは、「「あいつは騎士棟の秘密兵器になる男だよ」」と口には出さずとも、アレンについての評価を心の中で叫んでいた。





    ◇ ◇ ◇





 アレンはクラーラに連れられて、騎士倶楽部が開かれる旧訓練場に来ていた。

 外はまだ夜の帳は降り切ってはいなかったが、森の奥は既に濃紺色で、空の高い場所には星が輝いている。

 クラーラはアレンと距離を取って立ち止まり、くるりと振り返ってアレンと向かい合う。蜂蜜色の髪が再び彼女の背中で落ち着いたとき、クラーラは右腰に帯びていた剣を、鞘からゆっくりと引き抜いた。

 その刀身には、新月が終わったばかりで明かりの少ない星空を映している。

 アレンは思わずその鏡面を目で追う。


「アレンさん。あなたには新人戦が始まるまで、これから毎日私と特訓していただきます」

「特訓……ですか」

 アレンはクラーラの言葉に戸惑う。

 特訓ということよりも、クラーラが自らアレンを特訓してくれるということに。それは確かに有難いことだ、だがしかし。

「アレンさん、正直に言うと、あなたは今の騎士棟代表の中でも実力は最低レベルよ」

 それはアレンがまさしく今疑問に思った理由だ。実力の低い自分をわざわざクラーラが特訓すると言っている理由が分からなかった。

 アレンの剣術や単純な身体能力は、この学院の中でも決して低くないとアレン自身も自負している。しかし、ここは若くとも聖域最高峰の実力者が集うサンクチュアーリオ学院。

 学術や魔術も含めた総合力で言えば、アレンは補欠選手に選ばれたことすらも不思議な実力だ。

 正式な発表前にも、アレンが団体戦に参加することを知った学生に納得がいかない瞳で見つめられたことは一度ではない。

「手厳しいですけど、その通りですね。……ではなぜ、クラーラ先輩自らが特訓してくださるのでしょうか」

 アレンは自嘲するわけではなく、事実としてそう言う。

 彼女はアレンの疑問に真剣な顔で答えた。

「あなたに今必要な能力を指導するのに最適な人間が、私だからよ」

「俺に必要な能力ですか」

「そうよ、私の技術を一つ、あなたに授けて差し上げます。その技術は、この『聖域』で――もしかしたら、世界で私を含めて三人しか使えない、とても貴重な技術ですのよ」

 クラーラは三本指を立て、まるで餌を目の前に吊るして楽しんでいるような顔をする。

 確かにそれは美味しそうな『餌』だった。


 アレンはマーレ皇国おうこく皇帝から「世界最高峰の技術を国に持ち帰れ」という皇命おうめいを授けられている。

 それはこのウィンデルベルグ連合共和国外から来た学生達であれば、当たり前に国から命じられていることなのかもしれない。

 だが、アレンは気掛かりがあるまま「はい、わかりました」と言える程、人を信じられる人間ではなかった。


「こういうことを言うのは何ですが、そんな貴重な技術を西大陸出身の俺に教えても良いのでしょうか。クラーラ先輩の就職先は聖域軍サンクチュ・アルメですよね」

 アレンの疑問にクラーラは面を食らった顔をした後、慈悲深く、優しい顔で笑った。

「アレンさんは優しいのね。でも、大丈夫ですわよ。そう容易く真似できる技術じゃないから、たった三人しか使えない技術なんですのよ。別に『隠しているから』貴重なのではなく、『出来る人間がいないから』貴重な技術と言われているのよ」

 クラーラの言葉に、アレンは思わず唾を呑みこむ。

 そんな難しいことをたったひと月で身に付けろと、今アレンは言われているのだ。クラーラはアレンの不安を読んで苦笑いをする。

「そんなに心配しなくても大丈夫ですわ。あなたなら出来ると思ったから、私はあなたを選んだのよ。あなたはまだ原石だけれど、原石だからこそ身に付けられることがありますわ。私はあなたに、あなたにしかできないことをしていただきたいの。……もしかしたら、それは残酷な役割かもしれないですけれど」

 アレンにはクラーラが『残酷』と言った意味が分からなかった。


アレンはクラーラの紅玉から瑠璃に移りゆく幻想的な瞳を見つめる。

 すべてを語ってくれる人ではないけれど――この人は信じられる。

 疑り深いアレンの本能がそう告げていた。

 これは強がりかもしれないが、アレンは笑んで見せるとその場で跪いた。そしてクラーラを見上げる。

「貴女の示す道であれば、俺は過酷な運命にでも、残酷な運命にでも……地獄にでも進んで落ちますよ、『騎士王』」

 クラーラはアレンを見下ろしながら複雑そうな顔で笑う。そして少しだけ屈むとアレンの手を引いた。アレンが立ち上がると、添えていた手を離した。

「でしたら、地獄を見る方がましだと言うくらいの特訓をいたしましょうか」

 そして、アレンの顔をすぐそばで見上げながら綺麗な笑顔で怖いことを言った。


 造り物のように綺麗な虹彩の奥で、魔力の光が揺らめいていた。





    ◇ ◇ ◇





 息を切らして座り込むアレンに、クラーラはガラスで出来た水筒を差し出す。彼がそれに口をつけたのを見届けると、クラーラは他愛もない話を振る。


「ねえ、前から気になっていたのだけれど、アイリスさんってメルヘンなお話が好きなのかしら」

 一番最初の騎士倶楽部でも彼が見せた、歌劇風の仕草と台詞をクラーラは思い出す。クラーラは、それは彼の双子の妹の影響なのだと推測していた。

 彼は一瞬戸惑うが、先程の自分の発言を思い出したようで、すぐに語り出した。

「今は分かりませんが、幼い頃はよく『白馬に乗った王子様がいつか自分を迎えに来てくれる』と言っていましたね」

 彼は幼い頃の妹を思い出しているのか、可笑しそうに笑った。

 クラーラはつられてその光景を想像し、頬に手を当てて微笑む。

「まあ、それは可愛らしいですわね」

「ええ、本当に可愛かったですよ」

 その妹にそっくりな、可愛らしい顔で彼は笑う。クラーラはその笑顔を見て、自分の中のいたずら心がムクムクと目を覚ますのを感じた。


「アレンさんって、アイリスさんと結婚する気とかないですわよね」

 クラーラはからかい笑みと共に彼を見たが、当人は質問の意図がわからなかったのか、きょとんとしている。

 そして、悩んだ後に素直にそれを聞いてきた。

「えっと。それはどういう意味ですか?」

 目の前の素直な少年が本気で困った顔をしているのを見て、クラーラは思わず眉間に指をあてて顔を伏せてしまった。

 そして弱々しく呟いた。

「いいえ、ごめんなさい。気にしないでくださいませ。からかおうとした私が悪かったのですわ……」

 彼はやはり良く分かっていないようだった。

 しかし、何か悪いことをしたような気がしたのか、おそらく反射的に「すみません」と謝っていた。

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