第9節 先を生きること


 ――そう、彼女とその兄は『呪い』を解きに来たのだ。


 雅治まさはるには詳しいことは明かされていない。

 しかし、アレンとアイリスがマーレ皇国おうこくの皇子と皇女であることは父から聞かされていた。表舞台にはほとんど姿を出さずに生活していたことも。彼らの身分をみだりに公開してはならないことも。

 雛姫は「そういう匂いがする」と彼らの身分が王子や姫に国を統べる者に連なる者あることを野生の勘的に分かったようだが、我が妹ながら常人の芸当ではない。


 彼らがウィンデルベルグに来た経緯は、彼らの父親と雅治の父親の縁から始まる。

 雅治の父はウィンデルベルグ連合共和国の要職に就いており、双子の父であるマーレ皇国皇帝とは古い知り合いなのだそうだ。

 マーレ皇国は古い風習を重視する点で、中央中立地域とは縁遠いように一見思われる。だが、かの国の皇帝は基本的には穏健派で、国の情勢はこの何代かは安定している。

 更に、西大陸の国々の中でマーレ皇国は中央中立地域との関係は比較的良好な方だ。

 そして、サンクチュアーリオ学院には西大陸の国家の内でも過激派に属する国の子息や令嬢はいない。過激派の国は、中央や東大陸とあまり国交が盛んではないからだ。

 だからといって、彼ら双子の秘密が露見した際のリスクは少ない訳ではない。とはいえ、訳有りの彼らが通える学校は世界中を探してもこの学院くらいだろう。

 その位にこの学院と学院生は大きな力で護られている。『聖域の魔女』と呼ばれる学院長――イヴ・アウエルマイヤーとその師であるアストルム老師の名は伊達じゃない。

 かの皇帝は雅治の父と学院長を頼り、自身の息子と娘をこの学院に入学させた。

 魔術棟のアストルム老師もマーレ皇国とは縁を結んでいるらしく、彼も雅治と同様にマーレ皇国皇帝の協力者でもある。


 雅治自身は彼らの受けた『呪い』の詳細は知らないが、魔法魔術に通じる身として、何となくの想像はついていた。

 目の前に居るアイリスの身体が弱いこと、その兄であるアレンが魔力をほとんど持たないこと。

 ――それらはおそらく『呪い』と呼ばれる類いの物の影響だ。

 彼らや雅治の父、学院長たちの様子からして、まだ隠していることはありそうだと踏んでいるけれども。





    ◇ ◇ ◇





 アウエルマイヤー学院長は、アイリス・ロードナイトに真っ直ぐに語りかける。


 彼女の言葉は魔力を帯びて、室内に響く。しかし部屋の外には一音たりとも届かない。

 その言葉は、アイリスのためだけの言葉だ。


「『呪い』というのは、何も術のことだけを言う訳じゃない。『呪い』というのは、人の心を操るものだ」


 ――『呪い』というのは、複雑で陰湿な魔術だ。それは表面的なものだけでなく、相手の『存在意義』や『価値』、そして『尊厳』を奪う。

 奪われるものは『人の核』になるものだ。

 かけられた本人だけでなく、周りにも深い根を張り、棘で突き刺すような魔術だ。 


「術を解くのは難しいかもしれない。時間が掛かるかもしれない。一生解けないかもしれない。解ける前に君は、死んでしまうかもしれない」

 学院長は残酷な言葉を紡ぎながら、紅玉の瞳でただ真っ直ぐに目の前の少女を見つめる。


「だが、あらがうことはできる。そして人の心を変えることはできる」

 それは確信を孕んだ目だった。

「君の『能力』は、君の『存在』は、稀有なものだと、簡単に切り捨てて良いものではないものだと証明し続けるんだ。でないと、たとえ呪いが解けたとしても、君たち兄妹には『本当の未来』は訪れない」


 ――この人は子供に対して、本当に容赦のないことを言う人だ。

 この人が言っているのはつまり、自分が『価値ある者』だと示さないと、彼らに生きる道はないのだと言っている。


 酷だが、それは真実だ。彼ら兄妹が殺されずに、今生きていることの方が奇跡なんだ。

 呪いが解けたらハッピーエンドなんて、そんなものはお伽噺だ。彼らの過去は良くも悪くも常に彼らについて回る。彼らの未来はどう足掻いても暗いんだ。

 だからこそ、学院長は本気で彼らと彼らの運命に向き合っている。

 昔からこの人の、こういうところに敵わなかった。あの紅の瞳に見つめられると、心の深い所が激しく揺さぶられる。 


「君は、君自身と君の兄の未来を守りたくないのか。自由にしたくないのか。君は、君たち兄妹を縛る鎖を断ち切るために、こんなに遠くの地にまで来たんじゃないのか」

「それは――」

 アイリスは何かを言おうとするが、すぐに口をつぐむ。

「『選ぶ』のは君だ。この学院は、この聖域は『自由』だ。何者も君に何かを強要することなど出来はしないよ。学院長である、この私でさえもね」

 『選ぶ』というのは難しいことだ。強要されることのほうが、もしかしたら楽かもしれない。

 それは言い訳が出来るから。「やれ」と言われたからと、逃げることが出来るから。だか、自分で選べばその責任は自分についてくる。

 『選ぶ』というのは、怖いことだ。彼女が怖がるのも無理はない。

 だから学院長はまるで誘導するように彼女の『選択』を促しているのだ。


「ただ私はむざむざ目の前で、預かっている大事な子供たちを殺される気はないだけさ。君の選択で君を責めたりはしない」

 最後に学院長はとびきり優しい声と顔でそう言った。


「…………本当は分かっているんです。でも、怖いんです」

 アイリスは何かを悩んだ末に、逡巡しながらも言葉を紡ぐ。

「何が怖いんだ?」

「……人を傷付けることが、です。私、本気を出せないんです」

 アイリスはやはり悩んでいるようだった。いや、彼女自身も彼女の本当の気持ちを理解出来ていないのかもしれない。

「理由を聞いても?」

「……私は、本気を出したことがないんです。もしも本気を出さなくてはいけなくなったとき、予期しないようなことがあったとき、私は誰かを傷付けてしまうかもしれない。……私にはそういう力があるんです」

 糸を手繰り寄せるように語る彼女の瞳の揺らぎを雅治は見逃さなかった。

 波のように揺れる瞳を見た瞬間、雅治はこの状況を見守るだけにするのを止めることにした。

「――アイリスさん。貴女は貴女自身の魔力を制御しきれていないですね」


 雅治は彼女がこの学院に来てからのたったの数カ月で、彼女の魔力が大きく揺らいでいるのを片手の指でぎりぎり収まる回数は感じている。

 彼女は「傷付ける」という言葉を選んでいるが、魔力の暴走によって、「殺してしまう」可能性もあるということだ。


「はい。小規模の魔法を扱うくらいの範囲であれば制御できていますが、その範囲を超えたところでどうなるかが、私自身にもまだ分かりません。皇帝にも制御できる範囲を超えることを止められています」

 アイリスはぐっと自身の手を握り、それを胸に当てる。そして縋り付くような視線で学院長と雅治を見つめた。

「……もし、この学院で、私の力や私たち兄妹が原因で何かが起こったとき、助けてくれますか?」


 アイリスの懇願にすぐさま答える声があった。

「当然だ。なあ雅治?」

 学院長は胸を張って応え、雅治を見た。

「勿論ですよ」

 雅治が答えると、すぐに学院長はアイリスを真っ直ぐに見つめた。

「この学院内で何かが起これば、私はそれを解決するために全力を尽くす。『助けて』と言える勇気のある人間を、我々は決して切り捨てたりはしない」

 学院長は堂々と自信に溢れた姿をアイリスに魅せつける。


「だから、君も全力を尽くしなさい」

 その言葉に、藍玉の瞳は希望の光を灯す。

 ――なんて純粋で、弱くて、強い光だろう。

 『全力を尽くしたい』と願わなければ、適当に団体戦の誘いを受けて、抑え込んだ力で闘えばいい。誰もそんな彼女を責めもしなければ、気付きもしないだろう。

 ――だけど、彼女はそうしなかった。

 雅治も目の前の不器用な少女に何かできることはないかと願う。

 今の自分が彼女にかけてあげられる言葉は、本当に少ない。それでも今、『全力を尽くしたい』と願い、自分たちに縋る教え子に何かしてあげたいと思った。

 たとえ私情を挟んだとしても。


「アイリスさん、これは教師としてというよりも、雛姫の兄として言わせてください」

 彼女と仲違いしてしまっている少女の名を出す。

「……なんでしょうか」

 雅治は目の前の少女を真摯に見つめる。

「雛姫と友達なってくれて、『喧嘩』をしてくれて、ありがとうございます」

 雅治はゆっくりと丁寧に頭を下げる。

 雛姫もまた、本気を出すことを、全力を尽くすことを禁じられた人間だ。

 自分と目の前の少女を「似ている」と雛姫が言ったことが脳裏をよぎる。

「お礼を言うのは私の方です。雛姫さんをたくさん傷付けてしまったと思います。ごめんなさい。……でも、ありがとうございます」

 雅治は、アイリスにとっても妹は大事な存在だと分かり安心する。

 ――彼女たちはきっともう、孤独じゃない。


「アウエルマイヤー学院長、ジェダイト先生、ありがとうございました」

 少女はゆっくりと立ち上がる。 

「……わたし、これで失礼いたします」

 アイリス・ロードナイトは白い制服のスカートを摘み、深い淑女の礼をして、駆けるように去って行った。

 少しだけ不安そうな瞳に、小さい決意を宿して――





    ◇ ◇ ◇





「……難しいですね。どうやって導いてあげたら良いのか、どうやって背中を押してあげれば良いのか、いつも迷います」

 小さな靴音が去っていくのを聞きながら、雅治は息を吐く。

「君がそういう若者らしい発言をするのを聞くのも悪くないな。雅治」

「いや、若者って。私はれっきとした大人ですよ」

 雅治は立ったままのアウエルマイヤー学院長を呆れるように見上げる。

 この人はいつも雅治に「年寄りくさい」「冷静ぶっている」だのなんだのと絡んでくる。

「何を言っている。私からしたら君はまだまだ若者だよ。若くて、青くて、酸っぱい実だね」

 ――この人、一体いくつなんでしょうか。聞いたら殺されかねないですけど。


 雅治は禁句を口に出す代わりに、若者らしく心の内を吐き出してみることにする。

「偉そうなことを生徒たちに言っても、自分自身それが正しい事なのか分からないですよ。大人だって悩む。でも格好が付かないから、無理しているに過ぎないですよ」

 雅治が溜息を吐くと、学院長はニヤリと歯を見せて笑って見せた。

「なあに、それが『先を生きること』だよ」

 雅治はかつて自分が席に座り、彼女の授業を受けていた日々がふと頭をよぎった。

「大人も子供も、人間ひとには変わりない。大人になると少しずる賢くなって、上手くやっているように見せるのが上手になるだけさ。だが、本質的には何も変わらない――小さな存在だよ、人間われわれは」

 子供はその不自由さや不器用さに悩む。

 だか大人は、子供が思うよりもずっと不自由で、不器用で、息が詰まる。

「……そうですね」

 雅治はアイリスが去って行った扉の向こうを見る。

「あの『白銀の姫君』もその兄も、そして君の妹君も聡くて強い。聡くて強い人間というのは往々にして悩みが多いものだよ。何せ、この私がそうなのだから」

「よく自分で言いますよ」

 雅治は呆れるように学院長を見る。しかし、相手は一切動じない。

「まあよく見ていろ。子供の成長は速くて、私たちの方が驚かされるんだ。私はそれを見るのが好きでね」

 アウエルマイヤー学院長の瞳は力強い。

 学院長の言うとおり、子供の成長は本当に速い。はっとさせられるだけでなく、時にはこちらが救われることもある。  


 雅治がアイリスが去った扉から目を離すと、学院長はじっとこちらを睨みつけていた。

「おい、それよりも雅治。さっさと客に茶を出せ、茶を」

「客って……。本当に、貴女は昔から傍若無人ですね」

 雅治はそう言いながらも、彼女にお茶とお茶菓子を用意する。

 向かい合ってそれを飲みながら、昔話やくだらない世間話をする。


 ――大人も子供も何も変わらない。

 進むこともあれば、立ち止まることや後戻りすることもある。

 でも、きっと。

 こうやってお茶を飲みながら、くだらないことを語り合って、笑えることの方が幸せだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る